12. 【地】灰化7

 ハラスメント、性差別、障害者。


 灰化の対象は多岐に渡るが、これらはあくまでも特別な事例であり、社会から悪い意味で外れた特殊な考えを持つ人々が灰になっていたと言えなくもない。だが、灰化の恐怖は普段の生活で、それもかなり身近なところでも頻発している。


 その最たるものが『家庭』だ。


 とは言っても子供は灰化の対象にならないため、問題になっているのは『夫婦』の関係。


 人間関係の中でも男女の関係程トラブルになりやすいものはなく、これまではただのケンカとしてスポットが当てられていなかった事象であっても、灰化の対象となっていた。


 ケンカをして仲直りする。

 それを繰り返して家族の形が出来上がるものであり、この程度で灰化するのは女神が間違っている。


 声高にそのように主張する者も沢山いた。


 だが、世間は知ることになる。灰化対策機構にまとめられた夫婦間の灰化の原因は、いずれもハラスメントや性差別者と同様の障害者によるものだらけであると言うことを。そして、一事例だけで見ると灰化する程では無いと思えるありふれたケースに見えるにも関わらず、一覧として見ると不思議と灰化するのが当然だと思えてしまうことを。


――――――――


「お互いに不満を感じたら遠慮せずに言うことにしよう」

「……」


 これは灰化後のとある夫婦の会話。

 結婚してから五年、二人ともまだ三十台前半でお世辞にも仲が良いとは言えないが、なんとか共同生活を続けていた。だが、時々妻の方がヒステリーと思えるくらいの怒りを爆発させることがあり、このままではどちらかが灰になってしまうのではと危惧した旦那から、今回の提案がなされたのだ。


「俺はお前に灰になって欲しくないんだ。もちろん俺もなりたくない。だから俺がお前を傷つけるようなことがあれば、遠慮なく言ってくれ。絶対に治すから」

「……」


 夫としては当然のことを提案しているつもりであった。妻のことを考えた素晴らしい話で、灰になる要素がこれで無くなるだろうと安心していた。


 だが、妻の顔色が優れない。喜ばしい提案を受けているにも関わらず、どことなく不満そうな表情を浮かべている。


 夫はそんな妻の内心には全く気付かずに、妻が答えていないのに了承したものとして話を打ち切った。


「そうだ、久しぶりに次の日曜日に一緒に街に行こうか」


 冷えかけた夫婦仲を回復させるために、夫は新婚時のように妻をデートに誘う。だが妻は、ため息を吐くばかり。渋々と了承したが、どう見ても喜んではいない。


 そして次の日曜日。


 夫はパジャマから着替えることなく昼過ぎまで居間で横になってテレビを見ている。デートのことなど、もちろん覚えていない。


「(ここで不満があるって言っても、面倒臭いだの疲れてるだの言って断って不貞腐れて不機嫌になって空気悪くするだけじゃない。何が遠慮せずに言うこと、よ)」


 この家庭の問題は、夫があまりにも相手の事を考えもせずに、そのくせ少しでも自分が思い通りにならないと不機嫌になるという、子供じみた自己中心的な存在であること。 


 一つ一つは些細なことかも知れない。

 だが妻は、毎日の小さな不満の積み重ねで、時折暴発してしまっていたのだ。


 そしてその理由すら、夫は理解していない。理解しようともしていない。

 自分が悪いのではなく、妻が我満を勝手に溜め込んで怒り狂っている問題児だと思い込んでいるからだ。


 もしもここで不満を口にして、夫が不機嫌になったのなら、おそらくはその自己中心的な態度により灰化する可能性が高いだろう。妻はそのことを理解していた。だからこそ今まで以上に不満を口に出すことが難しくなっていた。


 しかしそれも時間の問題である。

 妻がまた耐えきれなくなり暴発した時点で、夫の終焉が訪れるのだから。


「前に、不満があれば遠慮せずに言うようにって言ったわよね……」


 妻は切り出した。これで全てが終わることを覚悟して。


 そして夫は妻の予想通りに不機嫌になり強く当たり、灰になる。

 本人はその理由すら分からずに。


「なんで!なんで俺が灰に!俺はあいつのことをちゃんと想って……!」


 などいない。


 そのことに最後まで気付かなかった哀れな男が最後に見た物は、一筋の涙を流しながら解放されたことの喜びで笑みを浮かべる妻の姿であった。


 この手の『自分はちゃんとやっている』『自分は我慢している』『相手が悪い』『相手がそれをするのは当然だ』というあまりにも自己中心的な灰化ケースが、男女問わず数多く発生した。灰化リストを眺めるだけで、これほどまでにこの世の中には腐った人間が居て、結婚により相手を不幸にしていたのか、と驚かれた。


 そしてこれが、世の中の少子化を爆発的に加速させる。


 夫婦や恋人の解消。

 結婚への忌避。

 異性との接触の回避。


 ただでさえ少子化の波が来ている国の中には、近い将来存続が危ういと試算が出ている国さえあった。


 灰化のケースが些細なことが原因であったがゆえ、灰化が怖くて他人と深く付き合うことが怖くなってしまったのだ。


 節約に関する価値観の違い。

 紅茶のティーバッグを複数回使うのはありか、それともやりすぎか。


 相手が精神的に疲れている時の対応。

 自分が楽しいと思うことを控えるべきか、気にしないべきか。


 家事の分担。

 ゴミ出しを忘れたら怒るべきか、仕方ないと笑い飛ばすべきか。


 夫婦間の問題は、細かい問題も大きな問題も山ほどある。だが実は、灰化に限ってで言えば、問題の内容は無関係だ。灰化の原因はあくまでも相手のことを真に想っているかどうか。ティーバッグのような些細な問題でも相手を蔑ろにするような対応をすれば灰化の対象になるし、精神的に落ち込んでいると言った重そうなニュアンスの問題でも相手を想う心があるならば、楽しいことを制限する必要はない。


 結局のところ、その本当に理解すべき灰化の条件が、とるにたたない理由で灰化してしまったという衝撃に上書きされてしまい、人との触れ合いそのものを敬遠する流れになってしまったのだ。


 人のことを想いなさい、という強制が人同士の絆を育むチャンスを奪っているのだから、皮肉なものである。

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