つぎはぎ暮らし【KAC20211/お題「おうち時間」】

蒼城ルオ

つぎはぎ暮らし

 子どもがいる生活というものは、一人暮らしとは大きく変わるものだ。それが例え、自分のことは自分で出来る子どもであっても、我が子、ではなくても。


「かおちゃん、ばんごはんの時間ですよー」


 舌ったらずな声に、パソコン脇の置時計を見やる。十九時。デスクワークになってから完全に形式上となった定時から一時間過ぎていた。更に言えば、そのまま部屋に入って来た小学生との約束からは、三十分が過ぎている。それを指摘するでもなくまっすぐに自分を見上げる大きくて丸い瞳に、罪悪感は却って募るものだ。


「うわ、もうこんな時間か。ごめんニナちゃん」


 慌てて立ち上がり、ダイニング兼寝室兼子供部屋、要はこのマンションの一室において仕事部屋以外のほぼ全ての要素を詰め込んだ部屋に向かう。背の低い机には、スープ皿によそって温め直してくれた鍋料理とご飯が既に待機していた。ニナのほうに豆腐と鶏肉が多く、私のほうに白菜と肉団子がぎっしり詰められているのはご愛敬だろう。私は床に正座し、ニナは足を投げ出す形でクッションの上に座って、同時にというにはほんの少しずれたタイミングで手を合わせる。


「いただきます」

「いただきまーす」


 スーパーで買ってきた鍋の素に野菜と肉と豆腐を放り込んだだけの夕飯は、それでもしっかりと味がしみて体があたたまる。去年まではおよそ冬と呼ばれる季節は毎日これで凌いでいて、特に何の感慨もなかった。しかし、すぐ隣ではふはふと息を吹きかけて豆腐を冷ます姿が三日続いただけで、思うところが出て来てしまう。


「いそがしいからってここのところずっと鍋でごめんね」


 汁に髪が入り込まないよう、落ちかかっていたぬばたまを払ってやりながら告げる。包丁やら火やらを一人で扱わせるのは流石に駄目だと禁じているが、この子は決して料理が出来ないわけではない。謝罪するくらいなら一人で好きにさせたほうがきっと良いだろう。各々自分の生活習慣で好きに過ごしたほうが楽で、居心地が良いだろう。それが出来ないのは、ニナが幼いからであり、私がそれを言い訳にして彼女の成長度合いを計りきれていない己から目をそらしているからだ。そんな私に、ニナが笑う。


「ううん! おかーさんのトマト鍋よりかおちゃんのお鍋のが好き!」

「そう」


 優しい子だ。好き、であって、おいしい、ではないと、この子の母であり私の姉であるひとを思う。この子と同じ指通りの良い髪と、この子よりも色素の薄い二重の瞳、この国この時代においては良くも悪くも化石も同然の良妻賢母を絵に描いたような女性だった。彼女のもとでずっと暮らしていれば、ニナは今よりもきっとずっと、幸せだっただろう。

 実際のところ、姉が胸の裡に何を抱えていたかは知れない。ニナの母としてはどんな顔を見せていたかなんて、たまに遊びに寄った過去の数日くらいしか知らない。血を分けた家族といえど所詮は他人だ。けれど、矛盾したことに、私では決して発露できないこの子の優しさに触れるたびに、ああ家族だな、と思う。一度集中したらなかなか切り替えられない私に声をかけてくれるのも、自分の好きなものを多くよそって私の罪悪感を減らしてくれるのも、かつては姉だった。


「じゃ、そんな嬉しい事言ってくれるニナちゃんには、週末ピザを頼んであげよう」

「わぁい!」


 この提案が、彼女にとって本当に欲しいものには程遠い子供だましであることも知っている。本当は姉のようにきちんと家事をこなしてこの子の成長度合いに応じた言動をしてやるべきだ。それが出来ないから埋め合わせのように仕事を続けて金銭面では決して苦労はさせていないし今後させるつもりもないけれど、まったき代替になるとは思っていない。この子は姉と同じことを私に施してくれているのに私はこの子が母から受け取るべきものを私は正しく渡せていない矛盾は、夕飯と共に身の内に押し込む。そのまま続くたわいない話に耳を傾け、その合間に料理を口に運び、まだ白飯と格闘しているニナに声をかけた。


「ニナちゃん、食器洗いはやるから、終わったらゲームする前に食器をお湯につけるのだけやっといてね」


 立ち上がる。すると視線が追いかけて来た。不出来な私への恨み言などひとつも零さなかった姉に似た、ただただ無垢な眼差し。


「かおちゃんは?」

「お仕事。あと1時間くらいで資料まとめ終わるから、それ送ってついでにメール返して、」

「だめです!」


 説明を断ち切るような大きな声は鼓膜に響くほどではなかったが、目がまたたく。頬を膨らませた幼子が、私に訴える。


「かおちゃんのお仕事の時間はもう終わりでしょう! これからはおうち時間です! おうちのことをするんです!」


 家事を後回しにする人間に見えたのだろうか。あながち間違っていないのだが、確かにこれは彼女と相対する立場としてよろしくない。せめて言い訳に聞こえないようにと言葉を選ぶ。


「うん、食器洗いは仕事終わったら」

「それもおうちのことだけど、おうち時間はおうちのことをするんじゃないの!」


 再度遮られ、容量を得ない言葉に首を傾げる。それ以外にすることがあっただろうか。洗濯物は取り込んだ、掃除は今日はしていないが二日おきだと承知して貰っている、買い物も週末に済ませた、いやしかし抜けがあったかもしれない。思考を巡らせる時の癖で口元にあてた手を、ニナの手が肘を引くことで下げさせる。


「かおちゃんはゆっくりお休みして、わたしとゲームすることが、おうち時間にやることです!」


 私に触れていない手を腰に当てて、頑張ってしかつめらしい顔を作って、その小さな唇から零れるのは、説教、だろうか。自身の身体を休めることすらろくに出来ていないと責められているのだろうか。確かに私は姉と違って、姉は、私は。

 


 いや、違う。これはただの、小さなわがままで、おねだりだ。年相応なそれに、ふっと力が抜ける。



「うん、そう、そうだね。じゃあ、ニナちゃんがご飯食べ終わるまで、待ってる」


 そう言えばすぐさま、ニナの顔がほころんだ。その表情は記憶の中の姉とそっくりで、なのに、否、当たり前なのだけれど、私が記憶する限り最も小さい頃の姉よりも幼い。うん、よろしい、とませた言葉を使った後、改めて夕飯の残りと格闘し始める。

 この子は私がいなくても自分のことは自分で出来る。きっともう少し成長していれば、各々自分の生活習慣で好きに過ごしたほうが楽で、居心地が良いだろう。それでも、今はそうではない。

 少なくとも、ご飯を食べる姪をただ眺めているだけという客観的に見て無駄極まりない時間についつい頬が緩むのは、私にとって得たことを感謝する大きな変化だった。

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つぎはぎ暮らし【KAC20211/お題「おうち時間」】 蒼城ルオ @sojoruo

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