33. 【地】最初の一歩

「誰か助けて!」

「来るな!来るなあああああ!」


 逃げ惑う人々を邪獣は容赦なく蹂躙する。

 切り裂き、踏みつけ、食いちぎり、邪獣が去った場所には物言わぬ肉片が散らばっているのみ。性別年齢思想問わず、隠れようとも逃げようともただの一人たりとも見逃すことなく邪獣が人を屠る。


 男はその映像を上空から俯瞰して眺めている。


 見たことも無いその場所は自国ですらなく、言葉や肌の色や服装が自分達とは異なる人々が死に至る様を、目を背けることすら出来ずに見続けさせられている。


 そしてその映像は必ず最後にある場面を映して終わる。


 熊のぬいぐるみを抱えて家の中で震えて蹲っている小さな女の子。

 その家はすでにドラゴンの攻撃により屋根が無くなっており、ドラゴンは上からその女の子を覗き込む。


「お母ざあああああん!」


 あまりの恐怖で千切れそうなほど力をこめてぬいぐるみを抱きしめ、小便を漏らし涙塗れの少女に対してもドラゴンは全く遠慮しない。


 そしてその瞬間だけ、その映像はドラゴンの視点に切り替わる。


 ドラゴンは大きく口を開けて小さな女の子を一気に食いちぎった。




「うわああああああああ!」




 そこで男は目が覚める。

 決して頭上の数字に触れて幻を見たわけではない。


 これは夢。


 邪獣が世界に出現し、世界を混乱に陥れたあの日の晩から、男が強制的に見させられている夢だ。

 毎日では無く、男の精神がギリギリ壊れない程度の頻度で見させられるのがまた嫌らしい。


「はぁっ、はぁっ、はぁっ、はぁっ、う゛っ!」


 男はトイレに駆け込み、空になっている胃の中身を無理やり絞り出そうと嘔吐する。


 時間は早朝、男が出勤するにはまだ時間があるが二度寝するような気分では無い。かといって朝食は胃が受け付けそうにない。


 時間をかけて気持ちを落ち着かせ、結局出勤時間ギリギリになって行動する。


 髭をそり、髪を整え、最低限の身だしなみだけを整えて家を出る。頭上の数字を目に入れたくないため鏡は見ておらず、上手く整っているか分からないが、彼女もいない独身男性、大して気にしない。


 外に出て車を出して出勤する。対向車線を走る車の運転手や、道路脇を歩く人、信号待ちの間に目の前を横断する人々の頭上には数字が浮かび上がっているが、男は極力それらを見ないように努め運転に集中する。


「おはようございます」

「おう、おはよう」


 上司と挨拶をする際、見ないように気を付けていた数字が目に入った。


「あれ?」

「ん、どうした」

「いえ、なんでもないです」


 上司の数字が昨日見た時よりも一つだけ増加していた。

 ほとんどの邪獣は討伐されたので数字が変化する可能性は殆ど無いのだが、上司は例外のパターンだった。


「(そういえば海の邪獣だって言ってたっけ)」


 男は頭上の数字について上司と世間話をしていたときに聞いた話を思い出し、上司の数字とリンクしている未討伐の海の邪獣が誰かを殺したのだろうと理解してそれ以上考えるのを止めた。


 一切言葉を話さず、パソコンを操作して仕事に没頭する。

 誰かに用事がある時は、例えそばに居てもチャットでの会話を徹底する。

 それは男だけではなく、その会社の社員が全員そうであった。むしろ出勤せずにテレワークをしている人の方が多く、フロアはガラガラ。会議もウェブ上でしか実施されず、対面での打ち合わせは消え去った。


 その大きな理由は、誰もが他人のものであっても頭上の数字を見たくないからである。


 その数字を見ると嫌でも自覚させられるからだ。自分がカプセル邪獣を倒さなかったせいで、それだけの人の命が無残に失われてしまったのだと。根本は女神のせいだと思っていても、邪獣を倒さないのが普通であり自分は何も悪くないのだと思っていても、頭のどこかでソレを考えてしまう。


 もしかしたら、その考えだけが頭から離れないのであれば、現状に耐えられたかもしれない。

 だが、人の業はあまりにも深い。


「(今日は客先とオンライン打ち合わせだったな)」


 男は会議室へと移動し、オンライン会議の設定をする。

 少し待つと、客先の人々が画面に次々と表示され始める。


 オンライン会議ではカメラを通して自分の顔が相手先に見えるような設定になっている。

 相手に接続する前に、自分の顔がどう見えるかを確認するのが最近のトレンドである。それはビジネスマナーなどと言うエセマナーではなく、単純に自分の頭上の数字を相手に見えないようにするための確認。


 しかし今回の会議先はオンライン会議にまだ慣れておらず、数字が見えてしまっていた。


「(俺より多いな)」


 相手の頭上の数字は、男の数字よりも少しばかり大きかった。

 その事実に男はほんの少しだけ気分が良くなった。

 そしてその直後、猛烈な自己嫌悪に襲われることになる。


「(今俺は何を考えた……?)」


 まるで百人殺した人間が、百十人殺した人間を見つけて自分の方がマシだと優越感に浸っているようなもの。そのあまりにもおぞましい考えに、男は青ざめ吐き気を催し、会議をドタキャンすることになってしまった。


 人は、他人と比較し、他人からの評価を気にする存在だ。

 例え相手が何も気にしていなくとも、自分は見られているのだと錯覚する。


 あの人はあれほど多くの人間を死に至らしめた。

 あの人が何もしなかったから惨劇が起きた。

 あの人は数字が大きいから自分より多くの人間を犠牲にした。

 あの人は、あの人が……


 決して自分が他人にそのような思いを感じていなくとも、そう思われているのではないかと錯覚する。


 だがこの数字に関してのみで言えば、決して錯覚では無い面もある。


 例えばこの男、何故上司の数字がたった一だけ増加していたのに気付いていたのか。それは身近な人の数字を覚えているくらいには内心で興味があったからだ。あの人は自分よりも大きい、小さい。それらを知り、ウェブ会議の相手に対して思ったように人としての『上下』を定義する。


 男は下を見つけて安心したがるタイプであったが、理由はさておき他人の数字に興味を抱くのは人間社会では当然のこと。ゆえに、自分が他人から数字について批評されているという感覚は錯覚では無い可能性が高い。


「なんで俺がこんな目に合わなきゃならないんだよ!」


 会社を早退した男は家に戻り憤りを物にあたる。

 賃貸アパートの壁は傷だらけで、敷金で修理が収まるか微妙なところだ。


 一通り暴れて疲れた男はベッドに横たわる。

 眠るとまたあの悪夢を見るかもしれないため、あくまでも体を休めるためだけだ。間違っても眠ってはならないと男は自らに言い聞かせながら目をつぶる。


 だが、眠らなくとも目をつぶったところで思い浮かぶ光景は悪夢と何ら変わりない。

 街行く人が、会社の同僚が、コンビニの店員が、自分を蔑む目で見ている。

 灰化のせいで口には出さないが、その目が言っている。


 お前のせいだ。

 お前のせいだ。

 お前のせいだ。

 お前のせいだ。

 お前のせいだ。

 お前のせいだ。

 お前のせいだ。


「うわああああああああ!」


 結局ウトウトしてしまった男が見た妄想とも夢とも判断がつかないそれが、男の心を休ませてはくれなかった。


「くそっ!」


 再び物にあたり壁を傷つける。

 妄想の中で男を蔑んだ人々は、頭上に数字が浮かんでいなかった。


 男は部屋の隅に放置していたカプセル邪獣を見る。


 これを開けて中のベノムバットを倒せば、数字が消えてこの苦しみから解放されるかもしれない。

 勇敢に戦った人物として他人から責められることは無くなり、自信をもって元の生活に戻ることが出来るかもしれない。


 痛いのは嫌だ。

 死ぬのは嫌だ。

 どうして自分がこんなことに。

 誰か助けてくれ。


 現実から逃げ続け、心の中で助けを求めるだけだった男は『他人から責められたくない』という社会的な責任からは逃げることが出来ず、カプセル邪獣と戦う決心をした。


 これは日本人だけの現象ではない。

 世界中のほとんどの国で、ほとんどの人間が同じように他人の目線を気にして責められたくないという気持ちを抱いていた。そしてカプセル邪獣との戦いに臨む人が爆発的に増えた。


 決して他人のためを想っての行動では無い。

 誰かが邪獣で死ぬのが嫌だから戦うのではなく、自らが責められるのが嫌だから戦う。


 それは本来女神が意図した動機では無いのかもしれない。


 だが、この自らを守りたいという想いですら他人任せで動けなかったら話にならない。

 最低限自分のことを自分で対応できるようになってはじめて他人への想いが生まれるのである。


 この命を懸けてでも自己の社会的立場を守りたいという想いの芽生えこそが、人類が生き残るための最初の一歩であった。



















 邪神の眷属の一定割合の撃破を確認。

 神の力を転送。

 ……

 …………

 ……………………成功。


 キヨカさんに、勝利を。

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