第11話 密会

しばらく歩くと、全体的に古びたアパートが見えて来た。外装の青い塗装が剥げている。2階に上がる階段は錆が酷く、今にも崩れそうだ。これからこの階段を使うわけだから動悸が止まらない。崩落させてしまったらボクの責任になってしまう可能性もある。使用側に緊張感と恐怖を見ただけで叩き付けるなんて、悍ましいにも程がある。

鷹茶綾はとんでもないところに住んでいるんだなぁーと軽く考え、階段のステップに足を下ろす。

一段目のステップは恐怖の叫び声のような音がした。

トラウマになるような音だった。

二段目のステップは窓ガラスに爪を突き立てているような音がした。

思わず、耳を塞いでしまった。

三段目のステップは赤ちゃんの泣き声のような音がした。

リアル過ぎて、辺りを見渡してしまった。

四段目のステップは相当錆びているので、穴が空いている。ここを踏む勇気が無いので五段目を踏む。

五段目からは真新しい木材が敷いてある。2階の住人の誰かが、見兼ねて木材を敷いたのかもしれない。ボク的にはとても助かる。これで崩落もボク自身の落下の可能性も一気に減った。


ボクは命からがら鷹茶綾の部屋の前までやって来た。

確か、205号室と言っていた。表札には名前も書いていないので不安が拭えない。扉もかなり、古い。アパート外装と同色だったが、こちらもあちらこちらが剥げている。訪問営業も躊躇して、呼び鈴を押せずに帰りそうだ。

まぁボクは押すけど。

そして、恐る恐る呼び鈴を押す。


「アレ?」


何度か押すが、反応がない。

カチカチとプラスチック同士が当たる音のみだ。

完全に壊れているみたいだ。


「ボロいなぁこのアパート」

「聞こえているわよ?」


分厚い扉が開き、鷹茶綾が睨みながら言う。


「早く入ってよ。ご近所に見付かったら、悲劇だわ」


悲劇なんだ。

少し悲しい。


「お邪魔します」


狭い玄関には、ローファー、サンダルが置いてあった。

よし。男の気配はなし。

ご両親の気配もなし。

母さんの情報は本当で良かった。


「アンタ、何、ジロジロ見てんのよ。今度は本気で110番するわよ?」

「両親いないんだね」

「………うん。別に暮らしている」


彼女のテンションが一気に落ちた。理由は分からないが、聞かない方がいいとボクは判断した。悲しい話はあまり好きではない。それに今の状況に合わない。今は女の子の部屋に来たことを楽しもう。

そうと決まれば、まずは深呼吸だ。呼吸は大切だ。生きるために、前に進むため。

鷹茶綾の家の匂いを堪能するぞ!

うむ。まろやかな香り。不快な匂いは1つもない。安らぎと自然と眠くなる、包まれている感覚にフラフラする。これはもう麻薬として、流通させるしかない。

でも、麻薬という表現が現代に合っていない。名前を考えよう。鷹茶in匂い袋というのはどうだろうか? 生産匂い元ということで鷹茶綾のスナップ写真を入れれば、匂いを嗅ぐ側も安心出来るはずだ。品質保証の時代だ。エビデンスという生産元写真はとても効果的だ。信頼に値し、購入者も喜ぶ。

鷹茶綾にも提案しよう。


「いい匂いだね」

「アンタ、変態?」

「女の子の部屋って初めてで」

「私だって男入れたの初めてよ」

「え?」

「なによ?」

「「………」」


時間が停止した。ボクは中途半端に靴を脱ごうとしている段階だったから、中腰のまま彼女を見詰める。彼女もボクの方を見て、頬を少しだけ染めていた。まるでお互いに意識しているみたいだ。意識をしないようにしていたが、今日ここで大人の階段を登ってしまうかもしれない。1日、学校で過ごしていたから体臭が気になる。エチケットとしては、出来れば初体験は風呂に入ってから、体験したい。


「早く入れば」


彼女は、そう言うと奥に行く。

ボクも続くように部屋に入った。

玄関から見えてはいたが、奥にベットあり、その前に小さなデーブルがあった。テレビや娯楽品は無かった。質素な部屋で、女の子らしい部屋から程遠いものだった。


「何よ?」

「別に何もないよ。鷹茶こそ緊張してるの?」

「わ、わ、私がなんで? どうして? 緊張するの? 意味分かんないし。アンタ生意気よ」

「同級生なんだから、生意気とかないと思うけど? それとも君はボクより上と思ってるんだ?」

「当たり前でしょ? 私の方が立派だわ」

「ふーん」


ボクは興味を無くしたみたいにベッドに腰を落とした。


「アンタ、頭、おかしいんじゃないの? 普通、ベットに座らないわよ? 床でしょ? アンタは剣山の上に座って欲しいわ」


頭を抱える彼女。

ボクは逆にガッツポーズをしたい。

他人の家でいきなり、ベッドに腰を下ろすのは無礼者がやる行為だ。そんなことは分かっている。常識だ。誰にでもある良心だ。分からないヤツは、道徳という言葉を知らないか、本当のアホぅだ。

ベッドに腰を落とす行動の目的は、1つしかない。

意識をさせる。これに尽きる。

鷹茶綾も口はとても悪いが、女の子だ。初めて家に上げた男がベッドに座る。連想をするに決まっている。2人でベッドインした風景を。

ホレホレ憎まれ口を叩いていても、顔は………。


うん。全く意識していない。

完全にクズを見る目でボクを睨んでいる。自分の愚かさを反省させる目だ。ボクとしては、ベッドで並んでお話としゃれ込みたかったが、仕方ない断腸の思いで床に移動する。


「それで良いわ。じゃ、組織から司令が来たわ。私たちの高校には私たち2人以外にも能力を持っている人間がいるわ」

「へぇ」

「あんまり驚かないのね」

「興味がないだけだよ。そんなに能力を持っている人が溢れているんだなぁ〜って思う程度だよ」

「私は驚きよ。自分以外で能力者といえば、アンタが初めてだったし」


能力を持つ人間はやはり隠すのだろう。

ボクの場合、能力がバレると同時に逮捕案件だから、絶対に隠し通すけど他の人は私利私欲で使わないのか疑問だ。

目の前の鷹茶綾はどうなんだろうか?

気になる。


「鷹茶は自分の能力を私利私欲で使わないの?」

「………言いたくないわ」

「どうしてさ? ボクは使いたいけど、アレだから使い所に困るんだよ」

「アンタと一緒にしないで。アンタは性犯罪者予備軍でしょ? 私は違う。この能力を呪っているわ。心底ね」


苦虫を潰したような表情だった。

両親がいないことと関係があるのかもしれない。聞いてもいいが、彼女の顔を見ていると聞けない雰囲気だ。

それに鷹茶は震えている。

そんな人間に追求出来ない。震えるという事は、強い怒りか、思い出したくない恐怖かの二択だ。


「でさ。誰なの? そのボクらの高校に居るっていう能力者は?」

「2年生で触上砂羽さんって人みたいね。アンタ知ってる?」

「聞いたことないよ。特徴とかあるの? ボク、顔面偏差値が低い人はあまり詳しくないし」

「アンタ、本当にドクズね。吐き気がするわ」


酷い言われようだ。

ボクだって必死に生きているんだ。発言の自由が欲しい。ボクは毒を吐くかもしれない。でも自分に対して飛んで来た毒には、かなり好戦的に戦う。毒が吐くヤツが悪いと思っているので、メチャメチャ文句を言いたい。けれど、ボクはそこまでメンタルが強いわけではないので、陰口で対抗する。まさに陰キャだ。彼女に対しては、好意がある。しかしこれは問題が別だ。

今、毒を吐かれた。

つまり好戦的対応を実施する。

見てろよ。


「トイレ行きたいんだけど」

「え〜トイレ行くの? コンビニ遠いけど大丈夫? 路肩でしないでよね」

「普通、トイレを貸すでしょ?」

「貸さないわよ。私、独り暮らしなのよ? トイレとか嫌よ。アンタの場合、トイレも禁止にしたいわ。転送とかするし。あ! 私を転送しないでよ? 好意がある人間を転送するとか言ったけど、洋式トイレに転送されたら、下手したら死んじゃう。あんな狭い所に………ううぅ。考えただけでも恐怖だわ」

「ってか、勝手に借ります!」


ボクはギャーギャー言う鷹茶綾を振り切ってトイレに入った。

扉の向こうで「出ろ」「使うな」「変態」「くそやろう」と汚い言葉が飛び交っている。年頃の女の子が使う言葉ではない。指導が必要だ。

うむ。普通のトイレだ。

綺麗で、何の面白みも無い。汚いトイレでも萎えるけど、ここはウンコをしようと思う。女の子の家でウンコ。

外道と言われるのは分かっている。

しかし、これはボクに毒を吐いた罰だ。


数分後。


「ふう〜」

「アンタねぇ〜本当最低ぇ〜普通、女子の部屋に来て大きい方をする?」

「生理的現象だから仕方ないだろ? それとも、この歳で漏らせってこと?」

「そこまでは言わないけど、女子の部屋だから、そこは考慮しなさいよ」

「はいはい。で、何の話だっけ?」

「鶏なの? アンタ? 記憶容量2KBなの?」

「覚えてるよ。その砂羽砂羽先輩を見付けるんでしょ? 見付けた先、どうするの?」

「組織の勧誘をするわ。砂羽さんも能力があることに困ってると思うし」

「思っていなかったら? ボクみたいに折り合いを付けてたら?」

「アンタみたいな特殊な人は滅多にいないから、絶対に1人で抱え込んでいるわよ」


鷹茶綾の思考回路は大体分かった。

確かに好意がある相手だから、悪くは言いたくない。自分の暗い過去と他人を照らし合わせ、自分同様に不幸だと決め付けている。自分の世界が全てで、他人が違うことに気付けていない。例え、ボクが何を言っても、聞かない。誰の言葉も聞かない。過去を変えない限り、彼女は他人を自分本位の物差しで測り、助ける。

ボロボロの心を持つお節介なヒーローだ。

そんな彼女の過去に触れてみたい。

ボクには話してくれるのか疑問だけど。


「鷹茶」

「何よ?」

「ボクは産まれた瞬間から、力を使ってたんだ」

「それが何?」

「君は唾だろ? ボクの知っての通りオシッコだ。母さんはいつもオムツに転送されてたんだ。時にはウンチのオムツに転送とかもあったよ」

「そう。大変ね。お母さんが」

「物心が付いてから、コントロールを覚えて、君を転送するまで1回も力を使わなかったよ。だからボクには力で悩まされることはなかった。一般人と変わらないよ」

「何が言いたいの?」

「砂羽砂羽先輩もそうかもしれない。そうだったらどうするの?」

「知らないわよ」

「知らないじゃないよ。君が言ったんだ。組織から言われているのかもしれないけど、君が言ったんだよ」

「でも、助けを求めてるかも」

「君の過去は知らないよ。ボクに聞く義務もない。でもね。その人に押し付けないで上げてよ。探すのは手伝うから」

「アンタは義務がないって言うのね」

「うん。それは君の問題だから。ボクが助けることはできない」

「なかなか、冷たいのね」

「尿は温かったでしょ?」

「死ね」


彼女は辛辣だった。

しかし、顔は何処か、温和になっていた。

話をしていて、彼女の過去に触れてみたいと思ったがボクは止めた。多分、受け止め切れない。好奇心だけで飛び込める程、軽いことではないと推測した。

結果、「死ね」と言われたが、それで良い。


人間はみんな救われたいとは、思っていないんだ。

変な力があったとしても、今を必死に生きている。縋るように、誤魔化すように生きているんだ。

時として、手を差し伸べることで壊してしまう世界だってある。


ボクは幸せ者で、鷹茶綾は不幸な人だなんて思わない。

言ってしまえば、ボクたちはみんな不幸な生き物だ。みんな幸せになりたくて、不幸じゃないようにしたくて生きている。

いつか、鷹茶綾の過去を聞くことが来るかもしれない。

でも、それでも、ボクはまた聞かない。

聞かない代わりに、ボクが傍でバカを言おう。

バカをしよう。

バカになろう。

それで良い。


「じゃ、そろそろアンタ、帰ってよ。話は終わり」

「嘘? 今夜は泊まっていけばとかいう展開は?」

「どんなラブコメよ」

「普通、夕飯くらい、食べて行きなさいよ? じゃないの?」

「アンタに食わす米はないわよ。泥水でもすすってなさい。私はアンタが汚物を垂れ流したトイレを掃除したいの。それもアンタがやるの?」

「わかったよ」

「じゃ、よろしく。トイレの中に掃除道具あるから」

「帰るよ。じゃ」


また後ろで鷹茶綾がギャーギャーと言っている。

無視するように扉を閉め、崩れそうな階段を降る。ハラハラしながら、階段を降りて、アパートを見る。


「ボロだな」


思わず口に出てしまった。

夕刻なので、闇が濃くなっていた。古びたアポートが幽霊屋敷のように薄暗くなった中で浮き上がっている。少し不気味だった。鷹茶綾の部屋の電気が見える。今夜も1人でボクが先程、腰を下ろしたベッドで眠る。

ボクは家に帰れば、母さんも父さんもいる。

別々の部屋にだろうけど。

それでも1人ではない。

寂しいという感情は、学校内だけで、家ではない。

彼女が優等生キャラを演じている意味が、少し分かった。


ボクの思い込みだったら、申し訳ないが、彼女は仲間が欲しいのかもしれない。

同じ境遇の仲間が。


仕方ない。

明日から触上砂羽を探そう。

少しでも彼女の寂しさが和らぐなら。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る