0011:教導
「すいません…お風呂の時間が見当たらないのですが…」
ウィルマのなんとも場に合わぬ質問に一同はそれまでの緊張が一気に溶けたこともあり、ペーターを除くほぼ全員が吹き出した。やはりペーターは表情を変えない。感情がないのだろうか。この質問に同じく苦笑いしつつリンショウは答える。
「ああ、お風呂ね。いやぁ、なんの質問が飛び出すかと思えば…君、意外と肝座ってるんだねえ。ウィルマちゃんだっけ?大丈夫、風呂は休憩時間ならいつ入ってもいいよ。なんせ君たちの部屋は一人一つずつなんだけど各部屋風呂等生活に必須な施設は完備だからね。さ、今の時間わかんないと思うけどもうすぐ夕食の時間だよ。ここが学習室。ここから食堂に行く道のりに全部必要な施設はあるから、ついてきて!」
そう言うとリンショウは弾むように部屋を出ていく。慌ててついていく一同。この時、ノグチを含む六人のうち多くはなんだかんだ言っても充実した日々になるのだろうと考えていた。
翌日、午前6時
ノグチ達は座っていた、定刻通り。だというのになかなか現れないもうひとりの座学担当だという教官。ノグチ達は随分と辛抱強く待った。だが、一向に現れず、もう七時になるというときに急に轟音が鳴り響いた。全員が音の鳴ったほうを見る。そこには煙の奥に一人の男が何かを持って立っていた。
土煙が薄くなるにつれ、その姿が明らかになり、女子陣が一斉に息を呑む音が聞こえる。なんとその男は人影のようなものを手に持った鋭いものに突き刺したまま現れたのだ。
「いやどうも、遅れてしまいました。でも今日はどうせ初日だから確認テストとかないですしね。…え?何をしていたのかって?いやだな〜そんなの狩りに決まってるじゃないですか。」
満面の笑みで誰も尋ねていないのにべらべらと喋り始める中年の冴えない風体の男は一体誰なのだろうか。この疑問を全員が持ったことだろうが。ノグチ達がそれを質問する前にその男はまた喋り始める。
「いや、自己紹介が遅れました。ノグチさんだったかな?と同じヤシマ出身のキクチと申しますぅ。みなさんの座学講座を担当いたします。さ〜あっ、早速ですが、なぜ私が授業を控えているにも関わらず狩りをしてきたのかということになりますが、」
キクチと名乗った男はふと語りをやめる。キクチの視線の先には手を挙げるナターリアの姿。皆驚いた顔をする。というのも、ナターリアがまともに喋ったことなど皆見たことがなかったからだ。そのナターリアが教師の話を遮るように手を上げている、これは随分と珍しいことだ。ナターリアの方を見、その満面の笑みを浮かべたままキクチは
「えーっと、ルキーニシュナさん、で合ってるのかな?質問があったのですか?でもすまない、先に私の授業のルールを教えておくべきでしたね。まず、私が話をしているときにそれを遮る行為は固く禁止します。それを破った場合このように」
と言うと、キクチはだまり、ナターリアの方を見る。皆も同じくナターリアの方を見ると、驚くべきことに、ナターリアの体がどんどん宙に浮いていき、そして、5mほど浮上したところで停止する。あまりに予想外の出来事にナターリアは表情を硬直させ、どうしたら良いのかわからない様子でキクチを見る。次の瞬間、急にナターリアの体を浮上させていた謎の力はかき消え、ナターリアは地面に落下していた。
「ちょっと痛い思いをしてもらいます。私の経験上教育手段のうちもっとも手っ取り早いのは痛みによる教育です。便利なことに何回も罰則を受けると人はそれがトラウマとなってその違反行為をしなくなることがあるそうです。ただし、トラウマは辛いそうですのでできればトラウマになる前に違反行為をしなくなるといいですね。」
そう言い、こちらに笑いかけるが、もちろん笑顔を返す者など一人もいるはずはなく、皆こわばった顔で固まっていた。その場に流れた雰囲気を感じ取れずかあえて感じ取らなかったのか、キクチは依然としてにこやかな顔のままこちらに問いかける。
「さて、私の話は終わりましたのでなにか質問ある方はどうぞ?」
その質問にサラが怯えた様子で問いかける。
「わ、私達は軍隊に入ったわけでもないのにスケジュールにしてもどうしてそんなに厳しい目に合わなければいけないのよ。それにナターリアさんにしたことだっておかしいわ。彼女はそのルールを知らなかったんじゃない。あまりに理不尽じゃない?」
サラの言うことも最もだ。知っていたルールを破ったのならまだしも知らなかったのにいきなり罰則とは随分な仕打ちだと言える。しかし、キクチは黙ってサラの方をにこやかに見やり、次の瞬間サラの体は同じように宙に浮き、落とされていた。怒りや困惑を通り越し完全に怯えきった様子のサラに笑いかけ、キクチは穏やかに言う。
「クローフォードさん、これも言っていなかったルールですが、他の授業は知りません、ですが私の授業では私に対し、絶対に敬語でお願いします。これは同じヤシマ出身のノグチさんなら理解していただけることと思います。」
こう言うとキクチはノグチを一瞥する。ノグチは固まったままであったが、それに構わずキクチは続ける。
「それと、私は質問を許可したのであって、意見を言う場を設けたわけではありません。後半は質問ではなくあなたの意見でしたね。さて、質問にお答えします。軍隊に入ったわけでもないのに、とおっしゃいますが、逆にあなたはなぜこの組織に入ったのですか?」
これを言うとキクチは今一度全体を見直す。何も知らない者が見たら人の良さそうな中年男が談笑をしているようにしか見えない様子がまた恐怖を醸し出している。
「大体の新入の方は我々のおおまかな仕事を聞き入ることを決意したものと聞いているのですが。もしやポータルという異質なものの敬語が普通の警備会社と同程度の仕事であると思っていたのですか?それならば想像力の欠如と言う他にないでしょう。それに、軍隊ほどに厳しくしているつもりはありません。休憩時間もあって風呂にも水道代や近所からの苦情を気にせず入ることができ、残業もない。なんならサラリーマンよりも高待遇と言えます。」
こちらの様子など一切構わず続けるキクチは企業戦士時代でもあったのだろうか。少し語気を強める。
「さて、それはおいておいて本来答える義務はないのですが、ご意見の方にも答えさせていただきます。知らなかったルールだというのに罰則が与えられたことに理不尽を感じていらっしゃるようですが、逆にお聞きします。想像してみてください。今まで訪れたことのない国に訪れ、あなたは自分では何一つおかしいと感じることのない行為をし、捕まりました。どうやらその国の法律に違反していたようです。さて、あなたを捕まえたその国の警察は理不尽なことをしていると言えますか?言えませんよね?下調べをしなかったあなたが悪い。さて、あなた方には昨日、リンショウ教官に質問をする機会があったと伺いましたが、そこでどなたかリンショウ教官になにか授業のルールなどがあるか聞いた方はいらっしゃいますか?一応私の授業のルールは各教官にも伝えてあります。いませんよね。ではあなた方の下調べ不足です。以上、ルールについてはこんなところです。」
そして、ここまでまくしたてるように言うとキクチは少し息を整えて、教壇の中央に立ち、よく教師がそうするように手を教卓につき、こちらをもう一度ゆっくりと眺める。
「さて、改めて自己紹介も兼ねてこの授業について説明したいと思います。」
とんでもない日々が始まりそうだとその場にいたほぼ全員が思った一時限目であった。
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