12. 【地】邪獣のターゲット
『お兄ちゃん、朝だよ、起きて。お兄ちゃん、朝だよ、起きて』
「ううーん……」
まだ外は暗く、日の出には少し早い時間帯。灰化前であれば朝刊を配達するバイクの音が響いていたであろうが、今は遠くを走るトラックの音が微かに聞こえる程度だ。
「ふわぁあ」
遥は枕元の妹萌え目覚まし時計を止め、洗顔のためにフラフラと洗面所へと向かった。灰化前の部屋はゴミだらけで荒れ果てていたが、今は綺麗に片付いており途中で躓く心配もない。
洗顔で目が覚めたところでジャージに着替えて外出し、ランニングを開始する。この早朝ランニングが、レオナサポート室に就職した遥の最近の日課である。
部屋の片づけ、早寝早起き、早朝ランニングでの体作り。
就職を機にこれまでの怠惰で悲惨な生活とはおさらばすべく、真人間への道を歩もうと一念発起したのである。この生活が三日坊主にならずに一月以上も続いている点、本人ですら驚いている。
「よおーし、今日も一日頑張るぞ!」
近くの公園で伸びをしながら意気込む遥の横を、同じく早朝ランニングをしていた若い女性が笑顔で通りすぎた。その際に遥に挨拶を投げかけて。
「おはようございます」
「あっ……おはっ……あっ……」
どれだけ努力しようともコミュ障は簡単には治らない。遥が挨拶を返す前に、女性はそのまま走り去って行く。
「はぁ……」
気持ちの良い朝がどんよりとした気分に様変わり。これもまた遥の日常の一部であった。
早朝ランニングを終えた遥は自室に戻りシャワーを浴び、朝ご飯を食べてから出社する。職場に気になる相手が居るからか、身だしなみにも気を使っており、以前のようなヨレヨレの服装かつボサボサの頭での外出などありえない。
余談ではあるが、身だしなみに関して職場で話をしたところ、同僚達に強引にショッピングに連れまわされたという苦くも楽しい経験があり、それが同僚との絆が深まったきっかけにもなった。
遥は部屋を出て鍵を閉め、集合住宅から職場に向かって歩き出す。
「……あれ?」
ふと、人の気配や視線を感じて周囲を見回す。
「気のせいかな?」
しかしどこにも人影が見当たらなかったため、遥は気のせいかと思いそのまま出社する。
「……」
それが気のせいで無かったことを遥が知るのは、この日の夕方の事である。
――――――
「邪獣についてのオンライン情報共有会ですか?」
「ええ、灰対内の勉強会みたいなものなんだけど、遥くんも聞いてみない?」
「それって
「そう。向こうの邪獣との違いとか、ためになるかもしれないから」
地球を襲っている邪獣に関する情報は、現代人が生きていく上でとても重要である。香苗は自分の業務に役立つかもしれないと言っているが、この先、遥が邪獣と遭遇した際の対応を考えて欲しいという意図もあった。日本では現在大阪湾に邪獣が出現しているが、いつ東京にも例の逆三角柱が生成されるか分からないのだから。
「分かりました。聞いてみます」
今回は外部参加なので発言する必要はない。コミュ障の遥にとってそれは参加を決めるにあたり最重要なことである。
「(凛さんも聞くのかな)」
ヘッドセットをつけて邪獣情報共有会の配信先にアクセスして開始を待っていたら、左斜め前方の席で凛が同様に準備をしている姿が目に入った。ちなみに共有会の間、ヒデが異世界の状況を確認し、香苗はレオナの部屋に入りメンタルサポートを兼ねた雑談をする予定である。
『皆様お揃いのようですので、本日の邪獣情報共有会を開始致します』
最初に最近の邪獣の活動に関する状況説明があった。日本では三章終了後に出現した邪獣を被害ゼロで撃破後、新たな邪獣の出現は確認されていないこと。ただし今のペースで邪獣が出現すると武器の補充がいずれ追いつかなくなること。世界的にも邪獣撃破は安定してきているが、アフリカ大陸を中心にまだまだ被害が拡大していること。一般に公開されている情報が殆どであったため、遥が知っていることも多かったが、改めて現状を認識するのには役立った。
『それでは本日のメインテーマの検討に映ります。なお、ここから先の話は秘密事項ですので、リモートで参加されている方々もくれぐれも漏らさないようにお気を付け下さい』
「(え、そんな重要な話をするのか)」
灰化や邪獣に関する情報は基本的には全て世の中に公開するというのが灰対の基本方針だ。そんな彼らが公開しないと決めたということは、それだけ厄介な理由があるということだ。そのような極秘事項に触れられると分かり、遥は不謹慎であるのは分かっていたが少しワクワクしていた。
『南米の灰対から邪獣のターゲットに関する重大な情報が送られてきました』
『なんだって!』
『まさか分かったのか!?』
『大発見じゃないか!』
会場が大きくざわついている。ただし、地球側の状況にあまり興味の無い遥にとっては何が画期的なのか分かっていなかった。というより、その程度のことはすでに判明しているのかと思っていたのだ。
『静粛にお願いします。邪獣のターゲットが明確にまだ確定したわけではございません!』
プレゼンターの言葉を受けて、ようやく会場が落ち着きを見せ始める。しかし、彼の次の言葉により会場に激震が走ることになる。
『今回判明した事実は、カプセル邪獣を撃破済みの人物は
事実が判明した、という割には妙に抽象的な表現である。だが会場が怒号で埋め尽くされた理由は別にある。この事実の具体的な内容はさておき、撃破済みの人物が襲われにくいという事実が確認されてしまったことが大問題なのだ。
『まさか実験したのか!』
『そんな非道を灰対は許したのか!』
『絶対にやってはならないことだろ!どれだけの犠牲者が出たんだ!』
事実を確認するには、邪獣の前に様々なターゲットを差し出せば良い。そうやって『実験』することで正しい情報など簡単に得られるのだから。
だが、それは人としてやってはならないことだ。人々を守るために作られた組織である灰化対策機構が人体実験で命を蔑ろにしました、など言われたら笑い話にもならない。その禁忌の手段に手を染めた連中に対する怒りの声で、邪獣情報共有会の会場は大混乱に陥った。
『静粛に!ご静粛に!私だって好き好んでこんな話をしたいわけじゃねーんだよ!』
彼らを止めたのはプレゼンターの怒りだった。プレゼンターが怒り出すという想定外に虚を突かれ、彼らの怒りが一瞬止んだ。その隙にプレゼンターが畳みかける。
『静粛にお願いします。今回の事件は灰化対策機構として南米支部に厳重に抗議しております。事態究明チームもすでに結成し、調査に入っております。全てが明らかになってから
勤めて冷静に告げるプレゼンターだが、良く見ると体は小刻みに震え、だらんと下げた左手は赤いものが滲むくらいに強く握りしめられていた。沸き上がる怒りをどうにか抑え、やるべきことを全うせんと努力する彼の姿により、会場は落ち着きを取り戻した。
『話を元に戻します。新たな情報によりますと、邪獣は撃破済みの人物のみで構成された集団を避けますが、その集団の中に一人でも未撃破の人物が含まれていると殲滅されるとのことです』
これを知るために恐ろしい手段を取ったのだろう。しかも条件を確定させるためには複数回の試行をしたはずだ。一体どれだけの人間が殺されたのかと考えると参加者たちは怒りで狂いそうになる。
『また、もう一つ大きな事実が判明しました』
再度会場が荒れる前に、プレゼンターは話を先に進める。
『こちらは先ほどの情報とは異なり有志による行動によりもたらされたものでございます。強制したわけでも、褒められた行為でもございませんが、この情報を広めるには自らの意思で行動したということを必ずセットで伝えるようにという本人達の希望がございます』
だから誰も憎まないで欲しい。何者かがそんな自分勝手な想いを情報に載せて世の中に拡散させようとしたのだ。
『皆様はレオナサポート室のメンバーが特別な人員の集まりであると言うことをご存じでしょうか』
「(え?)」
これまでドキドキしながら事の成り行きを見守っていた遥だったが、突然自分が所属している部門の名前が話題に挙がり驚いた。
『彼らは日本のとある掲示板のとあるスレッドに投稿している方々でして、そのスレッドは不思議なことに彼ら以外は投稿どころか参照することすら出来ません』
この不可思議な現象の調査に、遥も協力したことがある。だが原因はまだ明らかになっていないと遥は聞いていた。
『実は世界中に、彼らと同じようなクローズドコミュニティが存在することが分かっております。掲示板の場合もあればSNSもあり、レアなケースですが実在する建物内の一部屋、というケースもあるようです』
選ばれた人間にしかアクセスできない場所。それが遥が入り浸っていた掲示板以外にもいくつか存在するという。
『そして、その中のあるメンバーが、自分達なら邪獣に襲われないのではないか、という考えで調査をしました』
「(あれ、この話って確か……)」
邪獣に遭遇したが、見逃してもらえて生き延びた。遥はその話を知っている。何故ならばその人物とは今この瞬間もすぐ近くにいるのだから。
「……」
「凛ちゃん?」
遥がチラリと凛の様子を確認すると顔面蒼白になっていた。その異常を察知したヒデが凛に駆け寄っていた。
『断言しますが、神戸での情報は決して口外されておりません。彼らも外部の情報は関係なく自ら検討した結果、この考えに辿りついたようです』
凛の情報を元に彼らが行動したのではないから凛に責任は無いのだと、プレゼンターは画面の向こうで聞いているであろう凛にフォローする。それを聞いて凛の動揺は多少収まった。元々凛はこの情報は日本で秘匿して真似する人がいないように厳密に管理すると聞かされていた。それが漏れた時の危険性についても教えられており、それはあの日無謀にも海に近づいてしまった自分の責任だと理解もしていた。だが、理解はしていたが、実際にその可能性を見せつけられて、動揺してしまったのだ。
「(ヒデさんがいるから大丈夫そうかな)」
凛には頼りになるパートナーがいる。彼が寄り添い声をかけるだけで表情に安らぎが戻る凛の姿を見て、遥は少し羨ましく思った。
『調査の結果、彼らも撃破済みの方々と大きく異なることはございませんでした。邪獣達が侵攻中の都市に居れば無差別に攻撃されます。ですがはぐれ邪獣と遭遇した際には、明らかに彼らを避けて別地域へ進んだそうです。撃破済みの方々の場合は、避けて近くを襲ったので、その点違いがございます』
もし凛が隠し掲示板の住人では無く、カプセル邪獣を撃破しただけの人間であれば、あの日神戸にやってきた水龍は凛を避けて近くの街を破壊し尽くしていただろう。結局のところ大規模侵攻においては無差別に攻撃されるため、意味が無い情報ではある。
画面向こうの邪獣情報共有会は、これらの新情報を元に議論が始まろうとしていた。
――――――
「ふぅ」
配信が終了後、遥は画面越しからでも伝わって来る議論の熱気にあてられて疲れ果ててしまった。また、心から本気で活動する人々のパワーを見せつけられ、社会復帰したての自分にはまだ遠い場所であると実感させられてしまった。
「お疲れ様、どうだった?」
「僕にはまだ無理な世界ですね……」
「ふふ、そうかしら」
意味ありげな反応をする香苗の態度を怪訝に思いつつも、遥は凛の方に目をやった。
「凛ちゃんなら大丈夫よ」
「ヒデさんがいますからね」
凛はヒデと明るく雑談をしており、辛そうな雰囲気を全く見せていなかった。
「う~ん、それもあるけど、彼女自身の強さによるものだと思うわ」
「強さですか?」
「ちょっとー恥ずかしい話しないでくださいよー」
「聞こえちゃってましたか」
結局のところ、レオナサポート室はこの程度では揺るがないと言うことなのだろう。そう、この程度では。
「それじゃあ今日は解散にしましょうか」
「良いんですか?」
「良いも何も、定時ですよ?」
「あれ、ほんとだ」
配信が長引いて定時を過ぎていたことに遥は今更ながら気付いた。異世界配信も大きな動きが無いため、この日は素直に帰宅することに決める。ノートパソコンを片付け、雑談しながら帰り支度をする。
「それじゃあ香苗さん、また明日」
「はい、また明日。と思ったけど、下のコンビニに買い物に行きたいから一緒に行くね」
香苗はレオナと共にサポート室に住んでおり、凛とヒデはもう少し雑談してから帰ると言うことなので、今日は遥は一人で帰宅だ。ただし、ビル一階のコンビニに向かう短い間だけ香苗と二人っきり。エレベーターの中でほんのりと緊張しながらも大分慣れた感じで香苗と雑談をし、エレベーターが一階まで到着した時。
「やっと来た!」
「なんでお前が!?」
エレベーターの扉が開き、そこには何故か遥の妹が居た。
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