13. 【異】授業

「みんな揃いましたか?」

『はーい』

「それでは授業を始めます」

『ブーブー』

「安心してください。授業は午前中だけで、午後は自由時間にしてありますから」

『わーい』


 内海に浮かぶ、王都から高速船で一時間程度の距離にある小島。

 そこに建てられた離宮と呼ばれる国王の別荘に、孤児院の子供達と彼らを守る大人達が訪れた。


 初日は部屋を決めて荷物を置いたら全員で掃除をするだけで終了し、翌日からが本格的な島の生活。午前中は授業を受けて、午後は遊ぶというスケジュールで毎日過ごすことになっていた。


「それに、授業と言っても普段のものとは違います。せっかくの特別な経験なのですから、授業の内容も特別な内容にします」

「特別?」

「はい、私は今回そのために御呼ばれしたのですよ」


 子供達の前に立っているのは講師を依頼された教育者の中年男性。ここでは算術や読み書き、歴史と言った学校で普段習う内容とは違う種類の講義をするようだ。


「その授業の内容ですが『道徳』です」

「『道徳』って何ですか?」


 『道徳』の意味を子供達に難しい言葉で説明しても伝わらない。だが講師はすでに答えを用意してあったのか、すぐに子供達に答えを返した。


「何が良いことで何が悪いことなのかを考えましょうっていう授業ですね」

「それなら分かるよ!たくさん教えてもらったもん!」


 道徳という名前で授業を受けたわけではないが、孤児院で生活するにあたってスタッフの大人や年上の子から社会で生きる上で必要となる善悪は日常生活の中でしっかりと教え込まれている。


「ふふふ、本当にそうかな?」

『?』


 講師は挑戦的な笑みを浮かべ、意味ありげな態度で子供達の反応を受け止めた。


「実はね、何が良いことで何が悪い事なのかって、大人でも判断するのが難しいんだよ」

「えーうっそだー」

「大人ならちゃんと分かってるでしょー」


 子供達にとって大人は絶対だ。大人は完璧な存在であり、間違いなど起こすことは無い。特にこの世界では犯罪行為が存在せず、大人達の悪いところを見る機会が少ないため、地球と比べてそう思われる傾向が遥かに強かった。


「今日はその難しい理由を説明しましょう」


 講師は子供達を見回し、ある人物達のところで視線を止めた。


「それでは、まずはケントくんとサイグールくん」

「え?」

「俺?」


 突然名前を呼ばれて驚く二人。だがすぐに、ライバルに負けたくないという競争心が働き、何があるか分からないのに真剣な表情になった。


「二人は競い合う良い関係と聞いています。ですが、勉強の方はいまいちのようですね」

「うっ……」

「ケントよりは頭が良いから!」

「なにー!俺の方が頭が良いだろ!」

「この前のテストは俺が勝ったもんね!」

「算術だけだろ!歴史は俺の方が点数上だったぞ!」


 すぐさま言い争いになってお互いを睨みつける。


「ふふふ、聞いていた通りですね。今日は二人に勝負してもらおうと思います」

「勝負!」

「やるやる!」


 勝負と聞いて引き下がるわけにはいかない。二人は喜んで手を挙げた。


「こちらの端末に、三桁の掛け算が十問表示されています。それを先に解いた方が勝ちです」


 講師は地球でのタブレットのようなものを取り出した。個人用の小さなホワイトボードのような用途の魔道具で、指やタッチペンで文字を書いたり消したりすることが出来る商品だ。孤児院にも支給されており、子供達は使い慣れているが、今回はその特別版。問題に回答すると自動で正誤判定をしてくれる機能が追加されている。


「うわー算術かぁ」

「ううう」

「ふふふ、そんなに弱気になって、相手に負けても良いのですか?」

『!?』


 苦手な種目と言うことで気を落とす二人を講師は煽ってやる気にさせる。


「ケントー頑張れー!」

「サイグールもだぞー!」


 それ以外の子供達は気楽なもので、好き勝手に応援している。


「それでは始めます。これを渡したらその瞬間に勝負スタートですからね」


 そして勝負がはじまった。

 四則演算はもちろんのこと、分数以上の複雑な計算もすでに学んでいる二人なので、苦労しながらもスムーズに問題を解いて行く。


「できた!」

「できた!」


 両者ほぼ同時に終了の声を上げたが、わずかに片方が速かったのが誰の目にも分かった。


「サイグールくんの方が僅かに速かったですね。おめでとうございます」

「やったー!」

「くっそおおおお!」


 勝負に勝ったことで喜ぶサイグールと、負けたことを悔しがるケント。


「ケントくん惜しかったー」

「途中でミスったのが痛かったよな」

「でもそれ言うならサイグールだってミスってたぜ」


 などなど、教室内は今の勝負について感想で盛り上がっている。


「はい、みなさん落ち着いて。本題はこれからです」


 今日は算術の能力を確認したかったわけでは無く、あくまでも道徳の授業だ。


「サイグールくん、勝利して嬉しかったですか?」

「え……う、うん」


 当たり前のことを聞かれて少し戸惑ったが、素直にサイグールは答えた。


「ケントくん、悔しくて悲しかったですか?」

「うん」


 負けたのだから当然だろうとケントも素直に答えた。


「では皆さんに質問です。サイグールくんは勝負に勝ち、ケントくんを悲しませてしまいました。これは正しい事なのでしょうか」

『え?』


 予想外の質問に、子供達は疑問符を浮かべる。


「マロンくん、誰かを悲しませることは良い事でしょうか?」

「悪いことだと思います」

「ではセグさん、ケントくんを悲しませたサイグールくんは悪いことをしたのでしょうか」

「そんなこと無い!でも……あれ?」


 自分の感覚的には全く問題が無いのに、講師の話も間違っているように思えない。子供達の間で議論が巻き起こる。


「どうです?難しいでしょう。何が良いことで何が悪いことなのか。それを大人の人は常日頃から考えて一人でも多くの皆さんが納得して過ごせる社会を作るように頑張っているのです」


 ここまでは、道徳という考え方を子供達に知ってもらうための入り口としては分かりやすい授業になっていた。


「先生、俺たち間違っていたのでしょうか……」


 ケントとサイグールは自分達がこれまでやっていたことが間違っていたと言われたようで、居たたまれない気持ちになっていた。


「君たちが間違っていたのか正しかったのか。本当ならそれはみんなで考えて決めることなのですが、そんなに悲しい顔をさせてしまうのでしたら、私の考えをお伝えしましょう。何も気にせずにこれからも競い合ってください」

『え?』

「何も問題はありません。確かに今回サイグールくんが勝ってケントくんが悲しみました。でもですよ、そもそも『勝負をする』って決めた時点で、負けたら悲しいけど良いよねってお互いに了解をとっているんです」

『ああ!』


 必ずどちらかに悲しみが発生することをお互いが納得しているのだから問題はないのだと、講師は言う。


「もちろん、私の考えが必ずしも正しいかと言われると分かりません。ですが、何が正しいかを考えることはとても大切だということは覚えておいてください」


 とはいえ彼らはまだまだ子供。

 大人から納得できる話を聞かされたら、大丈夫なのだと安心してしまう。


 ケントとサイグールもほっとして、これからも勝負を続けられると考えた。


「よし、それじゃあこれからもお前を倒す!」

「なにおー!俺の方が強いもんねー!」


 何が基準かも分からない子供基準の謎の強さで張り合う二人を、講師は微笑ましく見守っている。


「そうそう、もう一つだけお話があります。今回の勝負はサイグール君が勝ちましたが、心の底から喜んでいたところが素晴らしいと私は思うのです」

「どういうことですか?」

「サイグールくん、嬉しかったんですよね」

「うん」

「また勝ちたいですか?」

「うん!」

「このまた勝ちたいという気持ちがあるから、サイグールくんは勉強を頑張って賢くなるでしょう」


 強い相手に、ライバルに勝ちたいから努力する。それは自分を奮い立たせる力となる。


「ケントくんは、悔しかったですよね」

「うん」

「次は負けたくないですか?」

「うん!」

「この次は負けないという気持ちがあるから、ケントくんも勉強を頑張って賢くなるでしょう」


 今感じた屈辱を二度と味わいたくない。その這い上がる闘志が身となり力となる。


「勝つ気持ちも、負ける気持ちも、どちらも強ければ強いほど、頑張れるんです。ですから二人はその気持ちをいつも忘れずに素直に感じ取って下さい」

『うん!』


 これで終わっていれば、何も問題は無かった。

 そう、これで終わっていれば。


「サイグールくん、君が勝った時のことを思い出してください。ケントくんはとても悔しそうな表情をしていたでしょう」

「うん」

「それは、君が勝ったという証なんだ。だから相手を悔しがらせたことを誇りに思って良い。『相手を悔しがる姿を見て喜ぶべきなんだ』その喜びの気持ちが、君をより強くしてくれる」

「……うん」


 これまでと同様に、講師はケントにも声をかける。


「ケントくん、君が負けた時のことを思い出してください。サイグールくんはとても嬉しそうな表情をしていたでしょう」

「うん」

「それは、君が負けたという証なんだ。だから相手を喜ばせてしまったことを恥じてもいい。『相手が喜ぶ姿を見て腹立たしく感じるべきなんだ』その悔しさや恥や怒りの気持ちが、君をより強くしてくれる」

「……うん」


 どこか釈然としない気がしながらも、ケントとサイグールは講師の言葉に納得してしまった。


「はい、少し話がそれましたね。元のお話に戻りましょう。どこまでお話ししましたっけ……そうだ、何が良いことで何が悪いことなのかは難しいことで、大人も考えているってところですね。みなさん理解して頂けましたか?」

「大人の人が分からないってのが信じられなーい」

「本当にそうなんですか?」


 物事の良し悪しを判断することの難しさについては、子供達も感覚的に掴めているようだが、大人もそうであるというところが、まだ納得できないようだ。


「そうですね……それなら一つ質問しましょう。シィくん」

「…………え?」


 ぬいぐるみを抱えながら、暗い表情で部屋の隅の方に座っていたシィに、ここで白羽の矢が立った。講師はゆっくりとシィの前に向かって歩き、しゃがんで目線を合わせて質問をする。


「想像してください。あなたはケーキが好物ですね。今あなたの目の前に一口分のケーキがあります。あなたの近くにマロンくんがいます。あなたもマロンくんもとてもお腹が空いています。あなたはそのケーキをどうしますか?」


 マロンはシィが孤児院に来た当初から拒絶しても辛抱強く声をかけ続け、元気づけてくれた。シィにとって大切な人の一人だ。


 ケーキは好きだけれど、マロンがお腹が空いているのであれば、シィのやるべきことは迷わず一択。


「……あげます」


 その答えを聞いて、マロンが嬉しさにより、ほろりと涙を流す。

 シィの信頼を得られていたことが、実はこの時はじめて実感できたからだ。


「素晴らしい。自分が好きなものであっても、相手のために差し出す。それはとても尊い行いで、善いことであると私は思います」


 子供達もみんな、嬉しそうな笑顔でうんうんと頷いている。


「ですが、ここでシィくんに辛い質問をしなければなりません。シィくんはもうこの質問を受け止められると先生は信じているからです」

「……え?」


 真面目な顔の講師を見て、シィは何故か恐怖を感じた。


「ケーキならマロンくんにあげる。それなら、もし『一人だけ無くしたものが手に入る』のだとしたらどうしますか?」

「!?」

「先生!」


 それは、シィのトラウマを抉る残酷な質問。あまりの酷さにマロンが声を上げて、他の子供達も続いて非難する。


「静かに、静かに!これはとても大切なことなのですよ!彼にとっても、みなさんにとっても!」


 それを力強い言葉で講師は無理矢理抑え込む。


「さぁ、マロンくん。どうしますか?」

「……………………」


 あまりにも突然の言葉に、マロンの思考は停止した。


 講師が言っているのは、無くしたもの、つまり親が生きて戻ってくるとしたら、それでもあなたはその権利をマロンに譲るのか、ということ。


 ここは孤児院。自分が辛い思いをしているように、マロンや他のみんなも大切なものを無くしているはずなのだ。


 亡くなった両親と、自分を支えてくれた孤児院の人たちの顔が脳内に浮かんでは消え、浮かんでは消え、混乱しかけていた。


「ストップ!ストップ!」

「……はっ」


 過呼吸になりそうな状況だったが、それを講師がギリギリで止める。


「シィくん、落ち着いて。大丈夫ですから、落ち着いて。今は答えは考えなくて良いですよ。私は言いましたよね、大人でも分からない、と」


 講師はゆっくりと立ち上がり、子供達を見回す。


「みなさんは戦争のことをご存知ですよね」

『……』


 神様を敬っているがゆえに起きてしまった戦争について、大人達は子供達に包み隠さず全てを伝えてある。もちろん、孤児院の子供達も同様だ。


「あの戦争も、大切で譲れないものがあったからこそ起きてしまったものです。今、シィくんが悩んだように、そしておそらくみんなも自分だったらどうしようかと悩んだように、とても大切で譲れないものが目の前にあって、それを相手に譲るべきか、それとも強引にでも手に入れるべきかというのは、大人でも答えが分からないんですよ」

『……』


 実際は、何度も何度も話し合いを重ねたうえでの戦争ではあったのだが、ここでの本題はそこではない。


「私も答えは分かりません。ですが、みなさんがこれから生きていく中で、きっとこのような『相手を打ち倒してでも欲しいと思えるもの』が目の前に現れるかもしれません。その時にみなさんはどのような行動を選ぶのでしょうか。その答えを出すためには、何が良いことで何が悪いのかという『道徳』について、大人になっても考え続ける必要がある、ということなのです。ふふふ、ちょっと難しい話になってしまいましたね」

『……』


 思いの外、重い話になってしまい、子供達は静かになってしまった。


「皆さんが心の中で感じたことは決して間違いでは無いし、その気持ちを忘れてはなりません。仲間と戦ってでも大切なものを手に入れたいという気持ちはとても尊いものであり、人として当たり前のことだと私は感じるからです」


 子供にとっては難しい、でもいつかは直面しなければならない考えを、講師は真摯に子供達に伝えようとしている。一見してそのように端からは見える。


「『相手を傷つけてでも自分の願いを叶えたいと思うのは自然なこと』なんですよ」




 偽物は、子供達に毒を盛っていた。

 道徳というテーマを利用し『相手を傷つけることは悪い事では無い』という毒をこっそりと忍ばせていた。


 相手が悔しがる姿を見て優越感を感じなさい。

 相手が喜ぶ姿を見て怒りを感じなさい。

 相手を傷つけてでも自分の欲しいものを手に入れても良い。


 いずれも、条件や表現次第では正当性がある言葉なのかもしれない。

 だが、これらの表現だけが単体で印象に残ってしまったら、そしてそれが成長途中の子供の思考に根付いてしまったならば、子供達が社会に出た時に何が起きるのだろうか。


 相手を傷つけることを喜び、勝者に強い不満を感じ、欲しいものは奪い取る。

 そんな、この世界ではありえない考えを持つ存在が生まれてしまうかもしれない。


 もちろん、この講義だけでそのようなことにはならないだろう。

 だが時間はまだまだたっぷりある。


 偽物たちは、時間をかけてじっくりとじっくりと子供達に毒を刷り込ませてゆく。


 キヨカ達が入れ替わりにすでに気付いていることなど知らずに……



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