【間章】初めての兄弟喧嘩

【キール視点】


 グラシムがケロッと「アンナの父に婚約を申し出た」と言ったとき、頭の中が真っ白になった。

 俺だって、考えたさ。アンナの父親に婚約したいと言えば、アンナが隣にいる未来が手に入るって。

 でも、アンナは男爵家だ。王家から正式に話が行けば、断ることが出来ない。気持ちが乗らなくても、婚約するのだろう。そう思うと、それは何か違うって思ったんだ。だから、まずはちゃんとアンナに伝えて、了承を得てから動こうと思っていた。


 それなのに、グラシムの奴は、俺がめちゃくちゃ考えてやめたことを、サクッと何も考えずにやりやがった。今までも我が儘で気にくわない奴だと思っていたが、もう我慢出来ない。

 そう思った瞬間に、グラシムの胸ぐらを掴み上げていた。


「ぐっ……いきなり何すんだ」


 グラシムが俺の手を離させようと、手首をぎりぎりと掴んでくる。痛みが走るが、手を離す気は無かった。


「アンナは、お前ごときが気安く手を出していい相手じゃない」

「はぁ? まだ手なんか出してない。それどころか、この俺がちゃんと手順を踏んでいるんだぞ」


 こいつ、何が言いたい?

 頭に血が上っていて、すぐには理解できなかった。でも、ちょっと落ち着いて考えてみると、嫌な結論に達した。


 まさか、グラシムも本気でアンナを?

 あの手当たり次第に令嬢を食い散らかしているグラシムが、手を出すことも無く、正攻法で相手に接近を図っている……ということだ。

 なんで、いつ、どこで、グラシムはアンナに惚れたというのだ。


 というか、アンナは男どもをたらし込みすぎだ!!


 俺だけでいいんだよ……。



「手を離せよ、キール」

「嫌だ。アンナとの婚約を取り消せ」

「それこそ嫌だね」


 俺たちが至近距離でにらみ合っていると、アンナが割って入ってきた。


「お二人とも落ち着いてください。それに、まだ婚約話が来ただけで、お返事はしていませんから。婚約を取り消すもなにも、婚約自体が未成立ですわ」


 アンナの言葉に、ふっと力が抜ける。

 なんだ、まだ婚約は成立していないのか……って、待って待って。アンナは知ってたってことじゃん!


「アンナ、なんで早く言ってくれなかったんだよ」

「あの、それは、その、お受けするつもりはなかったので――――」

「だから言わなかったって? 言えよ! めちゃくちゃ大事なことだろ。もしアンナの父君が乗り気で返事をしてしまったら、その時点でアンナはグラシムの妃になっちゃうんだぞ!」


 のんきなことをいうアンナに腹が立って、思わす大声で詰め寄ってしまう。


「い、いえ、我が父は、勝手に返事をするような人ではないので、そのご心配は――――」

「だから、そういうことじゃなくて! アンナは俺のことを好きだって言ってくれた。つまり俺たちはもう恋人同士だろ。恋人には頼れよ!」

「で、でででんか! そのようなことを大声で叫ばれては……は、はずかしいです」


 アンナは一気に頬を赤くしたかと思うと、両手で顔を隠してしまった。


 え、めちゃくちゃ可愛いんだけど。

 俺の恋人が世界一過ぎる。


「ちっ、いい加減手を放せよ」


 グラシムに手をはじかれた。アンナに見とれていた俺は手から力も抜けていたので、はじかれるまま手を離した。


「盛り上がっているところ悪いが、俺は婚約の申し出を取り下げるつもりはないからな」


 グラシムが言いながら、腰さしている剣の柄を掴んだ。


「剣で勝負か? いいだろう。だがいいのかグラシム。お前がちゃんと稽古をしているところは見たことがないが」


 グラシムは真面目に勉学も剣術も取り組んでいたためしがない。それでも、取り巻き達はそれを良しとしていた。愚鈍に育て上げて、傀儡にしたいのだろうという思考が見え見えなのに、気がつかないなんてバカな奴だ。


「うるさい。俺は剣術の才があるから、鍛錬などしなくても強いんだよ」


 どこからくるのだろうか、その自信は。

 でも、良い機会だ。いつもは城の皆の目があるが、今はないのだから。きっちり実力を分からせてやる。


 そう意気込んでいた。


「はーい。二人とも武器は無しな」


 大聖女の声がしたと思ったら、剣がふわっと中に浮き、大聖女の右手と左手にそれぞれ掴まれた。魔法の扱いが上手いと、こんなピンポイントでものを動かすことも出来るのか。やはり大聖女ともなるとレベルが違う。


「あと魔法も無し。男なら拳で勝負しな!」


 あっと思った瞬間には、俺とグラシムを囲むように結界が張られていた。

 まさかと思い、魔法を使ってみようとしたが、まったく発動の気配すらしない。魔法が使えない結界をご丁寧に張りやがった!


「くそババァめ…………ぐはっ」


 グラシムから大聖女への悪口がこぼれた途端、大聖女が瞬時に間合いを詰めてきてグラシムのおでこを指で弾いた。い、痛そう……。

 実は同じ事を思っていただけに、自分が言ってしまったかと思って焦ったが、言わなくて良かったと心底思った。


 そこからは、もうただの泥臭い殴り合いだった。そもそも、誰かと殴り合うだなんてしたことがない。それはグラシムも同じだったようで、容赦なく殴りつけてくるから余計に腹が立って、全力で殴り返してやった。

 殴り殴られ殴り返しを幾度となくやっていると、だんだんと意識が朦朧としてきて、なじり合う言葉も今までの鬱憤をぶつけるだけのものになっていた。


「グラシムは我が儘すぎんだよ! まわりが迷惑してるのがわかんねーなんて最低だろ!」

「分かってやってんだよ、バーカ! キールこそ良い子ぶって気色悪いんだよ!」

「王子として、まわりの規範になるべきだろ! それの何が悪い!」

「そうやっていっつも我慢してるのが気色悪いって言ってんだよ!」

「我慢せずに我が儘やって笑われてるのはお前だろ! 取り巻きにも内心は笑われてるくせに!」

「いーんだよ。俺をちやほやして担ぎ上げたい奴らは、俺と共に沈めばいいんだからな」

「はぁ……? グラシム、まさか分かってて我が儘放題やってるのか?」

「それくらいはバカでも気付くに決まってんだろ」

「そう……か」


 初めて、グラシムの本心を聞いた気がした。いや、気がしたんじゃなくて、本当に初めてなんだ。だって、俺たちはまともに会話なんてしたことがない。グラシムに無駄に絡まれるのが嫌で、俺は距離を置いていたから。何か言われたとしても、言い返せば面倒だからとすべて受け流していた。

 そりゃ、本音の会話などした過去があるわけがない。


 グラシムは最初からすべてを諦めているんだ。


 なら、アンナのことも諦めろよ、この野郎!!


 と俺は思うわけで、やっぱり腹が立つし許せないから、拳は握るし、大きく振り抜く。


 お互いにボコボコに殴り合って、鼻血は出ているし、目は半分くらいしか開かないし、あちこち打撲や転んだときの擦り傷だらけで全身が痛い。

 それでもと、最後の力を振り絞ってグラシムに拳を振るう。だが、当たる前にグラシムが倒れるように座り込み、それに釣られるように俺も力が抜けて地面に倒れたのだった。



「引き分けのようですね。さぁ、そろそろ日も暮れます。おしまいにしましょう」


 アンナが苦笑いを浮かべて立っていた。

 日が暮れるまで、ずっと見ていたのだろうか。このくだらない兄弟喧嘩を。


 あぁ、やっぱり好きだな。

 こういう何てこと無い行動が、アンナの優しさを感じるんだ。

 だって、自分を置き去りにして殴り合いを始めた二人など、呆れて放って置いてもいいはずなのに。それか無理やりにでも止めたらいいのに。

 俺たちの気が済むまで、アンナは見守っていたんだ。


 あぁ、やっぱり俺はまだまだアンナには敵わないな。



「グラシム殿下、立てますか? あちこち血が出ていますね。治療しなくては」


 え? なんで俺じゃなくてグラシムの方に先に声かけるの?

 アンナ酷くない? 俺、恋人だろ???


 俺が一気に子どもっぽく拗ねていると、グラシムがニヤッとこちらを見て笑って来やがった。

 くそ、ムカつく。


「大聖女様、グラシム殿下の治療をお願いしますね」


 アンナはグラシムを大聖女に任せると、立ち上がりこちらへ歩き始めた。グラシムはポカンとした表情でアンナの後ろ姿を見ている


「キール殿下、傷だらけですわ。もう、やんちゃはほどほどにしてくださいね」


 アンナが困ったように笑いながら、そっと俺の頬に手を当ててくる。その温かさに、涙が出そうになった。というか、出た。情けないけど。


「俺、バカなこと言って良いか?」

「? ええ、どうぞ」


 アンナは不思議そうに首を傾げたが、俺の話を待っている。


「先にグラシムのところに言ったから、面白くなかった」

「まっ! かわっ」


 アンナは言葉の途中で口を手で塞いでいたが、おそらく『可愛い』と言いかけたのだろう。だって、表情がそう物語っている。


「コホン。いいですか、キール殿下。私はキール殿下の治療をするつもりでしたので、グラシム殿下を誰かに託さねばなりません。ですから先に様子を伺ったまでですわ」

「そうか。悪い、妬いた」

「かわっ」


 またもやアンナはパシンと口を手で覆う。


「言えば良いだろ」

「殿方は、あまり可愛いと言われるのは好まないと思いまして」

「好まないが、アンナなら許す。アンナの『可愛い』は『好き』と同義だろ?」


 確信をもってそう告げれば、アンナは顔を真っ赤にした。


「キール殿下! その物言いは可愛くありませんわ!」


 顔を真っ赤にしているアンナは、めちゃくちゃに可愛い。




********************



「あーあ、アタシら、何見せられてんの」

「はやく治療しろ、大聖女。このまま見てたら胸焼けしそうだ」

「はぁ? 文句言うな。振られたくせに。これに懲りたらちょっとは真面目に行動したらどうだ?」

「……他国に婿入りもいいかもな」

「あー、そういう自虐的な発想嫌いだわ」

「違う。俺が婿入りして、国を乗っ取るんだよ。そしたら第二王子のままのキールより偉くなれるだろ」

「はは! そういうこと。あんたぶっ飛んでて面白いね」

「俺が国を乗っ取れば、無意味な戦争も起きない」

「ふーん、いいんじゃない」


 大聖女はグラシムを笑いながら見る。くすぶっていた澱のような気配が消えている。きっと今までの鬱憤を吐き出すようにキールと殴り合ったのが良かったのだろう。

 そうさせたのは、異世界の香りをまとった一人の少女か。


 少女が前を向き、ひたすらに真っ直ぐ進む姿に、みんなが引き摺られて前を向く。


「大聖女に相応しい、人を引きつける希有な人物だね」


 大聖女は独り言をこぼすのだった。

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