ドレス
「これ……まさか、ドレス?」
箱の中の布地に手を伸ばす。手触りは最高、しなやかで、光沢があって、縫い目もとても丁寧だ。恐る恐る取り出して体に当ててみる。
胸元は開きすぎずに鎖骨が綺麗に見えるライン、袖は薄い素材で肘上あたりに細めのリボンで絞る形だ。スカード部分はレースが重ねられており裾へ行くほど水色から白へと淡くなっていくグラデーション。
『似合ってるにゃー。キールはアンナのこと、よく見てるにゃ!』
ベッドの下からクロが出てきた。
「まさか、ずっとそこにいたの?」
『いたにゃ。二人の邪魔しちゃいけにゃいと思っておとなしくしてにゃ。にゃんにゃんし始めたらどうしようかと思ったけどにゃー』
何を言い出すのだ、このエロ猫が! しかも、にゃんにゃんとか死語なんじゃ(てか、この世界では意味が通じないだろうけど)。
「そ、そんなことより、殿下がドレス贈ってきたんだけどどうしよう」
『そんなの着ればいいじゃないかにゃ?』
そんなの当然だみたいなノリで言わないで欲しい。
「だって、相手に贈られたドレスを着るって、それは恋人や婚約者の場合じゃない。私達はそんな関係じゃないもん」
『じゃあどんな関係にゃ』
「えっと……ビジネス、パートナー?」
どういう関係が正解なのか分からず、なんとなくひねり出した言葉だが、意外とその通りじゃないだろうか。あくまで、これはビジネス。キール殿下は知らないが、アンナにとっては大聖女様への推薦状の為に仕方なく殿下に関わっているのだから。そう、あくまで、 仕 方 な く 、だ。
え、言い訳がましい? 知らん、そんなこと。とにかく、この流れに身を任せていたら、神様ボーナスの玉の輿に乗りたくなくても外堀を固められて乗ってしまう可能性が出てきてしまう。それだけは避けねば!と、アンナは改めて決心した。
***
翌日、午前中だけは授業がある。交流会は夕方からだ。
アンナは1年の教室までキール殿下を訪ねた。
「キール殿下、いらっしゃいますか?」
扉の近くに居た1年生に、キール殿下を呼んでもらう。すると、教室内の全員が一気にアンナを見てきた。
こわっ。なに、なんでそんなに注目してくるの?
そして、キール殿下がしっぽを振る勢いで、アンナのところまで瞬時に走ってきた。
こわっ。なに、なんでそんなに勢いが良いの?
「アンナ、どうした?」
嬉しそうにアンナの言葉を待つその姿は、マジで飼い犬。こんなにペット感あふれてたっけ? いつからこんなだった?
「昨日いただいた箱の中身の件なんですが」
「あぁ、どうだった?」
キラキラした瞳の圧力に、目がつぶれそう。
「ぐっ……も、もちろん、素敵なものだと思いましたけれど……わたくしは必要ないと事前に申し上げたと思うのですが」
アンナの文句に、シュンとするかと思われたキール殿下だが、予想外にノーダメージ、飄々とした態度のままだ。
「アンナが『練習相手には不要な散財はするな』って言ったから」
んん? 分かっているのならどうしてドレスを買った? 言葉通じてるかい、王子様よ。
「ちょっと、意味が分からないのですが」
事故死する直前に好きだったお笑いのネタみたいな言葉が出てしまった。
「だから、練習相手じゃ無ければ贈っても良いってことだろ。じゃ、楽しみにしてるから」
キール殿下はにっこり笑ってそう言うと、さっさと教室の奥に引っ込んでしまった。
取り残されたアンナは、必死に意味を考える。もしや、練習相手じゃ無い、つまりちゃんとしたパートナーとして考えてるからって言いたいの? いやいや待って待って、それまずいんじゃない?
とぼとぼと、自分の教室へ戻るアンナ。なぜだか、胸がモヤモヤした。キール殿下は、どうやらアンナに好意を持っているようだ。今までもそうかなーと思われる節はあったが、これでほぼ確実だろう。
でもそれって神様ボーナスで、ちゃらんぽらんな神様に操られてるからでは? それは、キール殿下が本心で好きって訳ではないってことだ。
そんな思考に陥り、ハッと我に返る。これじゃまるでキール殿下の本心が欲しいみたいではないか。そんなことはあってはならない。今世では、イケメンにはしゃぐことはあっても、恋はしないと決めているのだから。
アンナが自分の気持ちにモヤモヤしているうちに、午前中が終わってしまった。午後は交流会の準備のために休講、夕方から交流会が始まるといった流れだ。
「アンナ、どっちのドレス着るの?」
ドレスアップのために寮へと帰る途中、ナターリアが興味津々といった様子で聞いてきた。
「それは……お借りしたものを――」
「そんなんダメよ!」
ナターリアに鬼の形相で詰め寄られた。可愛い顔が台無しだよ?
「キール殿下が泣いちゃうわ。アンナに着て欲しいから贈ったのよ?」
それはそうだろうけど。着てしまったら、曖昧にしていたものに、形が出来てしまいそうで怖いのだ。外堀を埋められる的な意味で。
「アンナ。これはただの学園行事よ。堅苦しいお城で過ごしてきた殿下にとって、初めて一生徒として気楽に参加する行事なんだから、ドレスくらい譲って着てあげなさいよ」
「そ、そう言われてしまいますと……」
ナターリアの言い分に、何も言い返せない。確かに、それくらいの譲歩はしてあげるべきかも、と思えてきた。アンナは、流されやすい性分を遺憾なく発揮してしまう。
たぶん、借りたドレスを着ていっても、キール殿下は怒りはしないと思う。でも、きっとがっかりするだろう。シュンと耳をたらした子犬のような姿が思い浮かぶ。
そんな顔をさせたいわけではないんだけどな……。
決めきれないまま、ナターリアとは部屋の前で別れた。クロに相談したところで、殿下のドレスを着ろと言うに決まってるし、どうしょうかなぁと迷いながらドアを開ける。すると、クロがハンガーに掛けてあるドレスの前で右往左往していた。
『ごめんにゃ……この体じゃ、止めきれなかったにゃ』
キール殿下に贈ってもらったドレスは、見るも無惨に、切り裂かれている。
しっぽをくたりと床にたらし、クロが泣いた。
猫って泣くんだ、と何故かどうでもいい感想が頭に浮かぶ。それくらい、アンナにその光景は衝撃だった。
さっきまで着るかどうかを迷っていたくせに、いざ、切り刻まれたドレスを見たら、涙が出てきた。キール殿下の気持ちを切り刻まれたみたいで、許せなかった。
「私って、これを着てあげたかったんだ」
仕方ないって言いながら、キール殿下のドレスを着るつもりだったのだ。無意識のうちに、もう答えは出ていた。
それなのに、肝心のドレスは、無残に切り刻まれている。
『どうするにゃ?』
クロが小さな声で聞いてきた。いつもうるさいクロが……余程傷心しているようだ。よくよく見ると、前足も負傷しているのか、床に付けずにずっと上げている。
「クロ、前足、痛いんでしょ。手当てするから、こっち来なよ」
『にゃ、大丈夫にゃ。一時的なものだからすぐに元に戻るにゃ。それよりも、ドレスにゃ。ドレスは……元には戻らないにゃ』
そうか、クロはただの猫じゃないから、怪我という概念はないのかも。それなら、ドレスもその力を発揮して元に戻せれば良いのに。そんな都合の良い力は持っていないらしい。
「はぁ……クロって、本当にただいるだけよね」
『にゃに! こっちが下手に出てりゃ、言いたい放題。酷いにゃー!』
クロがしっぽを逆立てて騒ぎ始めた。うん、これでこそクロだ。シュンとしてるクロなんて調子が狂ってしまう。
「それより、もう準備しなきゃ待ち合わせに遅れちゃう」
『おい、無視するにゃ!』
「はいはい、うるさいよ」
アンナは、引き裂かれたドレスを横目に、しぶしぶ借りたドレスを手に取った。
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