137.間違ってない
「……ふぅ」
思わず安堵の吐息を漏らしながら、俺は銃を持っている手をだらりと下げる。男の頭部からは赤い液体が流れ、小さな水たまりを作っているが、幸か不幸か俺にとっては見慣れた光景。
他人がああなるのを見るのは初めてだが、それで動揺するほどじゃない。自分のことながら少し寂しい気持ちになるが、その気持ちを抑え、母親の方へと振り向くと…
「母さん、もうだいじょう…」
「ああ、あああああ!!」
振り向くと、母の瞳は恐怖で染まっていた。この時の俺は、血を見て気が動転したと思った。だから母を落ち着かせるため、俺は母の元へと駆け寄ろうとした。
「大丈夫、もう終わったから…」
「近づかないで!!」
「……え?」
この時俺は気付いた。母の視線は男ではなく俺の方を向いていたことを。母が恐怖していたのは、男から流れる血液で出来た水たまりなんかじゃなく、
俺であったことを。
「どうしてそんな子になってしまったの!?いい子に育ってたじゃない!!何も間違ってないはずなのに…ああ、あり得ないアリエナイ!」
「………」
「…そうよ。あなた、実は英夢じゃないのね!?英夢が、私の息子がこんなことするはずないわ!この化物、英夢をどこへやったのよ!?」
「そんなことない、俺は…僕は天崎英夢、母さんの子供だよ」
「嘘をつかないで!!ああもう、化物が英夢と同じ姿をしているなんて…早く、早く私の目の前から消えて!お前なんて…」
「お前なんて、どこへでも行けばいい!!」
♢ ♢ ♢
「その後、銀行に警察が来て、俺は警察署に一時的に収監された」
「…逮捕されたの?」
「まさか。俺の当時の年齢と周囲の証言もあって、逮捕されることはなかったよ…だけど、当然ながら俺の体にあるおびただしい数の傷のことが警察にバレてな。今度は母が聴取を受けることになって…数日と経たないうちに、自殺した」
「「「………」」」
俺が話し終えたのを最後に、周囲は刹那の間静寂に包まれ、水の音がやけに大きく聞こえる。
「じゃあ、エイムはそれからずっと一人で?」
「いや、姉さんが帰って来てくれた。仕事柄家に帰ることは滅多になかったから、ずっと一人って言っても過言じゃないかもしれないけどな」
「そう…」
「…ま、もう終わった話だ。後悔はあるが、引きずってはいない」
最初は父のことだけ話すつもりだったが、少し話し過ぎてしまった。いつかシルヴィアとリーゼの二人には話すつもりだったが…タイミングを間違えたな、折角の温泉なのに、辛気臭い空気にしてしまった。
「…エイムのお父さんの目的が分からない。強く育ってほしい気持ちは分かるけど、一歩間違えれば…いや、なんで死ななかったのか不思議なくらい。なんで?」
「さあ?連絡先も全て抹消して出て行ったし、もし何か手がかりを残していたとしても、わざわざ探す気にはならなかったよ」
「それはそうでしょうね…ほんとになんで、そんなことを」
父が俺にした数々の行いの理由も、突然出て行った理由も、何も分かっていない。父が失踪した当時、当然警察に捜索願を提出したが、見つかることはなかった。多分、もう二度と会うことはないだろう。
「さっきも言ったが、もう終わった話だ。その後も色々と大変だったが…」
俺の年齢を考慮し、この事件に関しては各社マスコミが報道を自粛した。
だが人の口まで閉じさせることは出来ず、どこからかこの事件の情報が流れ、俺は人殺しのレッテルを貼られた。元々交友関係は皆無と言っていいレベルだった俺は、それがダメ押しとなり、完全に周囲から孤立してしまった。
そんな俺が非行に走らず、普通の学生の道に戻ることが出来たのは、間違いなく俊となぎさのお陰だろう。あいつらがいなければ、俺の居場所は刑務所や少年院だったかもしれない。
「長話してたらのぼせちまった、先に上が…」
「エイム」
「…どうした、リーゼ?」
「エイムの選択は、何も間違ってないよ」
リーゼはいつものおっとりとした雰囲気からは考えられないほど真剣な表情で、俺の瞳を見つめる。
「家族を見捨てなかった選択も、家族を守ろうとした選択も。エイムが選んだ道は、全部正解」
「………」
「人族は同種でも争い合う種族だけど…それでも、家族を想う選択が間違いなわけがない」
それは多分、同種同士の結びつきが強いダークエルフのリーゼだからこそ確信を持って言い切れた言葉だと思う。
「だから、エイムは間違ってない」
「…ああ。そうだといいなって、ずっと思ってる。多分、これからもずっとな」
折り合いは、遠の昔に付いている。
だけど、この今胸中を渦巻く後悔と疑念は、これからもずっと俺を付き纏うんだろう。
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