0005:嚥下
「そしてその任務とは皆さんご存知のポータルを守ること。それだけのために作られた組織。それが俺たちだ。」
いきなりのことにノグチは何も言えなかった。ポータルを守るというのはどういうことだろうか。警察ということではなさそうだ。なにせ自分たちの組織に名前はないというのだから。それに、それ”だけ”のために、とはどういうことだろう。浮かんだ疑問の数々に何も言えないでいるとエディはなおも続けた。
「そして、俺達はあのWREA直属の組織でもある。言い換えれば国連管轄の組織でもある。ただし、他の国連機関と違うのはその存在を決して一般人に知られてはならないということだ。ここで、一つ問題が生じた。そう、君だよノグチくん。我々の土地に知らなかったとはいえ無断侵入し、あまつさえ我々の正体と存在を知ってしまった。そんな一般人がいてはならないんだよ。わかるね? 」
一気に話の雲行きが怪しくなり、ノグチは困惑した。正体を知ってしまったも何も話したのはそちらではないか。不服そうなノグチにエディはいきなり近づき、耳打ちする。
「いいか、おそらく臆病な上は君が我々の土地にいたというだけで君を処分しようとするだろう。そうならないためにはシナリオが必要なんだ。今しばらく茶番に付き合ってくれ。」
どうやらエディはノグチに難癖をつけて始末したいわけではなさそうだった。エディは何もなかったかのように続ける。
「さて、ここでこの二つの問題を一気に解決する素晴らしい案がある。つまるところ君が一般人でなくなってしまえばいいんだ。今君には二つの選択肢がある。このまま一般人であり続けることを望み、裁きを待つか、我々の仲間となり、共に戦いと修羅の道に入るか。」
選択肢を与えると言っておきながらエディの目はこちらに片方を選択することを強く訴えかけていた。これは情けなのだ。元々死という選択肢しかなかったところに少なくとも今は生きられるという選択肢が増えた。それにポータルを守るポータル専属の警察ということだろう。名前もつけないほどにその存在をひた隠しにしている理由はよくわからないがこちらのほうがマシに決まっている。一旦は死のうとしたノグチだがその縁から命を拾い上げられたことで急に死にたくないという感情が芽生えたのだ。ノグチは深く息を吐き、同じぐらい深く息を吸い
「わかった。あんたがたの一員になる。」
と宣言した。この言葉は彼が思っているよりも重い意味を持っていたのだがこのときの彼には知る由もない。エディは満足そうに頷き、少しニヤッとして
「ああ、それは受理する。あといい忘れていたが我々の一員になるにはもう一つ過程が必要なんだ。」
といった。ノグチはその顔を見て少し後悔した。
エディはノグチを連れてどこかへ向かうようだった。やがて、二人はとある部屋の前にたどり着いた。特徴は貯水槽跡の管理棟を改装した近未来風の雰囲気のこの施設には似つかわしくない禍々しい模様の石の扉だ。しかし、扉のような形をしているのに取っ手がない。どうやって開けるのだろうと思っていたらエディが中央にはめ込まれた深碧の玉に触れた。そして、エディが少し手に力を込めた、その瞬間玉が光り始め、扉がゆっくりと開いた。先程から情報量の多さを処理しきれていないノグチはもう何が起きても驚かなかった。そして、エディはついて来いというように振り返り、頷いた。部屋に入ったノグチはその雰囲気の異様さに驚いた。壁はすべて鏡だった、そしてその全てがなにかの戸棚のようだった。部屋の中央に机があり、その上に透明な水晶が置いてある。エディは立ち上がり、その扉の一つを開け、扉に埋め込まれていた玉と同じ色の石を取り出した。ノグチが呆然としている間にエディはどこからともなく椅子を取り出し、そのうち一つに座り、ノグチにも座るよう促した。ノグチが座ってしばらくはふたりとも何も話さなかった。エディはノグチを見つめ、ノグチはエディが何も言わないので沈黙を破る勇気もなく黙っていた。ノグチにとっては永遠とも思えるほど時間が流れたとき、エディが唐突に言葉を発した。
「すまない。困惑しただろうがこの時間は後々重要になるんだ。さて、君が我々の一員になるために必要な工程とは唯一つのみ。とても簡単だ。この石を飲み込むんだ。」
知らないわからないことだらけでパンクしかけていたところに突拍子もない事を言われ、ノグチは言葉を失った。”この””石””を””飲み込む”一つ一つの言葉の意味はわかるが、これが組み合わさり、文になることで急に意味がわからなくなる。ノグチの脳はあまりに疲れ、言語として認識できなかった。しばらく固まったノグチを特に急かすこともなくエディはひたすらに待った。しばらくしてオーバーヒートしたノグチの脳みそがクールダウンして、ノグチは口をきけるようになった。
「石を?」
「そう、この石だ。」
「飲み込む?」
「そうだ。もちろん体内で溶けるから心配はいらない。」
エディは混乱しているノグチに辛抱強く付き合った。そうして問答を繰り返してどうやら先程耳に入ってきた文が自分の思っている意味と同じようだと分かり、ノグチは決心し、手を差し出し言った。
「わかった。石を渡してくれ」
エディはその答えに少し驚いたように眉を動かした。
「凄いな。混乱したとはいえ石を飲み込むこと自体には疑問を持たないんだな。」
実際、普段のノグチならば石を飲み込むという非日常的な行為を要求されたことに対して抗議をしたかもしれない。しかし、今のノグチはある意味で決意を固めていた。そのノグチにとって今更石を飲むなど容易いこと、ではないがさして抗議することでもないように思われたのだ。ノグチの様子を理解できず不思議そうなエディから石を受け取り、飲み込もうというところでやはり戸惑いが生じて一度ノグチは手を止めた。再度決意して深碧の小さい石を見つめる。すると脳内に何かが溢れ出した。血管のように先の方になるに連れ、細かく別れていく”それ”はやがてノグチの脳内を埋め尽くし、彼はそれに導かれるように石を口元に運んだ。そして、彼は貯水槽の底で目をつぶったときよりも更に穏やかな顔で、半ば夢見心地で、石を飲み込んだ。
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