やがて世界が変容し

一花カナウ・ただふみ

変容した世界で

「まさかこんなことになるなんてねー」


 毎日毎日聞くので聞き飽きたリリィの台詞。それは俺自身に似た小さな生き物に対して発せられたものである。


「なるなんてねー」


 キャッキャと明るく笑う小さき者は抱かれたままリリィの顔を見上げた。


 すっかり見慣れてしまったな……


 俺は再び書類に目を向ける。今朝もたらされた情報は芳しくはない。小さくため息をついた。


「また辛気くさい顔をしてるー。チビの前ではニコニコしていてほしいんだけどな」


 リリィが立ち上がると小さき者が立ち上がる衣摺れの音がした。黙ったまま放っておくと、頬に柔らかなものが当たる。


「ほら、チビがおんなじ顔をしてるよ」


 視線だけ移せば、確かによく似た幼な子の顔が自分がしていただろうしかめっ面をしている。


「お前は鏡か」

「かがみー」


 小さき者の頬が俺にくっつけられていた。ちょっとひんやりしていて、柔らかい。


「――やっぱり、まだ外に出られないの?」

「そうだな。あまりオススメしない」

「そっか」


 リリィの顔が曇る。あっけらかんとした性格の彼女であっても、この異常事態を楽観視することにはそろそろ限界がきているようだ。


 どうしたものだろうな。


 俺は彼女にそれ以上の言葉をかけることができず、世界の変容が始まったその日からつけられている記録の束を見やった。



 *****



 この国の結界に綻びが生じたと連絡があったのは数ヶ月前のこと。

 国防のために重要である結界を張った身としては、それなりに責任があるわけで放置することはできない。しぶしぶ現場に行って調査し、その帰りに連れて帰ったのが俺そっくりの小さき者である。

 なお、俺自身が人間ではないように、小さき者もおそらく人間ではない。一般的な人間が持つ魔力とは感じが違うから。


 結界の綻びが塞がって、平穏が訪れたと安堵したのもつかの間。今度は王都で奇病が蔓延するようになった。貴族たちは逃げるように各自の領地に戻ったが、やはりそこも変わらず。

 結果、かなりの人間が【人間】という姿を失った。

 多少なりとも魔法を使える者はその奇病はかかりにくいとわかったものの、少しずつ蝕まれていっていただけで、罹患しない者はいない。

 現在、国の機能が壊れかけていたが、有能な王太子の働きによってなんとか維持していた。

 俺は俺なりに事態の終息を目指して動いているものの、進捗はあまりなかった。ただただ、この国の現状を認めた報告書を読んで、憂うだけの人になっている。

 類稀なる力を持っていても、活かす術を知らなければどうにもできない。


 ため息ばかりが増える。


 過去の歴史をたどってみても、このような事態は記録されておらず、参考にならなかった。似たような事例があれば記録されていると思ったのに。





「――アウル? 外に出られないなりの気晴らしはしたほうがいいですよ。名案も浮かばず、歯がゆい気持ちなのはわかりますが」

「そうは言ってもな……」


 昼寝の時間のなってしまったのか、小さき者はリリィの腕の中で眠ってしまった。小さき者と一緒に寝室に行ったリリィと入れ替わりに執務室に入ってきたのは眼鏡の青年ルーンだった。


「生き残っている者たちは、それぞれ工夫して生き延びようとしています。アウル自身が死に近づきたがる性質を持っているのだとしても、ほかの人間を巻き込みたくはないんでしょう? なら、気分転換くらい許されますよ」

「気遣ってくれるのはありがたいが、何も浮かばないからな……。それはそうと、ルーンだって疲れているだろう? ずっと外に出られず、研究ばかりさせられているのは同じじゃないか」

「まあ、僕は……リリィとチビさんと家族ごっこができることを喜んでいるので大丈夫です。今までどおりに冒険の日々では、チビさんと過ごせませんからね」

「ああ……そういう見方もあるか」


 ルーンに言われて、俺は気づくことがあった。チビが王都にいるから、奇病が蔓延するのではないか。


 いや、まさか。


 首を小さく振る。だが、試してみてもいいかもしれない。この家の中の優しい時間を終えることになったとしても。


「……ルーン?」

「はい?」

「気分転換、思いついた。ちょっと付き合ってくれ」

「ええ。了解です」


 もし、この仮説が正しいのなら。


 果たして俺は、消えてしまった生命たちの重みを受け止められるのだろうか。



《終わり》

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