~中編~ 魔窟

 ユェンと出会ってからの太腥は新しい生き甲斐を見出していた。今まで独りよがりだと思っていた自分の気の扱い方に、今では誇りを持つに至っている。自分の意識した気の形を投影する技術は、当初は他者に見えないものという認識であったが、相手の気に同調させれば、気の形の他者との共有ができるということを、ユェンは教えてくれたのだ。


 太腥は度々繁華街に出向き、己の気を投影した竜や様々な獣を見世物とし、小金を稼いでいた。徐々にではあるが、太腥の扱う気の見世物を見ようと遠方から訪れる客人が現れる程には、太腥の知名度も増していた。


 太腥にとっての最高の客人は、今も昔も変わらず、唯一の友だちとも言えたユェン一人であった。貧しい家柄のユェンは街に出てくることは滅多になかったので、太腥にとって、繁華街での興行を終えたあとに農村部へ向かうことが一番の楽しみになっていた。ユェンとの気の共有は興行では無いが、


 その日も、太腥はユェンに会うためにいつもの丸太の上に腰を下ろしていた。この丸太も太腥にとっては十年以上の付き合いと言えたが、農村部でもここを利用する者は太腥とユェン以外は皆無に等しく、当初は何のためにここへ置かれたのか分からなくなっていた。長い年月で土と日を浴び続けた丸太は、ある種の貫録を備えており、太腥のお気に入りであった。


 太腥は丸太の上で胡坐をかき、じっとしていたが、やがて時刻は酉時に差し掛かり、薄暮が遠のいていく。今日はユェンちゃん来ないのかな――太腥はそう思い始めていた。


 ユェンと出会ってから、既に十年の歳月が過ぎていた。ユェンは器量の良い娘で、太腥と違って働き者だったので、この頃は夕暮れ時を過ぎても、太腥に会いに来れない日も多かった。


 そろそろ行くか――太腥はそう思い、重い腰を上げた。そのまま立ち去ろうとしていた太腥であったが、ふと、最も親しい者の気を感じ、顔を輝かせた。


 程なくして、ユェンがこちらに近づいてきた。


 ユェンは太腥と最初に出会った頃とはすっかり見違えていた。日焼けした肌からは幾分かの成熟しつつある色香が醸し出されている。髪は三つ編みに結わえられ、背中のあたりまで伸ばされていた。可愛らしさはそのままに、健気に働く彼女の芯の強さが表れていた。


 いつも通りの挨拶を交わす二人。にこにこと笑みを浮かべていた太腥とは対照的に、ユェンは暗く沈んだ面持ちであった。太腥は訝し気にユェンの顔を覗き込んでた。


「どうかしたのかい、ユェンちゃん」


「ううん。気にしないで太腥さん」


 それから、太腥は最早恒例となっていたユェンと二人だけの気の投影を行った。最初は、思い出深い竜を空に映し出し、次に巳の姿。十二支を意識した午、未、申と続き、もう一度辰の姿で一周させる。


 それから、今日考えた二尾の狐の姿を投影した。二尾の狐は中空を舞いながら地上へ降り立ち、ユェンの傍らにちょこんと座って見せた。ユェンは嬉しそうに手を伸ばし、狐の頭を撫でようとしたが、その手は空を切り、やがて狐の全身が揺らぎ、消えていった。


「今日も楽しかったな。太腥さん、ありがとう」


「ああ、こちらこそ、ユェンちゃんと一緒に居られて楽しかったよ。又、一緒に二人だけの気の形を見ようね」


 それを聞いたユェンは、途端にまたあの暗い面持ちになった。その表情には太腥に対して申し訳ないという風な印象も伴われていた。


 太腥は心配そうにユェンの様子を見ていると、ユェンは意を決した様子で話し出した。


「あのね、太腥さん。……わたし、明日からは、もう太腥さんに会いには来れないんだ」

 

 驚いた太腥。太腥は困惑気味にユェンに尋ねた。


「え、どうして」


「わたし、結婚するんだ。親の決めた相手と」


 太腥にはその言葉の意味がすぐには呑み込めなかった。やがて、徐々にユェンの言っていることを理解し始めた太腥は酷く落胆した様子で言った。


「そう、か。ユェンちゃんも十五歳だからね」


 太腥は自分の中の気を酷く縮小していくのを感じた。ユェンもまた、気落ちした様子を隠しきれていないかった。


 ユェンの話したところによると、ユェンは結婚する相手と一週間前にあったばかりという。相手は街に住む比較的裕福な身分の者であり、何でもユェンに一目ぼれしたらしい。


 縁談を持ち込まれた時、ユェンの父親に断る理由は無かった。街の金持ちと親戚関係になれば、ユェンもまた楽な生活ができると父親は考えたのである。ユェンは拒みたかったが、早くに母が他界し、男手一つで育てられた父親の意志に逆らうことはできず、縁談を了承したのだという。


「太腥さん……今までありがとう」


 ユェンからお礼を言われた太腥もまた、ユェンに感謝の意を伝え、深々と頭を垂れた。あまりにも丁寧な態度に、ユェンは戸惑った様子であったが、やがて太腥に別れの言葉を告げると、足早に去っていった。


 ユェンの背中をぼんやりと見つめる太腥。縁談がまとまったというのに、ユェンの背中からは深い悲しみの気が沸き起こっていた。太腥との別れを惜しんでいるのであろうが、それだけでなく、嫁ぎ先への不安や恐怖に似た感情の気を、太腥は見逃さなかった。




 ユェンと別れてから一か月後。時節は残夏月ざんかげつに差し掛かろうとしていたた。


 この一か月間、太腥はどうしてもユェンの結婚相手の男のことが気になって仕方が無かった。そしてとうとう、我慢ができずに行動に移したのであった。


 その日、平時よりもはやく街での興行を終えた太腥は、ユェンの様子を探ってみることにした。ユェンはこの街に暮らしているが、意識して太腥とは会わない様にしているのだろう。時々遠目からこちらを覗くユェンの気配を太腥は感じ取っていたが、ユェンは長居はせず、決してそれ以上近づくことは無かったのである。


 最近は、ユェンの気配を感じることも無くなっていた。それがどうしても気がかりであったので、太腥は悪いこととは思いながらも、猶更じっとしては居られなくなっていたのである。


 太腥はこれまで興行を繰り返していたこの街の地形は大方把握していた。その折で、ユェンの暮らしていると思しき区域も事前に掴んではいたのである。太腥はまず、真っ先にその区域へ向かい、ユェンの気を探した。


 そこでは、ユェンの気が見つからなかった。太腥は不審に思った。何とか痕跡を探そうと試みたが無駄であった。


 太腥はそれから繁華街の中央に移動し、混在する雑多な気の流れの中からユェンのものを探したが、どうしても見つからなかった。街はあまりにも多くの気で溢れ返っていたが、ユェンの気なら感知すれば一瞬で判別できる自信が、太腥にはあった。それが見つからないとなると、太腥は何やら言い知れぬ不安が心中から巻き起こるのを抑え切れなかった。


 太腥は前にユェンの気を感じたことのある場所をしらみつぶしに探索した。人々の往来する街角、渡し船の行きかう川沿い、季節の野菜が並べられた市場。市場では、胭脂豆や紅鳳菜が並んでいるのが目につき、以前、ユェンから収穫した野菜をこっそり分けてもらった時のことが思い起こされた。


 ふと、微かではあるが、ユェンのものと思しき気の流れを感じ、太腥は足を止めた。咄嗟に周囲へ己の気を飛ばし、周辺の気を捜査する。太腥は五感を研ぎ澄まし、自分の過去の興業で培った土地勘を最大限に活かし、一帯の隅々まで探った。


 捜査の結果、太腥はある一区画を特定することに成功した。喜びたいところであったが、太腥はかつてないほどの不安を覚えていた。


 太腥は迷わずに気の出どころへ向かった。そこはまず一般の繁華街の住民が足を踏み入れるような場所ではない。


 そこは魔窟と呼ぶに相応しい退廃地区であり、悪名高い大狼連合の傘下組織が潜んでいるという噂もあった。他にも、倫近隣の国から逃げてきた逃亡者や、国内の罪人の隠れ蓑にもなっているらしい。そのため、治安維持を担う鉤爪ジュアズの捜査対象になることも多かった。


 ただ、まるで迷宮のような魔窟は鉤爪ジュアズですら深く追求できずにいた。言ってしまえば、この無法地帯に住んでいる住民すべてが何らかの悪事に手を染めていると思われ、疑い出したらきりが無かったのである。


 魔窟の入り口に立った太腥は、その奥深くまで気を探った。見まがう筈もない、ユェンの気が弱弱しく伝わってくる。太腥は覚悟を決めた。


 まず、太腥の行ったことは魔窟に漂う悪意に満ちた気と己の気を同化させることであった。外部からの侵入者に対する住民の敵意の気は凄まじく、一歩間違えれば目的を果たすこともなく魔窟の闇に葬られかねない。太腥は己の気の性質を変質させ、まるで大昔からここで暮らしてきたかのように相手に錯覚させる技を行使したのである。


 悠然とした態度で魔窟に踏み入る太腥へ、多くの視線が向けられたが、すぐにそれらは背けられた。一瞬、他所者が入り込んできたのかと住民たちは思ったが、相手の放つ気が自分たちと同種のものであると知り、咎めることもなく見過ごした。


 昼間であるのに背の高い建物が日差しを遮っており、まさにここを魔窟たらしめていた。何やら肉のこびり付いたままになっている白骨に糸を通した鳴子の様な物が、建物を合間を吹いている風に当たり、カラカラと音を鳴らしている。太腥は、その骨が人骨である気がしてならなかった。


 太腥は大麻と思しき臭気がたちこめてむんむんとした空気の中を、自然な足取りで進んでいく。気を同調させたことで、元からみすぼらしい服装の太腥は傍目から見たら長年ここで暮らしている人物の様に映っていた。


 途中、太腥は何やら群衆ががやがやと騒いでいる光景が目に留まり、そちらをじっくりと観察していた。太腥は、人々の輪に囲まれている、両腕と両脚を切断されて芋虫の様な姿にされた少女が見世物にされているのを見つけ、思わず悲鳴を上げそうになった。しかし、押し止まった。


 少女はユェンと大差ない年齢に見えた。助けたいという思いもあったが、ここで手を出せば自分が他所者であるということがばれてしまう。そうなれば、ここに来た目的も果たせなくなってしまうのだ。太腥は断腸の思いでその場をあとにした。


 ユェンの気との距離が着実に詰められていった。太腥は逸る気持ちで己の制御している気が乱れるのを懸命になって抑えていた。それでも、ユェンが先ほど見かけた少女の様な状態になってはいないかという不安感から、急く気持ちがつのる。


 不意にユェンの声が聞こえた。幻聴ではない、はっきりとした声。太腥は即座に気を一点へ集中させ、迷路の様に薄汚れた住居が立ち並ぶ狭い道なりにそって、己の気を奔らせた。うねる蛇の様な太腥の気は、連なる暗黒街の狂気に満ちた街並みの奥へ奥へと侵入していく。その先で、ユェンの気の流れに、太腥の気が触れた。


 太腥ははっとなった。気が触れあったことで、ユェンの悲痛な想いが直に伝わってきたのである。そして、ユェンもまた、慣れ親しんだ太腥の気に直接触れたことでこちらに気づいた。ユェンの気は明らかに助けを乞うていた。


 太腥は走った。最早なりふり構っている場合ではなくなっていると思ったからである。一心不乱に走る太腥の姿を見て、魔窟の住民たちが不審に思った。改めて見ると、見慣れない、異質な人物が自分たちの縄張りに踏み入っている。多くの者がそう思い至った。


 太腥がたどり着いた先は、この魔窟の中にあっては比較的整然とした建物であった。得体の知れない汚物が外壁にこびり付いているのが眼に入ったが、幾分かが擦り取られていた。


 太腥は急いで中に踏み入りたかったが、ここに来て仕損じることだけは避けねばならなかったので、まずは周囲の気を探ることに集中した。


 ユェンはこの建物の中にいる。ただ、ユェンの他にも粗野な男のものと思しき荒々しい気が三つほど感じられた。相手の気の力量などは推しはかれず、下手をするとこちらの気を察知される危険性があったので、太腥は自分でも驚くほどに慎重になっていた。


 ユェンはこちらの存在に気づいている。そして助けを求めているのだ。焦る気持ちは増したが、そのことを知っている分、既に太腥が敵と認識している男たちよりもこちらの方が有利であるという意識に繋がった。中の男たちの気の流れは自分の存在には一切気づいていないことを物語っている。


 太腥は他の者に気づかれない様に、ユェンへ可能な限り細めた己の気の流れを送った。これまで何度も同調したことのある二人の気はすぐに繋がり、ユェンはこちらの意図に気づいてくれた。


 太腥はユェンへこれから自分が行う作戦を伝え、彼女がそれに応えてくれたことを合図に、行動へ移った。


 太腥は己の気を操作し、ある獣の姿を想像した。それは眼前で渦を巻き、徐々に獣毛に覆われた四つの逞しい足を備えた虎となる。虎は咆哮を上げると、建物の入り口に視線の焦点を合わせた。


 虎が建物に飛びかかると同時に、太腥は増長させた己の気を一気に放出し、建物の中にいる三人の男へぶつけた。


 建物の戸に大きな質量を持った物体が何度もぶつかる激しい音を、三人の男は耳にした。中にいた男たちは突然の何者かの襲撃に驚く。一人に指示を出された残りの二人は急いで戸口に走った。


 戸があけ放されると同時に、大の大人二人分ほどの巨体の銀色の猛虎が男たちに飛びかかった。太腥から直接気を投影されていた男たちはその虎が本物であると信じて疑わず、情けない悲鳴を上げながら逃げ出した。送り込まれた気の影響により、虎から受ける外的衝撃や恐怖感まで増長されているためであった。


 太腥は己の気の力を他者に向けた場合、それがここまでの威力を発揮するとは思ってみなかった。だが、それが今ではとても頼もしいものに思える。自分のこの力で、ユェンを助けるのだ。


 太腥はさらにもう一体、雄々しい角を備えた野生の猛牛の姿を投影し、男たちにぶつけた。猛牛の角で突かれた男は、気によって操作された痛覚を受け、ぎゃっと声を上げた。


 二人の男に指示を出していたもう一人の男も異常な事態を前にして、気が動転していた。自らこの異様な外敵を迎え撃とうと己の気を集中し始めた。それを感じ取った太腥はその男もまた気の扱いに長けている者であることを知り、焦った。このまま相手をこちらの気で混乱させ続けることはできないかもしれない。


 男の監視下から離れたことで、ユェンが太腥と示し合わせていた通りの行動に出た。


 走り去るユェンの後ろ姿に気づいたその男は、彼女がこの外敵と関係していると直感する。怒号を発し、他の二人にユェンを取り押さえるように指示を出した。


 なおも事態に困惑している二人を叱咤すると、男は高ぶった己の気を放出させ、眼前に迫って来ていた猛虎と猛牛を打ち払った。二つの獣は、気の力の相殺によって消滅する。この様子を見て、二人の男もまた、獣は幻覚に過ぎないことを知った。


「太腥さん」


 駆けてきたユェンが叫んだ。太腥はユェンの腕を掴むと、急いでここを脱出するように言った。ユェンも状況を察し、強く頷く。


「奴ら、あれがぼくの投影した幻覚だって気づいた。早く」


 背後からは三人の男が追ってくる。太腥はユェンの腕を掴んだまま走っていたが、ユェンの走る速さに合わせなければならず、徐々に追手との距離は狭められていった。


「ユェンちゃん、先に逃げて」


 太腥は立ち止まると、ユェンの背中を強く押し出した。困惑するユェンは一人で逃げることを拒んだが、太腥は再度強く言い聞かせた。


「ぼくに考えがあるんだ。急いで」


 太腥はユェンに向かって己の気を放った。気はユェンのものと同調し、太腥の考えを知ったユェンは申し訳なさそうな顔をしながらもその意に従い、駆けだした。


 太腥は迫る男たちに向かって、ユェンに放ったものとは違う、攻撃的な気を撃ちこむ。二人の男が吹き飛ばされたが、その二人に指示を出していたもう一人の男は、この気を正面から迎え撃った。


 太腥の気が四散し、掻き消える。相手は中々の気の使い手であり、小手先の技は通用しない。太腥は腹をくくった。


「貴様。誰の差し金だ」


 気の使い手である男がドスの利いた声で言った。


 太腥には相手の問いに答える義理などは無い。間髪入れずに己の気に殺意を込め、相手に打ち込む構えをとった。


 気を直接実戦に使った経験は太腥には無い。だが、天堂山で修行する真道チンシャンの男であれば、身体強化などの外敵を殺害するために使われる技術は幼少期に叩き込まれている。太腥が天堂山で修行に明け暮れていたのは十数年も前の話であり、戦闘技術を的確に行使する自信はなかったが、やるしかなかった。


「おい、この馬鹿者を取り押さえろ」


 男は部下らしき二人へ指示を出し、自らも気を増幅させ、太腥に向かって打ち込んだ。太腥は己の全身を硬化させ、これを受け止める。上半身の衣服が細切れになって消し飛んだが、太腥の身体は多少の傷で済んだ。


 突出してきた二人の男が刃物を振り上げ、太腥に斬りかかってきた。太腥はこの二人が気の扱いに関しては素人であることを察していたので、己の気を直接ぶつけることで向かい撃った。受け身を取ることもできず、二人の男の身体が吹っ飛び、近くの石壁にぶつかり、両方とも失神した。


 残った男は、相手が幻覚以外にも戦うすべを備えていたことに驚きの色を隠せなかったが、己の持つ闘気を奮い立たせ、太腥に向かって直接飛びかかってきた。


 太腥は気を右腕に集中させ、敵の腹部に向かって右の拳を突き出した。相手は咄嗟にこの一撃を両腕で防いだが、衝撃に耐えきれず、踏みしめられた両足が地面の上を引きずられるようにして、大きく後退した。


 太腥は勝機を見出した。相手の男は常人よりは遥かに強いが、天堂山で修行していた者に比べれば左程でもなかった。十分に感を取り戻していない太腥であったが、油断させしなければ負ける相手ではない。


 両者はそれぞれの強化した肉体で格闘戦を繰り広げた。太腥は相手の隙を見つけてはその急所に一撃を打ち込もうと試みていたが、相手も全力で応戦しており、なかなか決定打を見出せなかった。

 

 その時、一体の竜が横から飛び出した。度肝を抜かれた敵の男は一瞬動揺した。太腥にはその一瞬で十分だった。


 太腥の拳が相手の顔面に打ち込まれた。男は気で防壁を張ったが防ぎきれず、鼻血を吹き出しながら仰向けに倒れた。男は気絶していた。


 太腥がそちらを見やると、先に逃げた筈のユェンが立っていた。ユェンは幾度も太腥と気を同調した経験を生かして、敵の男に自らが投影した竜の幻覚を見せたのだ。


「ユェンちゃん……ありがとう」


 太腥はユェンが逃げずに戻ってきたことを咎めたりはせず、素直に礼を言った。


 ユェンは自分が太腥の役に立てたことで、微かにほほ笑んでいた。久しぶりに見る、ユェンの笑顔であった。




 その後、太腥とユェンは、他所者である二人への敵意を露骨に示してきた魔窟の住民たちの監視を掻い潜りながら、無事に繁華街まで逃げ延びた。二人の同調した気がなければ、それも叶わなかったかもしれない。

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