とある夫婦の話

鳥柄ささみ

とある夫婦の話

 お互いに、仕事人間だった。

 結婚してからもずっとそれは変わらず、お互いの休日も勤務時間も業種の違いからバラバラで、今ではただの同居人と化していた。

 何で結婚したんだっけ、そろそろもう離婚したほうがいいのかなぁ、なんて薄ぼんやりと考えていたところに外出自粛に伴う、降って湧いたリモートワーク。

 しかもまさかの夫婦共々同じタイミングでのリモートワークで、私は今更どうしようかと頭を抱えた。

 夫である景とはここ最近会話らしい会話などしたことなく、食費や生活費についてや家電や食器などの購入処分についてなど、もはや業務的な会話しかしてなかった。

 これでも一応恋愛結婚だったはずなのに、どうしてこんな風になってしまったのだろうか、と悔やんでも今更で。

 とにかくこのリモートワークを上手くできるように考えなければならないのが目下最大の問題だ。

 とりあえず今後のリモートワークではどっちがリビングを使用するか、もしくは寝室を使用するか、狭いマンションを借りたことを今更ながらに悔やみながら、その会話から始めなければならない。


(あー、緊張する)


 景と話すだけだと言うのにこんなに緊張する必要があるのか、というくらい胸がザワザワする。

 正直、私はこの状況を打開したい気持ちはあった。

 せっかく結婚したのにこのままただの同居人でいいのかと。

 記憶を遡れば結婚前は何気ない会話なんてしょっちゅうしていたし、旅行だってデートだってお互いにいい距離感で落ち着ける相手だったからこそ結婚したのだ。

 それなのに結婚後から突然勤務先の部署が解体されて再編があってとバタバタしてるのにかまけて、自分のことは自分でして、会話も最低限になって、夜の生活など皆無になっていって……


(いつからこんなになっちゃったんだろ)


 忙しすぎて相手を慮るどころか自分の世話だけでいっぱいいっぱいだった。

 景からも何かアクションがあるわけでもなくて、気づけばこんな手遅れとも言える状況。

 何か特別に仲違いしたとか許せないことがあったとかそんなわけでもなく、日頃の積み重ねでここまで致命的なことになるのかと実感して気が重くなる。


(とはいえ、言わなきゃいけないことだから言うけど)


 いっそこの期に別居でもするか? などとも思うが、そんな時間も手間もお金もかけるのが惜しくて二の足を踏んでしまう。

 だからといって、このまま同居人というのは精神的に耐えられる気もしない。

 周りからも「子供はまだ?」のプレッシャーもキツくなってきたし、本音を言えば子供も欲しいのは欲しいけど、実際問題やることやってないのだからできるわけがないんだし、そもそも今の状況でそういうことができるか? と聞かれても答えはノーだ。

 ということで、色々と二進も三進もいかなくなってしまったのが現状だ。


(はぁ、気が重いなぁ……)


 胃の辺りがずしんと重い。

 あー、考えるだけで憂鬱だ、そんなことを思いながら今日の私は午前半休なので久々に自分のぶんだけでなくて景のぶんの朝食を用意して、リビングで本を読みながら彼が起きてくるのを待っていた。


「……茜、今日仕事じゃなかったっけ?」


 読書に集中していたせいか、不意に声をかけられてどきりと心臓が縮んだ。


「おはよう、景。今日は午前半休。上層部が今後のリモートワークについてどうするか話し合ってるからそれの連絡待ち」

「ふぅん」


 うまく話せただろうか、そんなことを思いながら再び視線を本に移すと「それ」と声をかけられる。


「ん? 何?」

「それ、今読んでるのって……春日佐登美の新刊?」

「え、うん。そうだけど……」

「それ、俺も買った」

「え、嘘」

「嘘ついてどうすんだよ。……ほら、これ」


 そう言ってカバンをゴソゴソと探ると、景が書店のカバーを外して見せてくる。

 そしてそれは確かに今読んでるものと一緒で、まさか夫婦で同じものを買って読んでいるとは思わず、すごい偶然だな、と思った。


「もうどれくらい読んだ?」

「んー、主人公の向坂さんが家を出たとこ」

「あー、あそこね。ふぅん。そのあと意外な展開あるから、早く読んだほうがいいよ」

「何そのプチネタバレ」

「何があるかは言ってないからいいだろ。てか、これ食べていいの?」

「あ、うん。そのつもりで作った」

「ふぅん、ありがと」


 ぎこちないながらも会話できたことにホッとする。

 なんだ、話のとっかかりがあればこうも話せるのか、と今まで気構えてたのがちょっと馬鹿らしくなった。


「そういえば、アンモネのコラボカフェできたの知ってる?」

「え、知ってる。てか、この前行った」

「は? 聞いてないんだけど」

「だって、言ってないし。てか、うちら最近話してないじゃん」

「あー、まぁ、確かに。で、コラボカフェどうだったの?」

「クオリティはよかったよ。値段はちょっと高めかなぁ……。でも美味しかったし、また行きたいとは思ってる」

「……次はいつ暇なの?」

「ん? 何が?」

「茜。今度いつ休みなの」

「私は前と変わらず土日休みだよ」

「じゃあ予約取っておいて。それに合わせるから」

「え? でも景……仕事は?」

「有給溜まってるから取れって言われてる」

「何それ聞いてない」

「今初めて言ったからな」


 言われて、同じ部屋で暮らしてるというのにどれだけお互いのことを知らなかったのか、と実感する。

 結婚して喋らなくなって約一年。

 考えてみたらまだ新婚と言っても差し支えないはずなのに、こんなにも会話もなくお互いのことを知らないというのはどうなのか、と改めて思った。


「わかった。予約しとく」

「ん。代わりにアンモネの映画のDVD予約しといたから見せてやるよ」

「え、それ私もBD予約したんだけど」

「は? え?」


 よくよく聞けば、私は仕事で忙しくて観に行けなかったから円盤だけは買おうと予約していたのだが、景も同様観に行けなかったから私も観るだろうしと予約しといてくれたらしい。

 そういえば、出会ったきっかけってアンモネがお互い好きだったからだと思い出して、そんなことすら忘れていた自分に、ちょっと悲しくなった。


「ちょっと待て、とりあえずどっちかはキャンセルするとして他に被ってるのないだろうな?」

「えーっと、そう言われても……」


 言いながら最近あった出来事や買ったものなどを話し合う。

 するとグッズや漫画、ゲームなどいくつかの被りとお互いに欲しいと思ってたものがそれぞれ出てきて思わず笑ってしまった。


「散々オークションサイトとかフリマアプリとかSNSとかで探してたものが家にあったとかウケる」

「ウケるとかじゃないだろ。そもそも一言俺に聞けよ」

「そんなこと言ったって、景は忙しそうにしてたし」

「それは……そうだな。すまない、急に上司が逝去して昇級してから途端に忙しくなってたから余裕がなかった」

「そうだったの? ……って、私もそうだったから人のこと言えないか。私も事業部の再編でバタバタしてたし」

「そうだったんだな。……お互いリモートワークになったことだし、この際部屋のこととかお互いの家事とか今後の生活についても話しとこうか」

「そうね。てか、私も今日それ話し合おうと思ってたとこ」

「どんだけシンクロしてたんだ、俺たち」

「シンクロしてるわりにはすれ違ってたけどね」


 それから、今後の生活のこと、子供のことを話し合い、今まで身構えて気が重かったはずの私の心は晴れやかだった。

 それと、ずっとできていなかった新婚旅行を景はずっと考えてくれていたそうで、海外から国内からVRまで様々な雑誌やパンフレットを用意して調べていたらしく、付箋がたくさん貼り付けられていて、それぞれ私の反応を慮るコメントが書かれていたことに景の性格が出てて思わず笑ってしまった。

 私は思いのほか景から愛されていたらしい、と気づいてちょっと嬉しくなる。

 今では毎日一緒に昔なつかしのアニメを観るのが夕食の日課になり、しょうもない会話をするようになり、こうも生活が変わるものかと外出自粛のおうち時間も案外悪くないと思う私だった。

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とある夫婦の話 鳥柄ささみ @sasami8816

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