ブラックスター編

第1話

 星の光しか届かない新月の午前一時、すぐ近くで大きな破壊音が聞こえた。まるでなにか建物が壊れたかのような音だ。

 オレは、こっそりと学校に行こうとしていた。ってのも、本当なら日付上は昨日が〆切りだった魔導力のレポートを、たった今書き終えたからだ。研究室入り口のポストに入れれば、まだ間に合うだろう。そういう甘い希望的観測を持って、近道の商店街を駆け抜けながら学校に向かっていた。

 昼間は汗が出るほど暑かったのに、秋だからか真夜中になると寒気がするほど風がキツい。昼間と同じ格好で外へ出なきゃよかった。そう後悔しているときに、硬いものが壊れる大きな音が聞こえてきたのだ。昼間の汗と別の汗がどっと出てくる。

 どこからその音が聞こえてきたのか、オレは身体ごと右、左にとひねり、辺りの状況を確認しようとする。今日は新月で、星明かりしかない。大通りまで出れば瓦斯灯ぐらいはあるのだけれど、一刻も早くレポートを提出したい一心で、街灯が一個もない近道を使ったばっかりに、自分の周りしか見えない。

 オレは破裂しそうな心臓を落ち着かせようとして、深呼吸する。レポートを束ねたファイルをグッと胸に抱え込む。

 そのときだった。目の前は星明かりさえ見えなくなった。目の前は闇が広がっているとしか言えない。

 再び星明かりが出てきた。

「うそだろ……。おい」

 オレはそいつの姿に度肝を抜かされた。

 目の前に、太い二本足で立つ真っ黒な龍がいるのだ。薄いうろこは長い尾っぽまで真っ黒。鋭そうな足の爪まで真っ黒。白目はかろうじて白いが、瞳も真っ黒だ。

 あまりの驚きにレポートを落とし、ばらまいてしまう。拾う暇などない。オレは空回りする足をなんとか動かしながら、逆方向へと走りだす。

 数歩進んだ後、突然頭を酷い痛みが襲った。そして、そのまま意識はブラックアウトした。


「おい。大丈夫か?」

 オレは頬の痛みとハスキーな声による呼びかけで意識が戻った。うっすらと目を開く。

「おい。ううん。もしかして死んでしまったのか」

 長い銀髪がオレの頬をぺしぺしと叩いている。

「オレは死んでねえ……」

 頭の中でカナヅチが暴れ回っている中、オレはゆっくりと起き上がる。

 辺りを見回すと、空にはうっすらと朝日が見えている。

 銀髪は息を軽く吐くと、

「そりゃ、普通は死ぬはずないからな」

 と水色の瞳でオレを見る。

 だんだん日は昇っていく。銀髪の姿がはっきりと見えてきた。

 色白で水色の大きな瞳を持つ中性的なヤツだった。長い銀髪は後ろで一本結びにしてある。真っ黒な軍服風の装束を着ていて、赤いタイは緑のブローチで止めてあった。

 オレは立ち上がる。未だに頭は痛いので、こめかみをさする。

「まだ、痛いのか」

 同じく立ち上がった銀髪は、革の手袋をした手をオレの額に当てる。

 ふっと痛みが消えた。

「これで痛みはもうなくなったはずだが?」

 銀髪はうっすらと笑う。

「お前、ヒーラーか?」

 ヒーラーとは、術者自身の体力と魔導力を使って相手の体力を回復させる職業のことだ。軍服を着ているこいつがとてもヒーラーとは思えないが、とりあえず聞いてみる。

「いや。違う」

 銀髪はすぐに否定する。

「あの闇の眷属に関わってしまった限り、こちらの正体を隠す必要がないから話すが、私は常闇人だ」

「は?」

 オレは突然のことに変な声しか出なかった。

「お前はさっき、闇の眷属に殺されかけ、そして操られかけていた。私はそれを阻止するために、お前を私の眷属にした」

 銀髪が言っていることに思考回路がついていけない。

 そもそも、常闇人と言えば神話において世界を作った闇そのものの存在で、常闇の人々とも常闇族とも呼ばれている。そんな伝説上の存在が存在するなんて、信じられない!

 仮に存在したとしても、闇の存在だ。とんでもなく恐ろしい存在であることには間違いはない。

「ちょっと待ってくれ。お前、今常闇人って言ったよな? それにオレを闇の眷属にした、ってどういうことだ? ふざけているのか?」

 オレは銀髪を訝しげに見る。

「ふざけてなどいない。お前が今生きているのは、私が力を与え、私の眷属にしたからだ。力を抜けばお前は即死ぬ」

 銀髪は何を考えているかわからない無表情で話す。

「あんたの力? もしかして、闇の力か?」

「そうだ。それ以外の何がある?」

 オレの質問に銀髪は即答する。

 ショックのあまり足から力が抜け、オレは膝をついてしまった。

 そりゃあそうだ。闇の力だぞ、闇の力!

 人を恐怖に陥れ、死に追いやる闇の眷属にオレはなってしまっただなんて!

「お前、失礼なヤツだな。死に追いやるだなんて。やっぱ光源のやつらの風評は酷すぎるな」

 銀髪は自身の頭を軽く撫でる。

「な……なんで、オレの考えていることを?」

 オレは驚き、銀髪の顔を見上げる。

「お前は私の眷属だからな。それぐらいの思考は読める」

 銀髪は嫌みったらしい笑みを作る。

「お前の身体が完全に癒えたら、私の力は抜くから、それまでの辛抱だ。ついてこい、ハクト・ベルリッツ」

 銀髪は背中を向けると、石畳の道を歩き始めた。オレは立ち上がり、その背中に向かってこう叫んだ。

「ついてこい、って言ったって。お前はオレのことを何でも知ってるようだけど、オレはお前のことを名前すら知らないんだぞ!」

「私のコードネームはブラックスターだ」

「コードネーム……ブラックスター……?」

 ブラックスターの言葉をオウム返しする。

「常闇族の中にある懲罰部隊『ネメシス』に私は所属している。そこでの名前がブラックスターだ」

 オレはとうとう理解が追いつかなくなり、もはや開き直るしかなくなってしまった。

「オーケー、ブラックスター。それでオレは何に襲われたんだ? 懲罰部隊が追いかけているヤツにか?」

 ブラックスターは頷くと、

「まさか一般人があんな時間に通るなんて、私も思ってなかったし、向こうも思っていなかったみたいだ。せっかく、私はいいところまで追い詰めたのに、突然現れたお前を助け、かばっているうちに、逃げられたんだ」

 ブラックスターは堅く拳を握る。

「ここエナメルシティには、自分の拠点とすべく、街の一部をこの世界から切り離そうとする闇の眷属の理破りがいたんだ。私はそれを阻止すべく、その闇の眷属を追わなくてはならない。いくらお前が予想外に現れたとはいえ、逃がしたのは私の失態だ」

 淡々と訳の分からない事柄を話すブラックスターにオレは、

「それで、その悪いやつを追いかけるのにオレまでついていく必要があるのか?」

 と聞いた。それにブラックスターは、

「私の力の範囲外に出ると、お前、死ぬぞ」

 と冷たい目でオレを見る。

「眷属っていっても二種類あって、自然発生し自立できる眷属と、お前みたいに常闇族と主従関係をもつ眷属がいる。主従関係をもつ眷属は、主の力によって生かされるんだ。ちなみに、お前を襲ったヤツは自然発生の野良眷属だ。以前は誰かに仕えていたみたいだが、今は好き勝手にこの世界を荒らしている」

 ここまで一気に話したブラックスターは、気持ち悪い笑みをする。

「な……なんだよ」

 あまりの不気味さに、思わずオレは引いてしまう。

「お前にとっても、今は少しこの街を抜け出した方がいいかもしれない」

「どういうことだ?」

 ブラックスターの言葉にオレは首を捻る。

「こういうことだ」

 ブラックスターは遠くの地面を指した。

 そこには、足跡だらけのレポート用紙が散乱していた。

「どうせその状態じゃ、その授業の単位を落とすんだ。気晴らしにどこか行った方がいいかもな」

 二晩完徹して書いた自分のレポートが、おそらく自分の足跡でグジャグジャになってしまっている。オレはがっくりと肩を落とした。

「がんばったのに……」

「ま、なにごとも計画的に、ってやつだな」

 ブラックスターはオレに背を向けると、

「とにかくついてこい」

 と言った。

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