家庭教師の相手


 校長に王弟の勉強を見て欲しいと頼まれてしまった。責任重大な役目に、アンナは驚きのあまり冷や汗がにじむ。



「校長先生、その、少々、わたくしには手が余る案件と思われますし、そもそも、三年の主席の先輩こそが、その任にふさわしいのでは」


 恐る恐る、アンナは提言を試みる。


「三年生は、卒業に向けて忙しくなるからね。二年生の君が適任だよ。それに、三年の主席は、ほら、彼だから、うまく勉強を教えられるとも思えないし」


 確かに、三年の主席は、頭は大変キレて優秀なのだが、キレが良すぎて宇宙人みたいなのだ。つまり、言っていることが高度すぎて誰も理解できない。しかも、人付き合いもあまり得意ではない。

 だから、校長が無理だと思うのも分かる。分かるけど! でも、引き受けたものの留年などしようものなら、教えた方も責任を問われるじゃないか!


「こんなことを申し上げるのは心苦しいのですが、わたくしにとってリスクが大きすぎます」


「うん、そうだよね。だからさ、取引しよう。キール殿下を無事に進級させてくれたら、君に推薦状を書いてあげる」


「推薦状?」


「君は聖女に、ゆくゆくは大聖女に就きたいんだろう? 今の大聖女様は僕と同級生でね、季節のカードを送り合う程度には親交があるんだ。だから、大聖女様へ直に推薦状を出してあげられるよ」


 それは、アンナにとって願ったり叶ったりの条件だった。

 聖女にも階級が有り、一番上が大聖女だ。通常であれば、一番下から階級を上がっていくしかないのだが、その推薦状があれば、少しばかり上から始められるはず。


 そんな推薦状、欲しいに決まってるではないか!


「コホン。その推薦状、間違いなく、お約束していただけますか?」


「もちろん。僕が嘘ついたことあった?」


 アンナは首を振る。


「いえ、ございません」


「じゃあ決まりだね。明日の放課後から頼めるかな」


「かしこまりました。全力で頑張らせていただきます」


 アンナは鼻息荒く、勇んで校長室を出て行くのだった。



***


 校長から第二王子への家庭教師を頼まれ、寮に戻ってきた。



 寮の自室に入ると、クロがネズミのおもちゃと格闘していた。

 クロって本物の猫じゃないはずなのに……どんどん猫化してる気がする。まあ、それは別にどうでも良いか。


「クロ、明日から第二王子のキール殿下に勉強を教えることになった」


『にゃに、それは良いお相手にゃ』


「お相手って……まさか神様ボーナスのトラップってこと?」


 推薦状に目が眩んでて、トラップである可能性を考えてなかった。


『玉の輿候補をトラップ扱いするにゃ。でも王子なんて、それこそ玉の輿にゃ!』


 クロの言うとおり、これ以上ないほどの玉の輿相手だ。まずい、イケメンだったらどうしよう。




 翌日、アンナは王子殿下の待つ図書準備室へと向かった。恐る恐る扉を開けるも、中には誰も居ない。


「まだ来てないのかな」


 そう思い、本棚に置かれた本をぱらぱらを読みつつ待った。暇なので、いくつか置いてある机を布で拭き掃除したり、本棚の中身を番号順に並び替えてみたり、明日の予習をしてみたり。しかし、いくら待っても誰もやってこない。


『もしかして、すっぽかされたにゃ?』


 クロがすっと現れたかと思うと、ニヤニヤした声で言ってきた。

 内心そうではないかと思っていただけに、先に言われて余計にムカつく。


「何しにきたのよ」


『アンナの様子が気になって見に来たにゃ』


「あっそ。残念でした。殿下は玉の輿のトラップじゃなさそうね。そもそも来やしないんだから」


『いつまで待つにゃ』


「午後六時までという約束だったから、六時までは待つわ」


『まだ一時間もあるにゃ』


「そうね。でも推薦状がかかってるのよ。そう簡単に諦めてなるものですか」


『その執念を、恋愛に使ってくれれば楽なのににゃあ』


 クロは呆れたように言うと、すうっと姿を消すのだった。


 その後も待ち続け、勉強会終了予定時刻まであと五分。その時だった。

 バンッと大きな音を立てて、扉が開いたのだ。


「あんた、いつまでいるつもりだよ!」


 あれ、最近どこかで聞いたことがあるような声……

 そう思いつつ、王子殿下用の微笑みをさっと作り、アンナはゆっくりと振り返った。


「お初にお目にかかります。わたくしは……まぁ!」


 振り返った先にいたのは、昨日トニーから助けてくれたヤンチャなイケメンくんではないか。

 ということは、このヤンチャくんが第二王子?

 ヤバい、無理、イケメンすぎ、永遠に顔を見つめてしまいそう。


「あんた、昨日の? 俺、てっきり男が来るもんだと思ってた」


 王子殿下は、ポカンと驚いたように口を開けている。


「改めまして、男爵家のアンナ・ベルニエと申します。僭越ながら、二年の主席はわたくしがつとめさせていただいております。この度は校長先生からのご用命により、勉学のお手伝いをさせていただきたいと思います」


 アンナは必死で理性をかき集め、挨拶を繰り出す。


「へぇ、頭いいんだ。俺はキール・ジェグロフ。聞いているとは思うけど第二王子だ」


「はい、キール殿下。お待ち申しておりました。ささ、本日のお勉強を始めましょうか」


「もう約束の時間は終わりだろ」


 キール殿下は不服そうに口を尖らせている。

 か、かわいい。拗ねた表情がなんともヤンチャ年下臭がしてたまらない。

 前世での自分がアラサーだったことも手伝って、余計に年下アピールに弱くなってる気がする。

 ショタ萌え万歳!(ただし美形に限る)


 荒ぶる心を必死でいなし、平然と続ける。


「で、ですが、引き受けた以上、わたくしはキール殿下に何が何でもお勉強していただかなくてはなりません」


「嫌だ。俺は、勉強しない」


「でも、このままだと留年してしまいます」


「それでいい」


 それでいいわけあるかぁ!

 仮にも王子だぞ。もし王や第一王子に何かあったら、代わりに王位につくかもしれないんだぞ。そんな人物が留年て、他国の笑いものではないか!

 これは、推薦状がほしいのもあるけれど、国民の一人として、何としても殿下には勉強してもらわなくては。

 もちろん、これが神様ボーナスのトラップの可能性は高い。でも、引っかからなければいいのだ。己の精神力を修行する良い機会だと思えばいい。


「キール殿下、どうしたらお勉強してくださいますか?」


「……しないったら、しない」


 んぐっ、かたくなっ、でも意地になってるのがこれまた可愛い。


「わたくしが困ってしまいます。お優しい殿下は、昨日助けてくれたではありませんか。今回もわたくしを助けると思って――」


「俺は優しくなんか無い」


 アンナの言葉を掻き消すように、キール殿下は叫んだ。


「いいえ、殿下はお優しいです。だって、今日も来てくださったではありませんか。待ちぼうけをさせているのが心苦しくなって、姿を現してくれたのでしょう?」


 ひたすら相手が待ち続けるかもしれないことを恐れて、これ以上、相手が待たなくてもいいように。そう考えての行動に違いないのだ。


「そ、そんなのは、買い被りすぎだ。とにかく、明日からは絶対にここに来ないからな! 言ったぞ、言ったからな、もうあんたも来るなよ!」


 そう叫ぶと、キール殿下は走って出て行ってしまった。


「ふふ、明日も絶対に来てくださるみたいね」


 あの言い方だと、アンナが待っていないか、そっと確認しに来るに違いない。

 明日もここで待つとしよう、アンナはそう決めたのだった。


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