31. 【異】悪意の塊
部屋に入ると同時に突如消えたツクヨミ。
異常事態であるが、引き返したところで出口までたどり着けるとは思えず、キヨカ達は部屋に入るしか選択肢が残されていない。
「みんなはここで待っててね」
入り口付近にポトフを降ろし、子供達に待機するよう指示をしてからおそるおそる部屋の中へと足を運ぶ。
「……何もない?」
「……そのようだな」
ツクヨミが消えた辺りまで進んでも、何かが起こる気配は全くない。それならば何故ツクヨミは消えてしまったのか。その疑問に頭を悩ませていたキヨカ達だが、どれだけ部屋を確認しても答えは見つからない。
「進むしかないよね」
ツクヨミの言葉が正しければ、この部屋を抜けた先に出口があるはずだ。ツクヨミのことも気になるが、今は子供達を無事に外に連れ出すのが最優先。子供達を中に呼ぶ前にこの部屋が安全かどうかをより念入りに確認しようと動き出そうとした時、その人物は現れた。
「こんにちわ。キヨカさん、みなさん」
キヨカ達とは反対側の出入口からやってきた人物は、キヨカが良く知る者であった。
「セルティさん……」
孤児院の年長組。それもキヨカと歳が近いまとめ役のお姉さんだ。
キヨカが初めて孤児院に訪れた時に知り合い、以降は特別仲良く交流している相手。歳が近いこともあり毎回話が弾み、キヨカにとって友達とも言える相手である。
子供達にとってもお菓子作り以外は頼れるお姉さんであり、この出会いはとても嬉しいもの……とはならない。
「キヨカお姉ちゃん!そいつは偽物だ!」
「そうだそうだ!」
子供達は即座にセルティを偽物だと断定したのだ。
そしてキヨカ達も武器を構える。
「うん、分かってる。セルティさんがここにいるはずがない。今ごろ上で治療してもらっているからね」
実は国王達が館を探索中に操られたセルティと遭遇しており保護済みである。だからこそ、キヨカも目の前にいるのは偽物と断定した。
「違う、私は本当にセルティよ。そっちが偽物よ」
しかし目の前のセルティは簡単には偽物だと認めない。むしろ国王が助けた方が偽物ではないかと主張する始末。実際、キヨカはセルティが目を覚ました様子を確認しておらず、上に居たのが偽物である可能性は残されている。
「気が付いたらこの中にいたの。お願い、信じて!」
必死になってキヨカの説得を試みるセルティ。
そのセルティにキヨカは剣を突き付ける。
「上に居たのが本物かどうかは分からないけど、少なくとも貴方が偽物であることは間違いない」
「どうして!」
「もし貴方が本物のセルティさんなら、いの一番に子供達の心配をするに決まってるからだよ!」
キヨカは剣をセルティに向けて振り下ろす。
「くっ」
セルティはそれを後方に飛んで躱した。その動きは戦いの素人とは思えないものであった。
このセルティが偽物であるのは間違いないだろう。
「あ~あ、止め止め。どうして上手くいかないのかしらね」
キヨカ達を騙せないと悟った偽セルティの態度が変わる。これが素なのだろう。
「あなたが黒幕ね?」
「ふふふ、どうしてそう思うのかしら」
「これまで出会った偽物は、決められた人物になり切るか、意思を持たないかの二択だった。でもあなたには明確な自我がある」
前者は王都で子供達を攫った大人達。
後者は館で出現した木人形。
「そして何よりの理由は、あなたからはイルバースやウルガスと同じ得体の知れない気配を感じられるのよ!」
キヨカは二度の邪人との遭遇で、邪人には独特の存在感があることに気付いていた。人でもなく邪獣でもなく、人を害するという明確な意思を持った『悪意の塊』。目の前の偽セルティからもその気配が漂っているのだ。
「そういえばあなた達はもう二人も倒してるんだっけか。うーん、それじゃあ勘付かれても仕方ないか」
この言葉により、偽セルティが邪人であることが確定する。
「私はエマ。イルバースやウルガスと同類であり、貴方達人類の天敵。そして人族の子供をこの島に連れ去った黒幕よ」
三体目の邪人、エマ。
イルバースやウルガスと同様に、エマもまた人類を恐怖と絶望に染め上げるための策を練っていた。だが、キヨカはまだエマが何を目的としていたのかが分かっていない。
「あなたは一体何がしたいの?」
子供達を殺して悲しみを与える、子供達を攫って不安を与える。
それならば理由は明確だ。
だがエマは攫ったという事実を気付かれないように工夫していた。キヨカ達が人のすり替えに気付かなければ、誰もが島では平穏な生活が送られていると信じられたままであり、多くの負の感情を得られないのだ。
「子供達に危害を加えたり操り人形にするだけなら、わざわざこんなところに閉じ込める必要はない。王都から攫った時に何かをすれば良いんだもの」
「ここに籠城して王都の民に不安をもたらすというのも考えたが、それならばむしろ場所が分からず行方不明の方がより効果は大きい。やはりここに連れてくる意味が僕にも分からん」
その意味が分かったからと言って、この後の展開が変わるわけでは無いのだが、あまりにも不可解な敵の動きが気持ち悪かった。
「簡単なことよ。世界の真実について教えてあげようと思ったのよ」
「世界の真実?」
「何を戯言を」
世界の真実というあまりにも胡散臭い言葉が返ってきたため、キヨカ達はエマがまともに説明する気が無いのだと考えた。
だが、子供達は違う。思い当たることがあるのだ。
「道徳!」
「道徳?」
世界の真実とはこの島で行われていた授業、道徳の内容だった。
「大切なもののために行動するのは良い事である。全力で競い合うことは自らの能力向上に繋がる。心からの望みを叶えたいという想いは当然の感情である、とかね」
「キヨカお姉ちゃん!僕達そいつらに変な話をされて毒も飲まされておかしくなっちゃったんだ!」
「プーケが治してくれなかったら、多分みんなを傷つけてた!」
キヨカ達はまだ、子供達がこの島でどのような体験をしたのかを知らない。ここで初めて子供達に毒を盛るという非道を知り、怒りに震える。
「なんてことを!」
「この外道が!」
「酷すぎです!」
「潰しゅ」
すぐにでも戦闘が始まりそうな雰囲気に一変する。
「怒らないでよ。毒はあくまでも保険で、小さな体にも影響が残らない弱いものを選んだんだよ。こっちとしては私の話をあの子達が理解してくれた時点で目的は達成したようなものだったんだから」
「ふざけたことを!」
「ふざけてないよ。だって私の話は本当に当たり前のことばかりだったんだから。あの子達に聞いてみなよ」
「…………」
「まぁ、ちょっとばかり大げさにお話しちゃったけどね」
感情的には今にも斬り捨ててしまいたいのだが、『話をしたかっただけ』という主張がどうにも腑に落ちない。本当にその程度の事のためにここまで大げさな仕掛けを用意したのか、と。
「パパとママが生き返るなら、みんなと戦えって言われた!」
「シィ?」
それは、道徳の授業でシィに突き付けられた『悪意』
「ケントに勝つのは正しくて、えと、えと、相手が悔しがるのを喜べって言われた!」
「サイグールが勝って喜ぶのを怒れって言われた!」
「大人は大切なもののためなら戦争もするって言われた!」
そして子供達はその『悪意』の部分だけを的確にキヨカ達に伝える。子供達は、何が問題であるのかを感覚的に理解していた。つまりそれは『道徳観』が孤児院での生活の中である程度磨かれていたと言うことだ。
「そうか、貴様の狙いが分かったぞ!」
「セネール?」
全員がエマに対して怒りを覚える中で、ここにきてセネールの怒りの炎が一際大きく燃え、言葉遣いが荒くなる。
「貴様、子供達を洗脳するのが目的か!」
「洗脳?」
「子供達に誤った価値観を植え付けることで、将来的に社会全体の価値観を壊そうという目論見なんだろう!」
そう、それこそがエマの目的であった。
この世界の人間は高潔で心が強い。
地球で定義される犯罪が行われることなど稀であり、誰もが他人のことを想いやり、辛いことがあっても仲間と協力して乗り越える心の強さを持っている。
ゆえに、ちょっとやそっとの揺さぶりでは負の感情をほとんど得られない。例え大きな事件を起こして一時の大量の負の感情を得られたとしても、すぐに立ち直るため負の感情を継続して得られない。
だが、子供達は違う。
成長過程の子供達は形の無いキャンバスのようなもの。そこに『悪意』を刷り込むことで、弱みのある人間へと変えてしまおうとしたのだ。
しかもエマの策のえげつないところは、その『悪意』が一見して『悪意』に見えにくいところだ。正論にほんの少しアクセントを加えるだけ、という絶妙な匙加減でその『悪意』を当たり前のこととして刷り込ませようとしたのだ。毒を使って信じさせやすくはしたが、それがなくとも『道徳の授業』だけで時間があれば十分狙いは達成できたであろう。
「洗脳だなんて人聞きが悪いわよ。私はただこの世の中で大人が隠している当たり前のことを子供達に伝えようとしただけよ」
「貴様は絶対にやってはならないことをした。子供は国にとって、世界にとって次世代を担う宝だ。それを狂わせようとするなど、国に関わるものとして絶対に許すわけには行かない!」
「同感でしゅ。しゃっしゃと滅ぼしゅでしゅ」
国を守る立場ある者としての義憤に駆られるセネールとマリー。
一方、キヨカの反応は全く異なるものだった。
「あははは!」
「キヨカくん?」
先ほどまで怒り狂っていたキヨカが笑っている。
笑いがこみ上げる程怒っているわけではなく、純粋におかしかったのだ。
「なぁんだ。結局何一つとして成功しなかったってことなんだ。あなたのくだらない嘘なんて、子供達ですら騙せない幼稚なものなんだね」
「なっ……!」
「そういえばこの迷宮でも色々とみんなに手を出したみたいだけど、それも全部失敗したんでしょ?あはは、うっけるー」
道徳と称して子供達に『悪意』を植え付けようとしたこと。
毒を使って『悪意』を固定させようとしたこと。
迷宮内で仲間への不信感を植え付けようとしたこと。
仲間を見捨てて逃げ出したことによる罪悪感につけこもうとしたこと。
これらの全てが、大人が何かをするまでもなく、子供達の手で破られたのだ。
『悪意の塊』である邪人の企みが、子供には通用しなかった。
その事実がキヨカにとってはあまりにも痛快で笑わずにはいられなかったのだ。
「…………キヨカああああ!」
そして、それこそがエマに最大の精神的ダメージを与える反応であった。
エマの行動に怒ると言うことは、エマがそれだけ相手を困らせる意味のある行動が出来たと証明するようなもの。
だがその行動の全てが無駄だったと笑い飛ばされれば、否応が無しに失敗した事実を認識せざるを得ない。しかも幼稚だとすら侮辱され、反論すら出来ないのだ。長い時間をかけて実行した計画をここまでコケにされて冷静でいられるわけが無い。
「怒ってる怒ってる。まぁ、怒ってるのはこっちも同じと言うか、それ以上なんだけどね」
ひとしきり笑って満足したら、後に残るのは最初に感じた怒りのみ。
言葉による戦いは終わり、いよいよエマとの戦いの時が迫る。
だがその前に、もう一つだけ聞いておかなければならないことがる。
「ツクヨミさんをどうしたの」
「…………ふふ」
何がおかしい!などと声を荒げはしない。
それこそ相手の思うつぼで喜ばせるだけだ。
「おかしいとは思わなかったのかしら。どうしてあなた達が今ここで私と相対しているのか」
「どういうこと?」
「ふふふふ、あーっはっはっはっ!これは傑作だわ!この状況でまだ信じているなんて!」
正直なところ、キヨカ達はエマの言わんとしていることは分かる。
実際、ツクヨミが消えて偽セルティがこの部屋にやって来た時に、その可能性が頭をよぎったのだ。
「いいわ、教えてあげる。ツクヨミはね……私達の仲間よ」
その言葉を合図に、エマの体から大量の暗闇が放出され、キヨカ達の視界は完全に塞がれてしまった。
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