二人でワルツを


 アンナは、引き裂かれたドレスを横目に、しぶしぶ借りたドレスを手に取った。

 借りたドレスだけあって、サイズがぴったりというわけにはいかない。


「少し、ウエストが緩いわね」


 前世ではありえなかった感想だが、今世ではスタイル抜群に育ってくれてるので、ウエストも綺麗なくびれを描いているのだ。前世でもこのくびれがあったら、浮気されなかったのかな……などと、思っても仕方ないことをちらっと思ってしまう。


『そろそろ出にゃいと遅刻にゃ』


 クロが急かしてくるので、アンナは髪のセットと化粧を最終確認すると、部屋を出た。すると、寮の廊下で昨日部屋にきて嫌味を言ってきた監督生とすれ違う。ピンクのフリルがたっぷりあしらってあるドレス、というかフリルに埋もれて手足が飛び出ているように見えるドレスを着ている。


「あら、アンナさん。キール殿下のパートナーにしては、質素なドレスですこと」


 にやにやと嫌な笑みを向けられた。というか、フリルだるまのあんたにドレスのこと言われなくないですー。

 心の中で言い返した後、ふと気付く。このタイミングで声をかけてくるなんて、まるで待ち伏せしてたみたいだと。よくよく見ると、白い手袋をしている。それ自体はなんら不自然ではないのだが、右手の甲を、左手で庇うように握っている。

 クロはドレスを引き裂いた犯人に抵抗していた。つまり、犯人はクロに噛まれるなり引っかかれるなりしているはずだ。


「そういえば、わたくしの飼い猫は、いつも勝手にお散歩に行ってしまいますの」


「は? 急に何を」


 監督生は、突然関係ない話を始めたアンナに驚いている。


「たまに足が泥だらけだったり、獲物をくわえてきたり。本当にやんちゃで困ってしまいますわね。そんな状態で引っかかれたり噛みつかれたりしたら、どんな病気になるか分からないですから。ふふっ」


「へ、へぇ……そう、なの」


 途端に監督生の視線が泳ぎ、顔色が青くなった。これで決まりだ。ドレスを引き裂いたのはこの女だ。


「あら、どういたしました? 顔色がすぐれないような。汗もそんなにかいて、テカってしまいますわよ」


「そ、その、参考までに聞くんだけど、た、例えば、猫から病気をもらったとして、どんな症状が出るのかしら」


 監督生の声は震えている。


「さぁ、わたくしは引っかかれたことも噛まれたこともございませんので、詳しくは知りませんが……そうですわね、聞いた話によると、患部からばい菌が入り、爛れてきて、それが全身に広がり、見るも無惨な状態になって、発熱、吐き気、頭痛などにさいなまれ、苦痛にもがき苦しんで、最後は幻覚のなかで猫の化け物に追いかけ回され生きながらに喰われるのを体感しながら死に至る――」


 話の途中で、口元を押さえながら監督生は走り去っていった。

 ちょっと盛りすぎたかな、とも思わないでもないが、まぁキール殿下の思いを踏みにじった報いだ。これくらいの恐怖は感じてもらっても罰は当たるまい。


 監督生の後ろ姿を見送り、ため息をつく。犯人を懲らしめたところで、ドレスが着れるようになるわけではない。この姿でキールの殿下の前に言ったら、がっかりするのは目に見えている。どうしたものかと、アンナは再びため息をつくのだった。


***


 待ち合わせの時間を少し遅れて、アンナは到着した。当然、キール殿下はそわそわとした様子で待っていたが、アンナの姿を見た途端、安堵と落胆の混じった表情を浮かべた。


「お待たせして、申し訳ございません。出掛けに色々ありまして」


「いろいろあったから、その姿なのか?」


 キール殿下は、アンナの全身を上から下に見た後、胸の辺りで視線を止めた。


「まぁ、あまり凝視されては恥ずかしいですわ」


 アンナはわざと胸元を隠すように腕を交差する。しかし、すっと手を下ろすと、深々と殿下に頭を下げた。


「殿下から戴いたドレス、わたくしの管理が甘く、着られない状態になってしまいました。大変、申し訳ございません」


「いや、頭を上げてくれ。いろいろあったと言ったが、何があったんだ。誰かに嫌がらせされたんだろ」


 キール殿下はすぐに状況を理解したらしく、責めるようなことは何も言わない。そのことに、余計に申し訳なさが募る。


「大ごとにしたくないのです。犯人は今頃恐怖で震えていますので、それでご勘弁を」


「……アンナ、何したんだよ」


「いえ、ちょっと大袈裟に物事を伝えただけですわ」


 アンナはすっとぼける。


「まぁ、いいや。それより、どうして借りたドレスを着なかったんだ?」


 そう、アンナは借りたドレスではなく、結局制服で来たのだ。

 いまさら、キール殿下にもらったドレス以外を着る気になれなかったから。


「もう殿下だって気付いていらっしゃるんでしょ? 胸もとのリボン」


 アンナは引き裂かれたドレスの布地をちぎり、制服のリボンの代わりにそれを結んだのだ。これで、殿下のスカーフとお揃いだ。


「そっか、リボン結んでくれたんだ」


 キール殿下がやっと笑った。その笑みを見て、やっぱり借りたドレスを着なくて良かったと思った。


 結局、ドレスコードを満たしていないアンナでは、ダンスフロアには入れない。だから、二人でダンスフロアから聞こえてくる音楽を聞きながら、他愛もない話をした。殿下は意外と庶民的で、お城でも比較的自由に暮らしていたこと。でもそれは、良いことばかりではなくて、期待されていないのの裏返しなのだろうとアンナは思った。もちろん、わざわざ指摘はしない。そんなこと、殿下が一番良くわかっていることだろうし。


「なぁ、一曲踊らないか?」


 キール殿下は立ち上がると、アンナに向かって手を差し出した。

 月明かりに照らされたキール殿下、とても綺麗で、何だかとても尊いものに思える。アンナの手は、すっと引き寄せられるように、差し出された手に重ねられた。


 柔らかなワルツ、月が二人だけを照らしてくれる。正装したキールと、制服姿のアンナでは、ちぐはぐもいいところだ。まるで、二人の身分差のように。

 それでも、今はこうするのが一番自然だとアンナは思った。キールの力強い手にリードされ、くるりくるりとステップを踏む。まるで水の上を滑っているような、滑らかなワルツ。


「最高だ。アンナとこんな風に踊れて」


 キールはとろけそうな笑顔を浮かべた。

 ダンスフロアにいたら、全生徒からの視線が突き刺さるだろう。でも、今は二人だけのダンス。誰の目も気にしなくて良いのだ。


「わたくしも、殿下と踊れて光栄ですわ」


 自然と、笑みがこぼれてしまう。キールが楽しいなら、それが一番だと思った。

 いろいろと抵抗してきたけれど、キールのパートナーで、キールのドレス(の切れ端)を身につけて、こうしてワルツを踊っていること。この選択で、今は良かったのだろうと。



 そんな風に、浮かれていたアンナだった。

 だが、物事はそんな一時の感傷に浸るだけでは済まない。カウントダウンは、確実に進んでいるのだ。



 ワルツを終えると、キールは少し緊張した面持ちになった。両手を取られ、正面で向き合う。踊っている最中ならまだしも、止まった状態でのイケメンの直視は心臓に悪い。

 どうしよう、手汗が出てきた。キール殿下に気付かれないかな。心臓もバカみたいにドクドクしてくるし、ちょっと気が遠くなりそうなんですけど!

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