9. 【地】信者

「女神様に感謝を」

『女神様に感謝を』

「愚かなる者共へ正義の鉄槌を」

『愚かなる者共へ正義の鉄槌を」


 都内の古いマンションに設けられた貸会議室の一室。

 六人の男女がテーブルの中央に置かれた銀色の小さな女神像に向かって祈りを捧げている。


「同志諸君、本日も女神様の御業について語り合いましょう」

『はい』


 司会を務めているのは白髪交じりの初老の男性。司祭のローブを身に纏っているが、日本人が着ていると違和感が強い。


「本日は祝福を得られた方が二名いらっしゃいます。大変喜ばしい事です」

「はい……ううっ……」

「ああああ!女神様ああああ!」


 歯を食いしばって涙を流す三十代の男性と、ハンカチで顔を覆い慟哭する十代の女性。彼らの涙の理由は悲しみと喜び両面によるものだ。


「まずは彼方かなたさん、おめでとうございます。無事に冤罪が認められましたね」

「はい……ようやく長い地獄から解放されました。就職先も決まり、新たな人生の一歩を踏み出すことが出来ました」

「それは素晴らしい!」


 この男性は痴漢冤罪により逮捕された経歴を持つ。

 いつものように眠い眼をこすりながら朝の埼京線で満員電車という試練に挑んでいたら、突如自分の腕が掴まれて痴漢だと宣言された。周囲の人間により強引に取り押さえられ、次の駅で降ろされて駅員から警察へと引き渡される。どれだけ自分の無実を訴えても誰も信じてくれず、自白を強制する長い取り調べを受け、辛うじて否定し続けられたが釈放された頃には社会の信用は失われ会社からも退職を勧告された。逃げるように実家に帰ったが家族からも腫物扱いで、『あいつのせいで肩身が狭い』と愚痴を言っているのを聞いてしまった。

 思い返せば被害を受けたと主張する女性は泣き顔を隠しながらほんのりと口元が嗤っていたような気がする。それに朝の通勤ラッシュの時間帯に私服の若い女性が女性専用車両のあるこの時代に敢えて最も混雑する車両に乗ったりするだろうか。大学に行くにしてもまだかなり早い時間帯。もしかして自分は陥れられたのではないかという考えが頭を過る。

 民事裁判では裁判官はおろか弁護士すらもやる気がなく敵だらけ。聞こえて来るのは自分の訴えをガン無視した上での責めの言葉のみ。何もかもが信じられず、命を絶つことすら考えたが、そんな時に灰化現象が始まった。


 朗報は直後にやってきた。

 彼が所属している冤罪被害者の会の仲間から電話がかかってきた。


「彼方さん、山崎裁判長と飯嶋検察官が灰になったそうですよ!」

「……え?」

「裁判中に灰になったと聞いています」

「そう……ですか」


 どちらも裁判の場でゴミ虫を見るかの目で彼方を見下して来た女性だ。彼女達が灰になり亡くなったと聞いて、当時の彼方は溜飲が下がるというよりかは困惑の気持ちの方が大きかった。まだ灰化現象という異常事態を受け入れる余裕が無かったからだ。


 なお、少し先の話であるが、灰化対策委員会の調査により、二人の女性は大の男嫌いでありいかなる手段を用いてでも男性被告人を叩き潰していたことが判明した。偽の証拠や自白の強要などはもちろんのこと、検索と弁護士と裁判官で組んでまでも、だ。彼方は彼女達の犯罪の被害者でもあったのだ。


 灰になったのは検察官と裁判官だけではない。彼女達と組んでまともな弁護をしなかった女性弁護士、取り調べで自白を強要した男性警官、冤罪であることを知りながらも犯罪者として記事にしたマスコミ関係者、彼の弁明を聞かずに即座に犯罪者扱いした駅員。彼らもまた性根が腐っており彼方の事件には関係ないところで次々と灰になっていた。


 そして先日、彼方の冤罪の直接の原因となった女性が灰になったという情報を入手。その話を聞いた彼の目からは涙が溢れ、一晩中止まることが無かった。


「全て女神様のご慈悲によるものでございます。感謝を、心からの感謝を」


 意図せずであるが復讐を果たし、社会復帰出来たのは女神のおかげであると彼方は本気で考え、心からの感謝を女神に捧げた。だがそんな彼方に司祭は温かな否定をする。


「少し違いますよ。彼方さん」

「え?」

「就職が決まったのはあなたの努力の結果です。あなたが不遇にめげずにこれまで諦めずに努力した結果が結ばれただけのことです。誇りなさい。女神様は自らを卑下することは好みません」

「うう……司祭様……ありがとう……ございます」


 司祭の言う通りである。

 女神は悪人を灰化するが、善人に幸せを授けてくれるわけではない。そのことを勘違いして物事の結果を全て女神の判断だと勘違いし、努力の方向性を間違えないように司祭は彼方にクギをさした。最も、彼方にとっては自分が褒められたようにしか感じられなかっただろうが。


沙耶さやさんもおめでとうございます」


 司祭は今度は沙耶に声をかける。


「沙耶ちゃん、良かったなぁ」

「私が鉄槌を下せなかったのが残念だわ」

「こらこら、かなちゃん。そんなこと言うと女神様に怒られちまうよ」


 彼方の場合と違って室内にいる他の人からも喜びの声が挙がった。差別ではない。十代の若い女の子が相手と言うことで特別気を使ってしまうからだ。


「はい……みなざん……ほんどうにありがとうございまじだ」


 涙声で感謝の気持ちを返す沙耶。彼女は現在通信制の高校に通っている。中学の時に同級生から酷い苛めを受け続け、そのトラウマにより卒業後も学校に通うということが出来なくなってしまったからだ。

 彼女の受難は中学一年生からはじまり、三年間ずっと耐え続けていた。同性からの苛めのターゲットとなってしまった友人をかばったところ代わりに彼女が苛めのターゲットとなり友人も苛める側に加わったという、物語では良くある展開だ。

 事なかれ主義の教師や学校は助けてくれず、両親はネグレクト気味で子供にあまり興味が無く面倒事には関わりたくないというスタンス。親戚付き合いも薄く、助けを求める相手がどこにもおらず、耐えるだけの地獄の三年間であった。

 無視や私物の破損は基本であり、三年生になるころには暴行や金銭の要求、果ては性的な苛めにまで発展していた。沙耶にとって辛うじて運が良かったと言えるのは、通っていた中学の男子生徒は草食系男子がほとんどであり、女生徒からの『誘い』を皆断ったため最終ラインを突破されることは無かったことだろう。だが、このまま近隣の高校に進学すればいずれ苛めの主犯格から『ウリ』を強要させられることは明らか。自分のことを誰も知らない遠くの高校に進学したくても、面倒なことを認めない両親により家に近い高校以外は受験させてもらえなかった。


 精神的に追い詰められ、命を絶つ寸前であった沙耶だが、救いの手は思わぬところから伸ばされた。


「お父さん……?お母さん……?」


 ある日、高校から帰宅した沙耶の元に両親は戻って来なかった。両親が灰になったことを察した沙耶は灰化対策機構に連絡。かけつけた職員との会話で沙耶の置かれた状況がようやく『外』に伝わり、職員は大慌てで沙耶のフォローを行った。心理カウンセラーとの面談などを通して、沙耶がこのまま高校に通うことは精神的によろしくなく、通信制の高校への転入が決定。その後も様々な大人の手によって沙耶は保護され、絶望から解放されることとなった。


 心の傷と戦いながら新しい生活に慣れるべく奮闘していたある日のこと。毎日確認していた灰化対策機構の『犠牲者』の欄に見知った名前が並んでいることに気が付いた。


「あいつらが灰に?」


 それは苛めの主犯格の名前。更には自分を裏切って苛めに加担した元友人の名前も載っていた。一人なら同姓同名の可能性もあるが、全員ともなれば間違いなく彼女達の事であろう。


 沙耶は真実を確かめるべく、元同級生に会うことを決めた。しかも主犯格ではないが時々苛めに加担していた女子の元へ。本当に彼女達が灰になったとすれば、その女子は自らの罪を自覚していつ自分が灰になるのか怯えているはずだ。そしてそんな彼女の元に自分が苛めていた相手が現れれば、恐怖から協力的になってくれるのではないかと考えたからだ。


 とはいえ相手は長年自分を苛めていた一味の一人。中学時代の経験が体を震えさせ、動悸が止まらない。トラウマが刺激され、相手の態度次第では心の傷が悪化する可能性が高い。大人達に相談したならば間違いなく止められる行為だと分かってはいたものの、沙耶はどうしても彼女達の顛末を知りたかった。


 高校からの帰り道を狙い、ターゲットを発見した沙耶は、人気が無い場所で相対する。


「ごめんなさい。ごめんなさい。ごめんなさい。ごめんなさい」


 結果、拍子抜けするくらい沙耶の思い通りに事が進む。その女子は最初は逃げようとしたが『灰になるかもよ』と沙耶が叫ぶと、一転して土下座に移行。全身を震わせ、壊れた機械のように謝罪を繰り返す不審者となり果てた。そんな彼女に状況を確認すると、沙耶が想像していた以上のことになっていた。


 苛めの主犯格は高校で新たな苛めのターゲットを見つけて手を出したところ全員灰化。沙耶の苛めに少しでも加担していた者は皆、家庭の崩壊により多かれ少なかれ人生が破滅しかけているという。


 全てを聞き、帰宅した沙耶は一人リビングのソファーに座り、天井を見上げて今日聞いた内容を反芻する。


「あは」


 ふと、声が漏れる。


「あはは」


 それは苛めが始まって以降、一度も表に出ることが無かった反応である。


「あはははははははははははははははははははははははははははははははは!」


 狂ったように嗤い続ける沙耶の目からは、両親の死に気付いた時ですら流れなかった涙が溢れ出ていた。


 憎しみ。


 犠牲者の名前を毎日のように確認していたのは、自分に地獄を味わわせたクズ共が灰になることを期待していたから。苛めから解放されたとはいえ、クズ共がのうのうと生きていると考えるだけで気が狂いそうであった。今すぐにでもクズ共の元へと向かって殺してやりたいと本気で思えるくらいには、沙耶の憎しみは醸成されていた。


 この日、クズ共が破滅を迎えたと知り、ようやくその憎しみは僅かに薄れ、本当の意味で沙耶の心が解放されようとしていた。


「沙耶さん、我々は同志です。何かあればすぐに駆け付けますから、相談してくださいね」


 沙耶の心のリハビリが始まるのはこれからだ。心に積もった憎しみは決して消えることなく、心の傷が癒えるには何十年もかかるだろう。


 だがこの部屋に集まっているのは司祭の言う通り『同志』である。


 家族を殺された者。

 大きな詐欺にあった者。

 性的被害を受けた者。


 沙耶の辛さを全てではなくとも分かち合える存在だ。


 司祭も元は教師であり、教え子に騙されて教職と社会的地位をはく奪された過去を持つ。その教え子が灰化した話をぼかしてSNSに投稿し、その話に興味を抱いた傷を持つ者達の集まり。教師の経験によるものか、何故か慕われることになり司祭のローブと呼び名は仲間からプレゼントされたものだ。


 彼らは決して営利目的の宗教や団体ではない。女神による灰化をきっかけに集まった、トラウマに苦しみ復讐を望む者、あるいは復讐を完遂できた者だ。


「それでは最後にもう一度、女神様に感謝と祈りを捧げましょう」

『はい』

「女神様に感謝を」

『女神様に感謝を』

「愚かなる者共へ正義の鉄槌を」

『愚かなる者共へ正義の鉄槌を」


 これはここだけの話ではない。

 地方では資産家が空き家を購入し、同様の集まりを開催。また、日本だけではなく世界中で同じような集団が生まれようとしていた。そして彼らがSNSを通じてつながるとき、大きな一つの流れが生まれる。


 彼らは灰化により救われた者達。

 女神の信者。


 巨大な集団という力を得た彼らが狂信者となる日はそう遠くは無いのかもしれない。

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