第12話 後日談

 これはDSPスカートの物語なので、まずDSPスカートの後日談を語ることにしましょう。

 商工会の取り決めで、私たちはDSPスカートを販売するたび、上納金を納付することになりました。けれど、律儀に約束を守っていたのは、どうやら私たち海碧屋だけ、のようでした。りばあねっとにしても、め・ぱんにしても、実店舗に通販に……とDSPスカートを売りまくっているのに、銀行入金しているのは、スズメの涙の額、だとか。

 実際の販売額を調査しようと、商工会事務方が各々の組織の金庫番を、予告なしに訪問しました。め・ぱんのアチャラカ・ケンさんは、正直に「パチンコで全部すった」と答えたそう。りばあねっとの富永隊長は、「研究開発費」とだけ、答えたそうです。実際、利益は全部牟田口総裁の元に吸い上げられ、彼の衣装代……もちろん女装趣味の……に費やされたと言います。飲み食いだの、車代だのに流用されていれば、咎めることもできたでしょうけど、新規のメンズスカート開発のため、と開き直られては、グウの音も出ません。領収書や帳簿も揃っており、立派に大義名分がありました。りばあねっとでは、逆に、この査察の人たち相手に「上納金の使途はどうなっている?」とカネの流れを問いただしたと言います。そう、そもそも上納金は、コンペの最中迷惑をかけたシーパルピア商店街に配るという名分になっていたのです。もうファッションショーも終わり、女装オッサンたちが闊歩することもなくった今、補填の必要があるのか? という、至極な反論です。

 これは、商工会内部でも、一部の律儀な会員によって指摘されていたこと、とか。配る必要がないなら、集めるな、というのは当然の論理です。商工会では、りばあねっとの反論を踏まえ、海碧屋や、め・ぱんにもこの旨、打診してきました。マージン廃止の流れに待ったをかけたのが、我が海碧屋のてれすこ君です。本来なら、このDSPスカートの知的所有権は海碧屋のものであって、商工会に徴収されるのは我慢できても、りばあねっとや、め・ぱんの面々がただ乗りするのは、気に食わない、というのです。

 てれすこ君は、それで、私に相談してきました。

 時はまさにお盆前、夏のボーナス支給を前にして、私は工場より、顧問をしてもらっている税理士事務所で、長い時間を過ごしていました。カネ勘定をしながら、相談に乗る適当な場所がなくて、私は久しぶりにてれすこ君を自宅に招待しました。夕方になればクーラーがいらないくらい涼しくなるので、軒には高さ一丈ほどのヨシズを立てかけ、ガラスの風鈴をかけてあります。プランターの家庭菜園で作った自家製キュウリを、お茶請けとして振舞いました。一本まるまま、味噌をつけて食べながら「私たちの子どもの時分は、日中でもこんなに暑くはならなくなったものなのに」と昔を懐かしみました。

 彼の用件に対する返事は、もう考えてありました。

 私は、今が旬の提案をすることにしました。

「駅前の公衆便所の、男子トイレ内の個室を増やせ、と提案しましょう」

「男子トイレの個室ですか?」

「DSPスカートは、そもそも男子が洋式便器に座ってオシッコをするように躾けるためのスカートですから。このスカートの効果がじゅうぶんに表れれば、家庭の洋式便器だけでなく、出先でオシッコをするときも、洋式便器に座りたいという男子だって、そのうち出てくるかもしれないでしょう。でも、残念ながら、女川じゅう、いえ石巻圏内そして宮城県全域を見まわしても、洋式便器が充実している男子トイレなんぞ、ほとんどないというのが実情です。幸いにして、女川は今度、国土交通省に、道の駅に認定してもらう、とか。設備整備にかこつけて、トイレを増設してもらう。座り便器が増えれば、それだけ旦那やお父さんを躾ようとする女性も、増える。つまり、最終的に、DSPスカートの売上にもつながる。好循環です」

「はあ」

 津波後、三陸各地の道の駅や運動公園など、施設再建が行われました。私自身、商売で何度となく宮城岩手を往復するので、各々のトイレを見て回ったりしました。ウオシュレット等がハイテクに更新されたり、女性用のが質量とも拡充されたりと、どこもそれなりの進化はしていました。でも、せっかく建て替えるというのに、男子トイレ側の個室が、全然増えてはいないのです。東北地方は、他地域に比べて比較的高齢化が進んでいるのですから、近隣からの観光客もまた、比較的年齢が高いはず。成人病等の理由で、座りオシッコが推奨されている高齢男性が来ても、肝心の公衆便所が昔ながらの朝顔型だらけでは、立ったまんまするしかありません。健康にはイマイチ自信がないけど、ささやかに観光を楽しみたいというお客さんに、トイレの充実は何よりのアピールポイントになるのではないでしょうか。

「なるほど」

「ヘルスケアの観点から、座りオシッコをせねばならない男性用にセールスを仕掛けるということで言えば、いっそのこと、病院や老人ホームや福祉施設を狙っていくという手もありますね。今は、販売の要として、ショート君やオヤマ君に頼ってますけど、夏休みが終われば、時間の制約もあるし、今までのような売上は期待できないでしょう。それに、DSPスカートは、一着買ったら二着目、三着目がどうしてもいる、というふうな種類のモノでもありません。いずれ、ここ女川での販売も、頭打ちになります。病院とかなら、他地域から通ってくる患者さんもいることだし、販路を広げておいて、損はないと思うのです」

「病院に老人ホームかあ……でも、例によって、りばあねっとや、め・ぱんの連中が、マネしてくるんじゃありませんか」

「りばあねっとのほうは、富永隊長以下、実働部隊の人達が、スカートをはくのをボイコットしているとか。もう、牟田口総裁の女装を褒めるオベッカ使いの人もいなくなって、シラケムードが漂ってるっていう噂です。このまま、一足早く、お盆休みに入るだろうとのことです」

 め・ぱんの老人方は、とうにDSPスカートに飽きて、パチンコ三昧の日常に戻ったとか。

「針浜のプレハブ小屋の中では、暑すぎて販売どころじゃないっていうのも、理由らしい。熱中症で具合いが悪くなるくらい頑張っても、手柄はアチャラカ・ケンさんやパチカンさんが横取りしていく、とか何とか。ま、今年のパチンコ屋は、例年にも増してクーラーの効きがいいんでしょう」

「そっか。……海碧屋さん。こんなふうに、競争相手が勝手にやめてしまうなら、あのコンペ、いったい何だったんでしょうね」

「そりゃあ、青梅さんが言った通りでしょう」

「は?」

「まわりまわってしまったけど、てれすこ君が家族の絆を取り戻すには、役立った。そうでしょう?」


 イモちゃんの暴走は、いつの間にか収まっていました。

 兄に対しての色じかけは相変わらずでしたが、父親を追い出す画策は、終わりになったとか。

 高校野球は、残念ながら東北代表が皆負けてしまい、ショート君が友人宅の大きなテレビ目当てに外出することもなくなったと言います。朝の新聞配達の後は、部屋でゴロゴロする日々を送っているとか。遠慮なくウチの工場に来て、クーラーのあるところで涼んでいいよ……と、てれすこ君を通して誘いもしたのですけど、彼の反応はイマイチでした。

「色々あって、疲れてるんでしょう」てれすこ君は、コロコロ笑いながら息子さんの様子を語ってくれました。「夜更かしして、ほとんど寝ないで新聞配達に行ってますから。サウナの中だろうが、地獄の釜の中だろうが、いぎたなく昼寝してますよ」。

 てれすこ君は、娘とも仲直りできたようで、イモちゃんのリクエストを伝えてくれました。曰く、海碧屋のTシャツが欲しい、です。

「お兄さんのTシャツを着るのが好きで、着てたんじゃ……」

「純粋に、シャツのルーティーンがないって話です」

 胸がいくぶんか成長してしまって、ブラを買い替えねばならなくなった結果、シャツの買い足しにまわすオカネがなくなった……という意味のことを、てれすこ君は婉曲に言いました。

「返す返す、給料をあげられなくて、申し訳ない」

「いえ。そういう意味で言ったわけじゃなくて」

「イモちゃん、中学生ですしね……色々なところが育ち盛りってところですか……でも、そういうこと、言っちゃダメですよ。男親はデリカシーがないって、また嫌われますよ」

 ははははと頭をかきかき、てれすこ君はデリカシーのない話を続けました。

「洗濯が追いつかなくて、生乾きの洗剤くさいのを着るのは、もうイヤだって言われてしまいました」

 一着とは言わず、何着でもあげますよ……と私が言伝を頼むと、次の日の夕方、スーパーおんまえやのビニール袋を片手に、ご本人が工場に現れました。夏休みだというのに、学校指定の体操着に、クロックスのサンダル姿です。少しはオシャレしたい年頃だろうに、と私は同情しました。クーラーの効いている休憩室に誘いましたが、なんだか気まずいからと、イモちゃんは遠慮し、結局フォークリフトの陰に座り込みました。周囲より一メートル半ほど高い作業通路だけあって、工場のほとんどが見渡せる位置です。陸からの風が、海からの風に変わる時間帯で、イモちゃんは私が倉庫から出して来た、とりどりのサイズのTシャツを熱心に眺めました。

「お父さんと仲直りして、よかったですね」

「うん。反面教師がいたから」

「それって、青梅さんのことですか」

「うん。あの人、ずっと面白くて楽しそうにはしてるけど、全然、幸せそうじゃない」

「ねえイモちゃん。面白くって、楽しくって、でも不幸せって、あるんですかね?」

「分かんない。でも、面白くて楽しいだけの人生って、それはある意味つまらないと思わない? 一般論として。九回ツーアウトに追い込まれてるから、サヨナラ逆転ホームランは劇的なんだって、お兄ちゃんも言ってるよ。ほら、苦労というかスリルっていうか、時にはシンドイのも必要だって。ゲームだってマンガだって、一本調子じゃ読者ついてこないでしょ」

「ふうむ。ショート君的に言えば、五回コールドゲームになるような野球は、ある意味つまらない、ですかね。確かに、カタルシスがない。面白くて楽しいだけじゃ、飽きるかもしれませんね」

「うん。お兄ちゃん的に言えば、何か満たされないものがある……かな? というか、社長さんみたいな人が、中学二年の女子に聞くことじゃないでしょ。そういうこと」

「イモちゃん。あなたが先に言い出したことですよ」

「本当はね。逆のことが、言いたいの。毎日がつまらなくて退屈だけど、実は幸せっていうの、私、嫌い。平凡な日常こそ、実は最高の日常ってヤツは、ウソだと思う。なんか、オジサン連中が好き好んでいいそうな、偽善的ないいわけ」

「イモちゃんの言いたいことが、どこに着地するのか、イマイチ分からないですけど……ええっと。色々と修羅場をくぐってきたり、苦労してきたりすると、そういう心情になっていくんですよ」

「そうかなあ。平凡な毎日、私にとっては今がそうなんだと思うけど、全然幸せじゃないもの」

「じゃあ、イモちゃんのいう幸せって、どんなですか?」

「えーと。着替えのTシャツが、2、3枚余計にある生活? かな? はははは」

 イモちゃんは、父親によく似た笑い声を挙げたあと、足元のオオバコを熱心に引っこ抜きながら、唐突に話題を変えました。

「お兄ちゃんがね、これから時々、女装してくれるって、言ってくれた」

「ほほう。ファッションショーで、目覚めてしまったのかな。それとも、青梅さんにシツコクされて、根負けしてしまったとか」

「そういうのじゃなくて。社長さんが、この間、成田屋の反省会で言わなかったよーっ、てヤツ」

「は?」

「分かんなかった? 今の、青梅さんの口真似なんだけど。世の女装オトコは色々と女装するけど、1種類だけ、しない女装があるって、社長さん、言ったらしいじゃん。それのこと。お母さんになる、女装」

「そういえば、そんなこと、言いましたね」

「でもね、社長さん。ウチのお兄ちゃん、昔、お母さんが使ってたデザインの割烹着を買ってきて、ちゃんとお母さん役、やってくれたよ。恰好だけじゃなく、洗濯物を干してくれたり、夕食にカレーライスを作ってくれたり。毎日毎日、お母さん役をやって大変だろうからって。たまには、お母さん役、休みなよって」

「それって……」

「よく考えてみると、私、小学校に入ってすぐくらいから、ずーっとお母さん役をやってたような気がする。最初は洗濯とお掃除で、小4くらいからはお料理も。お父さんも家事とかは時々やってくれたけど、お母さん役は、結局やってくれなかったような気がする。で、たぶん、不満が溜まってて。私がお父さんを嫌いだったのって、そーゆーのが理由だったのかなって」

「父親役と母親役を同時にこなすのは、難しいのかもれませんね。でも、イモちゃんの言う母親役って、具体的には、どういう?」

「子どもの前では、決して子どもにならないのが、私の知ってるお母さん、かな」

 この点、てれすこ君は、スキがあるらしいです。

「ねえ、イモちゃん。女装の話に戻れば、ショート君のはあくまで母親役であって、女装とはちょっと違うと思いますよ。彼は、自分のために女装していない。あくまで他人のため、イモちゃんのためのお母さん役だ」

「どっちでもいいよ。たぶん、話を最初に戻すけど、青梅さんは、お兄ちゃんより、父さんに近いタイプなのよ。女装はできるかもしれないけど、母親役はやり切れないタイプ」

「今どきの年頃の女性なら、珍しくもないです」

「でも、あんまり幸せそうに見えない。だから……だから、最初に言ったわけ。面白くって、楽しそうに見えるけど、そんなに幸せそうじゃない、てね」

「イモちゃんの言いたいこと、ようやく分かったような。要するに、青梅さんは母親役をやれそうもない人だから、不幸だ、ですかね。でも、それが不幸だって限らないですよ」

「それは、お母さんに飢えてない人だから言えるセリフだと思うな。……少なくとも、青梅さんの子どもになる人は、私に共感するんじゃない?」

「やれやれ。それなら、女性が自然に母親役をやりたくなるようなスカートだのシャツだのを、そのうち開発しますかね」

「ふうん。そういうの、本当にできたら教えてね。お盆の墓参りに持っていって、お母さんに見せるから」

 夕食の支度があるから、とイモちゃんはTシャツを三枚だけ受け取ると、帰っていきました。秋を思わせる、少しだけ涼し気な風が吹いてきて、従業員一同も帰り支度にかかりました。涼しくなるから秋を感じるんでなく、寂しくなるから秋を感じるんだな、としみじみ思いました。


 そして、青梅さんが帰る日が、とうとうやってきました。

 女川駅のプラットフォームには、てれすこ君一家のほかに、私、ヤマハさん、船大工さんなどの海碧屋従業員、そしてなぜか、め・ぱんのリリーさんが、テリーさんをお供に見送りに来ていました。

 リリーさん曰く、「昨日はパチンコで大勝ちしたから」、普通に出玉を現金に換えただけでなく、気まぐれからチョコレートだの煙草だのの景品に交換したので、餞別として渡しにきたそうです。煙草なんかのまないからいらない、という青梅さんに「私の気持ちだから」とリリーさんは無理やり紙袋を押しつけました。そばにいたテリーさんに聞くと、昨日のパチンコ、確かに勝つには勝ったけど、大勝ちとは程遠い状態だったとか。パチンコ屋の景品のお菓子は種類が限られているので、わざわざスーパーで買い足しもしたのだ、ということです。不承不承餞別を受け取った青梅さんに、リリーさんはこまごまとしたアドバイスもしていました。曰く、離婚する時の結婚指輪の処分の仕方。曰く、男妾をキープしたまま、新しい旦那を探す方法。

 さも当然、と女王様を見守るテリーさんに、私は苦言しました。

「そんな、しなくてもいいアドバイスを、力いっぱい語らなくても」

「リリーさんにしても、思うところがあるのさ」

 テリーさんは、やんわりと止めようとする私を、牽制したのです。

 サークルの姫・体質の女性には、同じような姫体質の先輩が相談にのるしかあるまいよ、という意味のことを、テリーさんは言いました。

「はあ。下世話なのを承知の上でって、そういうことですか。これが本当の老婆心、てヤツですかね」

「それを言うなら、ツンデレだ」

 テリーさんの口から、オタク用語が出てきて私はびっくりしました。

 女川滞在中、一番長く一緒にいたイモちゃんの餞別は、エプロンと料理レシピです。

 エプロンは、青梅さんがショート君から拝借していた一品。もともとはイモちゃん母のお気に入りのデザインのを、イモちゃんが苦労して買い集めたものでした。

 イモちゃんは、プレゼントを手渡しながら、言いました。

「リリーさんのアドバイスが下世話なら、私のは余計なお世話なんだけどさ。それでも、言わせて。……年をとって女装が似合わなくなった女装男には、男に戻るっていう手があるけど、男から女って見られなくなったゴスロリ女子には、戻るところなんてないよ。リリーさんみたいな死ぬまで女王様なんてのは、例外中の例外だから。自分のこのエプロンが似合うって思ったら、路線の切り替え、早めにしたほうがいいよ」

「中学生が生意気言っちゃって。本当に余計なお世話。でも、ありがたくもらっとく」

 海碧屋からは、一同を代表して木下昭子工場長が、サンマのみりん干しを贈呈しました。

 さっと焼くだけで、ごはんのおかずにも、酒の肴にもなる、重宝な干物です。時間がたってもゴマとみりんの香りは消えないから、と工場長は胸を張りました。青梅さんの両手は、お土産でいっぱいになりました。

「いつでも、懐かしい味が楽しめるってわけね」

「そう。いつでも女川の味が楽しめるってことよ。じっくり味わって、今日のことを思い出したら、また、遊びにおいで」

 石巻線の車中はクーラーが効いているから、と窓を開けずに、青梅さんは懸命に手だけ振りました。動き出す汽車に、私たちも手を振りかえしました。

「達者でねー。また来てね」

                                    (了)

 

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

おとうさんスカートプロジェクト 木村ポトフ @kaigaraya

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る