幕間.崩壊した日常・桜の場合

 ─side Sakura─



「菊川さん、今日の予定は?」

「ございません、今日の予定は既にすべて終了しております」



 英夢君と別れたあと、運転手の菊川さんに今日のスケジュールを確認する。とはいえ、勿論自分のスケジュールは把握してるから、ただの確認作業だけどね。



「どこかに寄って行かれますか?」

「いえ、真っすぐに家に向かって」

「承知しました」



 目的を指示して、自分は思考のために目を瞑る。忙しい時期にこうやって移動中に自分の思考を整理しているうちに、すっかり習慣になってしまった。



 今日の出来事と言えば、やっぱり弓道場で英夢君と会ったことね。しばらく顔を見ていなかったから、久しぶりに会えてよかったわ。


 あまり他の子達と交友がなかったみたいだから部を任せるのは賛否両論あったけど、あの様子だとなんとかやっていけてるみたいね。まぁ、別に人見知りするタイプじゃないから心配はしていなかったけど。



 それにしても、彼が大学進学ではなく就職を考えていると聞いたときは驚いたわ。彼の家庭環境は把握しているけど、金銭問題なんて彼の腕ならなんの問題にもならないのに。



「そうだ、菊川さん」

「何でしょう?」

「うちの内部推薦枠、来年分はもう決まってるの?」

「大学の方ですか?……いえ、枠はまだ埋まっていなかったはずです」

「そう」



 それなら、彼をうちに呼ぶのもありかもしれない。彼の才能なら、まだ上を目指せるはず。



「天崎君のことですか?」

「……ええ、よく分かったわね」

「執事ですから。彼を推薦するのは私も賛成ですが、お父様がなんとおっしゃるか……」

「それなのよねぇ」



 彼を一度自宅に招待したとき、父さんが勘違いしちゃって変に警戒しちゃってるのよね。男子を家に招待しただけでそんなに勘繰らないでほしいのだけど、彼ともしばらく気まずくなっちゃったし。



「実際、彼とはどうなのですか?」

「どうって何よ……彼とは本当にただの先輩後輩よ」

「そうですか?お嬢様が友人を招待したのは後にも先にも彼しかいませんし、てっきりそういう関係なのかと」

「……」



 そういえば私、彼以外を家に呼んだことないかも。あれ、もしかして悪いの私?



「お父様が警戒してしまうのも仕方のないことだと思いますよ?お嬢様もそろそろそういうことを考えなければならない年齢ですし」

「……まだ私18よ?」

「確かに一般的な尺度で考えれば尚早かもしれませんが、お嬢様は霞ヶ丘グループのご令嬢、未来を担う存在ですから」

「……」

「執事としては出過ぎた発言かもしれませんが、そろそろ将来のことを考えた方がよろしいかと」



 私は昔から、令嬢だとかいうレッテル付きで自分を見られるのが大嫌い。それを菊川さんが分かってないはずないから、それを承知の上でのアドバイスということなんでしょうね。



「正直、考えたくないというのが本音だわ」

「お気持ちは分かりますが、あまりぐずぐずしているとお父様の方から行動し始めますよ。そしてそうなれば引く手あまたでしょうね」

「なんか嫌ね、そういうの」

「でしょう?」



 結婚かぁ。実際最近は食事会なんかで、そういった話題になることは珍しくなくなってきた。別に父さんのことは嫌いではないけど、やっぱりそういう相手は自分で決めたい。



「……さて、ひとまずこの話はここまでにしておきましょうか。到着いたしましたよ」



 いつの間にか結構な時間が経っていたみたい、気が付くと自宅に到着していた。本当の自宅は別にあるんだけど、登校の兼ね合いで学校から車で10分くらいの所にあるこのマンションの一室に住んでいる。正直歩いても登校できるから車での出迎えとか勘弁してほしいのだけれど……部活で疲れてるときとかは助かったから、あまり文句は言えないわね。



「ただいま」

「おかえりなさいませ」



 毎回思うのだけれど、一緒に帰ってきた菊川さんがおかえりというのは違和感がある。



「すぐに食事の準備をしても?」

「ええ、お願い」



 菊川さんの料理は、そこらのレストランより断然おいしい。今更だけど、ほんとに何でもできるわね、菊川さん。


 微妙に似合ってないエプロンに着替える菊川さんを後目に、私も私服に着替えるため自室に向かう。



 その時だった。






 ズドドドドドドドドドドドド!!!!!






「⁉」

「お嬢様!」



 突如として、地面が激しく揺れ動きだした。菊川さんが慌てた様子でこちらに寄ってくる。



「大丈夫、大きいわね……」

「ええ……!」



 免震構造のこのマンションでこれだけ揺れているということは、実際はとんでもない揺れのはず。揺れはしばらく続いていたけど、次第に収まり始めた。



「お怪我は?」

「大丈夫よ、それより外の様子を……」



 この揺れなら、周辺の建物に被害があってもおかしくない。そう思って、窓の方へ行くと、



「何よ、これ……」

「……⁉」



 街が、沈んでいた。



 どれくらいの大きさなのか言葉で言い表すことも難しい。本当に街一つくらいの一帯が、今も土煙を上げながら沈んでいる。


 まるで小説の中のフィクションのようなその光景に、しばらくあっけにとられているうちに、私はあることに気付いて菊川さんに話しかける。



「菊川さん!あそこらへんの住所分かる⁉」

「へ?……ここからだと正確には分かりかねますが、大体○○あたりでしょうか」

「!!」



 それを聞いた私は、急いでスマホを起動し、ある番号に電話をかける。



「お願い、出て……!」

「お嬢様……?」



 そう懇願しながら電話がかかるのを待つ。だけどその願い虚しく、電話は留守番電話に繋がった。



「……菊川さん、避難誘導に人をやって」

「は、すぐに。ですがお嬢様も」

「分かってる、私もすぐに学校に戻るわ」



 ここらへんで一番安全なのはまず間違いなくあそこ。地盤沈下の危険性はあるけど、そんなのこの街を離れない限りどこへ行こうが大して変わらない。それよりも。



「英夢君……!」



 後任を任せた後輩が無事であることを切に願いながら、学校へ戻るために部屋を出る。






 これから私が、いやすべての人類が壮絶な日々を送ることになることを、この時の私は知るよしもない。



 


 


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