第16話 試合前のひととき
『次世代魔神王決定戦』の試合会場となっている『魔神闘技場』に誰よりも早く到着した俺は、観客席からフィールドを隅から隅まで観察していた。
なぜ事前視察していたのかと一言で言うなら、一体どんな感じのフィールドになっているのか確認するためである。
初見で試合に挑もうものなら、何かと不都合が生じる可能性は否定できない。
恐らく、他の兄弟たちはこのフィールドのことを良く知っているのだろう。
でなければ、試合会場に『魔神闘技場』を選んだりしない。
魔神の国には二つの闘技場があり、北の闘技場『魔界第一闘技場』に南の闘技場『魔神闘技場』、どちらもほとんど同じ距離にある。
一度も目にしたことがなく不確定な情報でしかないが、『魔界第一闘技場』の方が『魔神闘技場』より何倍も広いらしい。
それでも規模の小さい『魔神闘技場』を選んだということは、知っている者が知らない者の割合を上回っていたからなのだろう。
要するに、どちらの闘技場を選んでも知らない俺からすれば、紛れもなくアウェーの地だということ。
それなりの情報が必要だということだ。
「見たところ、土のフィールドらしいな。仕掛けが細工されている形跡もないし・・・」
用心に用心を重ねてフィールドを一望していると、後ろから声が掛けられた。
優しい音色を奏でる母性溢れる声の主を、俺は一人しか知らない。
「母さん、いつここに来たの?」
「ついさっきだよ、それより控室が使えるようになったらしいから移動しましょう?」
「ああ、分かった」
ここにいつまでも滞在することはできない。
もう少ししたら、この観客席も人で溢れるだろうから。
いくつかの情報を収集した俺は、母親に案内されるがまま控室へと向かった。
関係者以外立ち入り禁止の関係者専用通路は、一般通路の内装より綺麗に塗装されている。
関係者しか目が届かないところを綺麗にしてどうするのかと疑問を浮かべながら歩いていると、母親が不安そうな面構えで口を開き始めた。
「本当に大丈夫? 無理して出る必要はないんだからね?」
母親なりに俺のことを心配してくれているのだろう。
だから、これ以上の心配をかけさせないためにも言うことは一つ。
「大丈夫だよ、任せておいて」
「・・・・・・」
母親は顔に不安を残したままそれ以上何も口にすることはなく、控室へとたどり着くなり「応援席で応援してるね?」とだけ残して来た道を戻っていってしまった。
言葉の選択をミスってしまったのだろうか。
いや、安心させる他の言葉はないはずだ。
だとしたら、俺の表現力に問題があったのか?
もしそうなら、安心させる表現力って一体どういうものを指すのか。
ーーこれは迷宮入り案件だな・・・。
答えが見つかりそうのない案件はそこらに捨てていく。
そもそも、母親が行ってしまった以上考える必要のないことだ。
表現力がどうこうという問題を切り捨てて、俺は控室のドアノブを握って扉を開く。
すると、そこには椅子が一つとロッカーが一つだけ置かれているだけのしんみりとした控室が広がっていた。
「これは・・・どうツッコミを入れるべきなのか・・・」
椅子が一つ、ロッカーが一つしかないことから各自一部屋ずつ設けられているのだろう。
つまり、試合直前まで兄弟と顔を合わせなくていいということだ。
それはかなりありがたい配慮なのだが、小テーブルとかもう少しだけ家具類を置いて欲しかった。ーーという願望は胸の内に秘めておくことにしよう。
俺は壁にもたれ掛かる形で椅子に腰かける。
ーー・・・さて、何をしようか・・・。
試合開始まで二時間弱あるだろうか。
こんな時、ディアルナがいてくれれば退屈しないんだけどなーーと思った瞬間、俺の頬に熱がこもっていくのが分かった。
--って、どうしてそこでディアルナが出てくるんだよ!
自分でもなぜそこで真っ先にディアルナが出てきたのかわからなかった。
バレンでもいいし、アスモレオンだっていい。
それなのに、なぜ思い浮かんだのが彼女なのか。
確かに彼女といる時間は、この十年間の中で一番充実していたといっても過言ではない。
そのぐらい、彼女という時間が他の誰よりも楽しく過ごせていたことに違いはないのだが、これじゃあまるで俺が彼女と会いたがってるみたいではないか。
第十皇子に恥を掻かせるとは、罪な女である。
「誰でも良いから話し相手に来てくれないかなー」
俺の話せる相手は片手で数えられるほどだ。
この魔神の国には何百万人もの人が住んでいるわけだから、俺の元に都合よく訪れてくるなど限りなく0に近いだろう。
そう思っていたのだが、まさかの奇跡が起こった。
俺が諦めかけようとしていた時、ドアのノックが三回なったのだ。
「まさか、ディアルナか!?」
ディアルナのことしか考えられない時点ですでに彼女のことをどう思っているかは明白なのだが、そんなことはどうでもいい。
今はこの何もやることのない苦痛から解放されたいのだ。
「ディアルナ!」
勢いよく扉を開けた先には俺のよく知る人物がそこに立っていた。
美しい瑠璃色の長髪ーーではなく茶髪の目つきの悪い男だ。
せっかく来てくれた彼には申し訳ないが、ため息が自然にこぼれてしまった。
「はぁ~、なんだ兄上でしたか~」
「なぜため息を吐かれた!? そんなことよりも、ルシフェオスに大事な話があるんだが今いいか?」
「いいですよ、暇を持て余していましたから」
今になって思ったのだが、関係者以外立ち入りが禁止されている場所にディアルナが入れるわけない。
普通に考えたら分かることなのだが、どうやら俺の頭の中にあの美少女が住み着いてしまったようだ。
そんな彼女の話はここまでにして、地べたに座るアスモレオンと話をすることにしよう。
俺は彼の前にある特等席に腰をかけ、話をすることにした。
「兄上も早いですね、何かやることでもあったのですか?」
「いや、ルシフェオスが王城にいなかったから、もしかしたらもう来てるのかなって思って」
「なるほど、俺に会いたかったわけですね?」
「べ、別に! そういうわけじゃないけど!?」
照れくさいせいか、少しだけ頬を赤く染めるアスモレオン。
ディアルナだったら可愛いかもしれないけど、身内のしかも男にそんな顔されても気持ち悪い以外の言葉は見つからない。
「まあそれはさておき、何か用事でもありましたか?」
気軽に尋ねる俺とは正反対に、アスモレオンは険しい表情をしながら口を開いた。
「実は俺・・・見てしまったんだ・・・」
「み、見てしまったというと・・・?」
彼の緊迫した様子が伝播したかのように、俺の口調もついそれっぽくなってしまう。
「実は俺ーーーー」
そして彼は驚きの事実を口にした。
「ルシフェオスが可愛い女の子と西の山脈で遊んでるところを見てしまったんだ!」
はい、あの日の犯人が現れました。
どうやら、ディアルナを泣かせた犯人はアスモレオンだったようだ。
確かに、彼の目つきは相当なものだから暗闇でジッと見つめられては怖いのも致し方ない。
アスモレオンは飛びかかる勢いで俺に問い詰めてくる。
「あの美少女は誰なんだよ! あんな可愛い子今まで見たことないぞ?」
「俺も見たことありませんよ」
「なあなあ、俺にも紹介してくれよ〜。ぜひ、お近づきになりたい」
「・・・それはできません」
何でだろう、ディアルナが他の男と仲良くしているところを想像して胸に鈍い痛みが走った。
他の男と遊んでくれさえすれば俺の役目も終わりだというのに一体なぜ?
いや、もうこの気持ちに嘘は吐けない。
俺自身、ちゃんと彼女と向き合うとしてなかっただけだ。
恐らく、俺はディアルナのことがーーーー
「何でだよ! 俺にも紹介してくれよ!」
俺が恋心を自覚しようとした寸前で邪魔が入った。
だが、恋心という見解で間違いないだろう。
俺だけに見せる彼女の色々な一面を他の誰かに見られたくないとどうしても思ってしまう。
これを恋心とは呼ばず、何と呼ぶのか。
彼女と結ばれるためにも、恋敵は前もって排除しなければ。
「そんなに美少女と知り合いたいのなら、城下町に行けばいると思いますよ」
「そうなのか? お前と遊んでた美少女よりもか?」
「んー、まあー、どうでしょう?」
正直、ディアルナの可愛い一面を沢山見せつけられて、他の女には興味を示していなかった。
これは、完全に重症だな。
そんな色恋話をしている間にも時間はあっという間に過ぎていき、気がつけば開幕まであと十分を切っていた。
「そろそろですね、移動しましょう」
「あー、ちょっと待ってくれるか?」
椅子から立ち上がる俺を呼び止めるアスモレオン。
「どうしたんですか? まだ何か?」
すると、同じように地べたから立ち上がったアスモレオンは俺の肩を掴み、
「頑張れよ、応援してるから」
「兄上・・・」
「どうした? まさか俺に惚れたか?」
「俺が女だったら完全に惚れてました」
「声援を送っただけで惚れるとか、チョロくない?」
言われてみれば、確かにそうだ。
頑張れとだけ言われて惚れる女がいるだろうか。
もしかしたら、俺はチョロい男なのかもしれない。
だが、そんなことはどうでもいい。
アスモレオンという兄から声援を送ってもらったのだ。
この戦いーーーー絶対に負けるわけにはいかなくなった。
俺とアスモレオンは部屋を出て、試合会場へと向かっていく。
二人の間に、先ほどまでの和んだ空気はすでになかった。
アスモレオンの俺に対するそれなりの気遣いなのだろう。
関係者通路を抜け、一般開放の広場まで出た時、偶然にも彼女と出会った。
「あ、ルシフェオス!」
そう言って駆け寄ってくる彼女は、正真正銘のディアルナだ。
今日も瑠璃色の長髪が綺麗に整えられている。
「おはよう、来てくれたんだね?」
「もちろん! 今日は頑張って応援してるからね!」
「ありがと、そういえばお父さんは?」
「お父さんだなんて、ルシフェオス気が早ーい」
「それじゃあ、何と呼べと?」
俺はディアルナのお父さんの名前を知らない。
父親ネタを披露した彼女のいじりようから、どうやら恐怖心は無くなったようだ。
俺たち二人が仲良さそうに話しているのを見ていた、目つきの悪い兄が恨めしそうに俺の背中から顔を覗かせる。
「おーまーえー、試合前なのに随分と余裕ですなー?」
「きゃ! この人誰!?」
「紹介するよ、俺の一つ上の兄アスモレオン」
「どもー!アスモレオンでぇーす!」
態度の変わりように彼女はドン引きしていた。
アスモレオンが握手しようと手を差し出しているのだが、頑なに手を取ろうとしない。
「兄上、避けられてますけど大丈夫ですか?」
「だ、大丈夫だよー! それじゃあ俺は先に行ってるからねー」
そう言ってその場から立ち去る彼だったが、肩をガックリと落とし大丈夫じゃないのが丸出しだった。
あとで慰めてあげよう。
「それで、お父さんは?」
「あ、うん。なんか飲み物売ってるらしいから買いに行ったよ?」
「見せ物じゃないんだけどな・・・」
他人が戦ってる姿を見て、何が楽しいのだろうか。
俺にはまるで理解できない思考だな。
「あ、あの!」
「ん? どうした?」
「その・・・告白の件、忘れてないよね?」
頬を桃色に染めながら上目遣いでこちらを見てくる彼女は、とても可愛らしかった。
もう、俺の答えも出てることだしこの場で伝えるとしよう。
「その件なんだけど、今伝えようと思う」
「は、はい!」
俺は誰にも聞かれないように耳元まで顔を近づけて彼女の告白に答えた。
「俺が魔神王になったら恋人になってくれないか?」
彼女の気持ちを知っているから断られることはない。
そう思っていたのだが、どこか納得がいかない様子だった。
まさかだと思うが、どうしても聞かずにはいられなかった。
「恋人になるの・・・嫌になったのか?」
「んー、恋人になるのは願ってもない話なんだけどー」
「ん? それじゃあ何に納得してないんだ?」
すると、彼女は首を傾げながら納得のいかないことを口にした。
「それだと、魔神王にならなかったら恋人にならないってことだよね? それは嫌だな・・・」
「大丈夫、必ず魔神王になるから!」
「その自信がどこから来ているのか知らないけど、魔神王になれなくても私は諦めないからね?」
「俺も諦めないよ?」
「・・・それ、魔神王になったらって言う約束の意味なくない?」
「・・・確かに」
言われてみれば確かにそうだ。
魔神王になってもなれなくても、彼女と恋人同士になれるのには変わりないという。
だとしたら、約束なんてものは最初から必要ない気もするが、個人的に区切りをつけたい。
だから、俺は彼女にもう一度告白した。
「じゃあ、今すぐにでも恋人になってくれるのか?」
「・・・嫌だって言ったら?」
「それは泣く」
「ちょっと見てみたいかも!」
「安心して、隅でひっそり泣くから」
冗談抜きで、振られたら立ち直れないかもしれない。
それほどまでに彼女のことが好きだ。
その真剣さを理解して頂くため、俺はもう一度言う。
「ディアルナ、こんな俺で良ければ恋人になってくれ。俺にはお前が必要だ」
からかうことに満足したのか、彼女は優しく微笑みながら俺の気持ちに答える。
「こんな私でよければ喜んで!」
彼女の言葉を聞いただけで、後からどっと疲れが襲いかかってきた。
「あー、緊張したー」
「ふふ、私の方が緊張したよ?」
「だろうな、でもありがとう」
「こちらこそ、これからもよろしくね?」
彼女のことが好きなんだと痛感するほど、満面の笑みが眩し過ぎる。
本当なら、もっとディアルナと話したいのが、これからやるべきことを忘れてはいけない。
彼女を守るためにも、母さんを苦しみから解放するためにも、そして大天使共に復讐するためにもーーーー俺は必ず魔神王になる。
その決意を胸に、俺は試合会場へと足先を向ける。
「それじゃあ、そろそろ行くよ」
「うん、頑張ってね! 応援してるから!」
「ありがとう! それじゃあ行ってくる!」
そして、俺は魔神王になるため戦場へと足を運んだ。
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