3. 【地】テレビの復活

 何処にでもいる普通の専業主婦、友野ともの恵理子えりこは依存症とも言えるくらいテレビが大好きだ。朝から晩までテレビを欠かさずつけており、旦那や子供が会社や学校へ出かけている時間帯は自由にテレビを鑑賞できるゴールデンタイム。手早く家事を終わらせ、ソファーに腰かけながら52インチの大型テレビで好きな番組を夕方まで見るのが至福の一時であった。


 だが、灰化現象により恵理子のゴールデンタイムは消え去った。テレビ放送が無くなってしまったからだ。僅かな期待を込めてリモコンを操作しても、画面は真っ暗なまま。昭和であれば砂嵐が延々と流れていただろう。


 恵理子は家事こそこれまで通りにこなしているものの、表情からは生気が抜け落ち、テレビの見すぎだと普段は眉をしかめていた旦那も心配そうに彼女に寄り添っている。まだ小学生である子供も、母親の異変を察知して慰めるために傍にくっついている。


 そんな恵理子が、この日は満面の笑顔でその時を待っていた。

 夜の20時少し前。

 この日の友野家は夕食をすでに終え、お風呂にも入り、家族全員でリビングに勢ぞろいしている。子供の就寝時間は夜の21時なのでまだ時間がある。また、この日ばかりは夜更かししても良いと決めてある。


「お母さん、楽しみだね」

「うん!」


 子供も母親の調子が戻ったことで安心したのか、嬉しそうに母親に寄り添っている。まだまだ反抗期は遠く甘えたがりのお年頃なのだろう。


「このまま少しずつ、元通りに戻ると良いな」


 旦那も嫁が復活したことを大いに喜んでいる。テレビが失われた間の嫁の変わりようを思うと、旦那がこの先嫁に対してテレビを控えるように言うことは無いだろう。結果として嫁大勝利である。


 そしてその時はやってきた。


 灰化が始まってから3か月。

 日本のテレビが復活する日だ。


 友野家のテレビ画面は国営放送のチャンネルを映している。他のテレビ局の復活は翌日以降から計画されている。画面は暗黒ではなく、さわやかなBGMを背景に世界各国の自然の風景が流れている。普段はテレビを見ない人々ですら、それを見るだけでどことなく安心した気分になっていた。色々と批判はあるものの、日本ではテレビがまだまだ日常に根付いている証拠なのだろう。


 そしてその瞬間はやってくる。


 映ったのは官邸の映像。政府が公式の記者会見をする場所である。だが、いつもはずらりと並んでいるはずの記者の姿が無い。意図して呼んでないのではなく、この世に存在していないからだ。


 演台には一人のスーツ姿の女性が立っていた。


「お母さん、この人だあれ?」

「誰かしら、あなた知ってる?」

「いや……見たこと無いな」


 国民は皆、見慣れた記者会見の場が映し出されたことでテレビの再開を実感して喜んだと同時に『誰だこいつ?』と思った。


「国民の皆様、まずは配信の確認を致しますので、少々お待ちください」


 なんということはない。

 ただの、テレビ関係者であった。


 灰化現象によりテレビ局の関係者は九割以上が灰と化した。そのため、テレビ放送のノウハウを知っている人が激減し、これまで通りに問題なく放送出来るかどうかが未知数であった。そのため、日本全国で問題なく映像が配信されていることをチェックする時間を冒頭に設けた。その説明役としてテレビ関係者の女性が映されていたのだ。


 テレビ復活という歴史的な瞬間に最初に映る女性。

 プレッシャーに押しつぶされてもおかしくない立場であるはずが、そのような恐れを見せずに淡々と作業をこなす彼女のことが話題になり、超人気有名人になるのは少し未来のお話。


 配信確認は一分程度で終わり、女性と入れ替えに総理が演台に立つ。


「内閣総理大臣の棚橋勇三です。まず初めに、テレビの復旧が遅れたこと、誠に申し訳ございません」


 最初の一言は、謝罪であった。

 本来であれば災害発生時に情報提供媒体として活躍しなければならないテレビが真っ先に使えなくなったのは大問題だ。非常時でも継続して放送出来るようにという体で視聴するためのお金を収集しているにも関わらず、その役を果たせなかったのだから罪を問われてもおかしくない。ゆえに、ここでもまた総理は謝罪から入らなければならなかったのだ。


 だが、謝罪であればネット上で嫌ほど見せられていた。あまりにもしつこすぎると逆効果であるため、総理は適度なタイミングで本題に入る。


「灰化対策機構のWebページに通知を掲載いたしましたが、改めてここで、今後のテレビ放送についての方針とスケジュールについて説明致します」


 総理の説明の中で、最も活発に議論された施策が『灰化現象に関する情報提供はWebのみで公開し、テレビでは決して触れてはならない』という内容である。


 灰化前であれば、大災害や大事件が発生した際には国営放送と民放がそれぞれ好き勝手に報道していた。何が発生したかだけではなく、事実と意見がごちゃまぜになった雑多な情報が溢れまくっていた。その中にはコメンテーター(笑)の暴言も含まれ、あろうことかそれを無条件に信じてしまう老人すらいる。


 この情報の分散を総理は危惧した。

 テレビしか見ない老人が、たまたまつけていた番組で流れていた内容のみを信じ、それ以外の情報は知らなかったため被害が拡大する。そしてその番組は意図的に誤解を招いたとして関係者が灰化し、数少ないテレビ関係者が消えてしまう。こんなことを繰り返していたらいつになってもテレビは復活しない。


 それならば、いっそのことテレビでの情報提供をNGにしてはどうだろうか。

 すでにWebで情報を上手に提供できており、Webを見ない高齢者の方への対応も実施している。今から中途半端にテレビで情報を流すよりも、今の流れをそのまま継続した方が安全であるだろう。


 総理はこの旨を丁寧に説明する。

 また、反対意見を取り入れることも忘れず、政府へ直接施策を提案できる場も提供されることが発表された。あくまでも国民のことを考えての施策ですよ、国民の声をちゃんと聴きますよ、という露骨なアピールである。


「総理ってこんな顔だったかしら」

「疲れてそうだねー」


 総理は細心の注意を払って言葉を紡いでいるが、大半の家庭では、内容など気にせずに好き勝手話題にしてたりする。


 テレビ放送の内容については、灰化に関する内容以外は、灰化現象発生前と大きく変わらない。

 ワイドショー的なものは誤解を招く恐れがあるからお勧めしない、と注意したくらいであり、特に禁止することはなかった。


 また、民放は無事な人が多い局から順に放送が再開されることになった。事件や災害があっても独自路線を貫くことで有名な某テレビ局は、灰化した人が他局と比べてやや少なめだったからか、早速翌日から再開する。


 逆に日本最大級の大きなテレビ局は甚大な被害を受けており、復活の目途が全く立っていない。そのため、残った人員を統合して新たなテレビ局を作ることを検討しているとの発表があった。


 時間にして三十分程度。


 要約すると『詳細はWebで』なのだが、老人を除く多くの国民は特に気にしていなかった。むしろ、この後に予定されている番組の方が気になっていたからだ。


 記念すべきテレビ再開の初日。

 政府による短時間のあっさりとした記者会見の後に放送された番組。


『ど~も~!』


 それは漫才であった。


 灰化現象に怯えるこの日本に最も必要な物。

 それはエンタメであり、笑いであるということを、総理は正しく理解していたのだ。


 なお、この番組に出演した芸人たちは、大役を任せられたことと、漫才の内容のせいで灰になる可能性によるストレスで、気絶しそうになっていたとかなんとか。だがその経験もまた、後にトーク番組などで公開されて話題となり、実力ある漫才芸人としてスターの道を歩んで行く。


 この日から、日本に笑顔が戻ってきた。


 もちろん、これまでとは違って石橋を叩いて渡るような番組も多かった。一日分の番組を制作する体力が無いため再放送が多く、スポンサーがつくことも少なかったが、世の中を明るくしたいという人が集まって復活させたテレビ番組は、総じて好意的に受け止められていた。


 なお、某局は一日の大半にアニメを流すという英断をした。

 アニメの内容次第では灰化するかもしれないと恐れる人も居たけれども、創作物に貴賤は無いと自信をもって世に送り出した英雄が居たのだ。


 そして、アニメ放送の冒頭に追加されたとある一文が、他の番組でも使用されるテンプレと化した。


『みんなが笑顔になる世の中にしようね』


 放送の中で他者を傷つけるような表現があってもそれはフィクションだからであり現実でそのようなことはしないでね、のようなくどい表現や注意事項の列挙はせずに、端的だけど漠然とした表現でニュアンスを伝える。『細かいことは言わないけど言いたいこと分かるよね?』というまさに日本的な手段ではあるが、フレーズの響きが認められたのか、評判がとても良かったのである。


 この日を境に、本、雑誌、ネットニュースなど、途絶えていた情報提供媒体がエンタメを中心に徐々に復活することになる。

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