25. 【地】レオナ
レオナ一家が灰化対策機構に保護されてから2週間。
彼女は高校を中退し、新しい『職場』で仕事を始めていた。
仕事の内容はキヨカのサポート。
とある高級マンションの一室が割り当てられ、住込みで働いている。
キヨカが人類の命運を決める最重要人物であるとするならば、その次に重要なのがレオナ。彼女のサポート内容次第でキヨカの生存確率が大幅に変わるからだ。
だがそのレオナに接触し、サポート内容を操作することは出来なかった。彼女への指示を目的として接触しようと試みると、彼女が住む街にすら近づくことが出来ない謎の力が働いていたからだ。
彼女を名目上保護している灰化対策機構や家族ですら彼女のサポート内容に口を出すことが出来ない。
それゆえ、レオナは常に一人、部屋に籠ってキヨカのサポートをしていた。
――――――――
モグラの邪獣を撃破し、キヨカが無事だと分かった翌朝。
レオナが目を覚ますと机の上にヘッドフォン型のゴーグルとコントローラーが置かれていた。灰化対策機構の人と相談して調べたところ、それを使用することでVRでキヨカの世界を見ることが出来、コントローラーでウサ子をより詳細に動かせる、ということが判明。
この環境の変化により、キヨカと一緒に異世界を冒険している感覚が強くなった。
街中を一緒に探索し、見たことも無い景色に驚き、異世界の生活様式を理解し、まるで一緒に旅をしているような心地で夢中になった。
肝心の戦闘も安全第一で戦っていたため、モグラの邪獣戦ほどハラハラするようなこともなく、この生活に徐々に慣れて来る。
ああ、楽しい。
失われたはずの親友との時間をまた楽しめている。
共に笑い、泣き、喜び、怒り、悲しみ、驚く。
もう二度と出来ないと思っていた心の触れ合いを堪能出来ている。
このままずっと彼女の隣で歩き続けることが出来るのだと。
レオナは錯覚していた。
キヨカの命は厳しい状況に晒されているのだと、痛いほど思い知ったはずなのに。
ぬるま湯のような一時の平穏だけを見て、辛い現実から目を逸らしてしまっていたのだ。
それは仕方のないこと。
レオナはキヨカのような心が強すぎる人間では無く、ただの女の子なのだから。
――――――――
「え?」
その声はキヨカの声とシンクロする。
VRの映像が突如スローになったかのようにすら感じる。
ゴーレムの一撃が胴体に直撃したキヨカは吹き飛ばされ、受け身を取ることすら出来ずに地面に叩きつけられた。
視界にはHP0の文字。
その文字を目に入れたくないが、赤く染まり目立つため否応が無しに視界に入って来る。
またフラフラになりながらも立ち上がってくれるんだよね?
そんなレオナのありもしない希望は打ち砕かれた。
「……あ……あ……あ」
死が目前に迫っている。
キヨカは微かに呻き声を上げるだけの死体に近い存在となっていた。
キヨカが死んだ事故の時は遺体の原型が留めらていなかったため、葬式でもキヨカの最後の姿を見ることが出来なかった。だが、今はそれが目の前にある。大切な親友の終わりの姿。
「キヨちゃん!キヨちゃん!キヨちゃん!いやああああああああああ!」
自分が守らなければならなかったのに、自分のミスでキヨカを死なせてしまった。
余裕のある状況だったのだから、予期せぬ事態を考慮してもっともっと安全に立ち回るようにサポートしなければならなかった。
あの事故のような手の届かないところでの出来事では無く、他ならぬ自分の手で、自分のミスで死なせてしまった。
レオナの心は壊れた。
その後、九死に一生を経てキヨカが復活しても、キヨカがHP0の世界は思ったよりも辛く無かったと説明しても、癒えることは無い。
自分が何かを口にするだけで、キヨカを失うことになるのだという恐怖に支配され、サポートなど出来るような状況では無かった。
――――――――
灰化対策機構がレオナを保護したことについては文句なしに正しい判断だった。
だが、サポートをレオナに全て任せてしまったのは最悪の判断であった。
確かにサポートに関する横槍は入れられない。
だが、レオナのメンタルケアだけはやるべきだったのだ。
それすらもやってはならないことなのだと、勘違いしていたのだ。
一人奮闘するレオナを助けたいと強く思っていた家族ですら、その勘違いに囚われていた。
その勘違いを打ち破り、レオナを、キヨカを、そして人類の危機を救ったのは、とある一人の女性。
「レオナちゃん」
レオナの部屋の扉が開かれる。
これまでレオナからお願いされたときしか開かれなかった扉が、勝手に開く。
入ってきたは背が高く細身の女性。
女性なので見た目からは正しい年齢は分からないが、20代~30代前半といったところだろうか。
眼鏡をかけていて表情が柔らかく、誰が見ても彼女が穏やかな性格だと思えるような優しい雰囲気を纏っている。
その女性はレオナのVRゴーグルを無理やり外し、コントローラーをその手から奪い、机の上に置く。レオナが座っている椅子をくるりと回転させて自分の方に向け、目を合わせる。
その瞳には涙と絶望が浮かび、虚ろな表情になっていた。
「レオナちゃん」
女性はレオナを抱きしめる。
ほんのりと甘い香りがレオナの鼻孔をくすぐり、温かな体温が冷え切った心と体をじんわりと温めてくれる。
「レオナちゃん、頑張ったね」
女性は言う。
あなたは頑張ったのだと。
サポートの失敗を責める言葉でもなく、レオナの境遇を同情する言葉でもなく、間違っていなかったと無理に正当化するわけでもない。
もっとも単純で、時には人を傷つけることすらある魔法の言葉。
それが今のレオナにとって、救いの言葉の一つとなった。
女性はレオナを優しく包み込みながら言葉を繋げる。
「レオナちゃん。思ってること全部言っちゃおう。大丈夫、ここには私しか居ないから。ぜーんぶ受け止めてあげる」
「……え?」
「胸の中でもやもやしてるの、辛いでしょ。お姉さんも経験あるから分かるんだ。そういうときはね、何も考えずにひたすら思ってることを叫んじゃうの」
決して急がせはしない。
配信画面の向こうではキヨカがボス戦を開始し、ピンチになりつつある。
だが今はそんなことはどうでも良い。
今この瞬間、この部屋の中だけはレオナが主役なのだから。
女性はレオナから言葉を引き出すために、優しい声色で言葉を投げかける。
「サポートするの辛い?」
「……うん」
自分のミスでキヨカを危険な目に合わせるかもしれないからサポートするのは辛い。
「サポートするの楽しい?」
「……うん」
キヨカと一緒に冒険出来るからサポートは楽しい。
「キヨカちゃんと一緒は楽しい?」
「……うん」
大好きな親友と一緒なのだから楽しいに決まっている。
「キヨカちゃんと一緒は辛い?」
「………………うん」
傍に居たら大好きな親友が傷つき苦しむ姿を見せられるのだから辛いに決まっている。
「サポートが失敗してキヨカちゃんが死んじゃうのが怖い?」
「……うん!」
少しずつ、女性の質問を通してレオナは自分の心を曝け出す。
「どうして自分がこんな目に合うのかって」
「思う!」
そして抱いていた気持ちを一旦口にすると、それはもう止まらない。
「なんでキヨちゃんがこんなに辛い目に合わなきゃならないの!なんで私がこんなことやらなきゃならないの!キヨちゃんに死んで欲しくなんかない!キヨちゃんが痛い目に合うのも嫌!それを見るのも嫌!サポートなんてやりたくない!一緒に遊べるだけで良いのに!キヨちゃんが幸せそうに生きててくれれば良いのに!キヨちゃんもキヨちゃんだよ!せっかく幸せに暮らしているのにどうして村を出ちゃうの!みんなに任せて静かに暮らしてれば良いじゃん!私が危ないから止めてって言ったら止めてよ!私の気持ちも考えてよ!もうやだ!こんなのやだ!やりたくない!元の生活を返して!返してよおおおおおおおおおおおお!」
レオナには覚悟なんて何も無かった。
ただ突然役割を与えられ、それに従って行動していただけのこと。
心の準備が出来ないままに辛い選択を強いられ、半ば強制的に大切な人の命を管理することになった。
キヨカには支えてくれるレオナがいるし家族がいる。
だがレオナには居なかった。
家族は過度な干渉は禁止と思い込みレオナに踏み込めず、キヨカもアバターを通じてしかレオナの様子は伺えず詳細は分からない。
ただの元女子高生が耐えられるような環境では無く、本人ですら気付かないうちに心が擦り減っていた。
いや、一つだけ違う。
レオナはただの元女子高生ではない。
キヨカの幼馴染で大親友の女子高生なのだ。
それがとても大きな意味を持っている。
「そう」
レオナの言葉に否定も肯定もせず、泣き叫ぶレオナをただ受け止めて優しく頭を撫でる女性。本当であればもっと時間をかけてレオナの心を癒したいところだが、配信画面の向こうではキヨカが大ピンチに陥っている。このままではレオナの心を癒している間にキヨカが死んでしまう。
「(女神様、この試練は酷すぎですよ)」
女性は、世界が灰化になったことではなく、キヨカに課せられた役割のことでも無く、レオナのことをそう思う。
一か八か、まだ早いけれどもレオナに言葉を与える決心をする。
泣き疲れて僅かに落ち着いたタイミングを見計らって、再び問いを投げかける。
「ねぇレオナちゃん。キヨカちゃんってどういう人?」
「……凄い人……です。誰かの助けになりたいって……NGOにも参加して……沢山の人を……笑顔にしてた」
その他人のために本気で行動できるキヨカのことが眩しかった。
「……でも……自分を……犠牲にしても……頑張っちゃうのが、嫌でした」
だが、そのことをレオナが諫めれば間違いを認めて改善する。
ただの自己犠牲精神の持ち主という訳でも無かった。
それは父親から言われていた『皆で明日を笑顔で迎える』という約束による影響もあるのだろう。
自分の幸せを蔑ろにしたら、その約束は果たせない。
キヨカには家族が、そしてレオナがいるのだから。
「ふふふ、レオナちゃんは本当にキヨカちゃんのことが大好きで、『憧れ』なんだね」
「憧れ……うん」
キヨカの傍にレオナが居続けられたのは、単なる性格的な相性だけではなくキヨカに対する憧れを抱けていたから。もうついていけないと、考え方の違いを嫌悪することも無く、キヨカの良い部分を少しでも取り入れたいと思う気持ちがあり、実際に多少なりとも行動出来る人物だから。
レオナはキヨカの人助けの手伝いを進んでやっていたことがあるのだ。
「そのキヨカちゃんが死んじゃったら。死後の世界で出会えるかもね?」
「………………え?」
あまりにも予想外の言葉だった。
死は悲しくて辛くて最悪の結末だと思っていたのに、まさか死ねば会えるかもなどとメリットを提示されるとは思わなかったのだ。
「だって私達もみんな死んじゃうんだもん」
「……あ」
キヨカの死は人類の滅亡に等しい。
仮に死後の世界なんてものがあったら、大量に死者が押し寄せて来て大変なことになるだろうがそんな無粋なことは今は良い。
キヨカとレオナの両方が死ぬのなら出会える可能性がある、そのことが重要であった。
「その時、キヨカちゃんは何て言うかな」
レオナはイメージする。
きっと自分は気まずい表情をしているだろう。
サポートを失敗してキヨカを死なせてしまったのだから。
そしてキヨカはそんなレオナを見て……
『いやぁ~死んじゃったね。あはは』
そんな軽口を叩きそうだ。
皆で笑顔になる未来を掴めなくて辛いはずなのに、それを絶対に表には出さずに。
悔しい。
自分にだけは、素直な気持ちを出して欲しい。
気持ちを誤魔化すのではなく、一緒に泣き合いたい。
「レオナちゃん、あなたにとってキヨカちゃんって何かな?」
大切な親友で、憧れで。
隣に立ちたい相手。
弱みを曝け出してくれるほど頼られて、それを受け止められる人物になりたい。
それがレオナが心の奥底でゆっくりと育てていた想いであった。
「私……やらなきゃ!」
「うん、頑張って」
涙を拭いて画面を見る。
キヨカがピンチに陥りレオナを求めている。
まだ恐怖で手が震えている。
でも、ここで退いたらキヨカの隣に立つ資格は永遠に失われる。
キヨカが命を懸けて皆が笑う未来を掴もうとしているのなら、自信を持って笑って隣に立つために辛く苦しい茨の道を歩んでみせる。
「あのっ!ありがとうございました!」
「ふふ、やっぱりレオナちゃんは女神様が認めた人なんだね」
「?」
「ううん、なんでもない。私のことは良いから、キヨカちゃんを助けてあげて」
「はいっ!」
吹っ切れたレオナの顔は、少女の皮が少しばかり剥け落ち、大人の女性の姿に変わりつつあった。
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