第14話 銭湯
あの島から脱出して1週間が経過していた。
時々、ボスの使いが俺を訪ねて来る。浮浪者風の男、OL、色んな人間が俺を訪ねて来る。場所は転々と変えているはずなのに、見付かってしまう。
使いは、俺に少ないお金と手紙を持って来る。汚い札だったり、小銭だったり、良く分からない。金額も5000円以下がほとんどだ。生活苦だったが、指令があるので頑張ることが出来た。
手紙はそんな生活の中では、唯一の楽しみで、生き甲斐だった。
手紙には、異能の使い方。仲間の存在。夜、1人での過ごし方。と、色々なことが記してあった。
その中でも、異能の使い方は目から鱗だった。
生活苦もこれで改善された。
俺は今日も生活苦を解消させるために、銀行に行く。
お金を下ろしに来たのではない、お金を下ろしている人間を認識しに来たのだ。
俺の異能は、進化した。正確には知らなかったことを知って、出来るようになった。
人間を転送する際は、大量の血が必要だった。加えて、顔を覚えないとダメだった。しかし、俺が1度でも転送対象を認識すれば、顔が曖昧でも転送が可能性だった。
血の量は、代理血液でことが足りる。
あとは、簡単だ。
銀行で大量の金を下ろした人間を認識、根城にしている下水路に転送。
金を奪って、終わり。
楽だ。
こんなに楽なことはない。
そして何より転送が進化したのは部分転送だ。
俺の血を相手に付着させるその部位だけが、転送する。転送すると言っても俺の目が届く範囲に転送されるだけだが、しかしこれが強力だ。
手に付着すれば、その部分が強制的に引きちぎれ転送される。
あと、物体も転送可能になった。これまでは液体のみだったのに、物体の転送は大きな収穫だった。
ボスは人が悪い。
もっと早めに教えてくれれば、もっと力になれたのに。
だが、俺は無駄に人を殺めない。
脅しに使うだけだ。これまでも金を奪う時だけ、皮膚の一部を転送させるだけだ。
もちろん、相手はビビる。次に相手はさらなる拷問を想像してビビる。
巷では俺のことを下水路のヒルと呼ぶらしい。
いい響きだ。
俺のように、半端者の通り名にはお似合いだ。
さて、司令内容の確認だ。
ターゲットは俺が潜伏しているこの街にいるらしい。
しかも運が良いのか、悪いのか、3人全員がこの街にいる。
1人目は俺にとっては重要なパートナーだ。小娘だが、俺の血の転送にとっては必要だ。ボスに小娘の異能を聞いたが、驚きだった。神を凌駕出来る力だった。さらに驚いたことに、異能の使用回数が極端に少ない。力を持つ者は、必ず力に溺れる。どんな聖人でも知能犯でも、力に溺れるのが人間だ。強欲。それが人間の正体で、真実だ。
しかしこのターゲットの小娘は異能を使っていない。
正義のヒーロー気取りか?
それともバカか?
会うのが楽しみだ。
ボスが言うように、仲間にならない可能性がある。その場合は組織にとっては邪魔な存在だ。貴重な異能を使用出来る人材だが、悪いが命は頂く。
そして2人目。
こいつはどうやら、ゴミだ。ボスの目的の外に存在。ボスの仲間からの依頼らしい。なんでもアレを銃で撃ち抜くだけで良いと。なんだそれ? アレを撃ち抜いたら死んでしまう。じゃ、頭を撃ち抜いてやろう。それが温情だ。一思いに、あの世に送った方が良いに決まっている。ボスには悪いが、俺にSの要素はない。腐っても人間だ。
壊れているかもしれないが、人間なんだ。ゴミでも最後は人間らしく散らすべきだ。
ラストが本命だ。
ボスがどうしても欲しいと言っている人材だ。
ボス曰く、ボス以上の将来性を秘めているという。つまり有望株だ。異能も強力ということで、口枷が俺の手元にある。SMで使うボールを咥えさせるタイプで鍵付きだ。
これで捕獲の準備は出来た。
あとは探すだけだ。
そうだ。車も必要になるかもしれない。
車を探すとするか。
俺は下水路から地上へ出るため、地上への梯子を登る。何日も地下にいたので、体臭が気になる。大丈夫だろうか?
俺は自分の体を臭う。
………。
分からない。
嗅覚疲労をしているのか、慣れすぎて鼻がバカになっているのかもしれない。
仕方ない。銭湯に行くか。
いや、その前に服屋か。
汚い服で、風呂だけ入っても、また汚い服に着替えるんだったら意味がない。
よし。服屋だ。
しばらく、歩くと繁華街が見えてきた。
俺が吐血して捕まった駅もこの付近だ。まぁ俺もここで、サラリーマン時代は良く飲んだ。今では考えられないが。
平日の繁華街は人が多い。昼間だというのに、通り抜けるのが大変だ。
ん?
なんだ?
人が俺を避ける。
く、臭いのか?
やはり臭いのか?
俺は泣きそうだった。
こんなことになるなら、地下を根城にするんじゃなかった。普通にレオパレスとか、漫画喫茶に泊まれば良かったんだ。
俺は早足で、安物のスウェットと下着を買い、銭湯に向かった。
その間に2回は泣いた。
銭湯を見付けると料金を投げ捨てるように店員に渡し、洗い場に直行した。備え付けのシャンプーをじゃんじゃん使い、体と頭を洗う。
黒い汚れが出ているのが分かった。
30分くらい、体と頭を洗い、やっと湯船に浸かった。
「ふぅ」
自然と声が出た。
「天国ですな」
「ん?」
隣のおっさんが話し掛けてきた。
白混じりの薄い頭皮に畳まれた黄色のタオルが乗っている。丸い眼鏡が湯気で曇り、目が見えない。そして何よりガリガリで、湯船で出汁を出し尽くしたような煮干しのようだ。
それより馴れ馴れしい。
見知らぬ人間に気安く話し掛けて来るな。
俺はムッとして、少し離れる。
「息子がいましてねぇ」
なんだコイツ。
勝手に会話を始めたぞ? 普通、空気を読んで、離れたりするだろう? 気まずいという感情は無いのか? 裸の付き合いだとしても、遠慮や配慮に欠けていないか? モラルは? ルールは? 何より俺はコイツの話し相手にならないと駄目なのか? 逃げれないのか?
「これがまた、母親と仲が良く、2人で秘密を共有しているみたいなんですよ」
おっさんはお構い無しにドンドン、話を続ける。人の顔色を伺う事はしない奴みたいだ。仕方ないので、話を聞く事にした。まぁ諦めたってヤツだ。
で、このおっさんが語っている話は、家庭内の話みたいだ。つまり俺の共感を求めているって事か。そもそも俺には息子も妻もいないが、存在すると仮定すると、それは寂しい話だ。父親とは金を稼ぐだけの存在に成り下がるのは仕方ない。しかし、家庭から隔離された存在になるのは納得が出来ないものだ。
「羨ましいんですよ」
何!?
そんなことが羨ましいのか?
それほどまでに息子と話したいということか。
おそらく仕事が忙しくて、会話皆無だということか。それはとても切ないことだ。男は家庭と仕事の両立は難しいと聞く。家庭に顧みれば、仕事が疎かになってしまう。下手をすればそのポストも外され、昇給もせずに窓際に追いやられる。逆に仕事ばかりに気を取られ過ぎると家庭が崩壊する。妻は浮気に走り、子供は非行。そして逮捕されて、ボロボロになってしまう。俺は仕事があっての家庭と思ってしまうから、仕事で崩壊する家庭など最初から壊れ物。不良品だ。支え合っていることが家族だと俺は思う。
皮肉なものだ。
悪の十字架は、世間から見れば、悪。悪そのものだ。見方を変えれば、正義と言えるかもしれないが、その見方は卑屈だ。片目で見ている見方に過ぎない。
そんな組織に属している俺が、こんな初めて会ったおっさんに同情してしまうなんて、それほど、このおっさんが惨めなのかもしれない。
袖振り合うも多生の縁だ。
たっぷり同情をしてやろう。
俺なりの答えしか出せないが、おっさんの心が少しでも軽くなるなら、こんな俺でも心に少しだけ花が咲くかもしれない。
「一緒にその輪に入ればいいだろ?」
「え?」
おっさんは驚いた顔していた。
そんな単純なことも分からないくらいに働いているのかもしれない。仕事に熱中することはいいことだ。しかし仕事は家庭があって成り立つ。
俺の言葉を聞いたおっさんが、今日、妻と息子と話す姿が目に浮かぶ。
「息子は必要無いんですよ。妻と話したい。妻とイチャイチャしたいんです」
「!?」
なんだと!?
俺の心配を返せ!
俺は息子と話したいと思っていた。何が妻とイチャイチャしたいだ。
なんて気持ちが悪いんだ。
「妻とは全然、話せていないんです。携帯番号も知らないんですよ」
下を向く。
そうか。
そういうことだったのか。
こいつは、離婚しているんだ。息子とは会話出来る。だが、妻とは離婚しているので会えない。本当は会わなくてもいい。でも、息子のために会い、もう一度やり直そうと考えているのか。
健気なヤツだ。
不覚にも少し、涙がこみ上げて来た。
気持ち悪いと思った俺の心の方がどれだけ気持ち悪いか、分かってしまった。反省だ。
人となりは、話さないと分からない。
「会えばいいじゃないか」
俺のストレートな言葉だ。
それ以上でもそれ以下でもない。踏み出すのはいつも自分自身。他人の言葉を聞いても、自分自身で動かないと何も始まらない。始められない。俺は言葉を投げるだけだ。
あとはおっさん次第だ。
「恥ずかしいんです」
なんだと?
何、クネクネと体をねじっている。
気色悪い。
これは本当に気色悪い。
いい歳の男がする仕草ではない。ここが無法地帯なら、撃ち殺しているところだった。
いや、待て俺。
早とちりは良くない。
違うのかもしれない。
この男は自分自身に自信が無く、会わせる顔を持っていないという意味かもしれない。そうだとすれば、俺は大馬鹿野郎だ。何を聞いていたんだ。何を推測しているんだ。
この男の背中を押してやるんだ。
これが俺だ。
何も変わらない。
世間的には悪側かもしれないが、俺自身は何も変わらないんだ。言うことを言う。それが俺だ。
俺なんだ。
「自分に自信が無いのは誰でも同じだ。踏み出さないと何もない。ゼロだ。空白だ。でも踏み出せば、それは進歩だ。アンタなら大丈夫だ」
ちょっと、柄にも無く、格好いいことを言ってしまった。
若干だが、顔がいつもの2倍はカッコいいと思う。
銭湯で顔が濡れているから4倍かもしれない。
「そ、そうですね。今日は同じ部屋で寝ます」
ん?
聞き間違いか?
同じ部屋? つまり同じ家? つまり離婚はしていない?
「離婚しているんだよな?」
「離婚ですか? 妻も小生も極度の恥ずかしがり屋で、会話も出来ず、顔も見れないだけですよ。でもお互いを想っているのでラブラブです。いやラヴラヴィ〜です」
最後に言い直した意味が分からないが、俺の勘違いだったという事か。
間抜けだな俺は。
本当に間抜けだ。
「ハッハハハ」
「どうされましたか?」
「いや滑稽だと思ってな」
「誰がですか?」
「お前だ」
ボスに言われたことを俺は守る。
何があっても、どんな所にいても、皮膚を裂ける刃物を持て。それがボスに言われたことだ。
こんな裸の場所だと、刃物を持っていけない。
その時に考えたのが、口の中だ。
それで失敗をして捕まったが、あれから改良をした。血が出ればいいのだから、俺はいつも口の中に口内炎を作ることにしていた。
口内炎といっても、自然に出来ない。
刃物とは違うが、口の中には歯があるんだ。それで頬の内側を噛み千切れば血が出る。小さくても、大きくても、良いんだ。血が出れば血の転送が可能だ。
俺は常に頬の内側を噛んでいる。慢性的な口内炎の出来上がりだ。あとは簡単だ。口内炎を噛めば良い。少量の血で代替血液を少量、口の中に転送。転送した代替血液を口の中で俺の血と混ぜる。
これで量の件はクリア。
口から血を吐き出し、自分の手に付け、更に目の前のおっさんの首に付けた。
一瞬のことでおっさんは分からなかったみたいだ。少し、動きが停止して、自分の首に何か付けられたことに気付く。
「何をしたんですか?」
「妻に心配される理由を作ってやる」
次の瞬間、おっさんの首の一部だけが消えて、血が飛び出る。
浅いはずだが、首という部位だから血の量が多い。
湯船は見る見る、赤に染まる。おっさんは首から下は赤いセーターを着ているようだった。
「い゛だ い゛で ず」
それでもまともに話すおっさん。
中々、強いやつだ。
まぁいい。
おっさんをそのままにして、湯船から上がる。
「大丈夫だ。それで妻にも息子にも、会える。話せないかもしれないが、良かったな」
俺はおっさんの返事も待たずに、銭湯の脱衣所に向かった。
後ろで、利用客の声がしたが、そんなものはどうでも良い。
勝手に介抱でもするがいい。
異能を自分の勘違いを隠すために使ってしまった。なんとも情けない。自分でも制御出来る範囲だったが、一般人にあそこまで行使したのは初めてだった。
背中に電気が走った感じだった。
興奮という震えだ。
なんとも言えない喜びだった。
次は首を落とすことも出来る。そう思ってしまった。
正直、俺は人は殺さないように異能を使っていた。警察に追われるからという理由もあったが、組織に迷惑が掛かると考えたのが一番の理由だ。
だが、俺の異能は、転送が出来る。
俺の元に転送が出来るのだ。
完全犯罪も出来るのだ。
ボスが俺を評価している意味がここだ。
転送出来る異能は、強みが大きい。
じゃ、今回の司令も余裕だ。
ターゲットの顔さえ、分かれば、転送出来る。
下水路だって、例えばコンテナの中にだって、転送出来る。
待っていろ。
触上砂羽。
天流川御男。
そして鷹茶綾。
お前たちは俺の獲物だ。絶対に捕まえてやる。
特に鷹茶綾。
ボスのために屈服させてやる。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます