13. 【地】ガチャガチャ

 それはあまりにも突然の出来事だった。


 モグラの邪獣に村が襲われた時のような、明らかに不穏な出来事が起きたわけでもない。

 ただ新たな登場人物と一緒に夕食を食べただけのこと。

 その内容も特別違和感のあるものではなかった。


 だが、キヨカ達がセネールや領主と別れたその時、配信画面が突如暗転する。


『第一章 鉱山の街 クレイラ』


 画面中央に白字で『第一章』の文字が表示される。


「なんだこれは!?」


 東京に住む一人暮らしのニート、里見さとみはるかもその画面を見て驚愕し、慌てて配信コメントを書き込んだ。


 遥は人付き合いが苦手で大学生活が上手く行かずに中退。就職も失敗し、バイトすらせずにニートを続けていたらいつの間にか26歳になっていた。


 自分の情けなさが嫌になり、外に出ることを恐れ、髪も髭も伸ばし放題で風呂にも数日に一度しか入らず、近くのコンビニでご飯を買い込み、毎日ジャンクフードを食べながら一日中アニメを見たりネットをするだけの死んだような生活を続けていた。


 そのような誰が見ても『終わった』人生を過ごしている遥だが、一つだけ認められるべき点があった。


 彼は自分自身の不甲斐なさを嘆き、苦しみ、罵倒し、死にたがり、叩いてはいたけれども、それを他者に対して振るうことは全く無かったのだ。自己評価が低すぎて劣等感の塊であるがゆえの考えか、それとも彼自身が本来持っている他者を思いやる優しさなのかは分からないが、殺伐とするネットに浸かっているにも関わらず他者を攻撃することは一切なかった。


 むしろ、何故皆は平気で叩けるのだろうかと不思議に思い、気分が悪くなるくらいだ。


 そういうときはネットから離れてアニメを見て心の平穏を保たせていた。


 自分が情けなく、それでも改善しようと前に進むことはせず、そのことが更に自己嫌悪を悪化させるスパイラル。そのダメ人間の前に大きな転機がやってくる。


『愚かな者共よ』


 灰化の始まりである。


 外に殆ど出ずに人との関わりを断ち、ネットの安全地帯でぬくぬくと過ごす彼が灰になることは無かったが、灰化のニュースを目にする度に心が痛んだ。自分のようなクズが生き残って自分より世間の役に立っているはずの人物が灰になっている事実が辛かったからである。


 彼の心の逃げ道となったのは、キヨカの配信だった。

 可愛い女の子が異世界で楽しそうに生活をしている。その姿を見るだけで癒されるし、タイプでもあったので、灰化の情報を忘れてのめりこんだ。


 辛いことがあるとアニメに逃げたように、今回もキヨカの配信という逃げ道に進んでしまったのだ。


「はぁ~キヨカたんかわいい。ずっと続けば良いのに」


 だが癒しの時は終わりを告げ、モグラの邪獣が村に襲撃する。


 ゲームに詳しくないキヨカはこのままでは死んでしまうのではないか。

 どうすべきか教えてあげたい。

 キヨカに唯一連絡が取れるレオナに電凸してでも伝えるべきでは。

 でもそれをすると迷惑行為と判断されて灰化するかもしれない。


 自分が常駐しているスレも大混乱で、キヨカのために行動出来ずに苦しんでいる人が多かった。


 遥は思う。


 クソみたいな自分が誰かの役に立てる時では無いのだろうか。

 どうせ死んだような人生、それが本当に事実となるだけのこと。

 今こそこの無駄でしか無かった命の使いどころでは無いか、と。


 キヨカちゃんを応援するスレの住人、『キヨカちゃん見守り隊 No.1』誕生の瞬間である。


 結果として遥の行動はギリギリでキャンセルすることになったが、これまで何も行動してこなかった遥が初めて自分で行動しようと決めたことで彼の人生は変わ……らなかった。


 所詮、単なる思い付き。

 本当に命を懸けたいと思っていたのかも怪しく、灰化の実感が湧かない遥の暴走でしか無かった。


 遥は女神に選ばれし人の一人となりながらも、スレに常駐し配信動画を見てコメントをするだけのただのニートであることには変わらない。


 生活スタイルも考え方も何一つとして変わらないのだ。


 灰化も、キヨカのピンチも、彼を変えるには至らない。


 そして、彼にとって真の運命の瞬間がやってくる。


――――――――


 配信画面に『第一章』と表示された直後、自室の机の上に突如一つの球体が出現する。


 手のひらサイズのそれはガチャガチャのカプセルに似ていて、下半分が黒、上半分が透明で中が見えるようになっている


「なんだよこれっ!」


 遥が驚いたのはその球が急に現れたからではない。透明部分から見える中身の所為だ。その中には不気味な姿をした小鬼が入っており動いている。しかもその小鬼からは配信画面内の邪獣のように猛烈な禍々しさを感じられるのだ。


「嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ!」


 思わず机から距離を取り、それに近寄ることすら出来ない。

 命の危機とはかけ離れた生活をしている遥でさえも、衰えていたはずの本能が危険を心と体に訴えかけてくる。

 震えが止まらず上下の歯がカチカチと触れ合い、鳥肌が立ち続ける体を両腕で抱きながら床に座り込む。

 少しばかり漏らしているかもしれない。


 普通に生きている間では絶対に味わうことのできない死の恐怖を前に、遥は何も出来なくなってしまった。


「はぁっ……はぁっ……はぁっ……はぁっ……」


 全身汗だくのまま、しばらくの間身動きが取れない。

 あまりの発汗に脱水症状になりかける。


 意識が朦朧となったのが幸いしたのか、水を求めて体がようやく動き出す。

 冷蔵庫から水を取り出し、500mlのペットボトルを一気に飲み干す。それでもまだ渇きが満たされず、もう一本のベットボトルと冷蔵庫の上に置いてあった古い塩飴を手に風呂場へと逃げ込んだ。


 塩飴を舐めて塩分補給をしながらバクバクする心臓を落ち着かせるように温いシャワーで汗を流す。


 ふと、先ほどのカプセルの存在を思い出し、吐き気が襲い掛かる。

 補給した塩分を吐き出すかのように風呂場で嘔吐する。

 何も出るモノが無くなってもなお、嘔吐は止まらない。


 このまま風呂場で意識を失い死んでしまいそうな遥だったが、改めて思い出した。


 自分は元々死んだような人間だったでは無いか。

 何を今さら死に怯えているのだ、と。


 皮肉なことにその虚勢が遥に僅かながら生きる気力を与えた。


 部屋に戻るとカプセルの方を気にしないように着替え外に出る。失った体力を回復させるためにコンビニで飲み物や食べ物を買い、イートインスペースで平らげる。どこかコンビニの店員の様子がおかしかったが、遥は気付かない。


 そして一時間ほど周囲を散歩し、意を決して部屋に戻る。


 相変わらず机の上から猛烈な禍々しさを感じられるが、多少慣れたのか少しずつ近づけるようにはなってきた。


 そっと、そっと、亀のような歩みで進む。


「開けなければ大丈夫。開けなければ大丈夫。開けなければ大丈夫。開けなければ大丈夫」


 安全だと自分に言い聞かせて恐る恐るカプセルに手を伸ばす。


 指先でツンツンし、指の腹でそっと撫で、透明な部分に触れないように丁寧に持ち上げる。


「は、ははっ、なんだよ。平気じゃんかよ」


 中では変わらず小鬼が蠢いている。


 パソコンのモニターは机の上にあるため、このままでは配信コメント投稿もスレへの書き込みも出来ない。そのためカプセルをゆっくりと運び、使っていないキッチンに移動させる。


「あれ?」


 机に戻り、いざモニターに向かおうかと思っていたら、見慣れない紙が置いてあることに気付いた。実はこの紙の上に先ほどのカプセルが置いてあったのだが、カプセルの方ばかりに意識が向いていたから気付かなかった。


「これは普通の紙っぽいな」


 嫌な感じがしないため、特に気にせずその紙を手に取り広げてみる。

 そこには日本語でカプセルの説明が書かれていた。


「……うそ……だろ」


 開けると1VS1で中の邪獣と戦闘

 勝つとキヨカが戦う章ボスの能力が減少

 ただし減少率はカプセル邪獣の撃破数に依存


 画面の向こうでの戦闘は、自らの灰化がかかっているとはいえ、どこか他人事の感覚があったことは間違いない。だが、女神はそれを許してはくれないようだ。


 あなたも命を懸けてキヨカをサポートしなさい。


 女神はそう言っているのだ。


「俺が……戦う……?」


 脳裏に蘇る画面の向こうでのキヨカの死闘。

 そもそも雑魚相手ですら、とてつもない威力の攻撃をしてくるのだ。


 カプセル内の小鬼は手に刃物を持っていた。

 異世界装備を持って無い自分があれで攻撃されたら一体どうなってしまうのか。


 だがこのような条件があるということは、キヨカがこれから戦うであろう『章ボス』は強めに設定されている可能性が高い。それこそ多くの人類が邪獣と立ち向かい、ボスの能力を低下させなければ太刀打ちできないほどに。


 キヨカのサポートとしても、人類が生き残るためとしても、戦いを避けることは出来ない。 


「ま、まずは情報収集だ!」


 配信コメントに、掲示板に、突如現れたカプセルのことを書き込む。

 カプセルは世界中の人々の前に出現しており、その話題で持ちきりであった。


 恐らく勇気のある強い人物が先に挑戦するだろう。

 その情報を仕入れてから考えても遅くは無いはずだ。

 自分のような雑魚がいきなりやろうとしても無駄死にするだけだ。

 キヨカを確実にサポートするためには必要なことなのだ。


 そうやって心の中で言い訳を続ける遥だが、情報が増えてもなお、カプセルを開ける気配が全く無かった。

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