キミの気持ちは……?

@yamakoki

小さな反逆

 何度、勘弁してくれと思ったか分からない。

 俺――城谷慧がリビングでスマホを見ていると、我が家の恒例行事が始まった。

 洗濯を終えてリビングに戻ってきた母が、ソファーに座る俺に気づいたのである。


「慧、勉強はしたの? 全くあなたって子は……。少しは美月を見習いなさい」

「そうだぞ。お前って奴は真っ昼間からゴロゴロと……」


 最近流行っているウイルスのせいで、テレワークになっている父。

 そんな父の休憩時間に、母が俺を見つけるなり勉強を要求する。

 当然その場に居合わせた父も追随し、俺は両親を相手に戦わなければならない。

 

 こんな光景が我が家では毎日繰り広げられていた。

 もちろん親が子に勉強を要求するのはよく見る光景だが、うちの場合は少し違う。


「また始まった。よくもまあ、毎日飽きずに妹上げができるものだ。関心するぜ」

「どういうことよ?」

「一昨日も言ったはずだが、まあいいや。二人は妹を求めているだけだろ」


 一歳年下の妹の美月は才色兼備の優等生だ。

 高校ではクラスカーストの上位に位置し、生徒会役員も務めているらしい。

 そして現在の俺の悩みの種がこの女だ。


「どうせ、“美月よりレベルの低い高校に通っているんだから、人一倍頑張らなきゃ”とか思っているんだろ」

「それはそうでしょう」

「適性ってもんを知らないの? 俺がどれだけ頑張ってもあいつには追い付けない」


 いっつもそうだった。

 俺がどれだけ努力しても、あいつは涼しい顔でそれを上回っていく。

 そりゃモチベもなくなるって。


「随分と騒がしいわね。一体なんの話をしているの?」

「げ、美月」

「げっ、て何。スマホを見ているところを見つかったって感じ? 変わらないわね」


 美月が俺のことを鼻で笑い、母親に向かって、乙女ゲーに出てくる悪役令嬢のごとき尊大なポースでこう言い放った。


「もうやめたら? お兄ちゃんにいくら言ったところで無駄よ」

「でも……」

「私がいるからいいじゃない。お兄ちゃんは私の足を引っ張らないでくれればそれでいいのよ」


 相変わらず酷い言い草だ。

 とはいえ、両親だけでなく妹とも言い合いをするのは面倒なので戦略的撤退。

 部屋に引きこもることで話し合いを強制終了することとする。

 

 妹も生徒会の仕事がないから、いつもより早く帰ってくるんだもんな。

 まったく、あのウイルスのせいで心労が増えてばっかだ。


 戦略的撤退を敢行した日から三日後、俺は担任に呼び出されたせいで帰りが遅くなってしまった。せっかく今日は両親がそれぞれ出かけてくれたというのに、とんだロスタイムである。


 担任教師への恨みを募らせながら家の扉を開けると、リビングから悲痛な叫び声が聞こえてきた。


「あー、もうっ! こいつってば本っ当に邪魔なのよ!」

「何だ、誰が騒いでいるんだ?」


 不思議に思いながら扉を開けると、ソファーに寝ころんだ美月がスマホを片手に唸っていた。まだ俺が帰ってきたことには気づいていないらしい。


「どれだけ集中してんだ、あいつは」


 足音を立てないようにソファーの後ろに回り込み、画面を見つめる。

 そこには今、有名な乙女ゲーが映し出されていた。


 どうして妹が乙女ゲーをプレイしているのかはさておき、どうやらイベントに苦戦しているらしい。先ほど邪魔だと言っていたのはライバル役の令嬢のようだ。


 このゲームは俺もプレイしていて、選択肢を一つでもミスるとゲームオーバーになってしまうという、近年稀に見る初見殺しに特化した乙女ゲーなのである。


「そのイベントは一番下の選択肢を選べ。そいつは脳筋だからな。おだてておけ」

「そうなの。ありがとう……って、ええ!?」

「ここまで近づいても気づかねえって、どんだけ集中してんだよ」


 美月の成績がいい理由もこの辺なんだろうな。俺にもこれだけの集中力があれば、勉強時間が短くてもそれなりの成績は残せるだろうに。


「う、うるさいわね」

「それにしても、お前が乙女ゲーをやってるとは思っていなかったぜ。意外だ」

「……一つは話題にするため。あとは密かな楽しみでもあるわね」


 美月が恥ずかしそうにそう呟く。

 俺も友人がやっているからという理由で始めたゲームはあるから分かる。

 だが、密かな楽しみとはどういうことか。


「一時的な現実逃避の時間って言えばいい? あの二人の期待が、ほら、重いから」

「なるほどな」


 才色兼備の美月は両親から多大なる期待を寄せられている。

 それはもう、基本的に頭の悪い俺に美月と同じレベルを求めるくらいに盲目的だ。

 こいつにとってはプレッシャーだよな。

 俺とは別のベクトルで大変な妹である。


「本当にあれは何とかしてほしいよな」

「お兄ぃに求めるレベルを下げるには、私が嫌われ者になるしかないしね……」


 ため息交じりに言う美月。

 しばらくして自分の言ったことに気づいたのか、慌てて繕おうと試みる。


「いや、今のは……聞かなかったことにして」

「おい、それはマズいぞ」

「えっ?」


 脈略のない返答に美月が首を傾げたところで、リビングの扉が開かれた。

 そこに立っていたのは買い物から帰ってきた母。

 美月のスマホに気づかれまいと、俺は先手を取って会話の主導権を取ろうとする。


「母さん、おかえり。何を買ってきたんだ?」

「ちょっ……」

「今日はおでんにするからちくわをって……美月! あなたは何をしているの!?」


 母親の叫び声を聞いたとき、俺は自分の失態に気づいた。

 さっきまで美月が持っていたスマホの画面をのぞき込んでいたから、そのままでいればちょうど壁になったのに、わざわざ白日の下に晒してしまった。


「おい母さん……」

「ゲームなんてやっている暇があるなら勉強しなさい。この家はあなたにかかっているのよ!」


 案の定、母はヒステリックに叫ぶ。

 美月には時間が食われるゲームなんてやらせないという母の強い意志を感じる。


「は?」


 そのとき、俺と母の双方にとって想定外の事態が起きた。

 今まで黙って母に従ってきた美月が、低い声を出しながら母と相対したのだ。


「美月……?」

「お母さんは私の何を知っているの?」

「あなたのことなら何でも知っているわ。大事な娘なんだから当たり前でしょう?」

 

 堂々と宣言する母に対し、美月は冷たい視線を向けた。

 こいつがこんな態度をとるのは初めてかもしれないな。


「じゃあ、私が部屋にいる間はずっと勉強をしていると思ってる?」

「思っているわよ」

「もう化けの皮が剥がれたわね。私、毎日二時間はスマホでゲームしてるわよ」


 初耳だった。

 それで、こんな成績を保っていられるものなのか。


「えっ……?」

「そして、私がそこまで長い時間集中力を保っていられないっていうのも知らないでしょう」


 母は完全に混乱しているようだった。

 信じていた美月に裏切られたというような気分なのだろうか。


「お兄ぃに対してもそうだけど、結局は理想の子供像を押し付けてるだけなのよ」

「そんなことっ!」

「じゃあ、どうして私のことを知らないの? なぜお兄ぃの限界を気づかないの?」

 

 美月の視線はすでに氷点下に達しようとしていた。

 今になって考えてみると、美月は両親の期待を自分に集中させていたように思う。

 ああ見えて、俺をしっかりと見てくれていたんだな。


「高校受験のときのお兄ぃなんてほとんど死人だったわ。あれを見ても何も……!」

「美月、その辺にしておけ」

「お兄ぃ!?」


 ここぞとばかりに母を責め立てる美月を落ち着かせ、母にチラリと視線を向ける。

 母は今にも倒れそうなほど顔を青ざめさせていた。


「いきなりそんなに言われても混乱するだろう。考える時間が必要だと俺は思うぜ」


 俺が思うに、母も俺と同じ人間だ。

 そこまで頭は良くない。

 さらに自分の夫、つまり父が頭がいいから劣等感に苛まれてきたのだろう。


「お兄ぃがそう言うなら……」

「いえ、いいわ」


 母は毅然とした態度でそう言うと、美月に頭を下げる。


「ごめんなさいね……。美月がそんな風に思っていたなんて知らなかった」

「問題はお兄ぃに対しての発言よ。怠けているのは否定しないけど……」

「おい」

「それでもお母さんたちが身の丈に合わない要求をしているのは事実だと思うわ」


 美月の言葉に母が頷く。

 俺は少し離れた場所で二人のやり取りを眺めていたが、母がこちらを向いた。


「慧もごめんなさいね。お父さんともよく話し合ってみるわ」

「あ、ああ……」


 反応に困るな、これ。

 今まで毎日ぶつかり合っていただけに、どう反応したらいいのか分からない。


「混乱しているわね」

「しょうがないだろ。母さんとはほとんど言い合いしかしてねぇんだ」

「そうかもしれないわね」


 美月と母が同時に苦笑する。

 家族でこうやって笑いあったのは、果たして何年ぶりだったか。

 少なくとも美月が小学校に入ってからはなかったように思う。


 偶然も多々あったが、全員が早く帰ってきたからこそ、こうやってお互いに思いをぶつけられたんだよな。


 そう考えると、このつまらない日々も悪くないかもしれないな。

 俺はそんなことを思った。

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