いざ聖女体験へ


 大聖女がいるのは国境付近だ。我が国と隣国が接する『魔の森』と呼ばれる瘴気漂う森があり、そこからの魔物の侵入を防ぐために在駐している。

 アンナとキールは、校長先生が用意した学園の馬車に乗り、丸一日掛けてやってきたのだった。


「一日中移動はやはりきついな。アンナは大丈夫か?」


 馬車を先に降りたキールが、アンナに手を差し伸べながら問いかけてくる。

 まるで王子様のような身のこなし……って、キールは王子だったわなどと心の中で大騒ぎしながら、アンナはすました表情を崩さぬように必死に表情筋に力を入れた。


「お気遣い、感謝いたしま――――あっ」


 表情筋に気を取られすぎて、手がおろそかになってしまった。キールの差し出した手をちゃんと取ることが出来ずにバランスを崩してしまう。


「アンナ!」


 耳元でキールの声が聞こえる。

 倒れたかと思ったのに全然痛くない。暖かなものに包まれているかのような安堵感。


「え……? ひぇ!」


 顔を少し上げれば、イケメンの顔が目の前に。麗しすぎてほぼ悲鳴のような声が出た。


「で、でででんか」

「ん、なんだ?」

「ええと、これはどういう状況でしょうか」

「アンナが転けそうになったから助けた」


 なるほど。助けられたらしい。

 アンナは尻餅をついたキールの上に乗っかるような形になっていた。


「そ、それは大変申し訳ありません!」

「いや俺がちゃんとエスコート出来なかったせいだ」

「違います。私がいけないのです」

「気にするな、役得だ」

「あー、君たち、そろそろ良いかな? それとも宿舎に直行してイチャイチャする? いいよ、アタシそういうの気にしないから」


 突然の聞き覚えのない声に、ビクッとアンナとキールは立ち上がって離れる。

 声の主は長い黒髪を一つに束ねて風になびかせている、背の高い女性だった。聖女が身につけるケープをまとっていて、とても快活そうな雰囲気だ。


「駐屯地の入り口で立ち止まってしまい、申し訳ありません」


 アンナは慌てて頭を下げる。


「いいよいいよ。ここでは堅苦しいのは無しなんだ。都の面倒な礼儀作法も不要だよ。最低限、挨拶できればそれで良し!」


 ワハハと豪快に笑う女性。


「それで、アンナとキールだったかな。あいつから手紙はもらった。しばらくここで聖女の仕事を体験していってくれ」


 もしかして、このパワフルなこの人が……


「大聖女様でいらっしゃいますか?」

「あぁそうだよ。ようこそ、国防の最前線へ! なんちって。でも、結界を張っているから特にやることないんだけどね。まぁ歓迎するよ」


 大聖女はアンナとキールの頭にそれぞれ手を置くと、わしゃわしゃと撫でてきた。まるで小さな子供相手のような対応に面食らってしまうのだった。




********************



 翌日、結界を案内してもらっていると、若い男性が尋ねてきた。

 隣国の騎士団長で、国境を接しているので、定期的に大聖女へ挨拶をしにきているらしい。


「おや、これはうら若き乙女がいるとは珍しい」


 ぱちっとアンナと視線が合った瞬間、騎士団長は目を丸くした。


「おいおい、アタシに対する嫌味かい?」

「そのようなことは。にしても……とても美しい。名をお教えいただかすか? 我はグラート王国の騎士団長でオネストと――――」


 恭しく手を取られそうになったが、キールが邪魔をするように前に入り込んできて防ぐ。


「他国の者に教える義理はない」


 そう言うと、キールはアンナの手を取ってその場を離れようとした。


「殿下。まだ見学の途中です。せっかく大聖女様が説明をしてくださっているのに。邪魔をするのですか?」

「……邪魔はしない約束だったな。ぐっ、分かった」


 キールは渋々といった様子で立ち止まってくれた。


「おそらくオネスト様は物珍しいから声をかけてくださっただけです。ほら、ちゃんと挨拶いたしましょう。無碍にして良い相手ではありませんよ」

「……分かった」


 見えない犬耳がたれている幻影が見える。

 か、かわいい!

 本当は嫌なんだっていう気持ちを全然隠しきれていない表情。

 尊い。


 あ、いけない。あまりの可愛さにアルカイックスマイルを浮かべてしまいそうだった。


「失礼いたしました。私、王立学園に通っておりますアンナ・ベルニエと申します」

「キールだ」


 アンナが自己紹介すると、しぶしぶといった様子でキールも名前だけ言った。


「こちら、第二王子のキール殿下ですわ」


 仕方ないなと補足すると、オネストも苦笑いを浮かべた。


「これはまさか王子殿下とは思いもせず、失礼をいたしました。しかし、こんなところまでいらっしゃるとは……もしや殿下とアンナ嬢は婚約しているのですか?」

「いえ、ただの学友ですわ。私のような男爵家の者が婚約者などふさわしくありませんし」


 アンナはきっぱりと否定した。

 隣で「うぐっ」となにやら小さなうめき声が聞こえたが、気にしたら負けだ。見てもダメだ。きっと雨に濡れた子犬のような目をしているだろうから。

 イケメンのそんな姿を見たら絆されてしまう。


「では、私があなたの婚約者に名乗り出ても?」

「えぇ? いや……まさか」


 オネストも神様ボーナスなのか。せっかくグラシムから逃れて来たというのに、ここでも新たに神様ボーナスの刺客を送ってくるだなんて。

 リミットが迫っているだけに、神様も容赦が無い。

 でも、確かにオネストも美形だ。そして騎士団長なだけあって、とても逞しい。貴族のすらっとしたイケメン達とはまだ別の凜々しさが備わっている。


 これはこれでいい!

 いや、ダメだ。いいわけない。隣国に嫁入りとか無理。


 アンナの心の中で、めまぐるしく思考が入り乱れる。


「アンナ。もう挨拶はちゃんとした。聖女の仕事体験に戻ろう」


 拗ねた表情のキールに袖をくんっと引っ張られた。


 え、なにその構ってアピール!!

 今までそんなアピールしてこなかったのに。ここにきて急に攻めてきてるわ。


 確かに、オネストの頼れる男も素敵だけど、こちらの乙女心をくすぐるような子犬感あふれる男の子もやっぱりいい。


「あぁ……アリーナ最前列すぎる……」


 ぽろっと無意識に前世の言葉がこぼれ落ちてしまう。


「ん、ありーなって何だ?」

「はっ、いえ、何でもありませんわ」


 頭の中に推しアイドルのコンサートをアリーナ最前で見ている気分になっていた。団扇とサイリウムを持ち、視線がくればキャーと騒ぐ。


 そう、今世の自分は観客で十分なのだ。

 アイドルとリア恋なんて不毛なことはしない。

 アイドルは遠目で愛で、一方的に活力をもらう存在なのだから。


 アンナは改めて自分の気持ちを確認し、彼らはアイドルなのだと脳内変換するのだった。


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