0012:教師

「さて、改めて自己紹介も兼ねてこの授業について説明したいと思います。」


依然として空気が凍りついたままの教室内をにこやかに見渡しながらキクチは言う。


「私の名前はキクチと言います。ノグチさんと同じヤシマ出身で皆さんの座学担当です。私の能力はモノを浮かす能力です。自己紹介は以上です。次に、ルールについてです。2つは既に言いましたが、まず私が話している間にそれを遮るような行為をしないこと、私に対して友人に話すかのように砕けた口調で話しかけないこと、その他にもいくつかルールがあります。私の授業は座学ですが、居眠りは厳禁です。また、私の許可無く水分補給をしてはいけません。それから……」


延々と続くいくつかどころではない数のルールの数々を聞きながらこっそりと目を合わせるノグチ達であった。


しかし、掴みの強烈さに反して授業内容は淡々としたものだった。まずは能力とはなにかという説明から始まり、細かい説明へと続いていく。典型的なわかりやすい講義そのものでノグチ達は悔しいがキクチの教師としての素養を認めざるを得なかった。初回授業で言われた主な内容はそもそも能力とはどういうものかということに関するもので、いま一番欲しいと言っても過言ではない情報だった。


「まず第一に、」


とキクチは前置きから始める。


「この能力を過信しないことが重要です。みなさん、というよりも普通の人はなにか超常的な能力を手に入れれると無敵になったような気がしてしまうものですが、決してそんな事はありません。あくまで基礎戦闘能力があった上で、補助としてこの能力を使うということです。しかし、覚えておいてください。練達の能力者相手に能力無しで立ち向かうのは無謀とも言えるということを。どのようにして能力を使えば自分の戦闘に役立てるかということを分かった上での戦いは別格です。」


このように釘を刺すところを見ると今まで能力を過信して帰らぬ人となった者たちもいるのだろう。そう考えると急にこの言葉の重みが増すような気がした。


その後の話は能力自体について。能力は二種類に分かれ、対象が細かいほど能力ができることも複雑になっていくと言った既知の情報から始まり、そもそもこの能力はどのような仕組みで仕えているのかと言った説明に移っていった。


「なにか便利な道具を使用するときにその道具が何たるかを使用することの愚かさは言わずともわかることと思います。したがって皆さんはこの能力の仕組みを理解しなければならないわけです。」


このようにキクチは言う。確かにこの能力のことでノグチ達が知っていることと言えば謎の深碧の石を飲み込んで発現するということ、その際に異様に長い時間待たされたということのみだ。


得体のしれない能力が体に備わっていることにもはや何の疑問も覚えていなかったが、よく考えてみれば恐ろしい話である。その仕組を説明してもらえるとのことでノグチ達はより一層キクチの話を注意して聞こうと椅子に座り直した。


「まず、皆さん共通の概念として正負の存在に関しては共有しておきたいです。負に負をかければ正になる。これぐらいは皆さん知っていますよね?知らない方は挙手をしてください。」


義務教育を受けていれば当然知っている知識、そう思うのはノグチが教育重視の超学歴社会の国家ヤシマ出身であるからだろう。当然、そのような教育を受けていない地域の人間もいるということは念頭に置かなければならないところである。


「すいません……知らないです。」


そう申し訳無さそうに手を挙げたのはジョルジュだった。彼の母国、テララは今なお紛争の耐えない多民族国家である。ヤシマで言えば中学教育に当たる教育すら満足に受けられる人数はそう多くない。


これは他に人間にとっては知り得ないことだが特にジョルジュは彼が今のような性格に育ったのが奇跡とも言えるような劣悪な環境で育った過去を持つ。


キクチは片眉を上げ、にこやかな顔を崩さず


「そうですね、私は未だに自分が育ったヤシマの価値観から抜け出せていないようです。申し訳ありません。ご説明いたします。」


と丁寧に返した。その様子に、キクチの前で手を挙げるという行為に対し、未だに恐怖が拭いきれていないノグチ達は妙にホッとした。


「今ここに3冊の本があるとします。そこから2人の人が1冊ずつ持っていくことは可能ですね?2冊持って行くので1冊が残るわけです。ではそこから5人の人が1冊ずつ持っていくことはできるでしょうか、できませんよね、2冊足りないですから。この”足りない”という状況を負の数という概念で表していると思ってください。わかりますか?」


こう説明するキクチ。ノグチは改めて負の数とは何かを説明されたことはないな、と思い新鮮な感覚であった。


「なるほど、3冊から5冊を引いたら2冊足りないのでそれを負の数の2で表しているんですね!」


ジョルジュがこう嬉しそうに答えるのを見てノグチは少し驚きを覚えた。自分が負の数というものを初めて教わったときにここまで理解力が高く、負の数というものへの理解は深かっただろうか。教育とは押し付けられるものであったノグチには理解できぬ喜びをジョルジュは感じていた。


「その通りです。さて、今あなたは借金をしているとしましょう。借金をしているということはお金が足りていないということです。その借金が減ったらどうなりますか?足りないお金が減ったということはお金が増えたからですよね。つまり”足りない”を減らすというのは増えるということと同じなのです。」


こう説明するキクチを見てノグチは確かに彼は教師なのだな、と感じる。それは他の皆も同じようで一同複雑な顔をして二人を見つめていた。ほどなくして授業の終わりを告げるチャイムが鳴った。どうやら各授業の間には15分の休憩時間が設けられているようだ。時計は8時45分を示していた。一日は長くなりそうである。

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