28. 【異】まにあった

 子供達は偽物を見破り、また一人迷宮を彷徨う。

 道中で次から次へと偽物の仲間に遭遇するがその全てを見破った。


 だが、本物に出会えないことによる不安が徐々に心を圧迫する。

 このままずっと一人で迷い続けるのではないか。

 そんな考えが頭をよぎり、恐怖に負けそうになるギリギリの状態。


 そんな時、迷宮内でこれまで訪れた中で最も広い円形状の部屋に辿り着いた。

 部屋には多くの出入り口があり、その中で対角線上に位置する二か所から子供が入って来る。


「ケント!」

「サイグール!」


 同時に部屋に入って来た二人は、相手の姿を確認すると笑顔になって走り出す。


 そして部屋の中央付近で接近した二人は全く同じ行動を選択した。


「へぶっ」

「ぎひっ」


 全力の右ストレートをお互いの頬にぶち当てたのだ。右腕が綺麗にクロスする。


『いってええええ』


 子供の力とは言え、当然痛い。殴られた頬も、殴った拳もだ。

 痛む場所を左手で交互にさする二人は、痛みがひくと相手に掴みかかる。


『何しやがる!』


 胸元を掴み合い、一触即発のにらみ合い。

 そんな時間はすぐに終わりを告げた。


『ぷっ……あはははははははは』


 これまた同時に吹き出し、腹を抱えて地面を転がりながら全力で笑い出したのだ。


「サイグールだ。本当のサイグールだ」

「やっと本当のケントだよ」


 この二人、相手が偽物かどうかを判断する基準が、殴った時に殴り返してくるかどうか、だったのだ。ようやく『らしい』反応が返って来て、ほっとする。笑いながら流す涙は、大切な仲間が無事だったことと一人の時間が終わったことの安堵、その両方によるものだったのだろう。


「あははは、サイグール何泣いてんだよ!」

「そういうケントだって!」

「俺泣いてなんか……あれ、泣いてた。あはははは!」

「あははは!」


 不安と恐怖による心の痛みも、歩き続けたことによる体の疲れも、何度も殴りかかったことによる拳の痛みも、今この瞬間だけは消え去った。人は魔法など使わなくとも信頼できる仲間に出会ただけで回復できるのだ。


「なーに馬鹿なことやってんのよ」


 寝転がっているケント達に頭上から声がかけられた。


「げっ、プーケ」

「また偽物かよー」

「失礼ね。本物よ。あんたたちは……まぁそのバカ騒ぎは本物かな」


 そう言いながら、プーケはケント達に近寄って彼らの傷を癒すべく回復魔法を唱えた。


「ヒール」


 落とし穴を落下した時の擦りむきや、偽物を殴った時の拳の痛み、そして先ほど殴られた頬の痛みなどが癒えてゆく。


「これって本物ってことだよな」

「だと思う」

「なんでそう思ったの?」


 プーケは別段特別なことはしていない。ケント達が本物であることはじゃれついている様子を見れば明らかだと思ていたのだが、自分が本物であるとどうやって信じて貰えばよいか分からず悩んでいた。だが、そんな悩みはどこ吹く風であっさりと信じて貰えたのが不思議だった。


「プーケ優しいからな」

「すぐに回復してくれるのってプーケらしいもん」

「あ……あはは……」


 思わぬ判断基準にプーケガチ照れである。

 子供ながらにフラグを立てたおバカコンビ、侮れない。


 そしてセグ、マロン、シィも同様にこの円形広場に集まり、偽物か本物かを確認し合った結果、全員が本物と分かった。


――――――――


「これからどうしよう」


 全員が自分の体験を面白おかしく共有し、いつもの空気が戻ってきたところで、改めてセグが今後の方針について口火を切った。


 今の居心地の良さが崩れるのが嫌で、また、迷宮で迷子になっていることを思い出すのが嫌で、本能的に話題にするのを避けていたのだろう。そのような言いにくいことを素直に表現出来るのはセグの良いところでも悪いところでもある。


 子供達は話し合った結果、自分達が来た方向には出口が無さそうであるため、誰も進んでいない道に進むことに決めた。都合よく、一か所だけ誰も出てこなかった出入り口があったのだ。明らかに不審であるのだが、子供達はそのことに気付いていない。


「それにしても、シィのぬいぐるみは助かるよ」

「うん、それで偽物が分かるなんてすごい」

「パパとママのおかげ」


 自分の両親が褒められたようでどことなく得意げなシィであった。少し前までは両親の話が出ると暗くなって自分の殻に閉じこもっていたのだが、いつの間にか楽しく話が出来る程度には成長していたようだ。


「だからって乱暴に扱っちゃダメだからね。特にケントとサイグール!」

「分かってるよ!」

「そうだそうだ、俺はケントと違うからでりけえとに扱うもんね」

「何だと!……でりけえとってなんだ?」

「やったケントが知らない言葉だ」

「くっそおおおお!なんだよそれー教えろよー」


 などと、和気藹々に迷宮を歩く子供達一行。


 すでに長く歩いていて疲労が溜まっているはずだが、誰一人として泣き言を漏らさない。仲間と一緒に居ると言うことは、それだけで力になるのだ。


 そんな一行が、ある部屋に辿り着いた。

 その部屋は多少走り回るには十分な広さがある。

 左右の壁の上方を見ると、三メートルほどの高さのところに別の所へ通じる道がある。もちろん高すぎて子供達はそちらへ進むことは出来ない。


 マロンが部屋の様子を確認するが、それ以外に特徴らしい特徴は無い。入ってきたところ以外の出入り口は上方の通路しか無いため、子供達にとっては行き止まりだ。


「先に進める道が無いみたいだね。戻ろうか」


 そうして来た道を戻り、途中にあった別の分岐を進もうと考えた子供達。だが、突如部屋の中に爆音が響き、視界を覆う土煙が舞い、強烈な揺れに立っていることもままならず、子供達は座り込んだ。


「わっわっ!何々!?」

「もういやーーーー!」

「わーーーーーーーーん」


 仲間が居ることで辛うじて保たれていた緊張の糸が、切れかかっていた。


「けほっ、けほっ」

「なんなんだよー」

「みんな手を離さないでね」


 何かあったら近くの人と手を繋ぐ。

 マロンはそう決めることで、偽物と入れ替わるのを防ごうと考えたのだ。


 実際に、全員が手を繋ぐだけではなく体を寄せ合って耐えていた。もう、仲間と離れ離れになるのは絶対に嫌なのだ。


 しばらく待つと音も震えも消え、土煙が晴れる。


「入り口が!」


 入り口が巨大な岩によって塞がれていた。機械的な雰囲気の迷宮の中で明らかに不自然な自然物。閉じ込めるだけならば鉄格子でも良さそうなところ、あえて岩であるところに大きな意味があった。


「どうしよう、どうにかしてあの上から出……」


 マロンが壁の上にあった通路を見上げたところ、恐ろしいものが目に入る。


「みんな、立って下がって!」


 まだへたり込んでいる仲間もいるが、マロンは慌てて立ち上がるように促し、ソレからなるべく離れるように部屋の隅へと移動した。


「グルルルル!」


 上方の通路から出現したのは、一匹の狼。それが高さ三メートルの段差などものともせず、部屋の中に降りて来た。


「いやああああああああ!」

「誰か助けてええええええええ!」

「うわああああん!」

「うわああああん!」

「みんな、焦っちゃダメだよ。焦っちゃ……ぐす」


 パニックになる子供達。

 当然である。ここにきて明確な獣という恐ろしい敵が自分達を害そうと迫ってきているのだから。恐怖で漏らし、動けなくなってもおかしくは無い。


「みんなに悪いことしないで!」


 そんな状況の中、勇敢にも前に出て狼と対峙したのは、シィである。シィは唯一『悪者』を退治できるクマのぬいぐるみを持っている。それが幼いシィの心を奮い立たせた。


「シィ!ダメ!」


 泣き叫んでいた子供達はシィの行動を見て我に返る。いくらぬいぐるみに何らかの力が込められていようとも、狼にまで効くはずがないと思っていたからだ。だが、プーケが叫ぶもののもう遅い。


 狼は前足をシィに向けて振り上げ、突き出されたぬいぐるみを部屋の隅へと弾き飛ばした。


「……え?」


 自分を守ってくれると信じていたくまのぬいぐるみがあっけなく敗れ去った現実を、そして遠くに落ちているそのぬいぐるみが狼の爪によってズタズタになっていることを、受け入れられなかった。


 両親の形見の無残な姿を目にして、シィはその場にペタンとへたり込む。


 目の前にいる狼は、その姿を見て口元を歪めている。


「こ、こっちだ化け物!」

「おま、おまえなんか、こわ、怖くないぞ!」


 このままではシィが食われてしまう。

 そう思った子供達は恐怖に耐えて行動を開始する。


 ケントとサイグールが狼の後方に回り挑発する。それが狼をシィから離れさせるための行動だと狼は気付いていたが、敢えてその策に乗った。そして怯えながらも挑発する二人をゆっくりとゆっくりと追い詰める。狼の狙いはたっぷりと恐怖を刷り込ませて甚振ることのようだ。


「シィくん!大丈夫?」

「お父さん……お母さん……」


 プーケとセグがシィのもとに駆け寄るが、シィはぬいぐるみを見つめたまま呆然としている。目の焦点が合っておらず全く反応しない。


 ケントとサイグールが狼をひきつけ、プーケとセグがシィの様子を見守っているこの状況で、マロンは一人打開策を考えていた。狼だけではなく、部屋中を観察し、シィのぬいぐるみの状況も把握する。


「もしかして!」


 そしてある場所を見て重大なことに気が付いた。


「プーケ!セグ!シィをこっちに連れて来て!」


 マロンは三人を岩で塞がれた入口へと誘導する。その言葉を聞いた狼はにやりと口元を歪めたが、ケントやサイグールは気付いていない。


 プーケとセグはシィの肩を支えて無理矢理動かし、マロンのいる場所まで移動する。

 マロンはシィを優しく抱きしめ、声をかける。


「シィ、守ってあげられなくてごめんね」


 自分の熱をマロンに与えるかのように、胸を突き合わせて自分の心臓の鼓動を伝えるかのように、しっかりと抱きしめて生きることで発生する何かをマロンは無意識のうちにシィに感じ取らせようとしていた。


 自分もシィもまだ生きているのだと、実感してもらうために。

 ここで呆けて終わってしまうのは、シィの両親が決して望んでいることでは無いと気付いてもらうために。


「……マロン……お兄ちゃん」


 そのマロンの想いが通じたのか、シィが反応を返した。

 このままマロンの悲しみや寂しさをゆっくりと癒してあげたいところではあるが、そんな時間は無い。マロンは現実に戻って来たばかりのシィにお願いをする。


「シィ、ここから逃げるんだ」

「ふぇ?」


 マロンが指さした場所は、入り口を塞ぐ岩の下。そこには外につながる小さな空間が開いていた。だがその空間はあまりにも小さく、小柄なシィくらいしか通れそうにない。


「はい、シィ」


 マロンがシィをあやしている間に、プーケは遠くに飛ばされたボロボロのぬいぐるみを取りに行った。狼は敢えてマロン達をスルーして、ケント達を甚振る体である。


「シィくん、ここから逃げて助けを呼んで来てね」

「うん、僕たちは大丈夫だから。ほら、ケントもサイグールもまだ無事だろう。だから安心して」

「このぬいぐるみが、お父さんとお母さんがシィくんを絶対に守ってくれるから」


 決して不安にさせないように、三人は優しい笑顔でシィを逃がそうとする。どれだけ怖くても、『弟』の前では決して弱みを見せられない。それがお兄ちゃんやお姉ちゃんなのだ。


「助けを……」


 シィは三人の勧めに従い、体をかがめて穴に入ろうとする。


 しかし、そこまで。


 それ以上、体は言うことを聞いてくれない。


 シィの脳裏に浮かんだのは、最後の漁に向かう両親の姿だ。

 手で頭を優しく撫でてくれた父と母は、今のマロン達と同じように慈愛に満ちた温かな笑みを浮かべていたのだ。


 そのことに気が付いた瞬間、両親の形見が壊されたことによるショックから抜け出せ切れていなかったシィの意識が本格的に覚醒した。

 

 もう二度と、あんな思いはしたくないと、シィは強く強く願ったのだ。


「お兄ちゃん、お姉ちゃん、僕も残る」

「シィ?」

「お願い、シィくんが助けを呼んで来てくれないとお姉ちゃんたち危ないの」


 シィを逃がすためにプーケが方便を使っても、今のシィには効果が無い。

 それが嘘であると本能的に理解しているのだ。


「ごめんなさい。僕、もう大好きな人がいなくなるの、嫌なの!」


 その決意に満ちた強い目を見たマロン達は、何も言うことが出来なかった。


 ここで狼の動きが変わる。

 苛立ちを露わにし、これまでじわじわと追い詰めるような動きを止めて移動スピードが上昇し、ケントとサイグールをマロン達の居る場所へと誘導する。子供達はバラバラに逃げようとするが狼はそれを許さず、全員を入口の岩の前に追い詰めた。


「やっぱりシィくん、ここから逃げて!」

「そ、そうだ。シィだけでも逃げるんだ」

「お、おお、俺達のことは気にするな!」

「ううん、ダメだよ。それよりマロンお兄ちゃん、これを使ってなんとかならない?」


 狼の狙いは、激しく追い詰めることでシィを外に逃がす雰囲気を後押しすることだ。だが、その意図に反してシィは残り、しかも諦めずにぬいぐるみを使って撃退出来ないかマロンに相談する始末。


 狼が何故シィを外に逃がそうとしていたのかは分からない。悪辣なる罠がしかけられている迷宮内、子供達の仲を裂き、悪い大人に成長させるための仕掛けが外に用意されているのかもしれない。だが、その狙いは失敗したのだと狼は理解し、ついに本格的に子供達を始末するよう方針を変更する。


 ぬいぐるみを盾にしながら、震えながら固まる六人。


 絶体絶命のピンチ。


 狼はまずは誰を切り裂こうかと狙いを決め、鋭い爪がきらめく前足を振り上げた。












「まにあった」


 その攻撃が放たれるギリギリのタイミングで、『みんなのお姉さん』が子供達を守るべく狼の前に立ち塞がった。

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