そしてアンナは……


 いろいろ起こった聖女体験から、日常に戻ってきた。今日も身だしなみを整えて寮を出る。するとキール殿下が迎えに来ていた。


「おはようございます、キール殿下」

「おはようアンナ」

「ちょっ!」


 流れるような仕草で、髪にキスするのはどうかと思います!

 朝からイケメンにこんなことされたら、心臓がもちませんから!


 みなさん、知ってます? 

 このイケメン、私の恋人なんですよ!!!


と、朝からアンナの心の中は大騒ぎだ。

聖女体験からもう1ヶ月経っているのに、全然キールの恋人アピールに慣れることが出来ない。


「そういえば、グラシムが婿入りするらしいぞ。アンナを諦めたのは嬉しいが……」


 キールは表情を曇らせる。


「婿入り、どちらにするのです?」

「グリッサ王国だ」


 まさかの国名に、アンナも眉間にしわが寄った。だって、行ったら殺されてしまうかもしれないという国なのに。


「本当の話なのですか? 確か国王様は断る方向で話を進めていると伺いましたが」

「あぁ、俺もそう聞いていたんだが。グラシムが自ら行きたいと言い出したんだ」

自棄やけになったのでしょうか? でも、そのような気配はなかったような。むしろ晴れ晴れとした様子でキール殿下に絡みに来るといいますか」


 そうなのだ。

 グラシムはてっきり学園を去ると思っていたのだが、そのまま通い続けているのだ。しかも、授業にはちゃんと出ている。態度はあまり褒められたものではないそうだが。居眠り常習犯で、注意されれば「つまらん授業をするお前が悪い」と言い返すとか……。

 そして、休み時間にはキールに絡んできて、キールも以前のように受け流すのでは無く、相手をするものだから、一年の教室はいつも賑やからしい。

 面倒くさそうな口調でキールは話していたが、口元には笑みが浮かんでいたから、きっと楽しいのだろうなとアンナは思っていた。


 仲が良いとは言い切れないが、それでも、以前よりはよっぽどキールとグラシムの関係は上手くいっているように思う。それなのに、何故、グラシムは危険と隣り合わせの婿入りを言いだしたのだろうか。


「グラシムさ、戦争を引き起こそうとする国は、こちらから飲みこんでやればいい。だから婿入りするんだって言うんだ。バカなんだか、勇敢なんだか」

「グラシム殿下がそのようなことを」


 正直、驚いた。

 確かに、紙一重ではある。考えが足りてないと思う人もいるだろうし、広い視野で考えれば壮大な平和外交とも言える。


「グラシムに負けてられない。俺も王子として、国に貢献したい」

「ふふっ、キール殿下はキール殿下のペースで良いのですよ。焦らずに参りましょう」


 アンナとキールはゆっくりと歩を進める。


「明日、だな」

「はい。少々緊張しますわ」

「俺の方が緊張するって。アンナの父上は許してくれるだろうか」

「私の父は大丈夫ですわ。それよりも国王様達の方が心配です」

「それこそ大丈夫だ。俺は第二王子だしな。国王である兄上よりはよほど自由だ」


 アンナ達が緊張している理由、それは、明日王宮内でキールとアンナの婚約が発表されるのだ。

 だが、キールの兄である現国王には妃がいない。そして第三王子であるグラシムが他国へ婿入りとなると、第二王子であるキールへかかる期待は増すだろう。


「アンナ。俺は女性もやりたいことをやったらいいと思う。もちろん、それには責任も伴うが」


 その通りだ。要望ばかり言っていては、それはただの我が儘と同じになってしまう。


「アンナはその先駆けになる。きっと、反対するものや、邪魔をするものもたくさん出てくると思う」


 そうだろう。


「厳しいことを言ってくるものも、逆に嘲笑ってくるものも」


 そうに違いない。

 いろんな人がいるのだから、いろんな反応が返ってくるのは当然だ。


「それでも、アンナは進むんだろ」

「もちろんですわ。私は強欲なので、どちらかだけなんて嫌です。恋も夢も、どちらも諦めたくありません」

「それでこそアンナだな。俺は隣で支えるから」


 アンナは大聖女になるという夢を諦めたくなかった。そして、キールが大好きで大切で幸せにしたいから、結婚も諦めたくなかった。あんなに前世の記憶に引っ張られて、男なんてこりごりだと思っていたのに。キールが頑なだったアンナの心を動かしたのだ。

 でも、さすがに王族の妃になるのなら、夢は諦めねばならないのかなと悩んでいたら、キールが諦めなくて良いと背中を押してくれたのだ。


 だから、婚約を発表する場にて、アンナは聖女に就くことを宣言することにしたのだ。二人で話し合い、あえて大々的に皆の前で言おうと。


 王族の妃は、夫の補佐をするのが慣例だ。他に仕事を持つなど今まであり得なかった。趣味程度で社会活動をしていたりはあるけれど、『聖女』という職に就くなど言いだしたら、恐らく保守的な人々からは非難されるだろう。


 ただ、前世では家事と仕事の両立は大変だけど、多くの人がしていたことだ。その記憶があるアンナには、キールの後押しは、大きなものだった。

 みんな頑張っていた。なら、自分にだって出来るかもしれない。やってみないで諦めるなんて、もったいない。だって、未来はいろんな道が広がっているのだから。


「王族の妃が仕事を持つ。初めてのことだから、全部理想通りにはいかないかもしれない」

「承知しております。ですが、この国ではまだまだ女性は結婚後は家から出ないのが当たり前です。その常識に一石を投じることが出来れば、それはとても有意義だと思いますわ」




******************



 こうして、アンナは国に新しい風を巻き起こした女性として、後世に語り継がれることになった。


 稀代の大聖女であり、国王を支えた王妃として。






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