脱皮する女

hitori

第1話 脱皮する女




  裏道で待ち伏せするのはいじめっ子


  表のバス通りで待ち伏せするのは

  ラブレターをカバンに忍ばせた学生


  バイパスで待ち伏せするのは白バイ



  子どもが待ちわびるのは

  仕事から帰ってくるお母さん


  娘が耳をそばだてているのは

  あの人からの手紙を届ける郵便屋さんの音


  誰からもかかることのない携帯電話

  握りしめて涙をこぼすのは

  都会の片隅にいる私



 外に出るのは仕事の時だけで、必要な買い物はその時にすませる。職場の人たちがしゃべっていても、遠くから聞くだけ。昼食が終われば、ガヤガヤとうるさい話し声から逃げて、一人ロッカールームで座り込む。


 「ここにいたんだ。横に座ってもいい?」


 昨日から工場に来始めた女の子だ。年も同じくらいだろうか。


 「私さぁ、みんなの話についていけないんだよね。私、ミク、よろしくね。あなた、みんなとあまりしゃべってなかったし、私と同じなのかなと思って」


 ミクは人懐っこいのだろうか、何もしゃべらない私に話しかけてきた。


 「ああ、そうだね。噂話とか悪口ばかりなんだもん。休みの日に出かけるなんて話もしているけど、人の買い物につき合うのは疲れるし、食事だって好みが違いすぎて。私、甘いものだめなの」


 ああ、なんか久しぶりに人と話した気がした。


 「同じだね。私もだよ。欲しいものをあっちにしようか、こっちにしようかなんて迷ってないで、さっさと買っちゃうのが私流かな。わかんなかったらお店の人に選んでもらうからw」


 ミクは笑うとえくぼができる。うらやましいな。

 それから、毎日、お昼をすませたあとは、ロッカールームでミクと話すようになった。


 私は田辺かおり。ミクと知り合ってからひと月ほどした時、朝から熱をだして動けなくなってしまった。右のわき腹に激痛がはしる。熱は39度。一人暮らしで家には誰もいない。職場には連絡をいれたが、病院に行こうにも、動けない。とにかく寝ていよう。

 このままひどくなったら、いや、すぐに治まるだろう、そんなことを熱に蝕まれながらベッドで横になっていた。うとうととしては、わき腹の電気がはしるような痛みで眠気から引き戻される。二時間ほど経っただろうか、玄関を叩く音がする。

 動けないのに誰だよ。しかし鳴りやまない音。無視するしかないかな。


 「かおり、大丈夫?ミクだよ。起きてる?」


 ミクだ。ベッドから体を引きずるように下りて、四つん這いで玄関の扉まで行った。なんとか手を伸ばして鍵を開けた。ミクが扉をあけ、私の体を起して座らせた。


 「熱だしたって聞いたから、会社で住所聞いてきたんだよ。昨日、かおり、だるそうだったもんね」

 「ありがとう。あのね、横腹が痛いんだけど、病院に連れてってくれない?」


 病院で診察を受け、腎盂炎と診断された。ミクは私を家まで連れて帰り、ベッドに寝かせた。薬を飲ませてくれたあと、夕食の買い物をしてくると言うので、鍵を渡した。

 ミクが来てくれて本当によかった。一人だとこんなに早く病院には行くことさえできなかっただろう。

 しばらく眠りについていたようで、ふと目が覚めるとミクが戻ってきていた。


 「お腹すいてない?おかゆか雑炊ならあるよ。それから、私、次の診察までここに泊まるよ」


 そう言いながら、ミクはおかゆと雑炊のレトルトパックを見せた。


 「ごめんね、私、料理に自信ないから失敗すると食欲がますますきえちゃうでしょ。かおりんとこ、道具がそこそこ揃っているから、ちゃんと自分で料理してるんだ。偉いね。私とは大違いだ。私はお母さんまかせだもん」

 「自分で作っていたら上手くなるわよ。いつも外食や弁当ってわけにはいかないから」


 ミクはのんびり屋でまわりを気にしない。嫌いなものは嫌い、はっきりしているから、性格が合わないと思うと話の中に入らないようだ。職場で何を言われても平気みたい。ミクはこう言う。


 「全員に好かれようなんて思わない。十人の中で私を嫌いだって言う人が一人いたら、好きだって言ってくれる人が必ず一人はいる。あとの人は何とも思ってない人だよ」


 私は自分がいつも人目を気にしていたような気がする。相手を怒らせないようにとか、嫌われないようにとか、いい人に見られたいと思っていたかもしれない。自分が我慢すれば、丸く治まるならそれでいい。だから最初からみんなの輪には入らないように自衛策をとっていた。


 ミクはYOUTUBEで世界遺産などの動画をみては、「行ってみたいな」とつぶやいていた。私は海外よりも国内観光が好き。


 「近場で探そうよ。一人だとつまんないから、ミクとなら行ってもいいよ」

 「それ英語が心配だからでしょ。私もだ。ガイドとずっと一緒っていうのもなんか嫌だよね」


 こんな会話をしたのは久しぶりだ。友だちとゆっくり話したのはずいぶん前。実家にいたころだった。故郷を離れるとそんな話をする友だちがいなくなってしまった。一人暮らしは自分の時間はいっぱいあるけど、孤独との戦いでもある。友だちを作れば、時間と金がもっていかれる。自分のペースではなく、友だちのペースに引き込まれてしまうから。

 ミクはけっして無理はしない。相手にも無理はさせない。そんなミクのペースは心地いいんだと感じてる。のんびりとした性格は、鈍感とも言えるけれど、感性は鋭い。休みの日に近くの公園に行ったとき、そう思った。


 「冬が終わって、少し暖かくなってくると、大地の吐息が見えるんだよ。ほら、あそこの草がいっぱいのとこ。朝の陽があたり始めて空気が暖かくなる迄の時間、よ~く見ると、ほら湯気の薄いようなのが見えるでしょ。草や地面からの水蒸気が昇ってるんだよ。山だって、秋みたいに、一週間おきに見ると景色が変わるんだよ」


 私は山も草も、ただぼーっと見るだけだったのに、こういう見方もあることを知らされた。ミクを見ていると、この人は退屈を感じることがあるんだろうか、いつも何かを楽しんでいるようだ、そう思える。


 ミクは二日、私の家に泊まった。私は一週間の休みをもらったが、ミクも二日の休みをとった。


 「飛行機だ」


 昼間、窓の外を見ていたミクが嬉しそうな声をあげた。


 「私は飛行機より、列車が好き。だって景色が面白くないんだもん」

 「でも海外に行きたいなら飛行機でしょ」

 「シベリア鉄道って手もあるよ。まぁ、ハワイとかなら飛行機しかないから妥協するけど」


 ミクはできる方法を見つけるのがうまい。苦手なことがあれば、自分に合う方法を見つけ出す。それでなのか数学が得意。決まった公式ではなく、おかまいなしに自分がひらめいた方法で計算していく。数学は少し苦手な私にはそういう発想はない。覚えた公式しか頭に出てこないのに、なぜかミクは、答えが先にわかって、計算式を探っていく。

 

 次の診察を受けて、腎臓に異常がないことを確認し、お薬をもらった。ミクはその日の夕方、帰っていった。ミクと一緒にいた三日間は楽しかったし、いい刺激になった。退屈しない自由な生き方を目の前で見せてもらったような気がする。殻に閉じこもっていた私を、殻の外から叩いて、外を覗くように穴を開けてくれたんじゃないかな。

 このまま過ごすのもいいけど、脱皮して新しい自分に、周りを気にしない自分に、逃げない自分になれそうな元気をもらえた気がする。

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