195.その時は、その時に
「菊川さん!」
雄叫びの方へと視線を向けると、攻撃を捌き損ねた菊川さんが、黒コボルドに吹き飛ばされる所だった。そのまま壁に激突した菊川さんは、頭から赤い血を流しながらズルズルと座り込む。
黒コボルドはそんな菊川さんに興味を失ったのか、今度は近くに居た俺を標的にし、地面を蹴って襲い掛かって来た。拳を強く握り、菊川さんと同じように俺を吹き飛ばす算段らしい。
「背中がガラ空きよ!!」
そんな黒コボルドを、後ろから追いついたシルヴィアが背中から斬りつける。俺は黒コボルドの相手をシルヴィアに任せ、菊川さんの安否を確かめるために走る。
「菊川さん!返事をしてください!」
「………」
「英夢君!菊川さんは!?」
軽く揺さぶってみるが、菊川さんは起きる様子がない。幸いまだ息はあるものの、完全に意識を失っているようだ。
(いよいよ、こいつらを何とかするしかなくなったぞ…)
巨体の菊川さんを抱えられる人間はこの場にいない。強引にこの場を抜け出すことも難しくなったため、このコボルドを片付けるしか切り抜ける方法は無くなった。
いや他にも、菊川さんを見捨てる、という方法もあるにはある。いざとなればそうするつもりだが…。
周りには、コボルドの死体がこれでもかと転がっている。魔石のない個体がほとんどだろうが、それでも【
(だが…本当に良いのか?)
だがそれは、桜先輩に俺の本当の職業を教えることを意味する。俺が【
『お前なんて、どこへでも行けばいい!!』
(くそっ…)
呼吸が荒くなり、俺は胸に手を当てる。何でだ。後悔なんてしてないはずなのに、何故今になってあの言葉を思い出すんだ…。
「英夢君…?どうしたの?」
「………」
菊川さんの応急処置をしていた桜先輩が俺の異変に気付き、心配そうな眼差しで俺の顔を覗き込む。その表情が母親と重なってしまった俺は、思わずその視線から目を逸らす。
母親との思い出には、あまり良いものは残っていない。だが、母は俺のことを心から愛していたことは分かるし、あの時あの瞬間までは、『息子』として見ていてくれていたはず。
だがそれは、たった一つの出来事で全て瓦解してしまった。もし俺がこの場でスキルを使い、正体を明かせば…先輩との関係も、同じように崩れてしまうかもしれない。そう思うと、自然と足が止まってしまう。
(俺は、どうすれば…)
「…英夢君」
俺が踏みとどまっている様子をずっと見ていた桜先輩が、決然とした声色で俺の名を呼ぶ。先程との雰囲気と違いを感じた俺は、視線を合わせずに顔を上げる。
「いいわ。私達は置いて、どうにか逃げ切りなさい」
「……え?」
「ここは戦いの場。私も菊川さんも、今回の任務へと参加することを決めたその時から、こうなることは覚悟していたわ」
違う、違うんです桜先輩。俺は──。
「あなた達は強い、私達よりも遥かにね。きっとその気になれば、今すぐにここから逃げ出すことも不可能じゃない。でもそれをしないのは、私達がいるから。違う?」
「………」
「今のあなた達に、私達が足枷となっているのなら…それは、私達の望むところではないわ。それであなた達の、英夢君の命を守ることが出来るのなら、私は喜んでこの身を差し出すわよ。私は、」
「私は、英夢君の先輩だもの」
「……!」
俺に強く訴えかける先輩の言葉には、実は全く説得力がない。俺と桜先輩の関係は、高校で同じ部活に所属していた先輩後輩、ただそれだけ。後輩のために命を投げ出す先輩が、一体どこにいるというのか。
だが、
「俺の先輩、ですか…」
その部分には、一切の偽りも、淀みも、誇張表現も存在していない。それは俺が一番分かっていることだ。
どのみち、この任務が終われば桜先輩と行動を共にすることはしばらく無くなる。この関係が崩れてしまったとしても、俺の生活に大した影響はない。もし桜先輩が俺の職業を拡散させるようなことがあれば…その時は、その時に考えよう。
「先輩」
「何?」
「今から起こることは、どうかご内密に」
「…え?」
予想外の返答に困惑する桜先輩に背を向け、俺はいつの間にか黒コボルドを討伐し、迫りくる軍勢をせき止めていたシルヴィアに呼びかける。
「シルヴィア!!」
「…良いのね?」
「ああ!どデカイのを頼む!」
「はあああああああああ!!」
シルヴィアは『剣の世界』を使い、周囲のコボルド達を骸に変えた。魔力を帯びた黒剣による空間の斬撃は、黒コボルドであっても抵抗することは出来ない。
「リーゼ、二人を頼む」
「ん、任せて」
二人を護る義理も、義務もここには存在していない。だが、他でもない俺自身が、二人には生きていて欲しいと思うから。そのためなら、己の立場を失うことくらい
周りに充満した死の空気、俺はそれを吸い込みながら、【
「【
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