4. 【地】世界変革の恩恵を受ける者達

『かんぱーい!ウェエエエエイ!』


 東京都内、某大学の近くにある格安居酒屋。

 男女混合十人の大学生が、安いビールがなみなみと注がれたジョッキを勢いよく掲げる。


 合コンではない。

 彼らは近くの大学のテニスサークルのメンバーであり、練習後の打ち上げにやってきたのだ。


「いやー運動後のビールは最高だね!」

「マジそれな。俺ビール苦手だったけど、運動初めてからメッチャ旨く感じるようになったもん」

「タケくんビール苦手だったの?うっそだー」

「いっつも樽ごと飲み干すんじゃないかってくらい飲んでるのにねー」

「嘘じゃねーって。マジマジ」


 飲み会特有のどうでも良い会話をする彼らは、元々隠キャ寄りの住人であった。そんな彼らが何故陽キャの象徴ともいえるテニスサークルに入っているのかと言うと、その陽キャが消えて無くなったからだ。


 大学のテニスサークル。


 今の時代、この名前を聞いて、『テニス』とは名ばかりで男女の睦事がメインのサークルだと感じる人が多いのではないだろうか。より端的に言うと『どうせヤリサーだろ?』といったところか。


 実際、この大学のテニスサークルは『ヤリサー』の名に相応しい集団であり、睡眠薬を使って女性をお持ち帰りするような犯罪行為に手を染めている真っ黒な集団であった。


 そして灰化現象によりこれらのクズ共はあっさりと灰に帰した。様々な手段で逃げられないように囲われていた女性たちは開放され、サークルそのものが消滅した。


 大学内の悪質な陽キャが消え、クリーンになった状況で動き出したのは、アクティブ寄りな陰キャである。


 自分も陽キャみたいに楽しくテニスサークルをやってみたい。


 陽キャであることに憧れ、一歩を踏み出すことが出来なかった陰キャ達が、邪魔するものが居なくなったこの世界で立ち上がったのだ。しかも彼らが望んでいるのは恋愛というよりも『青春』。高校までで得られなかったソレを求めて、真面目にテニスをやりながら『仲良く』活動をしていた。


 打ち解けるまでに時間がかかるものの、一旦仲が良くなれば素を曝け出して心の距離をぐっと近づけがちな隠キャの性質ゆえか、このテニスサークルはとても仲が良く、それでいて男女間の仲は程良い距離感という特異な集団となっていた。


「もうちょっと早く灰化が始まってくれれば良かったのになー」

「それなーもっと遊びたかったぜ。就活超めんどい」


 サークル内は大学三年生が多く、就職活動を始めなければならない。大学一年、二年は陽キャの陰に隠れた暗黒期であり楽しいことがほどんどなかった。今の天国のような環境が直ぐに終わってしまうことが残念だった。


「でも先輩、今なら就職しても前ほど大変じゃないみたいですよ」

「そうなの?」

「うん、あたしの兄貴が大手のIT会社に勤めてるんですけど、人間的にアレな人たちがどんどん消えて無くなって最高って酒飲みながら叫んでました」

「でもよーその分仕事が終わらなくて大変だってどっかで見たぜ」

「嫌な人がいなくてもデスマーチは嫌だよなー」

「それがそうでもなくて、無茶な残業とかも灰になるから出来ないらしくて、定時で帰ってくることも多いんですよ」

「レイんとこの兄貴ってこどおじなの?」

「そうなんですよーうざいから早く出て行って欲しいんですけどねー」


 セクハラパワハラはもちろんのこと、体育会系や凝り固まった昭和の価値観を押し付ける職場は次々と淘汰される。サビ残も過労も灰化の対象であり、非人道的な行為がまかり通っていた多くの中小企業が消え去った。


 基本的な『人権』が強制的に守られるようになっただけで、多くの企業が大損害を受けたことから、どれだけこの社会は元から狂っていたのか、と呆れる人も多かった。


「それに先輩たちって『ノーマル』だから引く手あまたじゃないですか。羨ましいなー」


 『ノーマル』

 それはカプセル邪獣を倒し、頭上に数字が浮かんでいない者のことを指す言葉である。

 日本で有名な配信主が『俺ってノーマルだから』と表現したのが由来のスラングだ。


 全ての企業が人手不足に悩まされている今年は、就活黄金期と呼ばれている。中途も新卒も経験の有無は関係なく無条件で採用される可能性が非常に高い。その企業に少しでもマッチする学部の卒業見込みがあれば企業の方から強い誘いがかけられるレベルであり、しかも『ノーマル』であれば人間性にも問題が無いと判断されて内定をもらいやすいと噂されている。


「レイだって『ノーマル』だろ。だったら俺達と同じじゃん」

「いつまでも『ノーマル』で居られるか分からないですもん。それに、灰化だって私達が就活するころには終わってるかもしれないですし」

「そりゃそうか。ずっとこのままだと良いのになぁ」

「就職先選び放題、犯罪無し、うざい陽キャも消える、天国や」

「灰化現象だけ残ってくれー!」

『それなー』


 この先もカプセル邪獣が出現するとなると、強敵が現れて頭上に数字が復活するかもしれない。それさえなければ、今の日本は彼らが生きる上で精神的に最高の環境である。これまで日陰でひっそりと生きていた『ノーマル』な人々は、陽の光の元に出て笑顔で街を闊歩する。


――――――――


「ようやく成果が上がって来たか」

「はい、各社とも一時期の落ち込みと比較して七割ほどは回復しております」


 日本有数の財閥の長である老人は、秘書からの報告を聞いて満足そうに頷いた。

 灰化現象が発生し、人手不足と灰化による企業活動の制限を受け、老人の財閥関連企業の業績は軒並み悪化の一途を辿っていた。


「ふっふっふっ、灰化様々であるな」


 だが現在、老人の財閥関連企業は日本で最も回復が早く、あらゆる分野で圧倒的なシェアを獲得するに至った。この老人の素早い対応による結果であった。


 老人は灰化現象の特徴を把握後、即座に各企業に指示を行い、それらを迅速に実施させた。福利厚生や賞与等の社員の待遇を異常なまでに手厚くし、大手であるネームバリューとセットで手当たり次第に人を集めた。強引なやり方だが貴重な生き残っていた未就職の人々を手に入れ、そのマンパワーを活用して他企業が人手不足で受注できない案件を片っ端から引き取った。


 しかも老人はインフラなどの社会に必須な役割を得ている企業を様々な形で助け、恩を売ることにも成功した。当然、灰化対策機構や新テレビ業界にも出資している。


 溜め込んだ資金の大半を一時的に放出することにはなったが、圧倒的なシェアとコネクションの獲得により、社会を掌握したとすらいえる程の状況になり、将来的にはこれまで以上の儲けが見込まれることが明らかであった。


 老人の笑いが止まらないのは当然の事であろう。


「閣下、人手不足が解消されないとのアラートが上がっておりますが、いかが致しましょうか」


 とはいえ、人は無限にいるわけではない。スタートダッシュに成功して多くの人を優先して確保出来たとは言え、これ以上の人を増やすのは難しい。灰化前のように海外から『奴隷』を集めようにも、その海外でも人手不足なため奴隷不足でもある。


「ならば報奨をあげよ」

「報奨ですか?」

「うむ、少ない人員で成果を出した部門に多額の報奨を与えるのだ。金額は任せるが、話題になるくらい振舞えよ。ニンジンとならなければ意味が無いからな。必要であれば追加で出資しても構わん」

「かしこまりました」


 人がいないのであれば、今居る人間だけでやるしかない。もちろん、現状でも工夫してやりくりしているだろうが、大金が貰えるとなればやる気が段違いだろう。


「ああ、くれぐれも中抜きしようとするクズが居たら処分するのを忘れずにな」

「はぁ……失礼ですが、今のご時世、そのようなことが可能なのでしょうか」

「可能だ。『社員のために』という建前さえ掲げればどうとでも出来る。人間というのは、女神が考える以上に醜悪で狡猾で愚鈍な生き物だからな。灰化現象くらいでクズが大人しくなるわけが無い」


 老人自身も現状を悪用して荒稼ぎする手段はいくつも思い付いた。だがそれよりも流れに乗って企業や世の中のために行動するように見せかけた方が遥かに巨大な利益を生み出せると踏んだのだ。世の中からは自らの資産を切り崩して企業や社会のために行動する慈善家のように見えただろう。その上で、日本社会を牛耳る存在になれたのだから、老人の判断は正しかった。


 秘書が退室した部屋の中で一人、老人は未来のことを想い嗤う。


「くっくっくっ、さぁて、愚か者どもよ、儂のために育ってくれよ」


 傘下の企業へ施した甘い汁は、あくまでも灰化現象が起きている間のみ。灰化現象が終わり、元通りの世界に戻った時、老人の手元に残るのは少ない人員でこれまで以上の仕事をこなせるようになった社員の数々。残業や過労が解禁され、更に仕事を押し付ければ、灰化前と同程度の賃金で数倍以上もの成果を叩き出すだろう。当然、灰化による損失を取り戻すという体で社員には地獄のようなデスマーチの日々が待ち受けている。日本の経済界、そして政界ですら無視できない存在となった老人は、過労による人死になど気にもせずに暴君となり日本社会に地獄を見せるだろう。


 勧善懲悪の考えがより浸透し、弱きを守るために行動する人が激増する日本で果たしてその思惑が成功するかどうかは不明であるが……




 灰化を免れ、現世を満喫する人々は、決してキヨカのように思いやりに溢れた人物だけという訳ではない。苦しいことがあれば逃げ出す人もいれば、世の中の流れに乗って無難に生きているだけの人もいれば、息を殺して潜んでいる悪人も残っている。今のままであれば、灰化現象が収まったとしても、以前と大して変わらない世の中が続くだろう。心理的変革が起きるには、まだ足りない。

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