27. 【異】絆の育み方

 子供達を分断して偽物をあてがうことで疑心暗鬼を齎す悪辣な罠。


 これ単体ではその場限りの混乱を発生させるだけであり、迷宮脱出後はせいぜい仲が多少悪くなる程度であろう。


 だがここに『道徳』が加わると意味が大きく変わる。


 相手に負けないために必死になることは正しいと諭されたケントは、命の危険を押し付けてでも勝利にこだわることは正しいと感じるかもしれない。

 心から誰かのためを想う行動であるならば誰かが傷つく行動は必ずしも間違いとは限らないと、戦争を例に説明されたセグは、自らを迷わず傷つけみんな守ろうとするプーケの姿を正しいと感じるかもしれない。

 自分が心から欲する物のために大切な人とそれを奪い合うのは人として間違いでは無いのだと告げられたシィは、人として最も大切な自分の命を守るために仲間を置き去りにすることがあり得ると考えるかもしれない。


 島に来る前の子供達なら考えることすらありえなかった。だが、講師の道徳観を釈然としないながらも一度は納得しかけてしまった今、その考えが正しい事であるとほんの少しでも信じてしまえば、後は実例をもとに少しずつその『毒』を広げていけばよい。


 子供達をこの迷宮に誘った何者かは、リアルの毒が解除されてもなお、思考に埋め込まれた毒を利用して洗脳を続ける。例え自分が倒されたとしても、この毒が後々世界を汚染すると信じて。


 だが、その狙いは上手くはいかなかった。

 子供達はその毒に抵抗する薬をすでに入手していたのだ。


――――――――


「お前、サイグールじゃないな!」


 ケントは立ち上がり、サイグールを強くにらみつける。


「はぁ?何言ってるんだよ。俺はサイグールだよ」

「違う!サイグールはあんなことはしない!」


 あんなこと、が何を指すのか。

 実は言っているケントにも良く分かっていない。


 囮にした行為そのものが、サイグールが思い付きそうにないものと感じたのか。

 それとも行為の卑劣さに違和感を得たのか。

 はたまたいつも『二人』で競っていたのに『一人』だけ助かろうとしたことが信じられなかったのか。


 おそらくこれらすべてをごちゃまぜにした漠然とした感覚で否定したのだろう。


 つまりは、『なんとなく』違和感があったのだ。


「なんで俺が嘘つきなんだよ!そんなこと言うなんて、ケントってそんな嫌な奴だったのかよ!」


 逆にケントを詰るサイグールだが、ケントは怯みはしない。


「うわああああああああ!」

「がっ」


 勢いよく右こぶしをサイグールの頬に叩きつけたのだ。

 サイグールはよろめき、信じられないものを見たような顔になり、そして……


「わーん!ケントがぶったー!」


 その場にへたり込んで泣き始めてしまった。


 ケントを動揺させるための罠か、それとも実は本物だったのか。


 だが、リアルに泣く姿を見せつけられてもなお、ケントは折れなかった。

 むしろサイグールが泣いたことで疑いは更に深まった。


 先ほどまでの漠然とした違和感では無く、子供であるケントですらはっきりと分かる明確な違和感。ずっと一緒に暮らして来たからこそ分かる違い。


「やっぱりお前はサイグールじゃない。サイグールなら、泣く前に絶対に俺に反撃してくるもん!」

「わーん!わーん!」


 ケントの糾弾にさらに泣き声が強くなるサイグール。

 だが、泣けば泣く程、普段のサイグールとの違和感が強くなる一方だ。


「この偽物め!あっちいけ!」

「わーーーーん!」


 ケントの表情が段々と自信に満ち溢れ、そのことを感じ取ったのか、ついにサイグールは正体を見せた。


「うわ!」


 姿形がドロリと溶け、現れたのは子供サイズの木人形。武器は持っていないが、人が姿を変えるおどろおどろしさにケントは恐怖し、その場から逃げ出した。


「うわああああああああ!」


――――――――


「あなた誰?プーケじゃないよね」

「あはは、セグったら変なこと言うね」


 どうしてそんなことを言うのかと不思議そうな表情で首をかしげるプーケ。その姿はあまりにも普段のプーケにそっくりだが、セグは退かない。


「プーケはポトフさんの言いつけを破ったりしない!」

「それは私だって気になったよ。でも、この状況じゃあしょうがないもん」


 プーケの言葉は正しい。

 それが、本当に悩んだ末の言葉であるのならば。


「ううん、プーケは全く迷ってなかった。ポトフさんの言いつけなんか最初から忘れてたみたい。それだけはぜっっっったいにありえない!」


 そう断言できる程度には、傍から見てもプーケがポトフのことを尊敬しているのが分かっていたのだ。それなのにポトフの気持ちを蔑ろにするなど、考えられない。


 ここでセグに一つの問題が生じる。

 目の前のプーケが偽物だったとして、自分はどうすべきか。


 攻撃手段の無い非力な女の子であるセグは、このまま引き返して逃げるのが一番良い方法だ。だが、目の前には攻撃魔法が覚えられるという巻物がある。あれが本物かどうかわからないけれども、もし目の前の偽物がそれを手にして本当に攻撃魔法を使えるようになったらとても危ないことになる。


「わああああああああ!」

「え、ちょっと!」


 セグは祭壇に突撃し、プーケが手に取ろうとしていた巻物を奪い取った。


「セグ、返してよ」

「ダメ、絶対にこれは渡さない」


 巻物を手に、セグは後ずさりプーケから距離を取ろうとする。


「分かったよ、セグ。それじゃあセグがその巻物を使って覚えれば良い。助かるなら私じゃなくても良いもんね」


 私が巻物に強く惹かれているから疑っているのでしょう。

 プーケはそう言っている。


「やっぱり変だ。こんなに簡単に魔法を覚えるチャンスを手放すなんて、それもプーケらしくない!」


 プーケがポトフのことを尊敬しているのと同様に、プーケの魔法にかける憧れもまた孤児院の誰もが知る事であった。例え緊急事態とはいえ、全くの迷い無しにチャンスを譲る事もまた考えられないことだった。


「こんなのこうしてやる!」

「ダメ!」


 セグは巻物をビリビリに破いた。古い紙で出来ていたからか、子供の手でも簡単にバラバラにすることが出来た。


「あ……あ……なんてことを」


 プーケは飛び散る紙片を虚ろな目で眺めている。


「なんてこと……を……なん……て……なな……なん……て……なななな……なななななななな」

「ひいっ!」


 そしてプーケだったものは、壊れた機械のように呂律が回らなくなり、どろりと溶けて木人形へと姿を変えた。


「うわああああああああ!」


 それを見たセグは、その場から走り逃げ出した。


――――――――


「マロンお兄ちゃんじゃない!」


 シィは他の二人とは少し違った。

 他の二人は少しばかり逡巡したが、シィはマロンが偽物であるとすぐに断定し、まったく迷うことなく糾弾したのだ。


 幼いが故か、それともマロンが『仲間を見捨てる』という他の二人よりも明確に残酷な行為をしたからか。


「何を言ってるんだ、シィ」


 優しい表情を浮かべてシィを落ち着かせようと試みるマロンだが、シィはもう敵であると確信していた。


「ええええい!」


 シィは手にしていたくまのぬいぐるみをマロンに叩きつけた。


「うわああああああああ!」


 するとマロンは途端に苦しみだし、胸を抑えてふらついたかと思うと姿形をドロリと木人形へと変えた。


「みんな!」


 シィはそれを見終える前に、階下で骸骨に襲われているセグとプーケを助けに行く。階下に降りるには一メートル近い段差を降りる必要がある。成人男性であれば他愛も無い高さであるが、シィは小さな男の子。普段であれば恐怖で足がすくむ所であるが、大切な人たちのために全く躊躇せずに飛び降りた。


「お姉ちゃんたちから離れて!」


 シィはぬいぐるみを振り回しながら骸骨に体当たりをする。すると、骸骨は苦しみだしその場に倒れた。


 セグ達への道が開け、シィは走る。

 二人の元へとたどり着いたシィは、感謝を述べようとする二人にぬいぐるみを押し付けた。


「シィくん、ありがとぎゃああああああああ!」

「え、何々ぎゃあああああああああ!」


 実はこのぬいぐるみ、右目に縫い付けられた宝石は毒を無効化する能力を持ち、左目に縫い付けられた宝石は持ち主を害する存在にダメージを与える能力を持っている、両親の愛がやりすぎなほどに詰まりまくった一品なのである。


 結局全てが偽物であると分かったシィはしょんぼりとしつつも、仲間を探して迷宮探索を継続した。


――――――――


 彼らが間違いを恐れずに相手を否定した理由。

 それは、以前キヨカから聞いた言葉を覚えていたからである。


「何でキヨ姉、騙されないの?」


 みんなでゲームをしている時に、誰かが尋ねたこの質問。

 キヨカはこの質問に関して以下のように答えた。




「なんとなくかな」




 キヨカは悩んだ末、明確な理由を答えなかった。


 『信じているから』と返すのは聞こえは良いが答えになっていない。

 むしろ邪人が親しい大人に扮して子供達を攫っている現状、このような答えを返したら偽の大人を信じて着いて行ってしまう危険がある。また、『信じる』という言葉を正しく理解するのは大人でも難しく、キヨカも明確な答えをもっていない。ゆえに、子供達にはまだ相応しくない答えだろうと考えたのだ。


 また、『考えれば分かるよ』と答え、何故自分が子供達の嘘を見抜けたのかを丁寧に説明する方法も考えた。恐らく子供達はその理由を聞いて納得してくれるだろう。だが、もしも子供達が偽の大人と相対した時、考えても嘘が見つからなかった時に信じてしまうことは無いだろうか。まだ未熟な子供達に、自身の考えを基準に行動させるには危険な状況であると判断したのだ。


 そうして悩んだ末の答えが『なんとなくかな』である。


 当然、子供達から不満の声があがる。


「えー」

「嘘だー」

「ちゃんと教えてよー」


 どれだけ文句を言われようとも、キヨカの答えは変わらない。


 明確な判断基準を与えてしまったら、偽の大人に出会った時にその基準で考えて自分で誤った判断をしてしまうかもしれない。だが、あやふやであればそのような自己判断はせずに『外で知っている大人に出会っても一緒に着いて行かないこと』という孤児院のルールを素直に守るだろうと考えたのだ。


「ううん、嘘じゃないよ。なんとなく、嘘をついてるかなって思ったの」

「えーなんとなくで嘘つきって言われるの嫌ー!」


 遊びとは言え、理由が無いのに嘘つき呼ばわりされたように感じ、不満を感じる子供達が居たようだ。


 そんな子供達にキヨカは柔らかな声で諭した。

 キヨカがこの答えを選択した理由は、子供達を守るためと言う理由に加えて、もう一つ大きな理由がある。


「ふふふ、怒らせちゃったかな。でもね、それで良いんだよ」

「どういうこと?」


 怒らせたのにそれで良いとはどういうことなのか。


「私だって嘘つきだなんて言われたら怒るよ。それで大切な友達と何回もケンカしちゃった。でもね、そうやって思ったことをちゃんと伝えて怒らせてケンカしてごめんなさいをして、それでどんどん仲が良くなっていったの」


 それが『絆を育む』ということ。

 ずっと仲が良いだけではなく、時にはぶつかりあって、仲直りして、そうして紡がれた絆は強固なものへと成長する。キヨカとレオナとの絆もまた、そうやって紡がれたものなのだ。


「みんなも変だと思ったらちゃんと相手に伝えること。そのことが原因でケンカになっても良いよ。でも間違ってたことに気付いたらごめんなさいをするんだよ。そして謝られたら許してあげること」


 そのキヨカの答えを、子供達はその時は理解出来なかったようだった。


 だが、その意図はしっかりと伝わっていたのだ。




 キヨカがここで別の答えを返していたら、子供達はどうなっていたのだろうか。


 やり直しの出来ないこのゲームでは、その答えは永遠に分からない。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る