0014:聖人
何をすればいいのかがわかったノグチだが、視点を移すとウィルマは六人の中で最も苦労していた。
「どうしましょう、砂を操る能力だというのに植物に囲まれては砂なんてあるわけ無いです……」
ウィルマは弱気な女であったから自分の置かれた状況に早くも絶望していた。自分にはそもそも力なんてないし、この能力だってどこでどう使ったら強いのかもよくわからない。今だって何もできずにいる、きっと何かの間違いで脱出できても役に立ちはしない。
そうしたネガティブな感情からくる様々な自分を卑下する文章が矢継ぎ早に頭の中に浮かんでは消えを繰り返し始める。そうして自分からどんどん気分を下げていき、もう脱出しようなどという前向きな考えは消え失せていた。
ペーターに続き、今度はナターリアが脱出に成功したようだ。リンショウが彼女の名前を呼び、称賛する声が聞こえる。
ああ、そうやって順番にみんな脱出していき、私だけ残るんだ。そうして次の授業に移動しなきゃいけなくって先生に出してもらうのね。リンショウ先生はにこやかな顔をしながら失望を隠しきれない様子で気にするな、誰だって最初はうまく行かないさ、他のみんなは特殊なんだよ、と言って私を励ますのよ。
もはやウィルマの頭の中は絶望的状況博覧会のようになっている。どれだけ絶望的な状況を想像できるのかを競っているかのようにウィルマはそのことを考え続けた。
今度は視点をまた別の人物に移す。
ジョルジュは人の良さそうな顔を困り顔にして悩んでいた。
「僕の能力を使えば多分一番ラクに脱出できるけどそれじゃあ角も立つしなにより先生に申し訳ないな……」
彼の能力は植物を操る能力である。それを使えばペーターよりも早く、閉じ込められた次の瞬間には脱出できたはずである。しかし、彼が未だツル植物の中で悩んでいるのには彼の極度のお人好しが関係していた。
ジョルジュ・カマンダは紛争地帯で生まれ育った好青年である。生まれたときから常に彼のそばには紛争があった。常に怒号と悲鳴が聞こえる中で生まれ、母親から父親は部族の誇りを守るために死んだと聞かされて育った。ジョルジュの部族は争っている中ではかなり優位に立っている部族であったため、ジョルジュ自身に危険が及ぶことはそう多くなかったが、逆に自分の部族の人間が他の部族に乱暴狼藉を働くのを目の当たりにすることは多かった。
〜年前には我々の土地だったのだ、と声高に叫び、女子供しか残っていないような集落を蹂躙する部族の男たち。将来敵の戦士になる、と年端もゆかない男子が殺されるのを見た。その子供が母親の名前を泣き叫ぶのを聞いた。夕暮れ、串刺しにされたその集落の住民たちの死体の山にカラスが止まるのを見た。
部族の誇りとはなんだろうか。抵抗すらしない集落を皆殺しにするのが誇りを守る行動なのだろうか。ジョルジュの中で部族の誇り、という言葉がゆらぎ始める。
ある日、父の跡を継いで戦士長のような立ち位置になった男がジョルジュの元を訪ねてきた。男は生首を持っていた。満面の笑みで男は言う。
「亡きシュージャの息子よ!朗報だ!シュージャを殺した奴らを壊滅させたぞ!これはシュージャを殺したやつの息子の首だ。いるか?」
いるわけがない。一体どういう感覚をしていたら親の仇の息子の首を欲しがるのだろう。この日、ジョルジュの中で何かが崩れた。ジョルジュよりも二回りも三回りも小さい子供の恐怖を貼り付けたままの生首が頭から離れない。しかも男はジョルジュのためと思って持ってきたのだ。誰も狂わないとやっていけない世界でジョルジュは不幸にも正常な感覚を持って育ってしまった。感覚の違いに苦しみ、三日三晩生首にうなされた後、霧は晴れた。
曇り一つない青空が広がる夏の日、ジョルジュは満面の笑みで自分の寝床を出て、彼の男のもとへ向かった。そして、ノックをして部屋に入ると、お辞儀をして男に最大級の謝辞を述べた。男は少し驚いたような様子で固まった後に、顔をくしゃくしゃにして涙を流しながら
「良かった……本当に良かった……立ち直れたのだな……俺がそのきっかけになれてよかった。」
と言う。どうやらジョルジュが部族の男たちに冷たい態度をとっていたのは父の死を引きずっていたからで、この前のことでようやく立ち直れて笑顔を作れるようになったと勘違いしたらしい。
なぜジョルジュは急に笑顔になって、また今のような度を超えたお人好しとなったのだろうか。一言で言えば彼は狂ったのである。まともな感性を持った人間が狂った世界に適応するには狂うしかない。ジョルジュはすべてを肯定し、全てに感謝し、全てに優しくする、そんな聖人になるしかない、と彼の中で結論づけたのだ。
一々自分の部族の行うことに嫌悪感を覚えていては苦しい。いっそ全てを肯定してしまえば自分も優しい気持ちになれるし周りも楽だろう。遠くで空爆が行われる音を聞きながら寝られなかったジョルジュの精神状態は極限状態に達し、自分に洗脳をかけるにはもってこいの状況だった。自分は全てに対して肯定的であろうとする聖人である、と自分を洗脳したジョルジュはまず父を肯定した。部族の誇りが何かはよくわからないが父は多分正しかったし、その敵討ちをしたあの男も正しかったのだ。正しいことをした人には感謝しなくては、と感謝の言葉を述べた。よくわからないことを言っていたが泣いて喜んでいたので多分自分がやったことは正しかったのだろう。
その日からジョルジュは聖人であろうとし、部族の中での立ち位置も固まっていった。そんなある日、突然ジョルジュたちの部族は負けた。
某国の後ろ盾を受けたある一部族が周囲の部族を掃討し始め、その手がジョルジュの部族にも及んだのだ。殺されかけるときにもジョルジュは笑顔で相手の兵士に労いの言葉をかけた。兵士は気味悪がって銃弾を一発だけ打ち込んでその場を後にした。ジョルジュは消えゆく意識の中で再び狂いかけていた。聖人になってもいいことなんかなかったし周りは楽じゃなかった。なんで痛くて苦しいのだろう?全てに正しくあろうとしてこうなるなら今度は全てに。
そこで意識は途絶え、次に目を覚ましたのは組織の施設内であった。なぜ寝込んでいたのか記憶が定かじゃないが新しい環境にあっても自分のやることは変わらない。
聖人で、お人好しでいよう。
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