ドキドキハラハラのおうちじかん

楠秋生

第1話

「ねぇ、亨。今日はどれ見る? アクション? 恋愛もの?」


 芽衣はPCの画面を見たまま、キッチンで洗い物をしている亨に声をかけた。二人ともリモートワークになって家に籠りっきりになってから、毎晩オンラインで映画を見るのが日課になっている。


「う~ん、そうだなぁ。昨日恋愛ものだったし、アクションも見たいのは全部見たしなぁ。他になんか面白そうなのないか?」

「他に、ねぇ。アニメか、家族ものか、動物ものか……」


 あらすじをチェックしながら画面をスクロールさせる。


「あ、これは? シロクマの話。それかクジラ」

「おし、じゃあシロクマにしよう」

「オッケー」


 亨が洗い物を終えるまでに、ワインとおつまみを用意する。


「お、用意万端だなぁ。ティッシュまでちゃんとある」

「だって感動ものっぽいし、亨、絶対泣くと思って」


 案の定、後半から亨はぽろぽろ涙を零した。


「ハンカチにした方がよかったかもね」

「ああ、感動した~」

「うん。良かったねぇ。ね、あのもふもふ、気持ちよさそうだよね」

「芽衣の方が気持ちいい」

「あん、もう。余韻に浸ってるんじゃないの?」


 亨の手が芽衣の服の中に忍びこんでくる。そのままベッドへ、というのはお決まりのパターン。

 そんなラブラブな毎日を送っていたのに、ある日。


「ちょっとしばらく、映画パスする。こっちの部屋に籠るし、覗くなよ」


 そう言って、納戸にしていた部屋に閉じこもってしまったのだ。勿論、食事やトイレには出てくるけど、それ以外はずっと引き籠ったまま。嬉し楽しかった巣籠り生活は、一転して家庭内別居状態。出てきたときに険悪なわけではないから、家庭内別居は言い過ぎかもしれないけど、芽衣はさみしくてたまらない。

 覗くなと言われたら覗きたくなるのは人のさがだよね。亨が籠って一週間目、退屈になった芽衣はそおっとドアを開けようとした。

 が、開かない。ドアの向こうに何か置いている? 入れないように? 


「ねぇ、中で何してるの? 仕事じゃあないよね?」


 食事のときに訊いてみると、なんとも言えない顔をして歯切れの悪い返事をする。その様子を見て、ふと疑問が湧いてきてしまった。

 仕事じゃ、ないのかな。重要機密で社外秘とかの仕事だと思っていたんだけど。でもそれにしては籠っている時間が長すぎる。夜まで出てこないのはおかしい。


「今は、内緒」


 今は。それならいつか教えてくれるの? 一度ドアを開けようとしてからは、風呂も芽衣が買い物に行っている間に入っているようだ。そんなに見られたくない物って一体、何!?

 お籠りするようになったきっかけはなんだったんだろう。仕事だと思ってたから、何にも意識してなかった。

 あの日。しばらく映画をパスすると言った、あの日。何があった? 何か、あった? 記憶の糸を手繰る。久しぶりに会社に行くと言って出ていったのはあの日だったかな? だから持ち帰った機密と思ったんだったかな?

 そうだ。うん、間違いない。あの日、会社に行って、何か大きな荷物を持って帰ってきたんだった。ずいぶん大きなボストンバッグ。重そうな……大量の書類だって言ってた。

 色々思い出してくる。

 そうそう、亨は帰ってきてすぐにグラスを落として割っちゃったんだ。それで怪我をして血がいっぱい出た。


「悪い! グラス、割っちまった! いてっ」

「大丈夫?」


 キッチンから顔だけ覗かせるつもりが、膝をついた亨の前の床の血の多さにびっくりして駆け寄る。


「ちょっと、これ、かなり深く切ったんじゃないの!? 見せて!」

「いや、大丈夫。とりあえず傷口を水で洗うから、ここ片づけてくれるかな」

「わかった。先に片づけるから、洗ったらきっちり止血してね。すぐ行くから」


 ハンカチで押えた左手を少し上にあげて洗面所へいく亨を見送って、グラスを片づけ掃除機をかける。フローリングの床は血だらけだ。あ、ボストンにもついちゃってる。


「どんな感じ? 病院に行く?」

「いや、思ったより深くないみたいだ」


 雑巾を取りに行きがてら見にいくと、救急箱から包帯を出して自分で巻いている。


「ちゃんと消毒した? 傷口見せて」

「したした。大丈夫だよ」


 包帯は、ほんのり血が滲んでいる。


「ちゃんと止血できてないんじゃない?」

「どんどん出てくるようなら取り替えてもらうよ」


 包帯の血が増えてそうにないのを確認して、床の血を拭きに戻る。ボストンの底を拭くために持ち上げようと手を伸ばすと、亨が先に持ち上げた。


「それ、底に血がついてるの」

「わかった。これは俺が拭くから雑巾かして」


 そう言われて、一瞬怪訝に思ったことまで思い出す。

 

「あれって、触られたくなかったのよ、ね? 重要な書類だから……」


 不意にむくむくと、とんでもない妄想が湧き起ってくる。

 随分重いボストンバッグ。書類なら、二つに分けたらいいような重さ。

 そのすぐそばで怪我。大量の血。でもすぐ止まる程度。……傷口は見ていない。


「サスペンスの見過ぎよね」


 一緒に映画を見なくなってから、一人でサスペンスばっかり見てたから。だから、変なこと考えてしまったのだ、と自分自身に言い聞かせる。

 

 「今は内緒」と言ってから、食事にも出てこなくなった。流石に心配になってくる。


「ねぇ、食べないと倒れちゃうよ」


 何度もノックすると、ドアを少し開けて弱々しい笑顔で答えた。


「握り飯、作ってくれる?」


 作りますとも。勿論。でも、酷い顔色だ。眠れてないみたい。

 眠れないほどの、悩みがある? 私に言えないような? 芽衣は、どうしても浮かんできてしまう嫌な考えを横に押しやって、おにぎりを作って持っていった。

 すき間を開けて受け取る亨に、聞きたいことはいっぱいあるのに、なんと聞いていいのかわからない。躊躇している間にさっとドアは閉じられてしまう。

 信用されていないのかと悲しくなる。同時に、巻き込みたくないと思ってくれているのか、とも。

 自分の仕事もろくに手に着かない。


「ふう、コーヒーでも淹れよう。……亨にも」


 辺りにコーヒーのいい香りが漂いはじめ、ふと気づく。

 

「香り。そうだ、香り、臭いがするはず! もう一週間以上たってるもの。でも、それがしないってことは、違うんだ。きっと」


 自分に向かって呟いて安心する。

 ほっとしたのもつかの間、また別の考えが浮かぶ。

 もし、私の買い物中に出かけていたとしたら? 部屋から出ていないのは、私がいる間だけだとしたら?

 嫌な考えがぐるぐる頭をまわる。

 どうしたらいい? どうしたら、いいんだろう?

 芽衣が悩みに悩んで、淹れかけのコーヒーを前にしたまま頭を抱えていると、がちゃりとドアの開く音がした。振り返ると、亨が自分から出てきていた。


「ごめん、芽衣。風呂沸かしてくれる?」

「……わ、かった」


 これは、何か、覚悟したってことだろうか。風呂に湯を張りながら、こちらも聞く覚悟を決める。深呼吸して、息を整えて。


「何か、私に話すことがあるんじゃない?」


 意気込んで言ったのに。


「一緒に風呂、入ろうか」


 疲れてはいるけど、ずいぶん穏やかな表情。そう言われて断れるわけもなく。きっと、くつろいでから、と思っているんだろう。

 風呂では当たり障りのない話。この引き籠り期間なんてなかったかのようだ。

 全部、気のせい、だったのかな。そう思えるほどに。


「風呂からあがったら、見せたいものがあるんだ」


 その一言を聞くまでは。


 風呂上り、バスローブを羽織っただけの芽以を、亨はひょいと抱き上げた。まるでこのままベッドに行くかのような気軽さで。

 芽衣は混乱した。一体何がどうなってるのか、全くわからない。これから何を聞かされるんだろう? 芽衣が想像してしまった恐ろしいことなのか、それとももっと怖い何かなのか。

 芽衣を抱えたまま、亨は納戸へ向かう。

 そして、ドアを開けた。








「な……に、これ」


 目に入った物の突拍子もなさに、言葉を失ってしまった。

 三畳の部屋に窮屈そうにでーんと居座っているそれは、


「もふもふ、気持ち良さそうだろ?」


 亨がしてやったり、というように満面の笑みで見上げてくる。


「ハッピーバースデイ! 芽衣」

「ハッピーバースデイ? た、誕生日プレゼント?」


 それは、この間映画で見たシロクマのぬいぐるみ。実物大かな、それくらい大きなサイズの。その上に、ぽすんと芽衣をおろし、隣に亨も座る。


「いや、思ったより大変でさ。最後の方は、ほんと、間に合わないかと必死だったんだ」

「え? 手作り?」


 にしてはものすごくクオリティが高い。


「あ、りがと」


 いや、でもそれよりも先に聞きたいことがある。


「ちょっと待って。もしかして、あえて、ひっかけた?」


 睨みつけて訊ねる。


「ひっかかってくれちゃったんだろ?」


 にやにや笑いながら、芽衣のほっぺたを突っつく。


「で、一体何だと思ったんだ?」

「知らない!」


 大げさに頬を膨らませて拗ねる芽衣の肩を、亨は黙って抱き寄せた。そのまま何にも言わないので、芽衣の方が根負け。


「全部、フェイク?」

「どれのこと?」


 にやっと笑ってすっとぼける亨の手の甲をつねりあげる。


「手の怪我。床の血。大きなボストンバッグ。……あ! もしかして、サスペンスを見るように仕向けたのも!?」


 わしわしと芽衣の頭を掻き回してから抱きしめてくる。


「せいかーい」

「何それ! 酷くない? ありがとうだけど、嬉しいけど、酷くない? この一週間、私がどんなに悩んだか!」


 亨の胸に手をついて押し返し、講義する。


「なぁ~んにもない『おうちじかん』より、ハプニングがある方がスリリングだった

だろ?」


 あっけらかんと言う亨に腹が立つのと、安心したのと、完全にひっかかったのが悔しいのとで、泣けてくる。


「ふ……うあ~ん!」


 大げさに泣いてやるんだから!

 半分泣き真似の芽衣をもう一度抱き寄せる。


「うーん。でも、こっちも芽衣不足で死にそうだった~」


 そう言ってキスを落としてくる亨に、完敗だ。フェイクをかけてたとはいえ、これだけのサイズのぬいぐるみを作るのは、かなり大変だったはず。


「プレゼント、ありがとう」


 芽衣は亨に抱きついた。

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ドキドキハラハラのおうちじかん 楠秋生 @yunikon

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