11. 【地】灰化勉強会

「それでは勉強会を開始します」


 灰化対策委員会の日本支部。東京丸の内の巨大なビル内にある講堂で、講師の男性が講壇に立ち,

前方の三つのスクリーンに映し出されたスライドを元に説明をはじめる。この映像はリモートで日本各地や海外の支部のメンバーからも見られるようになっている。


「今回は日本支部の新人の方もおりますので、最初に我々の灰化情報の取り扱いについて説明致します。すでにご存じの方も多いかと思いますがご容赦ください」


 各事業部の構成や役割、灰化発生時の対応方法などの基本的な情報を中心に説明する。


「灰化に関する新たな情報がございましたら、どれほど些細な情報でも構いませんので検討フォーラムに投稿してください」


 社内のWeb上に特設ページが用意され、SNSへの投稿のような形で簡単に議論することが出来る形になっている。


「とは言っても、日本人的には既に議論の流れがあるところに参加するのは心理的なハードルが高いでしょう。ですのでまずは一旦眺めて雰囲気を確認してみることをお勧めします。恐らく皆さんが思っている以上に単純な内容の投稿が多いですし、皆優しくかつ真面目に議論されてますので『なあんだ、これなら自分も出来るかも』と思えるでしょう」


 フォーラムには相手の意見を頭ごなしに否定したり、自分の意見を強引に押し通そうとする厄介な輩は存在しない。相手を屈服させるのではなく、お互いを尊重して共に意見をブラッシュアップする雰囲気が醸成されている。既存の意見や質問を投稿しても、決してグ〇レカスなどとは言われない。


「そしてそれは今日のこの場も同じです。どんなに些細なことでも遠慮なく質問してくださいね。もちろん、皆さんが発言しやすくなるようなサクラも用意してますけど」

「おい、俺を指さすなよ。バレたら意味ねーだろ!」

『あははは』


 ちょっとした冗談で場を和ませつつ、本題に入る。


「まずはどのような人物が灰になるかについて、皆様の認識を確認してみましょう。それではそちらの方、お答えください」

「わ、わわ、私ですか?」


 前の方に座っていた新人らしき若い男性を指名する。


「その、他人を思いやらない行為をする人、でしょうか」

「はい、その通りです。彼が仰る通りに、灰化と思いやりは非常に密接な関係にあることが分かっております。今では街中の至る所で『思いやり』の言葉を目にするようになり、今年の流行語大賞には間違いなくノミネートされる言葉でしょう」


 流行語大賞という身近な単語を織り交ぜることで小難しい話と感じさせないのがこの講師の工夫である。

 スクリーンに『思いやらない行為』という言葉が表示され、これから先の話題のポイントであることが示された。


「それでは『思いやらない行為』とはどのような行為でしょうか。今度はそちらの女性の方、いかがでしょうか」

「……相手を罵倒したり、殴ったり、セクハラしたり、でしょうか」

「そうですね、それらはいずれも『思いやらない行為』に当てはまりますし、ここに参加されている全ての皆様も同意されることだと思います」


 講師の言葉に皆がうんうんと頷く。


「ですがこの『思いやらない行為』というのが曲者でして、そちらの女性に挙げて頂いたような個々の事象はポツポツと思い付くのですが、結局どういう行為のことを指すのかが明確にし辛いのです。もちろん殴る蹴るのような自明なものもありますが、皆さんの中には『あれ、これってセーフ?アウト?』と迷った経験をお持ちの方がいらっしゃるのではないでしょうか」


 これを明確にするために、灰化対策機構は膨大なデータを収集して灰化の分析をしている。


「質問があります」

「はい、サクラのお兄さん」

「だからサクラって言うなよ!」

『あははは』


 難しい話に入りそうな雰囲気になるタイミングであるため、ここで一旦茶化して空気を和らげる。


「『思いやらない行為』とは『他人を不快にさせる行動』ではないでしょうか?」

「なるほど『他人を不快にさせる行動』ですか。実に分かりやすい基準だと思いますが、皆さんはいかがでしょうか。少し考えてみてください」


 重要なポイントであるため、講師はここで時間を取り参加者に考える時間を設けた。


「そろそろよろしいでしょうか。それではみなさんに一つの問いを投げかけます。先ほどあちらの女性から『相手を思いやらない行為』として『セクハラ』が例に挙がり、皆さんも納得しておりました。では『セクハラ』に何の罪悪感も抱いていない人物が彼女に堂々と『セクハラ』をし、彼女がその行為を拒絶したとしましょう。彼女の視点では明らかに『不快』な行為であるのは明白ですが、男性視点でも彼女が自分を拒絶したことを『不快』と感じるのではないでしょうか」


 セクハラを擁護するような説明が湧いて出て、会場がざわつき出す。あまりにも酷い考えを述べた講師に、露骨に嫌悪感を表に出す女性も少なくは無い。そんな中で、一人の男性が挙手をする。


「はい」

「どうぞ」

「仰られたことは無茶苦茶だと思います。それではまるで犯罪者も守られるような言い草ではありませんか!」


 そうだそうだ、と強い同意の声が挙がる。


「議論のポイントをずらしてはなりません。私が今問うているのは『セクハラ』を仕掛けた男性も『不快』に感じるのではないか、という事実についてです。行為の善悪についてはまだ議論の範囲外です」

「それは……ですが、実際に『セクハラ』を仕掛けた人物が灰化したという話があると私は聞きました。やはり犯罪者が灰になるのが『当然』なのです!」

「よく勉強されてますね。確かにこれまで報告された灰化現象において、『セクハラ』の加害者が灰になっております。ですが、それは今はまだ関係ありません。もう一度確認します、『セクハラ』を仕掛けた側も『不快』に感じると思いませんか?」


 論点をずらして自分の感情をぶつけてしまう。灰化前であれば良く見られた光景であるが、これから先にそのようなことをしては灰になる可能性があり、正しく効率的な議論からは遠回りになってしまう。講師はこのタイミングで新人の考え方を変えさせたかった。


「……………………感じるかもしれません。でも絶対に『セクハラ』するような人間が守られることなんてあり得ません!」

「ではそのことを論理的に証明してください」

「え?」

「灰化の対象となる行為は『相手を不快にさせる行為』。しかし『セクハラ』を拒絶されて『不快』に感じた男性も灰化してしまう。この論理的矛盾を証明する必要があります」

「……そ、それは」


 感情では受け入れられなくとも、論理的に説明しろと言われると何も思いつかず、口をつぐんでしまう。


「あなたを責めるような形になってしまいましたね。申し訳ございません。ですが覚えておいてください。感情はとても大事ですが、感情に支配されていては議論は正しく進みません。ゆえに、これから先、皆さんが議論をする際には、自分の意見が論理的であるかどうかを確認する癖をつけることをお勧めします」


 日本人は議論が苦手である。しかも昨今SNSの普及により相手を愚弄する言葉のやりとりだけは多く目にするようになっている。そのような状況で意見を良い内容へと昇華させるための建設的な議論など出来るはずがない。まずはそこから練習が必要なのだ。


 ここで、感情を抱くことそのものが否定されたように感じた女性が質問をする。


「感情に従って思い付いた意見を述べてはダメということでしょうか?」

「いえ、そのようなことはございません。感情がこめられた意見はとても大切なものです。重要なのはそれが論理的であるかどうかです。例えば先ほどの『セクハラ』の問答ですが、彼が感情を大事にすると決めたのならこう言えば良かったのです。相手を『不快』にする『悪い』人間だけが灰化するのであって犯罪者が『不快』に思おうが関係ない、と」

「ああ、なるほど」

「それなら『悪い』人間とはどのような人間を指すのだろうか、といった形で議論が発展するわけです」


 感情と論理は相反するとは限らない。感情とは条件の一つであり、適切に活用することで十分に論理的な意見になるのだ。


「我々は『セクハラ』のケースについて調査や議論を進めております。フォーラムでは過去の議論も参照できますので是非ご覧になって下さい。もちろんその中で善悪についての議論もございます」


 そしてそれは灰化対策機構の中でも重要視されている課題だ。


「善悪に明確な基準があるのでしょうか。そもそも善悪は人間が独自に決めたものであり、女神がそれを基準にするのはおかしいのではないか。灰化の中には日本人の視点では必ずしも悪と断罪しにくいケースが含まれているが、それでも善悪が基準と言い切れるのか。などなど、様々な視点での議論がございます」


 スクリーンに、灰化対策機構で議論中の課題が次々と表示される。


「更には文化の違いと灰化の基準の関係性は?」

「文化の違い、ですか?」

「そうです。日本国内ですら関東と関西で細かな部分で違いがあり、良くテレビで話題になっているでしょう。世界も含めれば尚更です。未確認の情報ですが、東南アジアに浮かぶとある島の奥地に住む部族には奴隷制度が残されており、今の世の中でも灰化せずに生き延びているという話です」


 会場が今日一番にざわつく。新人以外の人にとっても初耳情報であったからだ。社会を大きく揺らがす大問題であるがゆえ、真偽が明らかになるまで公開を遅らせていたが、確度がかなり高いことが明らかになり今回の勉強会での告知が決定した。


「絶対的な基準があるのかないのか、文化の違いがやはり考慮されているのか、あるいは文明が未発達の場合は灰化対象にならない可能性もあります。新たに考えることが増え、実は現在、灰化分析部門は阿鼻叫喚の坩堝と化しています。なんてね」


 なんてね、などと茶化したが、実際に講師の言う通りの状況だ。どれだけ議論を進めても新たな情報が加わりこれまでの考えが覆される。その繰り返しだ。


「さて、そろそろ現時点で我々が把握出来ている灰化情報について詳細を含めて説明致しますが、その前に最後の爆弾を落としておきましょう」

『え』


 講師はにやりと悪い笑顔を浮かべた。


「最初にこの場で、灰化する行為とは『相手を不快にさせる行為』であると話に挙がり、皆さんも納得しておりました。そして私は『セクハラ』に関して犯罪者を擁護するような発言をして皆さんを『不快』にさせました。ですが私は見ての通り無事です。何故でしょうか」

『あ』


 決して『相手を不快にさせる行為』という条件が正しいと決まっているわけでは無い。条件その物が間違っている可能性もあれば、『悪人のみ』のような追加条件が必要な可能性もある。


「灰化対策機構では灰化の原因は『相手を思いやらない行為』であると表現し、それ以外は具体例を示すのみにしております。『相手を不快にする行為』をはじめとした世間で言われているその他の様々な憶測を載せていないのは、まだまだ灰化の理由が明確でないからであり、勘違いによる灰化を防ぐためなのです」


 だからこそ、これから一緒に灰化を防ぐために頑張りましょう、と講師は言うが、自分達がとてつもない難題に立ち向かおうとしているのだと言うことを新人たちは理解して頭を抱えてしまうのであった。


 さっさとやれよ、こんなの簡単だろ?


 などと考えて意気揚々と乗り込んで来た若手はここで自らの至らなさを痛感することになる。

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