153.『狼神』との力の差

 相対したその時から、格の違いは分かっていた。こっちは所詮、一人の人間でしかないのに対し、相手は正真正銘の神。本来ならすぐさま撤退の選択をしなければいけないような相手だ。


 それでも、カミラの迷宮で三年間生き抜き、外へと脱出してからも様々な実績を積んできた。少なくとも一般人の範疇は超えているという、自分の中で一つの小さな自信が芽生えていた。


 だが、目の前の相手はそれを──。



「くはっ………う」



 悉く打ち砕いた。地面に手を付けながら、俺は口から赤い液体を溢す。体には数多の傷が刻まれており、視界も朧気。もう既に、体も満足に動かすことが出来ない。


 それに対し『狼神マナガル』の体には傷一つ付いていない。所々に付着している赤い斑点はヤツの血ではなく、俺の返り血だ。



「…まだ雛鳥の状態で我の元に寄越されたか、不憫なモノだ。貴様も遊戯に巻き込まれたのか」

「さっきから何かぶつぶつ言ってるけどよ……多分、俺何も関係ないぞそれ」



 息も絶え絶えで、ヤツの言葉を返すのにも精一杯。


 ヤツの速度も、攻撃力も、何から何まですべて脅威だが、何よりも厳しいのがその圧倒的な防御力だ。通常の射撃では銃弾が体を通ることはなく、過剰に魔力を込めた一撃は容易に躱されるか、攻撃の起点にされる。魔力制御の訓練でほとんど隙が無くなったとはいえ、あくまで「ほとんど」だ。その僅かな隙を突かれてしまう。


 一度無茶を承知で強引に接近し、右足で蹴りを喰らわせてみたが、あの艶やかな輝きからは想像もできないほど体毛は強固だった。逆に俺の足に鋭利な体毛が突き刺さり、俺の機動力が奪われてしまったくらいだ。



(グリゴールなんか比じゃねぇぞこれ…強いなんてもんじゃない)



 どうしたらいい、俺がこの状況を打破するには。ヤツの攻撃を捌きながら、何度も自分自身に問いかけたが、当然その答えは見つかっていない。諦めるつもりはないが、残念ながら根性でどうにかなる問題ではないのが、今目の前に広がる事実だ。



「貴様の境遇には同情するが、だからと言って我も駒の一つにされるのは御免なのでな。そろそろ決めさせてもらうぞ」



 ヤツの前足が小さな音を立てながら地面を蹴ると同時に、ヤツの姿が俺の視界から消える。



「くっ……!」



 『危機察知』が反応するよりも早く、俺はボロボロの体に鞭を打ってその場から身を投げ出す。俺の速度じゃ、反応を待ってからじゃ回避が間に合わない。どこから来るかなんて分かりやしないから、回避できるかは神頼みだ。神はアイツだけど。


 今回はその祈りが通じてくれたようだ。ガチンっ!というおぞましい音と共に姿を現したのは、鋭利な牙をしっかりと噛み合わせる『狼神マナガル』。危なかった、もしあの牙が俺の体を襲えば、一瞬で俺の生命は終わりを告げていた。


 もとより、俺の体はそれほど強靭だとは言えない。『危機察知』に頼った回避を主体としていた俺としては、それが難しいこいつの相手は厄介極まりない。それ以前の問題が山積みなのにはこの際目を瞑ろう。



 ヤツは先程の言葉通り、今の一撃を皮切りに猛攻を開始した。牙・爪・咆哮、攻撃自体が単純だが、それゆえに明確な対策が回避しかない。そしてその攻撃が掠れば重症、まともに食らえばその時点で終了、無理難題が過ぎる。



(まずい…血を流しすぎてる)



 動きの切れが落ちていることが、嫌でも分かる。必死の思いで延命を続けているが、それで事態が好転する確率はゼロに等しい。


 そんなことは分かってる。だが、それでも。



「ここで諦めるのが惜しいと思えるくらいには、悪くない人生を送れてるんでね…!」



 あまりさかのぼり過ぎると苦い記憶しか出てこない俺の人生だが、それでも友人に恵まれ、仲間に恵まれ、今はそれなりに充実した生活を送れていると思う。先輩との再会も果たしたしな。


 涙を流しながら再会を喜んでくれた先輩、もし俺がここで命を落とせば、再び先輩を泣かせてしまうことになるかもしれない、今度は悲哀の意味で。それは御免だ。



「ふむ…同類にしては空虚だと思っていたが、やはり貴様にも背負うものはあるのだな」

「当たり前、だ…じゃなきゃ、こうして、もがいたりしてねぇよ!」



 前足の振り下ろしを、地面を転がりながら回避を試みる。本体の攻撃の回避には成功したものの、その衝撃まで避けることは叶わず、俺の体にまた一つ傷ができる。



 俺はすぐに体を起こし、その場から跳躍する。攻撃を回避するなかで、コイツは振り下ろしの後に、身を乗り出して噛みつきを多用する癖を掴んだ。つまり次の攻撃を回避するには、身を空中に投げ出すのが一番回避の確立が高い。



「…流石に速すぎだ」

「しまっ…ぐ!!」



 長時間の戦闘で癖を掴んだ俺だが、それは向こうも同じ。ヤツだって知能を持つ生物なのだから当たり前だ。俺が先を読んだ回避しか出来ないのを逆手に取り、ヤツは噛みつきではなく咆哮を繰り出して来た。俺は腕をクロスさせ、せめてもの防御を試みる。


 凄まじい衝撃の波が、俺の全身を襲う。だが後ろに広い空間があったことが幸いし、致命の一撃にはならずに済んだ。ラル=フェスカも思い切りその衝撃を受けたが、二丁には傷一つ付いていない。



「これで終いにしよう」

「断る!!!」



 ヤツの口元には、光り輝くエネルギー体が一つ。間違いなくあれには凄まじい魔力が込められている。未だ俺の体は空中にあり、この状態で回避は不可能。


 だが、諦めない。俺はラル=フェスカの銃口をヤツへと向け、フェスカに残っている魔力のほぼ全てを注ぎ込む。



「うおおおおおお!!!」

「さらばだ」



 一本の光と、二発の銃弾。衝突した二者は、しばらく拮抗したのち、徐々に銃弾が押され始める。



「…これ以上は打つ手なし、か」



 ラル=フェスカの反動で若干方向が変わった俺の体だが、それであの光線から逃げることは出来なさそうだ。流石に、万事休すみたいだ。



「悪い、シルヴィア」



 約束、破っちまうみたいだ。




「謝罪するにはまだ早いわよ、エイム」

「ん」

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