7. 【地】子供達

 地球が邪獣に襲われるようになる少し前のお話。


 世界中を恐怖のどん底に陥れた灰化現象だが、子供達はそのターゲット外であった。

 ただし『子供達』という定義はとても曖昧で、明確な基準がどうしても分からなかった。


 18歳の高校生が灰化した報告があれば、同じ行動をした15歳の中学生が灰化を免れたという報告もある。また、15歳であっても凶悪な行動をした場合には灰化したという事実もあり、正確なボーダーラインが分からない。


 それゆえ世間は子供達にも灰化するような他人を蔑ろにする行動は慎むように指導することになるのだが、思春期真っ只中の子供達の中にはそれを素直に受け止められない子も多かった。


「はぁ?うっせーんだよ!」


 東京都内の中学に通っている木嶋きじま美夏みなつも両親に強く反発し、悪の道を進んでいる子供であった。親や教師の言葉を聞くことは無く、汚い言葉で周囲を威嚇し、真面目に勉強することもなく学校をサボることすら多々あった。


 極めつけはイジメ。


 気弱なクラスメイトをターゲットに陰湿なイジメを毎日のように続けていた。そのクラスメイトが自殺未遂を引き起こす程の騒ぎになってなお、美夏はターゲットを変更してまでイジメを続けていた。


 何が美夏をそうさせてしまったのか。

 両親の教育方針が悪かったのか、たまたまこれまでの人間関係が悪かっただけなのか、理由は分からない。だが、世界が灰化に怯えるようになっても、彼女は自分には関係ないと考えて弱い者を虐げることを決して止めようとはしなかった。


「美夏、話があります」

「うっせーな!」


 母親が美夏の部屋の扉をノックして話があるから出て来るように優しく声をかけるが、返ってくるのは罵倒のみ。


「お願い。とてもとても大切な話なの。出て来てちょうだい」

「うっせーって言ってんだろ!」


 真剣に真摯に声をかけても、美夏は決して部屋を出て来ることは無かった。彼女は家にいる間は両親を自分の部屋に入れず引きこもり、ご飯も母親が扉の前に置いておく生活を続けていた。


 少し前まではダイニングで家族と一緒にご飯を食べていたが、美夏のイジメが発覚して両親が彼女を強く叱ってからそれが無くなってしまったのだ。


「美夏、お父さんもお母さんも貴方を愛しているわ」

「消えろ!」


 母親は最後に娘を想う言葉を伝え、扉の前から離れて行く。




 そして数時間後。

 美夏は夕食を食べようと扉を開けたが、どこにも夕食が置かれていなかった。


「チッ」


 両親が意図的に夕食を用意しなかったのだと察した美夏は、イラつきながら財布を手に取る。近くのコンビニに夕食を買いに行こうと思ったのだ。


 部屋を出て両親に声をかけられるのは面倒だと思い、玄関まで足早に移動する美夏だが、家の中があまりにも静かなことに気付いた。テレビの音は無く、そもそもリビングに灯りがつけられていない。


 それならそれで金は使わずにキッチンで簡単に食べられるものでも探そうと予定を変更。

 買い置きのカップ麺を見つけたのでポットのお湯を使って作る。


「クソが、後でぶん殴ってやる」


 暴力で親を従わせようと考える美夏は、すでにあらゆる面で手遅れなのだろう。両親の手に負えず、堕ちるところまで堕ちきっていた。


 両親が居ないということでカップ麺をリビングに持って行きテレビを見ながら食べようとしたが、ふと、リビングのテーブルの上に封筒が置かれていることに気が付いた。


『美夏へ』


 封筒に書かれたその言葉を見て、美夏はそれが自分に宛てられたものだと気が付いた。

 イジメについて叱ろうと思ったが部屋から出てこないから手紙にしたのだろうと推測した。


「クソがっ!」


 最初はその封筒をビリビリに破り捨ててしまおうと思った美夏だったが、しんと静まるリビングとそこに置かれた一通の封筒というシチュエーションがどうにも不気味に感じ、気持ちが落ち着いた。


 夜遅くに両親のどちらも居ないことなどこれまで一度も無かったこと。

 何らかの異常事態が起きているのだと思いかけた。


 気が進まないが少しだけ読んで、後で内容に不満を言ってぶん殴ってやれば良い。そう思わなければその封筒を開ける勇気が出なかった。そのくらい、今の状況に薄気味悪さを感じていたのだ。


 封筒には何枚もの便箋が入っていた。

 一番上の紙から目を通す。


「なんだよこれ……」


 そこに書かれていたのは、両親からのメッセージ。


 自分達が・・・・居なくなった・・・・・・時に美夏がどうすべきかを記した物であった。


 頼りにすべき親族一覧。

 それぞれの親族ごとの連絡先と、引き取られた場合のメリットデメリット。

 お金のことや学校のこと。

 美夏にはまだ全く意味が分からない保険のことや税金のことなど。


 美夏がこの先少しでも困らないように詳細にまとめてあった。


「なんだよこれ!」


 これではまるで遺書ではないか。

 自分達が死んだ後のことが羅列されている便箋があまりにも気持ち悪く、流し読みして次々と投げ捨てる。


 そして最後の便箋に書かれていたのは、筆跡の異なる二つの文章。


「美夏が幸せな人生を送れるよう神様にお願いしてきます」

「美夏のことを愛しています」


 この手紙には美夏の悪事について全く触れられていなかった。美夏の未来が少しでも良いものになるようにと想う気持ちだけが詰まっていた。


 何度もうぜぇと言った。

 何度も消えろと言った。

 何度も死ねと叫んだ。


 その相手が美夏を心の底から想う気持ちだけを残して消えた。


 美夏は慌ててソファーから立ち上がり外に出る。

 両親は何らかの緊急の用事があって車で外出しているだけのこと。

 この手紙は将来的に自分に渡す予定だったのを偶然見つけてしまっただけなのだと。


『美夏、お父さんもお母さんも貴方を愛しているわ』


 数時間前に聞いた母親の言葉が頭に蘇るがそれを振り払い、美夏は車庫に走る。


 車は残っていた。

 そしてその車の周囲の地面には2つの灰の塊があった。


「ああ……ああああ……」


 首を振りながら美夏は後ずさる。

 自分をイラつかせる、煩わしい両親が死んだ。

 それは喜ばしい事であったはずなのに。


「ああああああああああああああああ!」


 美夏は絶叫して家に戻り、部屋の中に逃げ込んだ。


 風呂に入ることもせず、布団にもぐり震えながら一夜を過ごす。

 階下から人の気配を感じることは全くなく、朝を迎える。


 まったく眠れず憔悴し、フラフラとおぼつかない足取りでリビングに向かったが、やはりそこには誰もいない。

 テーブルの上にはお湯を入れたまま放置した冷めたカップ麺。


 それを見て美夏は理解した。


 自分はもう母親の料理を食べることが出来ないのだと。

 父親を死ねと拒絶することが出来ないのだと。


 心底憎かった両親の死により、ようやく彼女は人としての心を取り戻しかけた。


 だが、世間は彼女の悪事を許してはくれない。

 両親が灰化したということは、灰化するようなクズ人間であったと評価されるようなものだ。

 そして本人はショックにより元気がなくなった。


 それだけで十分であった。

 美夏が新たなイジメのターゲットとなる理由は。




 子供達が灰化の対象でないからと言って、今まで通りの日常を送れるわけではない。

 親を亡くし孤独になる子供も居れば、成長を恐れて死を選ぼうとする子供も居る。

 大人以上にメンタルが傷つき、そして大人はその子供達を全力でサポートしなければ灰化してしまう。


 世界は『子供の教育』についても見直すことを強制させられていた。

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