29. 【異】ポトフの戦い

 ポトフが生きる理由はキヨカが全てであった。


 とは言っても、キヨカ以外の全てを切り捨てるというわけではない。


 この世界に生を受けた直後こそ感情が乏しかったが、様々な経験を経て多くのことに興味を持ち、好きなものも増えた。例えば最初に『美味しい料理』という大きな刺激を受けたことで、食べることはポトフが生きる大きな楽しみとなっている。


 人付き合いも決して興味が無いわけでは無く、旅をして多くの人と触れ合うことで、キヨカやセネールを弄るなどの人間味あふれる面が少しずつ増えて来た。


 だが、それでもポトフはキヨカのために生きていたのだ。


 キヨカを守り、慈しみ、フォローし、傍に寄り添う。

 それこそが自分が生まれた理由であるとポトフは自覚しており、その使命に身を委ねることがとても心地良かった。


 世界中の全てがキヨカの敵になったとしても、自分だけは無条件でキヨカの味方であり続け、生を終えるまで尽くすことが当然のこと。それ以外のことについては『大切の範囲外』だった。


 仮にセネール、ケイ、マリー、あるいは他の仲良くなった人たちの命が失われそうになったとしても、ポトフはキヨカの命を守ることを最優先とする。キヨカまでも死の危険があるのであれば、キヨカの指示を無視してでも他人を見捨てることは当然のことである。


 それほどまでに、ポトフにとってのキヨカは別格であり、他の全ては比較対象にすらならない。


 それがこの世界におけるポトフという人物の在り方である。




 その在り方が崩れたのは、突然の事であった。


 話の流れでキヨカと一緒に孤児院に訪れることになったポトフは、特に何かをしたわけでも無いのに、そこに住む子供達に慕われた。裏表のない無邪気な笑顔でポトフを振り回す子供達を相手にしているうちに、自分の胸の内からこれまで感じたことの無い感情が湧き上がってくる。


 愛おしい、と。


 この気持ちは、キヨカ相手に感じる愛おしさとは全くの別物であった。むしろ、愛おしさという面で言えばキヨカ相手よりも強く大きいのだ。


 ポトフは動揺した。


 自分はキヨカのためだけに生きる存在だと思っていたにも関わらず、全く別の対象に対してこんなにも強く愛する気持ちを抱いてしまったことに。


 一旦、愛情を自覚してしまえば放っておくことは出来ない。子供達の所へ頻繁に訪問し、絆を育み、更に愛情が深まって行く。


 子供達が健やかに育ってほしい。

 自分がその未来を守りたい。


 守らなければならない、ではなく守りたい。


 自発的に生まれた温かな想いがポトフの胸を占め、子供達との触れ合いにどんどんとのめり込む。


 そして訪れた子供達の危機。

 強い不安と悲しみがポトフの感情を揺さぶり、いつも通りの冷静さを保つことが出来ない。少しでも気を抜くと暴走して子供達の元へと走り寄ってずっと抱きしめていたくなる。


 実際、島に避難した子供達に危険が迫っていると知った時から、ポトフの記憶は曖昧だ。辛うじて自我を保てていたようだが、いつ感情が爆発してもおかしくない状況だったのだ。


「(セグ、プーケ、マロン、ケント、サイグール、シィ、みんな!)」


 何度も何度も心の中で子供達の名前を叫び、どれだけ手を伸ばしても届かない白昼夢にうなされ、ときおり漏れ聞こえて来るキヨカの声によりギリギリで現実に引き戻される。


 ふと、声が聞こえた。


 あまりにも会いたくて会いたくて、無事でいて欲しいと願い続けていたからこそ聞こえてしまった幻聴かもしれない。だが、ポトフはもう我慢の限界であった。


 自分はキヨカのための存在だ。

 その自己の存在理由を置き去りにして、ポトフは心が望むままに走り出した。


 自分がどこを走っているのかなど、最早理解出来ていない。


「セグ!プーケ!」


 迷宮をひたすら走り、子供達の名前を呼び続ける。


「マロン!シィ!」


 ツクヨミが並走し、時折遭遇する邪獣から守ってくれていることなど、もちろん気付いていない。


「ケント!サイグール!」


 同じところを繰り返し走ったかもしれない。

 何度も行き止まりにぶつかり引き返した。

 分岐があっても迷う時間がもったいないとばかりに適当に選んで進む。


 愛しい子供達を想う力ゆえか、あるいはこれもまたゲーム的な設定によるものなのか、ポトフはついに子供達が閉じ込められているらしき部屋の前に辿り着いた。中から子供達の声が聞こえ、何かに襲われているようだ。


「えい!えい!えい!」


 ポトフは杖で岩を叩くが、びくともしない。

 早く中に入らなければ。

 焦るポトフの耳に、マロンの声が聞こえて来る。


 どうやらこの岩の下には穴が空いているとのこと。


 しゃがんで確認すると、確かに部屋の中に入るための穴があった。だがその穴は小さく、成長した今のポトフでは通れない。奥歯を強く噛みしめたポトフだが、脳裏に閃きが走る。


 自分なら通れるではないか、と。


――――――――


「まにあった」


 部屋の中に突入したポトフは、間一髪のところで子供達の前に飛び出した。今にも攻撃しようとしていた狼は、予想外の闖入者に驚き攻撃を止めて後ずさった。


「ポトフお姉ちゃ……ん?」

「ポトフ姉だよ……ね?」

「え……偽物?」

「でも守ってくれてるぜ?」


 危機一髪で助けが来たことの驚きと安堵。

 そしてそれが見知った後ろ姿であることの喜び。


 子供達の感情が爆発しそうになったのだが、あまりにも奇妙な違和感がその感情を上回った。ポトフの背中にかけられた声が疑問だらけなのは、ポトフの姿が普段とは少し異なるからだ。


 二章の王城イベントをクリアし、ポトフは更に成長した。本来の姿は小学校高学年くらいの体格であり、セグ達よりも大きなお姉さんだ。だが同時にポトフは自らの体格を変化させる技を覚えていた。過去に経験したことのある姿であれば自在に変更できる。それを使って、普段は二章の時の姿、すなわちセグ達と同年代くらいの姿で過ごしていた。


 ポトフはこの部屋に入るにあたり、もっと体を小さくすればよいのだと気付いた。すなわち、キヨカと最初に出会った頃の姿に。今のポトフの姿はシィと同じくらい小柄だったのだ。子供達が戸惑うのも当然。


 そんな子供達の疑問の声など、精神が昂っている今のポトフには聞こえてこない。目の前の狼を排除することしか頭に無いからだ。


「みんなを傷つけようとした。絶対に許さない!」


 ポトフには攻撃手段が無い。

 相手がアンデッド系であれば回復魔法を使ってダメージを与えられるかもしれないが、相手は獣。杖で殴るにも非力なポトフでは到底まともなダメージを与えることは出来ない。


 だが、そんなことは怒り狂ったポトフにはどうでも良いことだ。


 大切な大切な子供達を傷つけようとしていた相手をぶちのめすこと以外は頭にない。


 ポトフは体中の魔法力を高めて行く。本来であれば回復にしか使えないはずのその力を、怒りに任せて強引に放出する。




 それは、この世界のルールから逸脱した現象であった。




 このゲームの設定には決して組み込まれていなかったその現象を、ポトフは怒りに任せて強引に発動した。


「えい!」


 ポトフが右手に持った杖を高く掲げると、ポトフの前方に無数の物体が出現する。


「お菓子?」

「あれ私が好きなやつー」

「うおーでっけぇペロキャンがあるぜ」

「俺一度あれ食べてみたかったんだよなー」


 緊迫した場面には似つかわしくない平和的な物体。


 お菓子。


 複数のお菓子が宙に浮いているのだ。

 だが、それは見た目によらず、紛れもないポトフが生み出した新たな攻撃手段。


「行けー!」


 ポトフが杖を振ると、お菓子の集団が狼へと向かって飛び掛かる。

 すると、触れたところが爆発した。


「グオオオオオオ!」


 機雷となったお菓子を喰らい、体中にダメージを受けた狼はその場に倒れた。


「はぁっはぁっはぁっはぁっ」


 ここまで全力で走ってきたこと、そして魔法力を全力でぶっぱなしたこと、そしてここに至るまでの精神的な疲労。


 ポトフはすでに体力的にも精神的にも限界が近かった。


「やったああああああああ!」

「助かった……の?」

「ポトフさん!」

「ポトフお姉ちゃん!」

「ポトフ姉!」


 だが背後で喜ぶ子供達の声を聞き、活力が湧いて来る。


「みんな、良く頑張ったね」


 くるりとうしろを向いたちびっこポトフは、慈愛の眼差しで子供達を褒め讃えた。


『うわああああん』

「ちょ、ちょっと!」


 子供達に全力で抱き着かれて、床に押し倒されてしまう。

 ひたすらに泣きじゃくる子供達を順番に撫でながら、もう大丈夫だという気持ちを優しく伝えてあげる。


 これまで頑張ってあまり泣かずに孤独や恐怖と戦い生き延びて来た子供達。

 最も信頼できるお姉ちゃんが助けに来たことで、感情のタガが外れてひたすらに涙を流す感動のシーン。


 だが、この悪辣なる迷宮は、そのような再会を歓迎してはくれなかった。


「みんな、ごめん!」


 一早くその事態に気付いたポトフは、子供達をあやすのを止め、立ち上がり杖を構える。


「絶対に、絶対に守り切る!」


 上空の通路から、獣『たち』がやってきたのだ。




「ええええい!」


 押し寄せる獣の群れを、お菓子爆弾で薙ぎ払う。

 子供達に絶対に近づかせないという気迫を漲らせ、群れとも言えるほどの獣の大群を押しとどめる。


 何度も接近を許し、攻撃を受け、体中が傷だらけだ。


 だが倒れるわけには行かない。

 ここでポトフが倒れれば、子供達がどうなるかなど分かりきっている。


 例え自らの命が潰えたとしても、ここですべての獣を撃破しなければならないのだ。


「ぐうっ……邪魔っ!」


 肩口を咬みつかれて痛みに顔を顰めるが、至近距離からお菓子爆弾を喰らわせて吹き飛ばす。あまりにも近いため爆風によるダメージは自らの体にも及ぶ。


「お姉ちゃん!お姉ちゃんが死んじゃう!」

「いや、いやああああ!」

「ポトフ姉!」


 その姿を見た子供達が、悲壮な声を上げる。

 守られるだけで何も出来ないことを、大切な人が自分達を守って死にそうになっていることを、悔しくて悲しくて涙が止まらない。


 だがポトフは決して自らを回復することは無い。

 尽きることなく補充される獣たちを一匹でも多く倒すために、魔法力は全て攻撃に使うと決めていたからだ。


「だい……じょう……ぶ……だか……ら」


 子供達を振り返り、この程度の傷などどうとでもないとでも言いたげな表情で笑顔を浮かべ、落ち着かせる。


 そんなことをしている暇などもちろんなく、子供達のためのその行動による隙を逃さず狼はポトフに襲い掛かり押し倒す。


「重い……どけ!」


 ほぼゼロ距離でのお菓子爆弾で、強引に獣たちを引きはがす。

 だがもうすでに体は満身創痍。

 辛うじて起き上がるものの、全身に力が入らず立っているのもやっとの状態。


 まだ獣は上から降りてきている。


「しつ……こい……」


 力なく杖を振り上げ、再度お菓子爆弾を出現させようとしたポトフだが……


「…………あ」


 ついに魔法力が尽き、お菓子は出現しなかった。

 獣達はポトフの様子からその事実に気付いたのか、口元を歪ませ嗤った。


 先ほどまでの畳みかけるような攻撃が止み、これまでの仕返しとばかりにたっぷりと恐怖を刷り込ませるためにじわりじわりと距離を詰める。


「……絶対に……これ以上……進ませない!」


 ポトフは一歩も退かずに、杖を構える。

 魔法力が無いのなら、物理的に戦うしかない。


 万全の状態ですら殴って一匹倒せるかどうか分からない。

 それだけ非力なのを知っていても、攻撃する意味が無いと分かっていても、ポトフは引き下がるわけには行かなかった。


「はぁっ……はぁっ……はぁっ……はぁっ……」


 多量の出血によるものか、息があがり、目が霞み始め、子供達の声も徐々に聞こえなくなる。


「ぜ……ったい……に……」







「疾風!」

「ライトニングボルト!」

「ベノムミスト!」

「トマホーク!」


 意識が消えかかる間際にポトフが目にしたのは、獣たちが吹き飛ぶ現実感の無い風景。

 そして最愛の人の声であった。


「良くがんばったね」

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