キール殿下は勉強しない
翌日もキール殿下を図書準備室で待つ。いつ来るだろうかと思いつつ、ゆっくりと自分の予習、復讐を行う。それが済んだら、キール殿下に教えるために、一年生の時の教科書を読み直して時間をつぶした。
「あんた、昨日言ったこと聞いてなかったのか」
案の定、ふて腐れた表情でキール殿下が現れた。
「まぁ、いらしてくれたのですね。嬉しいです。それでは、まずは」
「だから、俺は勉強などしない! もう帰るぞ」
キール殿下はアンナの教科書や筆記用具をカバンに勝手に入れると、さっさとそれを持って歩き出してしまう。アンナは慌てて後を追うのだった。
その日から、図書準備室にアンナが居て、それをキール殿下が迎えに来る。そして寮までアンナを無理矢理送り届けるという日々が始まった。
「はぁぁぁぁ、今日も勉強させられなかった」
王子に送り届けられた寮にて、アンナはベッドに倒れ込む。
最初はもし勉強を教えても留年してしまったらどうしようと不安だったが、現実はそれ以前の問題だ。勉強にたどり着けていないのだから。
「ちゃんと律儀に毎日来てくれるくせに、絶対に勉強は拒否るのよね。なんなの、あの頑固さ」
アンナが頭を抱えていると、クロが姿を現した。
『アンナ、王子とは順調みたいにゃ。毎日寮までデートとか、ラブラブにゃ!』
クロは上機嫌にしているが、アンナは別にラブラブな帰宅デートをしているわけではない。こちとら、勉強させたいのにさせられないことに、ストレスが溜まりまくっているのだ。
しかも、気を抜くとキール殿下の拗ねた表情の可愛らしさに頬が緩みそうになってしまう。はやく、勉強モードにしなければ、アンナの精神が年下イケメンに浸食されて使い物にならなくなってしまう。
「私はトラップに引っかかるわけにはいかないんだから。絶対に、大聖女になって、男とは無縁の幸せな人生を歩むのよ」
『だから、その偏った考え方をやめるんだにゃ。好きな相手と結婚するのも、絶対に幸せな人生にゃ』
「その議論は何万回もして飽きたわ。前世からの経験と、今世の経験で、男が絡んで良いことなんて何もなかったもの」
前世では変な男にばかり引っかって苦しめられ、今世では異様にモテるせいで襲われかけたり、女性から恨みをかったりと散々だ。
それにだ。もし仮にイケメンの玉の輿に乗ったとして、そのイケメンが浮気をしないと何故言い切れる。むしろ、ステータスの高いイケメンだと、余計に女が寄ってくる=浮気リスクがぐんぐん上昇するではないか。結婚後もそんな苦しみを味わうだなんて嫌だ。そんな苦行に満ちた人生を送りたくはない。
もう、男にまどわされない人生を歩みたい。それが、アンナの唯一無二の願いだ。
たとえ、それを惑わすイケメンが来ようとも、絶対に拒否してみせる!
翌日、アンナは図書準備室へ向かっていた。今日こそ、ちゃんと勉強をしてもらわなくてはと意気込んでいると、数名の女子生徒に取り囲まれてしまった。
校舎裏、あまり人の通らないところへと連れて行かれた。
「わたくし、このあと用事がございますの。通してくださるかしら?」
無駄だろうなと思いつつも、まずは希望を伝えてみる。
伯爵令嬢のシルクが睨み付けるように、一歩前に出てきた。
「あら、王子殿下との逢い引きかしら? 学校内で堂々と、この恥知らずが!」
おぉ、罵倒された。そう見えても仕方ないっちゃ仕方ないか、とアンナは内心ため息をつく。
キール殿下が留年しそうだなどと、大きな声で言えるはずもないのだから。傍から見たら、アンナは王子に取り入るただの下級貴族の女だろう。
「わたくしは自習をしようと、図書準備室に通っているだけですわ。そうしましたら、たまたま、殿下もお見えになっただけです」
「そんな偶然あるわけないわ。もしそれが本当なら、どうして殿下は寮まであなたを送るのよ」
「殿下は紳士的ですので、女性を送り届けるのはマナーだと思っていらっしゃるようですわ。とてもお優しい気遣いです。そうは思いませんこと?」
言外に、アンナが特別だからではない、と伝えてみる。
しかし、頭に血が上った相手には、どうやら通用しなかったようだ。
「なにそれ、ただの自慢にしか聞こえないわ。どちらにしろ、男爵令嬢のあなたでは王子のお側にいることが不敬よ」
ここは学校だ。入学を許されて通っている生徒同士が、一緒にいることは普通だと思うけれど。当然、配慮に欠ける発言や行動をしているならば話は別だが。
アンナを不敬とする理由が一切示されていないが、それを気にするシルク嬢の取り巻きはもちろん一人も居ない。
「シルク様。具体的にわたくしのどのような行動が不敬なのでしょうか」
「えっ、そ、そんなの、決まってるじゃない。男爵家で身分が低いくせに、王子と仲良くするとか良くないわ」
急にシルク嬢は慌てだした。まさか切り返しが来るとは思わなかったのだろう。この人数に囲まれ、しかも身分が上の令嬢ばかり、確かに普通の女子生徒ならば萎縮してしまうだろうが。
「ですから、具体的にお願いいたします。仲良く、とはどういったことを指すのですか?」
「だ、だから、馴れ馴れしく声をかけたり、それから、えーと」
「王子殿下と遭遇し、面識があったらご挨拶申し上げるのは普通かと。逆に挨拶をしなければ不敬ではございませんこと?」
「挨拶はいいのよ! だから、女の武器を使って、誘惑したりとか、そういう汚らわしいことよ」
「なるほど。わたくし、不勉強なため、女の武器がどのようなものか分かりかねます。こちらも具体的にご説明いただいててもよろしいでしょうか」
「はぁ? えっと、その、こう、意味ありげな視線を送ってみたり? 耳元で囁いてみたり? む、胸を殿方の腕に当ててみたり?」
シルク嬢は、どんどんと顔が赤くなっていく。
前世がアラサー会社員だったアンナとしては、そんなこと言うのは恥ずかしくも何ともないが、ここの御令嬢達にとっては刺激が強いらしい。
シルク嬢は恥ずかしさが頂点に達したのか、逆ギレしはじめた。
「わ、私に何てことを言わせるの! もう我慢ならないわ。これ以上王子殿下と近づくようなら、容赦しないわ」
シルク嬢がビシっと指をさしてくる。
しかし、近づくなというのは無理だ。だって、勉強を教えなくてはならないのだから。
どうしたものかと考え込んでいると、それがまた余計にシルク嬢の怒りを煽ったらしい。
「約束できないって表情ね。だったら仕方ないわ。一度痛い目を見てもらうしかなさそうね」
シルク嬢の合図に、取り巻きの御令嬢達が何やら後ろから水の入ったバケツを持ってきた。
あー、なるほど。
世界が変わろうとも、いじめの内容はさほど変わらないらしい。
こっちこそ、仕方ない、だ。
とりあえず水被っとけば、この令嬢達も気が済むだろう。結局は、ただの嫉みだし。一回吐き出させとけば、ガス抜きできるはずだ。
アンナはそう思い、目と閉じて、そして鼻から水が入らないように息を止めた。
――バシャァ
盛大な水の音がした…………割には、思ったほど掛かってない気がする。腕やスカートは濡れた気配はするが、顔とかはほぼ掛かってない。もしや、手加減してくれたのかな。やっぱり育ちの良い御令嬢達なのね、などと思いつつ、アンナは目を開ける。
すると、目の前に、びしょ濡れのキール殿下が立っていた。
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