第18話 絶望
鷹茶を追うのが先決だった。
でも触上砂羽先輩は動こうとしない。正確に言えば、動いている。部屋の掃除を一所懸命していた。テキパキとアルコールと掃除、アルコールと掃除と色々な部位を実施している。潔癖症でプラスα綺麗好きを彼女の特徴欄に入れないといけないくらいの動き方だった。
一応、ボクは転送されて来たので、靴を脱いでビニール袋に入れて、廊下で立っている。ビニール袋は、触上砂羽先輩のお母さんがくれた。さすがに土足は潔癖症ではない一般人の思考回路でもNGみたいだ。
「行きましょう天流川さん」
「………ガスマスクは外さないんですか? 周囲の視線が厳しいですよ?」
「外す必要ありますか? 外気は汚れていますし、空気には人の唾液が混ざっている可能性もあります。しかも傍には、天流川さんがいますので」
何気に酷いことを言われている。
そんなボクは汚い存在なんだろうか?
いや、もしかして、ボクはゲロが出るほど体臭がキツイのか? 考えたくない。だからこそ、聞いてみるのも悪くない。
「ボクって臭いんですか?」
「もちろん。激臭です。口臭もヤバいです。あまり息をしないで下さい。いや止める事をオススメします」
ガスマスクの奥で、満面の笑顔が見えている。
ショックだ。
落ち込む。
女性に臭いと言われることがここまでダメージを負うとは。腹に重たいパンチを食らった気分だ。
落ち込み過ぎて、歩けなくなりそう。今日は、家に帰ったら、ブレスケアを徹底的に実施し、お風呂も3回は入ろう。
ボクは触上家を出て、道路に立った。
程なく、ガスマスクを外した触上砂羽先輩も出て来た。考え直して貰って嬉しい限りだ。さすがにガスマスクは目立つ。異常者と見られる可能性もあるので、外して貰えて本当に良かった。
ボクは早速、周囲を見渡し鷹茶を探す。
かなり時間を要したので、もう追えないかもしれない。かなり焦っていたが遠くの方で、人影が見えた。完全に鷹茶だ。結構、時間が経過していたので、もう姿が見えなくなっていると予測したが、違ったようだ。案外、ボク等に追って来て欲しくて、歩くスピードを抑えていたのだろう。
中々、可愛い奴だ。
あれ?
もう1人、通行人がいた。
変に雰囲気がある男だ。
鷹茶を通り過ぎて、こちらに来る。いや、なんだコイツ。手に赤い袋を持っているぞ? しかもアレは血だ。ヤバい奴だ。一旦、家に引っ込んだ方がいいかもしれない。
「いましたか? 鷹茶さん」
隣の触上砂羽先輩は、のほほんとした雰囲気で言ってくる。
ボクは目の前の男に対して、警鐘が鳴りまくりだ。
心臓が口から飛び出しそうだ。
そして、棒立ちのボク等の前に、男が立った。仁王立ちというのだろうか? ボク等を睨み、ニヤリと笑った。
ボサボサの髪に、上下のセットアップの黒いスウェットもボロボロだ。何より少し臭う。下水道をほふく前進して来たんじゃないかと思う臭いだ。そして何より、顔色が激悪い。
お化け屋敷の脅かし専用の店員か、ジェットコースターを百万回乗車したような顔色だ。
赤い袋をぶら下げている手も血で汚れている。反対側の手はポケットに突っ込んでいるが、そのポケットの形がかなり気になる。筒状な形をしているんだ。男性性器にしては、形が良すぎる。どう考えても拳銃に見えるのは、ボクが現代っ子のせいだろうか? テレビゲームや、ネットのせいで有り得ない幻想を作り出しているのかもしれない。
そうだ。
拳銃をポケットに入れているなんて、有り得ない。
ここは日本だ。
そして住宅地。
ボク等の前に止まった変質者が、拳銃を持っているわけないんだ。
うん。
うん。
うん。
ボクは何度も頷く。周囲から見えれば、ボクが異常者で敬遠したい対象だ。
しかしだ。ボクの願いも虚しく。
いや、悲しくと言った方が良い。
この男は、バッチリ、くっきり持っていた。
男はゆっくりした動作で、ポケットから拳銃を出した。
「天流川御男と触上砂羽………だな?」
ボク等の名前を知っていた。落ち着いた口調で、変質者のような挙動不審な言動ではない。目的があるというか、使命があるような感じだ。
「返答がないが、間違えではないな」
男は家の表札を見て、そう言った。
触上砂羽先輩は間違いないかもしれないが、ボクが間違いない根拠が分からない。違う可能性だってあるはずだ。
「違いますよ。人違いです」
白々しく言ってみる。
視線を逸し、困った仕草のオマケ付き。
上手く行けば、やり過ごせるかもしれない。
「違うのか?」
男はボクと触上砂羽先輩を見比べる。品定めをするように視線を送って来る。
どうか触上砂羽先輩! 空気を読んでくれ。
コイツは危ない。
本当に危ない。
拳銃を持っているし、下手なことは出来ない。
気付け、触上砂羽先輩!
頼みますから。
お願いします。
心で、精一杯の想いを呟いた。だが、触上砂羽先輩が口を開く。
「汚いですね。早くどっか行って下さい。アルコール消毒をする身にもなって下さい。アルコールで皮膚が荒れるんですよ」
目眩がする。頭痛も。
膝から崩れて良いだろうか? 布団があるなら倒れ込みたい。
赤の他人のそんな失礼なことを言う人間が何処にいるんだ?
あ! なるほど、ここにいるのか。
この潔癖症の世間知らずが言うのか。
ボクは人生の終わりとは、こんな感じで来るんだぁっと半ば諦めムードだ。脱力しそうな足を必死、保っている。しかし震えている。拳銃が目の前にあるだけでこんなに怖いとは、思わなかった。
本当に怖い。
逃げてしまいたい。
「ええぇ? 臭いのか俺?」
予想外の反応だった。
顔から殺気が消えている。
よし。今なら逃げれるかもしれない。
「ショックだ。一回風呂に入っただけじゃ、駄目なんだな」
明らかにショックをウケている。蒼白の顔も今では怖くない。悩み過ぎて、落ち込んでいる人のようになっている。肩も落とし、毛布を掛けてあげたい。
「アンタ等、高校生なんだろ?」
ボクは高速に頷く。
ここで、返答に背くとヤバい気がする。下手をしたら、撃ち抜かれる可能性もある。
「あなたは何歳なんですか?」
ええええぇ〜だからここで、触上砂羽先輩が発言するの?
ボクは目が飛び出すくらい、驚いた。
開いた口も塞がらない。
「俺か。26歳くらいだったはず。もう覚えてねぇよ。歳なんて」
「曖昧ですね。薄い人生だったのですね。あと臭いです」
もう止めて上げて。
薄い人生とかも言わないで上げて。
追い打ちもしないで。
ボクはオロオロしながら、2人の遣り取りを見守るしかない。
「俺ぇ〜情けねぇよ」
情緒不安定なんですか?
キャラ崩壊?
謎が極まっているが、これは無事で終わりそうだ。
そろそろ鷹茶も追い付きたい。この男のせいで、後ろの鷹茶の動向が分からない。ちんたら、していると鷹茶が帰ってしまう。
「もういいや。もういい。これはしたくなかったけど、仕方ない」
嫌な予感がする。
「じゃ、そういうことで、ボク等は行くんで」
「おいおい、待ってよ」
拳銃の持つ手が動いている。
打たれる?
ボクは迂闊なことに瞼を閉じてしまった。心底、ビビってしまったのだ。視線を逸らさなければ、避けられることも出来るが、全て放棄してしまった。触上砂羽先輩も身を挺して、守れたのにそれも不可能になった。
ボクは最低だ。
何をやっているんだ。
そして数秒後、銃声がした。
「え?」
生暖かい、液体が顔に付着した。
確かめなくても分かる。
血液だ。
ボクに痛みがない。そうすると、触上砂羽先輩が撃たれたんだ。ボクは絶望した。
最悪だ。
ボクが犠牲になるべきだ。仮にも親が警察官なんだ。ここで、守られないと親に顔向け出来ない。
ボクはまだ瞼を閉じているが、先輩が声を上げなかったのは、即死したからなんだろうか?
顔面を撃たれたということか?
あ〜。
瞼を開きたくない。
このまま、瞼を縫い合わせて、この世界から隔離してくれ。
でも、このままでは駄目だ。
目を開けるんだ。
世界を受け入れろ。
そっと、瞼を開ける。
「なんで?」
隣の触上砂羽先輩は、無事だった。ボクと同じように血を被っている。そして小刻みに震えていた。瞳に涙も溜まっている。ボクはその視線を追う。
そこには、男が自分の左手を撃ち抜いていた。悲鳴を上げずに、痛みに耐えている。
「あ〜さすがに痛ぇ。気絶しそうだ。初めて撃ち抜いた」
感想と言って良いのか分からない、感想を述べている。だが撃ち抜かれた左手は痛々しい。血が溢れるように流れている。
地面に血が蛇口を捻ったようにボトボトと落ちている。
着衣しているスウェットにも染み込んでいるのが分かった。これは黒いスウエットだから分かりづらい、黒が濃くなっている。
「本当に、痛ぇ。割に合わない異能だ。まぁこれで飛ばせる。黒影、拘束出来るか?」
「うっす。取り敢えず、お嬢を下ろしてからで良いっすか?」
「好きにしろ」
いやいや。
なんで、クロがここに居るんだ?
クロは乱暴に鷹茶をコンクリートの上に落とした。クロは身長があるので、2メートルくらいの高さから落下したことになる。どうやら、鷹茶は眠っているらしいが、そのまま死亡しないことを祈るばかりだ。
「また会ったっすね。ウケますねぇ」
ケラケラと笑う。
アフロで目元が見えていないが、この前に会った時とは雰囲気が違う。完全に敵側っていう感じだった。今もボク等に危害を加えようと近付いているのが分かる。
「震えてるっすか? 豆腐メンタルっすね。プルプルのプリンちゃんっすね。ゲロやばっす」
軽薄な言葉が、逆に恐怖心を煽る。
ボクの足だったら、逃げれるかもしれないけど、触上砂羽先輩を置いて行くことになってしまう。
「あ、無理っすよ」
その言葉と同時に、ボクは手足の自由を奪われた。いつ、縄を出し、手と足を拘束したのか分からないが、目にも止まらなぬスピードだった。そのままボクは後ろに倒れ、後頭部を強めに打った。
かなり痛い。
気絶するかと思った。
続いて、触上砂羽先輩も拘束される。
凄いひどい言葉を飛ばしているが、クロには通じないのか涼しい顔している。
一瞬で、ボク等は身動きが取れない状態になってしまう。
「終わったっすよ血のアニキ」
「やめろ。その言い方は」
「良いじゃないっすか! カッケーっす! イカ墨っすよ」
「バカな言い回しをするな。だから日本は舐められるんだ。もう転送をする」
「あれ? 血のアニキ。こっちサイドの依頼は反故するんっすか?」
「あー忘れていただけだ。こんなもん。母親にさせろ。死んでも知らんからな」
「自分等がやると直ぐに牢屋っすよ。日本は舐められているけど、自分等は舐めていないんで」
「ふん」
訳の分からない会話の後、男は拳銃をボクに向けた。
「血のアニキ」
「なんだ?」
「ここじゃ、アレなんで転送しからバラせばいいっすよ?」
「ふん」
男が鼻を鳴らした瞬間、生温いお湯を通った感覚後、ボクは転送された。
手足が拘束されているので、倒れた状態の転送だった。
なんとなく分かった。アイツは血を媒介にして転送が出来る能力者だ。しかも能力を使いこなしている。
ボクも転送が出来る能力者だけど、こんな使い方は知らなかった。
自分の元に何かを転送が出来るが、離れた所に転送が出来るなんて便利だ。
今は細かい分析より、早くここを脱出したい。
どうやら、コンテナの中だ。
間抜けなことに扉が開いている。逃げてくれと言わんばかりの開き具合だ。
ボクは身体を捻り、周囲を見る。
良かった。
鷹茶も触上砂羽先輩も一緒だ。
2人は気絶しているみたいだけど、ボクだけ脱出して、最悪、鷹茶を転送すれば触上砂羽先輩も転送出来る。
ボクは芋虫のように前進して、コンテナから出た。
どこかの港みたいだ。
ボク等が入っていたコンテナもボロボロだったが、周辺に置いてあるコンテナもボロボロだ。
ここは劣化したコンテナの墓場みたいだった。
あの男が誰か分からないが、悪党なのが分かる。こんな誰もいない場所を選ぶところが姑息だ。
悪党っぽい。
「なんだ? もう起きたのか? 頭を打って倒れたから、眠っていると思っていた。黒影に睡眠剤を貰っておけば良かったな」
上から声がした。
場所は特定出来なかったが、近い場所だったのか? でもあの近くには港はない。海も近くない。
だったらどうやって?
と、考えていると、また生温いお湯を通った感覚に襲われ、元のコンテナに転送された。
「おい。小僧」
上を見上げる。
「!?」
恐怖映画でもここまで血だらけにならんだろうというくらいの血だらけだった。
しかも全裸だ。
何も付けていない。
コイツ。
もしかして、自分自身も転送したんじゃ?
そんなことが出来るのか?
いや、ボクは自分の尿を自分に掛ける覚悟なんて無い。死んでも嫌だ。
例え、本当に死んでもやめて欲しい。
「おいおい。何、ビビってんだ? これからもっとビビるだろうけどな。下手したら死ぬかもな。自分の母親を恨めよ」
なんだ?
なんで母さんが出て来る?
意味がわからない。
母さんに関係するの? これは全て母さんが仕組んだってこと?
「混乱してるようだなぁ。でも撃つ。じゃな」
コンテナの中で煩いくらいに銃声が反響した。
そしてボクは絶望した。
激痛で気絶した。
ボクの股間がジ・エンドした。
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