0004:邂逅

小学校の時の嫌な思い出に一つ触れたノグチだがまだ自分の名前を呼ぶ声が続いていることに気がついた。まだあの記憶の残響が残っているのか。目を開けたらまたあのときの校医の欲望にまみれた顔があるのではないかと思うと目を開けたくはなかったがあまりに喧しく呼ぶので薄っすらと目を開けてみるとどうも思っていた様子と違っていた。薄暗いはずの視界は眩しいほどに白く、それに壁によっかかっていたはずなのにどうやらベッドに寝ているらしい。目を完全に開けてみると覗き込んでいたのは見たことのない顔だった。彼が目を覚ましたことでベッドの周りは俄に騒がしくなった。視界の外から様々な声が聞こえてくるがどれも聞き覚えのないものだった。先程彼の名前を呼び、上から覗き込んでいた女が再び彼の方を向き、声をかけた。


「あなたはノグチさんで間違いないわね?」


見ず知らずの人間に自分の名前を知られている奇妙さを感じつつもノグチは頷いた。その女は几帳面そうにメガネを上げ、続ける。


「よろしい。今あなたは自分の置かれている状況を理解できていないと思うからかんたんに説明するわね。何があったかは知らないけどあなたは我々が接収予定だった貯水槽跡に寝ていた。正確に言うと昏倒していた。とりあえず放っておいたら死ぬことは間違いなさそうだったからとりあえず回収して治療させてもらったわ。一体何をどうしたら成人男性が使われていない貯水槽の底に座り込んで数日飲まず食わずで寝ることになるのよ。自殺にしても少々エキセントリックがすぎる方法だと思うのだけれど」


確かにその通りだ。実際ノグチ自身もなぜ自分があのような行動に出たのか理解していなかった。確かに深い絶望に取り込まれてはいたが、積極的に死にたいと思ったわけではなかった。しかし、あの場所で座り込んで目を閉じたとき、もう何もしたくないという思いが押し寄せてやまなかったのだ。どう答えたものか彼が悩んでいると別の声が聞こえてきた。


「オイオイオイ、自殺したくなるほどなにかあったってことだろ?深堀りしてやんなよ、だからお前は真面目すぎるってみんなに言われんだよ、ジュリー」


声の聞こえた方に視線をやると髪を長く伸ばして後ろでまとめた背の高い男が目に入った。どうやらこの女の名前はジュリーというらしい。ジュリーはキッと男を睨み


「うるさいわね。いつもあんたは一言余計なのよエディ・ロック!そんなに言うならあなたが尋問したらいいじゃない!私は思いやりながら尋問するなんて器用な真似できないの、不器用で悪かったわね」


と言い放ち、そのまま席を立ち、つかつかと部屋を出ていってしまった。エディと呼ばれた男はやれやれと言った様子で首を振り、そのままこちらへ歩いてきて腰を下ろした。


「勘弁してやってくれ、ノグチ君。彼女は君の治療担当だったからずっと付き添っていたのさ。睡眠も十分に取れていなかったようだし。まあ君は一週間ほど眠っていたんだ。彼女の世話がなかったらこんな万全な状態で目をさますことなんてできなかった。」


そう語るエディの様子を見てノグチは自分は今何を見せられたのだろうという気分になったが、それよりも質問をしたいことが山ほどある。しかし、口を開きかけたノグチのことを手で制し、エディは続けた。


「ああ、ちょっと待った。あんたは質問したいことが山ほどあるんだろうがこっちもあんたに聞きたいことがあるんだ。返答次第では面倒なことになるから慎重に答えてくれよ。」


わからないことだらけのこの状況で質問一つ許されずノグチはますます混乱した。そんな彼の様子をどこか気の毒そうに眺めながらエディは


「まずひとつずつ質問させてくれ。あんたはこの建物が我々に接収されることを知っていたか?」


と聞く。もちろんノー。そもそも我々と言っても相手が何なのかノグチにはわかっていなかった。首を横に振るノグチをみてどこかホッとした様子でエディは続けた。


「そうか、ならいい。まあ我々としても誰もいないと聞いていた施設跡で一人男が死にかけてたんだ、その時の衝撃はなかなかだったぞ?」


「……すみません。」


「いや、責めてるわけじゃないんだ。それに聞かれたくないだろうからどうしてあそこで無飲食睡眠決め込んでたかは聞かないでおくさ。さ、そんなことより質問したいこと山ほどあるんだろ?俺が答えられる範囲で答えてやるよ」


どうやらこちらの話を一切聞かない姿勢ではないらしい。色々と聞きたいことはあるが、やはりいちばん気になるのは――


「あなたは我々と言ったがそもそもあなたがたは何者なんだ?」


話している相手の正体もわからないのでは落ち着いて話すこともできない。この質問は至極当然のものだろう。しかし、エディはその答えを言うことをためらっているようだった。眉を何度か困ったようにひそめ、言葉を選んでいるのか何度か口を開いては閉じた。数秒、緊張感の中ノグチは何かを言おうと思ったがこちらもうまい言葉が思いつかなかったので黙っていた。するとエディが何かを決心したように口を開いた。


「……わかった。包み隠さずに俺たちのことをすべて話そう。その後に後悔してももう遅いからな」


相手の正体を知るのに何を後悔することがあるのだろうとノグチは思ったが続くエディの言葉を聞いて自分は一体どんな世界へ足を踏み入れてしまったのだろうと思うことになる。エディはゆっくりと話し始めた。


「始めに言っておくが俺たちの組織に名前はない。言ってしまえばそれほど存在を知られてはいけないということさ。そしてその任務とは皆さんご存知のポータルを守ること。それだけのために作られた組織。それが俺たちだ。」

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