第6話 船内

勾留所に入れられ、3日後の朝。

やっと解放された。

解放後は取調室にフラフラの状態で連れて行かれ、改札口で血を吐いた理由を再び聞かれた。

ここは素直に口内を切って、口の中に血が溢れてしまい、我慢出来ずに吐いたことを告げた。

女刑事には「君、くさっ」と一言、言われた。


そして、そんな酷い体臭のまま風呂にも入れず、車に乗せられ、今は船の上にいる。

潮風が気持ちよかった。

海はとても穏やかで、潮の匂いが新鮮に感じた。


船上には俺だけだった。

操舵手も存在しない。船バーションのドローンといった所だ。


それより腹が減った。

風呂にも入りたい。

勾留所で飯も出ず、トイレも垂れ流しだった。

汚いし、臭いのは仕方ないことだが、腹の減りはどうしようもない。

女刑事の話では、何も考えさせないために空腹感を与えていると言っていた。これには納得している。空腹時には何も考えられない。

船から飛び降りて、自由を得ることも考えられない。

頭の中は、飯のことで一杯一杯だ。

穏やかの空の下でも、頭の中では牛丼がずっとイメージされている。光沢を帯びる米粒。熱々の牛肉。そこに少し焦げた玉ねぎ。

あとは自分のお好みで紅生姜を乗せて、完成。俺は生卵を加えない男だ。代わりに醤油ドバドバと掛ける。

塩分過多の牛丼を、箸で可能な限り口に詰め込む。数秒後、口の中がパーティーになる。最初は醤油。その後を紅生姜が走って追いかけて来る。そしてバトンは牛肉。最後にご飯がお辞儀をしてフィナーレ。

口内はパーフェクト。

胃袋は大満足。

俺の心も祝福で満たされる。

この瞬間のみでも楽園と呼んで遜色なしだ。

俺は想像をしただけで、口の中がヨダレだらけになってしまう。危うくヨダレで溺れるところだった。

満たされない食欲を妄想でカバーしているわけだが、冗談抜きで島に食料が無ければ、発狂しそうだ。

さすがの俺でも海の魚を手掴みは出来ない。

島内のキノコや植物が食べれるのか判断も難しい。最悪、食あたりで死ぬ。


クソッ。

空だけがやけに遠い。

広い海で、遠い空。

俺は孤独だ。

何も無い。

単に改札口で血を吐き、あの女刑事を転送しただけで、この有り様。

世の中、分からないことだらけだ。

頼りの綱の悪の十字架からは、何も連絡が無い。いつも突然、スマホが現れるのに今回は、それも無し。

俺が捕まったことなど、既に組織は情報として知り得ているはずなのに、助けをよこさないところを考えると用済みなのかもしれない。

それも当然か。

俺は悪の十字架に拾われたが、何も仕事をこなしていない。依頼も指示もないから、何も出来ない状況なのは組織も分かっているはずなのに………。


俺は船の上で横になる。

人生ってなんだろうと、老け込んだことを考える。悪の十字架が無ければ、俺は今もまだ普通にサラリーマンをしていた。

良くいう、普通の生活を送っていた。

普通の定義は分からないが、毎日働き、毎日食事をする。

普通を謳歌していたに違いない。

多分結婚をして、子供とかいる生活もあったかもしれない。

でも手放した。

そのあっただろう未来を切り離した。

あんなに頑張って生きていた時が懐かしい。


高校を卒業後、数ヶ月の空白期間を経て、就職をした。就職先は自分で探した。

仕事内容は自動販売機の設置場所を探し、その土地の権利者に「ここに自動販売機を置きませんか?」と営業するだけ。

仕事自体は単調だった。

担当のエリアを練り歩き、自分のセンスで自動販売機の設置場所を見付ける。見付けたら、あとは簡単だ。

その土地の権利者を探せばいい。大概はその敷地のインターホンを押せばことは足りる。

何度も断られた。

何度も。

何度も。

怒鳴られることもあった。

冷たい視線を向けられた。

視線すら、向けられないこともざらだった。

犬に追い掛けられたこともある。

心は日々、色を無くした。

正常な精神状態を保てなくなった。

自分が何をしているか分からなくなった。給料の減給はなかったけど、頭皮が極端に薄くなった。

そんな時だった。

大きな屋敷を見付けた。

自動販売機を設置出来る場所は無かったが、塀を壊せば5台は設置出来ると思い、俺はインターホンを鳴らした。


「はい?」

「営業です」

「はい?」


そんな遣り取りだった。

あとから分かったことだが、営業が「営業です」という開口一番など有り得ないことを俺は知らなかった。

マニュアルは読んだが、マニュアル通りに営業はしなかった。俺の流儀に反していたからだ。

電気代はその土地主が支払い、売上金は土地主に提示せず、総売上の5%のみ渡すという内容だったからだ。しかも設置月からではない。

1年後から支払い。しかも規定の売上金まで達しない場合は、2年で撤去。土地主には「あと少しで規定金に達するから」と言い、また1年。また1年と自動販売機を

設置し続ける。

分かり切ったことだったが、詐欺である。

俺は詐欺の片棒を担いでいた。

情けない話、俺は詐欺だと分からなかった。感覚的に自分のやり方だったら、実績を積み重ねると強気だった。

要するにバカだったのだ。

結果は火を見るより明らか

成果なんて、何もなかった。

自分が社会にとって、不必要だと理解していなかった。頑張れば、叶う。頑張れば、俺でも何かになれる。人は誠実さがあれば、孤独にはならない。

全て、無駄だった。

全て、嘘で紛い物だった。

頑張っても、叶わない。

頑張っても、俺は俺。

人は誠実さだけでは、人が寄り付かない。

それを全て教えてくれたのがボスだった。

最後に営業をした大きな屋敷の主で、悪の十字架のボスだった。

あの人から色々と教えてもらった。

だから俺は仕事を辞めて、悪の十字架に入った。

長年、他人に隠していた俺の異能も何故か、あの人は知っていた。

感覚的にあの人に付いて行こうと思ったが、今、あの時と同じかと言われれば分からない。

腹も減り、意識が朦朧としていた。


「俺、どうすれば良いんだ?」


手を空に伸ばす。

昔のことを思い出し、少しだけ涙が流れた。

何も成していない。

世界に影響を与えられる人間になりたかった。

でも俺は駄目みたいだ。

自分の感覚を信じたばっかりにこんなことになっている。


「人間はそういうモノ。悩むことも必要で、失敗の連続。連鎖し、重力を帯びて、闇に堕ちていく。人間はそれでも進む。進まないと生きれない。だから美しいじゃん?」

「!? ぼっぼぼぼぼぉぉぉぉボスぅぅぅぅうう!!!!!!」


突如、眼前に裸体のボスが現れた。

前触れも前兆も無く、魔法のように。

しかも裸体に加え、白い液体を浴びたのか、身体全身が濡れていた。

髪も濡れているし、指先までしっとりしていた。


「やはり服は無理ゲーか? 裸体は好きだが、公然猥褻じゃん? 課題は多いというわけだな。激武郎士げきむろうし君もそう思うだろ?」

「……いっいいいいいイッエッス!!! ボス!!!!!!」


俺は思わず立ち上がり、キレキレな敬礼する。

怯えているからではない、ここに美の最高峰ゆえに敬意を払っている。

世界中の美を集約したのがこの人だ。

腰まである漆黒の髪。

張りのあるGカップ以上の胸。いやもう胸という単語を使うのは止そう。

天使の翼。

希望の山頂。

人類の到達点。

美のプリン。

キメの細かい白雪のような肌。

白濁液が付着しているが、見事に弾いている。「オレ様、年増じゃん」と良く、あの人の口から出るがそんなことはない。

年齢など置き去りにする美貌。

肌感。

妖麗な瞳。

魅力的過ぎて、見てるだけで酔い潰れそうになる口元。

理想の女性像があの人だ。

今、あの人は裸だが、エロさなど微塵もない。美術品に発情しないのと同意だ。

美とエロを超越する。エロなど愚脳共が幻想する下劣な物だ。でもボスは違う。究極の美なんだ。誰もがうっとりして、涙を流す。

それほどの美だ。

現に俺も何故か、涙を流している。


「どうした? 郎士君? 懐郷病じゃん? 気付かなかったが、郎士君、だいぶ汚くなったね。辛い日々だったのかなぁ?」

「いえ、俺はあなたを裏切ろうとしていました」

「魔が差すことは多いじゃん? だから良いんだよ。それでもオレ様のところにいることが大事じゃん?」

「ありがとうございます」


俺は弱い。

この人は、偉大だ。

考えを汲み取り、許す。そして導いてくれる。今回も俺を助けてくれた。

美しいだけではない、気高い。

高貴なお方だ。


「郎士君、海に入りなさい。船は止めるから。裸で行っちゃえ。行っちゃえ」

「え?」

「オレ様が冗談を言うのかなぁ? 冗談は、夕暮れの次くらいに嫌いじゃん? オレ様」

「裸ですか?」

「オレ様も裸だ。問題無しじゃん」


目が「ほれ脱げ」と言っている。

言い分はわかる。

この人も裸体だ。

俺が裸にならない道理はない。しかし………。

股間が。

美があーだーこーだーと言っても、精神は平常運転。そして今は、生命に危機。

子孫繁栄のために下の俺が暴れている。


「あれ? あれかい? あれなんだね。やるじゃん! 郎士君も男だね。良いんだよ。それは普通の反応で普通のことだ。特別性は皆無だ。男とはそうであり、そうあるべきだ。近年、草食系というやつが多いと聞く。郎士君のように反応は健全だ。いや、この令和の日本に不可欠。もう救世主と言っても良いじゃん? ここでオレ様を押し倒してもオレ様が完全に完璧に悪い。裸体で、日本の未来を担う若者の前に突然、現れたのだ。それはサハラ砂漠で遭難している喉カラカラの人の前に、ペットボトルを大量に持って現れたと同意。そこでペットボルトの水は上げれない。いや上げないなんて、罰で罪でバカヤロウと言っても良いだろうね。オレ様の目指す組織とは、差別のない自然体を目指している。そのために力が必要だ。郎士君もその1人だ。オレ様で良ければ、そのTHE 男の勲章を治める鞘になろうじゃないか? 別に良いんだ。女のオレ様の役目と心得ている。オレ様自身も女冥利に尽きるというものだ。女に生まれてきた以上、避けては通れないのが、欲情と考えているんだ。そして悲しいことにオレ様は悪の十字架のボスだ。郎士君は入って日も浅い、だから仕方ないとは言わない。なので断るということでもない。役目を全うしようと言っているんだ。後ろめたさはオレ様にもある。オレ様で良いのか? オレ様が良いのか? そんな些細なことを考えるだけ障壁なのか? 色々な思考が交差する。トラウマになることだってあるかもしれない。ショックで郎士君が組織を去ることだって可能性的に有り得る。相性が合い過ぎてオレ様が欲の蟻地獄に堕ちることもある。堕ちるのが嫌だと言うわけではない。別の堕ちても良い。堕ちることで組織の進むべき時間を奪ってしまう。他の者たちに示しが付かない。と、オレ様は言いたいが、それは建前だ。そうなってしまったら、もう堕ちるしかない。恋はするモノではない堕ちるモノだ。愛はするモノではない溺れるモノだ。ここまで言っておいて悪いが、オレ様は郎士君に特別な感情を抱いていると思ったかもしれない。その問いには申し訳ない。本当に申し訳ない。ごめんなさいの前借りをしても借金が雪だるま式に膨れ上がるだけなので、謝罪はしない。しても仕方ない。言うだけ嘘になる。心が無い、入らない謝罪なんて飾り。お遊び。シャレにもならない。唾を吐きかけるよりも屈辱じゃん? オレ様だったら、言われた瞬間にナイフでめった刺しだ。核ミサイルのスイッチがあるなら躊躇わず押す。硫酸を持っているなら、謝罪の頭文字を聞いた瞬間にブッ掛ける。車だった轢き殺す。オレ様、郎士君に特別な感情は持ち合わせていない。いないんだ。持っていない。置いてきたわけではない。最初からオレ様の持ち物に郎士君の気持ちなど無い。じゃ? ってなるのは分かっている。オレ様も人間。人なんだ。女なんだ。好きな人も………いや、ここで言うのは違う。言うことで何もならない。自分を騙したいんだ。部下のためとはいえ、自分の体を差し出すんだ。覚悟が必要じゃん? 郎士君も分かるだろ? 理解は出来る筈だろ? ボスのオレ様だから覚悟している。ゆえに来たんだ。郎士君の状況も知っているんだ。何も呑まず食わずで、気付けば船の上。酷い。酷いじゃん。酷すぎるじゃん。オレ様は怒っているんだ。こんなことを平然とする国家権力が。許せない。許してはいけない。絶対に報復する。郎士君のためにする。誓う。オレ様は誓う。絶対にオレ様の組織である悪の十字架がこの国、いやこの世界を変革する。差別だらけで多様性の影に隠れて、暗躍するバカたちに鉄槌を下す。良い機会だ。オレ様の理想郷の話をしよう。オレ様はねえ。昔に戻したいんだよ。こんなインターネットだ? テレワークだ? メール? SNS? 通販? 電子書籍? そんな冷たい世界、オレ様は望まない。人と人が手で触れ合い、手を繋げる世界を目指す。戻すと言った方が美しいかな? 郎士君は知っているかな? スマホという悪の道具を。電車を乗れば、そこは地獄。皆が皆、スマホという電子機器を覗き込む地獄絵図が見れる。一昔は、文庫本に新聞と決まっていた。それが今ではスマホ一色。どんな世界だ。許せないじゃん? 許しちゃいけない。インターネットをぶっ壊すことがオレ様の理想郷を目指す一歩。おっと、分かっている。分かっている。アレ? 話が真面目な方に反れた。そういうことか? と思ったんじゃん? 違う。全く違う。分かっている。郎士君の性事情が正常ではなく異常状態なのは分かっている。堅い話をしても郎士君のリトル郎士君が固いままなのも分かっているつもりだ。理解の上で、理性を保とうとか、理化学な手法で話していない。だからじゃないけど、話させて欲しい。スマホという悪の道具のせいで、男性のオカズ探しが捗るようになったと思わないか? 郎士君、今、生唾を飲んだね。つまりイエスということだね。それを踏まえて、オレ様は思うんだ。昔の男だったら、オレ様の裸体を見たら飛び付いた。乱暴は嫌だけど、それが性で男性という獣だ。獣は獣道を歩く以外、道はない。道がなければ道を作り、歩いた後に道が出来るモノなんだ。しかし、現在の男性はスマホのせいで獣性を失った。自分で自分を治める鞘を得たと言える。悲しいと思わないか? 男が男としての責任を果たせず、女は女としての責務を放棄し、世界は終焉に向かっていく。スマホという小さな電子機器に奪われていくんだ。オレ様はそれを止める。止めるために能力者が必要だ。さぁ、話は終わりだ。オレ様を獣のように喰らうが良い! 止める者はいない。ここだけの話でも、オレ様を妻として受け入れることも出来る。さぁ! どうする! ここからが勝負みたいなもんさ。良いじゃん。良いじゃん。楽しく行こう。欲情という深い海へ」


俺は長いセリフを聞き終わると同時に気を失った。

単に限界だった。

あの人を求めたのは、本当だ。男として、求めた。長い長い朗読のような話を聞いている最中でも、素敵な人と思ってしまった。

酔狂的な思考のあの人を、愛にも近い気持ちが芽生えた。でもこれを愛と呼ぶのは止めよう。愛を口にするのは、あの人の理想郷ってやつを叶えてからで間に合う。

俺みたいなヤツのためにあの人は来てくれた。

男としての尊厳を殺さないために自分の身を差し出そうとしてくれた。こんな天使はいない。

だから俺もこの人に尽くそう。

止めようと思ったことは胸に仕舞い、あの人のために尽くすのだ。

この生命が燃え尽きるその時まで。

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