28. 【地】楓 後編
ゆっけは灰化現象が始まるとすぐに楓と話をした。
「このままじゃ楓は灰になっちゃう。そんなの嫌」
ゆっけが止めているとはいえ、楓は相変わらず喧嘩っ早い。手は出さずとも暴言を吐くことが多く、それは間違いなく灰化の対象だ。多くの場合は暴言を吐かれた相手が何らかの悪意ある行動を仕掛けて来たからであり、そちらの方が先に灰化するだろう。だが、時には楓が勘違いして暴言を放ってしまうことがあるのだ。それに、ゆっけが四六時中ずっと一緒という訳ではなく、ゆっけが居ないところでやらかしてしまう可能性だってある。
「でも私、どうしたら良いか……」
だが楓には、自分の行動をどのように変えれば良いか分からない。これまでは自分の思うように行動して、間違っていたらゆっけが教えてくれた。全ての判断基準をゆっけに任せっきりにして、自分で何が正しくて何が間違っているのかを考えてこなかったのだ。楓に分かるのは暴力を振ってはならない、そのくらいだった。
「大丈夫。すごい簡単なことだよ」
「え?」
「私のことを考えてくれれば良いの」
まるで恋人同士の会話であるが、楓にとってこれ以上分かりやすい話は無い。ゆっけのことを考えた行動であれば大の得意だったからだ。例えそれが楓の勘違いだったとしても、強い信念をもって行動したのであれば恐らくは灰化しないだろうというのがゆっけの見立てだった。
「そういえば、前から聞いてみたかったんだけどさ」
「なぁに?」
「何でゆっけはずっと私と一緒に居てくれるの?昔っからすごい乱暴だったのに」
小学校の頃からずっと一緒だったが、仲良くなったきっかけは兄が侮辱され始めたこと。でも、それはきっかけにはなっても理由にはならない。
「う~ん。それが自分でも良く分かんないんだよね」
「えーなにそれー」
「最初はね、みんなで仲良くしたいってそれだけだったの。本当にそれだけだったの。でもね、楓と話をするようになって、いつの間にかすごく居心地が良くなってたんだよね」
「居心地?」
「うん、自分が自分でいられるっていうか、う~ん、上手く言えないけど、楓がいることが当たり前に感じてたんだよね、多分。あはは、良く分かんないや」
「そっか」
性格が好みだったとか、暴力を止めるのが自分の役目だと思ったとか、実は最初は苦手だったとか、好き嫌いや立場の話が出て来るのかと思ったが、答えは良く分からない。普通なら納得出来る答えでは無さそうだが、この答えが楓は何故かとても嬉しかった。
そのゆっけが亡くなった。
家族で大阪のテーマパークに遊びに行った時に邪獣に襲われたのだ。死ぬ間際になって彼女は楓にごめんねのメッセージを送り、それが最後の言葉となった。決して死んではいないと強く願った楓であったが、幸か不幸か遺体が残されており、死を理解せざるを得なかった。
それからの楓はぬけがらのようだった。大学にも行かずにアパートにひきこもり、かと思えばあてもなく街中を死んだ目でフラフラと彷徨う。自らの半身とも言える存在を失い、文字通り半死の状態だったのであろう。
そんな楓にとって、カプセル邪獣との戦いは唯一生気を宿せるものだった。ゆっけの死に対する復讐相手になるからだ。
「ぶっ潰す!」
相手が誰であっても、血走った目を隠そうともせず殺戮を繰り返す。その度に、邪獣への憎しみは消えるどころか増加する。そしてそれは邪獣を倒さなかった人相手にも拡大した。
お前らのせいでゆっけが死んだのだ、と。
だからといって楓は無作為にトラッシュを殴りかかることなどしなかった。暴力はダメだというゆっけの想いがまだ残されていたからというのもあるが、トラッシュの表情が概ね暗くて憎みにくかったからだ。
だが楓はその例外に出会ってしまう。トラッシュであるにも関わらず、笑顔で堂々と歩いていた同年代の男性。これまで我慢していた楓だったが、ついにその男性に駆け寄り胸倉を掴み上げてしまう。
「……!」
「な、なんだい!?」
血が出る程に歯を食いしばり、血走った目でその男性を睨みつけた楓であったが、殴る事だけはどうしても出来なかった。
「ごめんなさい」
手を離し、小さな声で謝罪すると、楓はその場から走り逃げ出そうとする。その背に、声がかけられた。
「待って!もしかして君って邪獣に大切な人を殺されたの?」
「!?」
ゆっけの事を言われて思わず足が止まってしまう。その男は、楓に詰め寄られたことなど何も気にせずに、楓に優しい言葉を投げかける。
「それなら僕のことを怒るのも当然だね。実は僕も大切な人を奴らに殺されて、君の気持ちは分かるつもりだ」
それならばどうしてそんなに平気でいられるのか。何故カプセル邪獣を倒して復讐をしないのか。楓はそれが不思議だった。
「僕も最初はあいつらが憎くて躍起になって倒してたんだよ。でも、恋人の墓参りに行った時に、そんなことをしてはダメだと怒られたような気がしたんだ。それでじっくりと考えた。本当に悪いのは誰なのかって」
「本当に……悪い……」
「キヨカってやつが余計なことするからこっちにあいつらが来るんだ。だからさ、全ての元凶はキヨカなんだよ」
「……でもあの子は何も知らないって」
「うん、キヨカはこっちのことを知らないよね。でもさ、それなら知ってる俺らが注意すべきなんだよ。それなのに、世の中はキヨカをフォローするのが正しいみたいなこと言ってるじゃん。俺にとってはそいつらが本当に悪い奴だよ。そう思ったらさ、あの化け物を倒すのってキヨカをフォローしているみたいで、出来なくなっちゃったんだよね」
男の言葉が、毒のように楓に染み込んで行く。キヨカが何もしなかった時の危険性を敢えて説明せずに、筋が通っているように見せかける。少しでも理解するそぶりが見えれば、後は彼女の弱点を責めるだけ。
「きっと僕の恋人は、僕の幸せを願って、僕が間違えないように注意してくれたんだよ。だからさ、僕は世の中の間違いを正すために頑張ろうと思うんだ。君の大切な人も、きっと君の幸せを願ってくれているはずだよ」
「…………あ」
「どうかい、僕と一緒に頑張って見ないかい。君の大切な人のためにも」
世界の為では無く、君の大切な人のためなのだと。男は繰り返し何度も何度も伝える。
そこからは急転直下だ。楓の兄がレオナサポート室に就職したことを知った男は、楓に乗り込んで意見をぶつけてきたらどうかと唆す。
大切な人と同じ苦しみを味わう人を減らすための行為であれば、彼女も喜んでくれるはずだ。
単純なセリフではあるが、心が弱っておりゆっけに頼りっきりであった楓には劇的に効いた。
その結果、楓はレオナサポート室に乗り込み、激怒し、キーワードを引き出し、デモが起き、その旗頭として立たされ、気付いたらレオナサポート室のビルの前でデモの先頭に立っていた。
「(どうしてこうなっちゃったんだろう……)」
現実感の無い異常な状況に置かれて、楓はふわふわと宙に浮くような感覚がずっと続いていた。ゆっけを失った悲しみも、邪獣に対する怒りも、レオナ達に対する作られた憎しみも、あらゆる感情が溶けて混ざり合い浮いている自分の周囲で揺蕩っているような、不思議な気分。デモの大声も耳に入ってこない。言葉を求められて何かを発言するけれども、それは耳元で誰かが言った内容をそのまま復唱するだけ。
それは催眠状態に近い感じではあったが、別に意図して起きたことでは無い。多くの感情を受け止め切れず、壊れかけてしまっただけのこと。そしてそれが扇動者にとってとても都合が良かった。傍から見れば悲しみ苦しむ女性に見え、しかも思い通りの言葉を発してくれるのだから。
そして歴史の転換点ともなった配信が始まった。
『『私には関係ない』って。俺もそう思うんですよ』
「え?」
自分のスマホでその配信すらも他人事のような感覚でただ眺めるだけだった楓だったが、遥の言葉を聞いて夢から覚めたかのように意識が明確になった。あくまでも自分の邪魔をする兄の姿に、ここしばらく感じていなかった懐かしい怒りを覚えたからだ。
だが、その怒りはすぐに驚きに変わる。
使えない、ダメ人間、恥ずかしい男。そう思い、思わされてきたその男が、たどたどしい言葉遣いでありながらも、聞く者の感情を揺さぶって来る。決して大仰なことを言っているわけでは無い。格好良くも無いし、ごくありふれた普通の言葉を淡々と口にしているだけ。だが、そこには紛れもなく感情が乗っていた。誰かの立場に立って考えるのは当然であるという彼自信が持つ優しさが篭められていた。
「(……この人……誰?)」
それは自分が知る兄の姿では無かった。ただ姿形が似ているだけの別の人間のように思えてならなかった。
「(……知ってる……どうして?)」
それなのに、全くの他人のように思えるのに、何故か楓にはそれが兄では無いなどと決して思えなかった。むしろ、これこそが楓の知る兄の姿なのだと、知っていた。小さい頃、まだ兄の事を嫌っていなかった時の楓の記憶が、そう言っているのだ。
『だからあいつがあそこまで怒って憎んだこと、少しだけは分かりますし、当然の行動だと思います。あいつも何も間違っちゃいないんです』
その兄が、自分の考えを理解してくれていた。そして、大規模デモを引き起こし、今にも兄に襲い掛かろうとしているにも関わらず、間違っていないのだと、断言する。
『楓ちゃんは間違ってないから』
「あ……あ……」
ゆっけの言葉が、楓が怒る度に言ってくれた言葉が、蘇る。
「うそ……そんなの……違う……違う!」
ゆっけと遥の存在が重なり、そんなことは絶対にありえないと心が拒絶する。自分が周りから揶揄われる原因となり、怒っても殴っても侮辱しても何も気にせずやり返してくる腹立たしいだけの兄が、大親友と重なって見えるなど信じられなかった。
画面の向こうでは、遥に似た何かが再度楓について話題に挙げていた。
『あいつの性格だったらキヨカちゃんの旅がどうとか小難しいこと考えないで、素直に邪獣と戦わなかった人をぶん殴る気がするんですよ』
それは楓の性格を良く知っているからこその考えであり、実際に行ったことだった。自分のことを理解されていることが、楓の胸にまた大きな衝撃を与える。
『それに隠し配信するなんて面倒なことあいつが思いつくかな……』
もちろん自分では思い付かない。これも全て扇動者の男に指示されたことだ。
『もしかして楓さん、誰かに騙されて唆された、とか』
「あ……」
反射的に、楓は男を見る。そいつはまずいものを見られたと言いたげな顔で、焦って辺りをキョロキョロと見回して少しずつデモ隊から離れようとしていた。逃げようとしているのだ。
その瞬間、楓は気付いてしまった。自分は騙されていたのだと。ゆっけを想う気持ちを悪用されて、男の口車に乗せられて、とんでもないことをしでかしてしまったのだと。
「この野郎おおおお!」
あまりの怒りに我を忘れ、その男をぶん殴ろうと詰めろうとした。だが、流石に旗印となる女性が、扇動者として裏のリーダー的な役割をしていた男性を殴る姿を見せるのはデモの完全敗北となり得ないため、扇動者の側近が楓を羽交い絞めにして止めた。
「離せ!離せええええええ!」
楓を人目につかない場所へと移動させようと側近達が強引に彼女を近くの建物内へと移動させようとしたが、その前に機動隊により救出される。救出後の楓は暴れることなくひたすら涙を流して崩れ落ちていた。
「里見楓さん、あなたのお兄さんがカプセル邪獣と戦うようですが、ご覧になりませんか?」
しばらくの間そっとしておきたいところだったが、遥が戦いに臨むことになったため、楓に確認をした。彼女は遥の戦いを見るべきだと、楓の灰対担当者がそう強く主張したからだ。
楓は涙を拭いて遥の戦いを見る。外ではいつも情けなく震えていた遥が、邪獣相手に堂々と立っている。遥が一番最初に邪獣と戦った時の情けない姿こそが、楓のイメージそのものだったのだろう。だが、もしかしたらその姿を見ていれば、どれだけ恐怖に怯えようとも最終的には奮起する彼の姿を見ていれば、彼らの関係はすでに変わっていたのかもしれない。
遥がカプセルを放り投げ、邪獣が出現する。その邪獣は姿を変えると、予想外の姿をとる。
「あた……し?」
楓を前に遥は動揺して武器を落としてしまう。
「(なんで……?私だったら……殴りやすいでしょ!)」
散々ケンカして殴り合ったりもしたのだ。むしろ遥にとってはやりやすい相手だったはず。だが、遥は一歩も動かない。それどころか、相手の攻撃を無防備に喰らってしまった。
「いやっ!あ……」
思わず悲鳴があがる。消えて無くなって欲しいとすら思っていた兄が傷つき、反射的に心が軋んでしまった。
「(なんで……なんであんなやつに……)」
自分が悲しんでいることが信じられない。血が出そうな程両手を強く握っていることも、涙が再び零れ落ちそうになっていることも気付いていない。
そして遥は激昂した。楓の心を侮辱するなと声を荒げる。それは兄妹ゲンカとはレベルが全く違う、遥の本気の怒りであった。
ようやく楓は理解した。いや、思い出した。
自分は遥にずっと家族として愛されて来たのだと言うことを。幼いころの優しかった時も、成長してからケンカしあった時も、楓が無視するようになってからも、離れ離れに暮らすようになってからも、遥はずっと楓のことを大切にしていた。
「ああああああああ!」
楓の涙はもう、止まることが無かった。
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