240.公爵令嬢 前編

「公爵家ねぇ……」

「あんまり驚いてないわね?」

「いや、驚いてる。何というか……そういう貴族制度みたいなもんに、いまいち実感が湧いてなくてな」



 当然ながら以前の日本に貴族制度なんてものはなかったし、カミラの迷宮を脱出してからも、そういう制度を意識する場面はほとんどなかった。



「公爵家って、貴族だと一番偉い?」

「そうね。この国の階級だと、王族の次に高位の存在ということになるわ。時と場合によって、当主の意見は王よりも優先されることがあるくらいよ」

「ってことは、マリア様とも……」

「ええ、以前から面識があったの」



 なるほど、海底迷宮での気まずそうなあの態度の理由がようやく分かった。シルヴィアとしても、まさか勇者のパーティーに王族がいるとは思っていなかったのだろう。



「で、何でその公爵令嬢が、列島の都市で軍人なんてやってたんだ」

「……私のグリードハイド家は、代々優秀な騎士を輩出する家系でね。私のお父様、現当主も先々代の騎士団長なの」



 シルヴィアの瞳に一瞬影が落ちるのを、俺は見逃さなかった。辛いなら今話さなくても良い、そう言おうとしたが、シルヴィアが首を横に振る。こんな時にまで、シルヴィアは俺の思考を読んでいるらしい。



「3つ上の兄がいたけど、病弱で私が生まれる前に亡くなっていたから、私は次期騎士団長の席に座ることを望まれたわ。私も騎士に憧れはあったし、周囲からの期待も当時は嬉しかったから、必死に鍛錬を積んでいた」

「丁度私と知り合ったのも、騎士団の見学に居合わせた時でしたわね」

「ええ、確か八歳のときだったと思います。それで、職球ジョブ・スフィアを初めて使用しにいったあの日、きっと私を含めたあの場にいる全員が、私が【騎士ナイト】の職業に就くと思っていた」

「……でも、シルヴィは」



 中々感情を表に出さないリーゼが、悲痛な面持ちでシルヴィアを見つめている。



「皆が思ってる通りよ……私に【騎士ナイト】の適正はなかった。その後何度も転職に挑戦したけど、一度もダメ。元々【騎士ナイト】になるための英才教育を受けていたのに駄目だったんですもの、きっと最初から才能が無かったんでしょうね」

「シルヴィア……」

「【騎士ナイト】にはなれなかった。確かに落ち込んだけど、それまでの鍛錬が無駄になったわけじゃない。そう思い込んで、今の【剣士ソードファイター】として訓練を開始しようとした……だけど、それを父は許してくれなかった」



 ……どういうことだ?【騎士ナイト】になれなかった娘に、落胆するというのは、あまり心地いいものではないもののまだ理解できる。だが努力を重ねた上でなれなかった以上、もう出来ることはないはずだ。



「父は、私に縁談を持ち込んできた。優秀な【騎士ナイト】を婿養子として招き入れて、グリードハイド家としての格式を保つために」

「!!」

「貴族として、自分が望んだ結婚が出来ると思っていたわけじゃない……だけどだからって、自分が一度も負けたことのない【騎士ナイト】……エルドリッドとの結婚だけは、許容できなかった」

「……なるほど、アイツの怒りようはそういうことか」



 エルドリッドがグリードハイド家の一員になることを望んでいるのか、それともシルヴィア本人を望んでいるのかは分からない。だが予定されていた縁談が破棄されたということであれば、あれほど激昂したのにも納得だ。



「でも、元はと言えば【騎士ナイト】になれなかった私に非がある。そんな風に思い悩んでいる時に、『混沌の一日』があったの」

「……つまり、シルヴィアさんは」

「突然周囲が海に囲まれるなんていう事態、王都は大きくざわついたわ。その混乱に乗じて、調査船に潜り込んで王都から逃げ出したの。そこからは名前を偽って、軍人として生活して……後はエイム達が知っている通りね」



 シルヴィアのたまに出る大胆な行動は、当時から健在だったらしい。『混沌の一日』以前は普通に大地の上にあったということだから、多分初めての航海だったんじゃないかと思うんだが……よく脱走を思いついたものだ。



「その話、ガイさん達には?」

「話してない、後で話すわ……マーティンでは誰にも話したことはないわね。もしかしたら、総司令あたりには勘付かれていたかもしれないけど」

「……俺とはまた違った意味で、シルヴィアも波乱の人生を送ってるな」

「そうかもしれないわね……自分の知らない場所で、何も状態から生活基盤を築くのは本当に大変だったから」



 逃げた先のマーティンでも、シルヴィアが辛い状況下にあったのは言うまでもないだろう。



(何か、俺にできることは……)



 シルヴィアやリーゼのためなら、俺はいくらでも力を貸すつもりでいる。だが今回どうやら、単純に力を奮えば良いという問題ではなさそうだ。

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