あらたな波


 ついにキール殿下に告白、をすっ飛ばして求婚されてしまった。薄々好意を持たれているのは気付いていたが、まさかここまで急展開になるとは予想外だった。さすが神様ボーナス、効力が半端ない。


『やったにゃ! 神様ボーナスの玉の輿にゃ』


 部屋を出て行くときは、ドレスを守れなかったと床にへばりつく勢いでしょげていたくせに。キール殿下に求婚されたことを話すと、途端に部屋の中を飛び跳ねている。つくづく現金で元気な猫だ。(注:一応、神の使いです)


「だから、神様ボーナスの玉の輿は選ばないって言ってるでしょ。当然、断ったわよ」


 アンナは、クロを睨み付ける。


『にゃに? 今すぐ、キールのところに行って、取り消してくるにゃ!』


 クロがしっぽの毛を逆立てて、床にバシバシ叩きつけた。めっちゃ怒ってる……。でも、アンナの知ったことじゃない。アンナはアンナのしたいように行動するのみだ。


「あー、うるさいな。取り消さないし。そもそも、向こうが予行演習だって求婚を取り消してきたし。まったく、諦めが悪いんだから」


 アンナの脳裏に、キールの捨て台詞が蘇る。


――俺はアンナと結婚するんだって決めてんだよ。覚悟しとけ!


 真っ赤になって、必死の形相で叫ぶキール。実際のところは、め、めちゃくちゃ萌えた……。自分勝手な言い方だけれど、それがかえって年下男子の可愛さをこれでもかと強調させる。でも、アンナに何かを強要するわけでもなく、自分が頑張るから覚悟しろだなんて……これが可愛いでなくて何なのか!

 うんうん、お姉さん見ててあげるからね、と言いたくなる。言わないけど。言ったら絡め取られるのが分かってるからね、うん。

 あー、ただ愛でていたい。自分に向かってこなくて良いのに。可愛いイケメン男子を、ニマニマと眺めていられたら、それで今世は十分なのだ。それなのに、なんでそれが叶わないんだろうかと、アンナは本気で頭を抱えるのだった。


***


 翌日、交流会にはしゃいだ一日が終わり、日常が戻っていた。さすが貴族ばかりの学園、学園に勤める方々があっという間に飾り付けなども外し、校内はいつもの空間に戻っている。


「アンナ、昨日はどうしたの? 心配してたんだから」


 ナターリアが教室に入った途端に、走り寄ってきた。


「いえ、少々困ったことが起きまして、ダンスフロアには入れませんでしたの」


 クラスメイトが聞き耳を立てているのは分かっているので、あえてぼやかしてアンナは言った。すると、ナターリアも心得たもので、すぐに口パクで「ドレス?」と聞いてきた。アンナは目の動きで肯定する。


「はぁ、モテる女は大変ね。でも、ダンスフロアに居なかったのなら、あの発表も聞いてない?」


 ずいっとナターリアにのぞき込まれ、思わず仰け反りながらうなずく。ナターリアの様子からすると、どうやらすごい発表があったらしいことは理解した。


「なんと、第三王子のグラシム殿下が転入してきたのよ!」


 …………えっ?

 キール殿下とは仲が悪いと評判の、あのグラシム殿下?


「そ、それは、衝撃の発表ですわ」


「でしょ? まぁ、容姿は兄弟だけあって、金髪碧眼のイケメンよ。少し垂れ目がちだから、キール殿下よりアンニュイな雰囲気かなぁ」


「へぇ、それって、キールよりも評価高いと思っていいわけ?」


 …………今、なんか聞こえた。でも、絶対に聞こえちゃダメな、厄介な人の声だと思う。だって、キール殿下のことを『キール』って言ってるもん。

 アンナは背中に冷や汗が垂れるのを感じた。


「おい、こっち見ろよ」


 うわぁ、俺様系だ。それも嫌いじゃ無いけど、今はちょっとむーりー。マジで逃げたい。

 でも、逃げられるわけは無いので、アンナはしぶしぶ声の方を振り返る。すると、ナターリアが言った通りの金髪碧眼のアンニュイそうなイケメンが立っていた。


「お前がアンナか? ふん、別に普通じゃねぇか」


 アンナよりも先に振り返っていたナターリアに向かって、グラシム殿下が半笑いで言った。


「っ……、いえ、わたしはアンナではありません。こちらが、アンナです!」


 ナターリアに腕をつかまれたかと思うと、物凄い力で前に押し出された。ナターリア、めちゃくちゃ怒ってるわ、これ。

 というか、ナターリアのせいで、グラシム殿下の目の前に急に押しやられ、至近距離で見つめ合ってしまう。

 わー、目の前で見ても本当にイケメン。キール殿下よりちょっとお肌が荒れてるかな? でも、瞳の色は少し緑がかっていて綺麗。お人形さんみたい。これぞ観賞用にしたいイケメンだわ。


「おい、ち、近いぞ」


 グラシム殿下の言葉に、ハッと我に返った。いけない、イケメンセンサーが働いて、思わず至近距離のまま、まじまじと観察してしまった。


「申し訳ございません。まさかグラシム殿下にお声がけいただけるとは思ってもおらず、驚いてしまいました」


 胸元に両手を置き、いかにも驚いたのだというジェスチャーをしながらアンナは数歩下がる。


「いや、その、まぁ、いい。驚くのは仕方ない」


「まぁ、お優しい言葉、感謝いたしますわ」


 これ見よがしに笑顔を浮かべたら、グラシム殿下の顔が赤くなった。なんで?


「お前がアンナか。まぁ……そこそこ美人だな。認めてやっても良い」


 別に認めてもらわなくてもいいのだけれど。アンナはそう思いつつ、余計な言葉は発しない。

 それより、グラシム殿下が何をしに来たのかが問題だ。キール殿下繋がりでやってきたのだろうけれど、どういうつもりなのだろうか。


「グラシム殿下、あの何かご用件がおありでしょうか? そろそろ予鈴が鳴ってしまいますので」


「そうか。ならゆっくり話せる場所に移動しよう」


 言うなり、グラシム殿下がアンナの腕をつかんだ。思いの外ぎゅっとつかまれ「痛っ」と声が出てしまう。


「グラシム殿下、アンナが痛がってますから、乱暴はやめてください」


 他の誰もが萎縮して声を出さない中、ナターリアだけが果敢にも抗議の声を上げた。


「うるさいぞ、お前。誰に向かって口をきいてる」


「はぁ? そんなの分かって――」

「ナターリアやめて!」


 これ以上言わせてはナターリアが危ない。とっさに、アンナはナターリアの言葉を切るように叫んだ。

 グラシム殿下の苛立ちが、近くに居る分、よく伝わってくるのだ。これ以上煽ると、とんでもないことを言い出しかねない。自分のせいで唯一の友人に何かあったら悔やんでも悔やみきれないから。


「グラシム殿下、落ち着いてください。わたくしは逃げませんので、手は放していただけますか? わたくしは殿方があまり得意ではありませんので」


 刺激しないよう、やんわりとした口調で必死で絞り出す。

 そのとき、駆け込んできた人物が一人。キール殿下だった。


「グラシム、何してるんだ。一年の教室へ戻るぞ」


 そう言うなり、グラシム殿下をずりずりと引きずっていく。うるさいとか、放っておけよとかグラシム殿下も抵抗するも、すっと護衛らしい人物も加勢し、あっという間に去って行った。


「な、なんだったのかしら」


 ぽつりとアンナの言葉がこぼれる。

 明らかにアンナに話があるようだったが、あまり近づきたくないなと思う。だって、性格悪そうだし、ちょっと乱暴だし、なにより、イケメンだし。

 グラシム殿下も神様ボーナスのせいで寄ってきたイケメンかもしれない。これ以上、イケメンに群がられても困るのだ。アンナの押さえつけている精神が崩壊してしまうかもしれない。ただでさえ、キール殿下の波状攻撃でぐらぐらしているのだから。


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