第11話 もう流行らなくなったメンズブラについての一考察

 エセLGBT団体が追い出されたからと言って、自動的に私たちの勝ち、とはいきませんでした。

 司会者さんは、気を取り直して、話を続けます。

「宮城東部……ええっと、なんちゃら委員会の人たちの言い分にも、一理あるのでは? と町役場からクレームが入っています。特に、海碧屋のモデルさんについて、です。中学2年の男子が、そのう、公衆の面前で、オチンチンを晒してしまったのはどーかっていう。児童福祉の観点からも、非常にマズイのでは、場合によっては児童虐待になってしまうよ、という声があがってまして」

 ハプニングだ、とてれすこ君が声を上げました。

「町役場や商工会は、巻き込まれるのがイヤだから、逃げを打ってるだけでしょう。稼ぐだけ稼いでおきながら、それはない」

「でも、警察に踏み込まれて、参加者全員がいちいち事情聴取、なんてなったら、ファッションショー自体が終わりですよ? 先ほどの人権団体さんたちの飛び入りで、終了予定時間も大幅に超過しています。会場を借りていられる時間も、あと少しになってしまいました。ここから、色仕掛けウンヌンの部分を協議していたら、時間がいくらあっても足りません。先ほどのLGBT団体の時と一緒で、このコンペの勝負も、いったん商工会に預けてほしい、という意向です」

 もちろん、勝利寸前だった私たち海碧屋は、猛反対です。

 観客席及び審査員席は、もうどうでもいいよ、という空気でした。撮るものは撮ったし、買うものは買った、という満足気な観客たち。審査員たちもみな、自派に忠誠があるという人たちではありません。パチンコ代を報酬に参加した、め・ぱん審査員。牟田口総裁の女装姿を目当てに来た、マニアの中のマニアな、りばあねっと審査員。そして、奥さんたちに尻を叩かれ「これはお祭りだから」と自分に言い聞かせて参加している、我が海碧屋審査員。コンペの勝利、イコールDSPスカートの知的所有権獲得、という重大な賭けでもあったのですが、誰が供給元になっても変わらない、と皆、思っているのでしょう。

「海碧屋さん、ここは空気を読んでおいたほうが、いいですよ」

 てれすこ君に促され、私は勝負を放棄したのでした。


 結局、DSPスカートの知的所有権は、うやむやのうちに商工会がとってしまいました。私たちが抗議をしても、そのたんびに、オヤマ君の縞パンやショート君のノーパンミニスカの件を持ち出され、尻ぬぐいが大変だったとイヤミを言われれば、ぐうの音もでません。結局、私たちは……私以外の二団体も、DSPスカートの製造数に応じ、商工会に上納金を払うことになりました。この知的所有権分の上納金も、商工会でプールするわけではなく、コンペ前の二週間、DSPスカート姿のオッサンが徘徊していたせいで売り上げが落ちた、シーパルピア商店街の各店舗に迷惑料として配る……と言われれば、反対もできませんでした。


 例によって、成田屋で牛タンを突っつきながら、反省会をしました。

 疲労困憊のショート君は欠席。彼を看病するからとウキウキ顔のイモちゃんも欠席です。イモちゃんは「お兄ちゃんが凍死しないように、お互いスッポンポンになってお兄ちゃんの身体を温める……」と言っていましたが、もうすぐお盆という盛夏真っ盛りです。ウソをつくにしても、もう少しヒネったほうがいいんじゃないか、と私は遠回しに言いました。イモちゃんは「長い時間ノーパンのままでいたから、オチンチンが冷えるのっ」と意固地でした。船大工さんが「いったい、どこをあっためるって?」とからかうと、なぜか彼女はこのエロジジイのほうではなく、「社長さんだって、スカート姿で一日過ごせば分かるわよ。自分だけは女装しないで、ズルイ」と私を責めるのでした。トバッチリを食らったのは、私だけではありません。打ち上げで酒を飲むと分かると、イモちゃんはお父さんに「コンペが終わろうが、酔っぱらって帰ってくるなら、DSPスカートをはくこと」と厳命したのです。そうそう、他チームではあるけれど、有能なセールスマン、オヤマ君にも、一応声をかけました。彼は、イモちゃんの看病を聞いて、自分も人肌で親友を温めたい、と申し出ました。ウルトラブラコンの妹さんが、般若顔で彼を追い払ったのは、言うまでもありません。

「でも、DSPスカートをはいて酒を飲めってことは、てれすこ君、今日は自宅に帰ってもいいってことじゃないんですか?」

「それが海碧屋さん。そのままトイレで寝てねって、言われましたけど」

 オヤマ君以外にも、兄の貞操を狙うヤカラがぞろぞろ出て来そうな感じです。用心棒代わりに父親を、というのがイモちゃんの本音らしいのです。


 最初のカンパイもそこそこに……というか、酔っ払って手がつけられなくなる前に「尋問」開始です。

 まずは、船大工さんが、生涯教育センターで、ズボンとパンツをを下げた件です。

「なんじゃ、そこからかい」

 当のご本人は、せっかくの牛タンもそこそこに、イモ焼酎のオンザロックで顔を真っ赤にしていました。この手の下品下世話なことについては、全然反省しない人と分かっているので、代わりにヤマハさんに聞きます。

「ヤマハさん。そもそも、LGBTじゃなくって、LGBTEだったのって、なぜです?」

「あー。あれな。最初に提案してきたの、てれすこ君なんだけどな。牟田口ヤクザにごねられた時、反論のきっかけにする予定だったんだ。ウチは、アンタたちより、さらに多くの性的少数者をカバーしているんだって、言うつもりだった。船大工にパンツを下げさせるのは、本当に最終の最終の最終の……手段だったんだけどなあ」

 ヤマハさんの説明を受け、船大工さんがゲップをしながら、言いました。

「まったくだ。いい恥さらし、してしまった」

 相棒がまた与太話をしそうになるのを、ヤマハさんが鋭く止めました。

「ウソこけ。自慢のイチモツを晒したくて、喜んで脱いだくせに」

「違うぞ、ヤマハ。ほら。ショートが、東京の姉ちゃんのせいで、皆の前でフルチンさらすはめになっちまっただろ。一人で丸出しになるのは可哀そうだから、ワシもつきあってやろうと思ったんだ」

「ウソこけ。自慢にイチモツを晒したくて、口実を探してたくせして」

「ふふん。観客席には若いネーチャンたちもずいぶんおったからな。ワシのビッグマグナムを見て、一晩つきあいたいっていう娘ッコだって、出てくるかな、と思ってな」

「それが本音か。このエロボケ・ジジイが」

「なにおっ。ワシは、エロボケかもしれんが、ジジイじゃないわ。若い娘ッコなら、一晩何人でも相手できる、絶倫じゃい」

「そもそも、チンポコ晒したジジイを見て、つきあいたいっていう女がいるわけなかろうっ。若くとも婆だろうが、よっ。そういう見境ないところが、エロボケ・ジジイだっつーの」

「だから、ワシは、ジジイじゃないっ」

 船大工さんとヤマハさんの、不毛な水掛け論はまだまだ続きましたが、私たちが無視して次にいったのは、言うまでもありません。

「次、青梅さん」

「え。何? 私?」

「申し開きがあるなら、聞きましょう。じっくり」

「申し開き?」

「何から行きましょうかね。ショート君をミニスカ・ノーパンにした件。ファッションショーの受付でBL本を売ってた件。ブロマイドの件。その他、もろもろです」

「ショートをノーパンにしたのは、アレよ、ほら、ちょうどぴったりのパンツがなかったから」

「ちょうどぴったりがなかったって……そもそも会場にノーパンで来たわけじゃ、ないでしょう。元からはいてたのは、どーしたんですか?」

「ブラとお揃いのショーツがなかったのよ」

 女装の基本はインナーから、ということで、ショート君はこのファッションショーの間、メンズブラの装着を強要されていたのでした。ちなみに、青梅さん自身は関与しなかったけれど、他の二人もしっかり装着していた、とのこと。

「はー。というか、メンズブラって、だいぶ前に流行ったヤツでは?」

「あら。今でも流行ってない? 定着してない?」

「少なくとも、私のまわりでは、というか海碧屋従業員の中で、そういうのを着けている人は、いませんねえ」

「DSPスカートを考えた人だから、メンズブラについても、一家言あると思ってた」

「女装の強度……こういう言葉を使っていいか分からないけど、指標的な意味であれば、スカートよりブラジャーのほうが、程度が強いかもしません」

「その心は? てか、どういう意味?」

「以前、少しだけ話したことがあるんですけどね。西欧的な服飾文化おいては、腰に布を巻いて下に垂らす、というボトムは女性用になってますけど、非西欧圏については、必ずしもそうじゃない。ええっと、てれすこ君」

「はい、海碧屋さん。ウイキペディアで今調べただけでも、インドネシアのサロンやギリシアのフスタネーラ、スコットランドのキルトなんかが紹介されてますね。日本の袴にも、スカートタイプのがあります」

「だ、そうですよ、青梅さん。非西洋圏までみれば、スカートみたいな衣装はある。でも、同じように非西洋圏まで服飾文化研究を広げても、ブラジャー様式の男性用衣服は、見当たらないんです」

「ふーん。じゃあ、スカートよりもブラのほうが、もっと女性の象徴っぽい衣服だってこと?」

「フェミニズムというか、男女平等を目指そうという運動でも、一時期やり玉にあがったことがありますね。半世紀前、ウーマンリブ運動が盛んだった時期には、ブラを燃やしたりゴミ箱に捨てたり、なんていう過激な運動もありました。ブルーマー夫人の成り遂げた男装化、というか男性服着用許容化の中でも、例外中の例外なんですよね」

「そうなの?」

「前にも説明しましたけど、ブルーマー夫人の時代には、そもそも、今みたいな形のブラジャーっていうのが存在してなかったわけです。備考として言っておけば、乳房を支えるために巻く布、という形では、既に紀元前3000年前には存在しました。ええっと、ブルーマー夫人の話に戻れば、当時、代わりにコルセットという、胸から腰のあたりまでをカバーする下着があり、その下着が当時の女性運動の目の敵にされていた。で、コルセットに代わる下着として、ブルーマー夫人の時代から半世紀を経て、現代的なブラジャーが生まれた、と」

「ふーん」

「参考までに言っておけば、ブルーマー夫人がコルセット反対していたのが1850年から60年代、現代的なブラの成立が1910年から20年代、ウーマンリブ運動が60年から70年代です。そしてメンズブラの流行? が2010年から20年代とすれば、おおよそ50年を一周期として、胸部着用下着に関するジェンダー的運動が起こっている。しかも、その運動の最中の短い期間にはそれなりに盛り上がっているのに、

沈静化の時期には世間一般、ジャーナリスティックな点からは忘れられた運動になっている、という顕著な特徴がありますね」

「へえ」

「私が、この胸部着用下着のジェンダー運動を研究しようとするなら、3つの疑問の答えが知りたい。一つ目。なぜ運動の真っ最中には過激に盛り上がるのに、その後運動が持続せず……少なくとも、世間一般から見れば持続しているようには見えず、50年という時間を経て、再び激しく勃興してくるのか。2つ目。この運動に通底するシナリオ、というか物語は、いかなるモノなのか。ブルーマー夫人からウーマンリブまでの運動を物語として書くとすれば、たとえば『解放』というのがテーマになるかな、と思います。コルセットは着心地が悪かった。だから、ブラジャーを発明した。でもブラジャーもやはり着心地が悪く、それを拒否する運動を起こすことにした。……もちろん、この着心地というのは、肌触りやフィット感という、実物的な意味というより、女性学的な観点から言う、比喩ですけど。ウーマンリブ運動までは、こんなふうに統一的な物語で語れそうな感じです。けれど、これにメンズブラをつけ加えると、とたんに統一的に語るのが難しくなる」

「語らなければ、いいだけじゃ?」

「それはおそらく、女性学的に生産的ではないし、三つ目の疑問に対する答えにたどり着くのが、難しくなるかな、と。ええっと。三つ目の疑問というのは、今後50年、100年先に、どんな運動が……胸部着用下着に関するジェンダー運動がおこるかな、という予測です」

 ここまでの流れをブルーマー夫人のところからたどっていくと、拘束からの解放……新商品誕生……拘束からの解放……新商品の誕生……という具合に来ています。

「まあ、だから、単純に機械的に予測するとすれば、2060年から70年代に再び、拘束からの解放が来て、さらに3010年から3020年代に、新商品の開発かな、と。もちろん、解放と新商品の開発が交互に来るので、ブルーマー夫人の解放運動……ウーマンリブ運動みたいに、100年単位でシナリオを書くことも、もちろんできるでしょう。というか、実際そういうニュアンスでウーマンリブ運動を女性史に位置付けようとしているフェミニストは当たり前にいます。けれど、そうすると因果関係が分かりづらくなるのかな、とも思います」

「ちょっと疑問。新商品の開発って、ハイテクのブラとか、そういうヤツを言うの? 形状記憶合金を使ってますとか、特殊な人口繊維で生地を作ってます、とか?」

「テクノロジーの問題ではない……いえ、正確に言うとテクノロジーだけの問題じゃない、と言うべきですね。あくまでジェンダーに関する運動が付随しての新商品だろう、と思います」

「ジェンダーに関するなんやかやが不随してか……よく考えると、メンズブラって、その最たるものか」

「イロモノ扱いの影に隠れて、あまり語られない部分が、いくつかあります。箇条書き風に、3つだけ取りあげましょう。

 一つ目。侮蔑に使われるボキャブラリーには、女性学的な分析が加えられていない。この際の侮蔑、いわば悪口ですね、何でもいいんですけど、ここでは『大胸筋サポーター』という侮蔑を取り上げてみましょう。これは、ブラジャーというのは、本来的に乳房の補正保護機能を持つ下着なのに、乳房を持たない男性が着けていることに対する揶揄・嫌悪感等を示した悪口だろうと、思います。もちろんこれは、一般的に男性は乳房を持たず、女性は乳房を持つという通念を前提とした侮蔑です。乳房を持つ男性、乳房を持たない女性は例外的、というか生物的にオーソドックスでないのは確かですけれど、この先の日本の高齢化・欧米化・医学の進展等を考えると、今後の日本社会でも、これがオーソドックスであるかどうかは分からない。

 具体的に何が言いたいかというと、ガンです。もっと詳しく言い直すと、性ホルモンに起因するガンと、その治療結果、実際に乳房を持つ男性が少数派でなくなってきたり、乳房を失った女性が増えてきたり、するかもしれないということです。前立腺ガンは、70代男性のガンでは最も罹患数の多いガンです。外科手術や放射線療法といった他のガンでも適用される療法のほか、性ホルモンによる治療法もあり、副作用として乳房が女性化する可能性があります。女性の場合は乳ガンです。最新の治療法では、乳房を温存したり再建したりと、取らない方向に進んではいますけれど、中にはやはりステージが進み乳房を取らざるを得ない女性もいるでしょう。このガン患者・治療者の人たちは、現代でこそ、日本社会全体の中でマイノリティなグループであります。けれど、将来的にもマイノリティのままかどうかは、分かりません。また、この患者さんたちは、自らの意思によって、男性なのに乳房を生じさせたり、女性なのに乳房をとったり、といった人たちではありません。病気のため、致し方なく、なのです。そして、今考えているブラジャーとの関連で言えば、生活の質を維持・向上させるために、やむを得ずブラジャーを着用しているガン治療者の人たちも、いるでしょう。

 性的満足のために、つまり『イヤらしい』目的のために、男なのにブラジャーをしている人に対しての、女性の生理的嫌悪感というのが、分からないでも、ありません。けれど、この手のやむを得ない事情の人たちに対してまで、侮蔑の声が届いてしまうのは、いただけない。こんなことを言うと、侮蔑の言葉を発した人たちは、ヘンタイにのみ照準を絞った悪口なのだ、というかもしれません。けど、おそらく、『大胸筋サポーター』なる言葉を面と向かって発するシーンを想像するに、それは大して高頻度ではない、ぶっちゃけほとんどないのでは? と思うのです。むしろ『書き言葉』として、マンガや小説、エッセイといった紙媒体、あるいは、ネットのブログその他で発せられる機会のほうが多いんでは、と思うわけです。観客という言い方はヘンですけど、書き言葉として発せられた侮蔑は、単に罵った人→罵られた人という直接のやり取りのみで終始するわけでなく、偶然、目にしてしまった人も巻き込みます。

 そういう意思がなかった……つまり、乳房のない男性を罵るためだった、という釈明に、どれほどの説得力があるというのでしょう。大胸筋ウンヌンという言葉には、男女を特定する用語が入っていないのですから、乳ガンで乳房を失ってしまった女性が、自分に向けられた侮蔑と受け取ってしまう可能性だってあるわけです。また、反対に、女性化乳房になってしまった男性には、乳房が生えたことそのものをバカにした侮蔑と受け取られる可能性だってあります。こういう男性にとっては、ブラジャー着用を侮蔑される、イコール乳房が生えたことを侮蔑されると受け止められます。

 乳房を失った女性が、女性としてアイデンテティ・クライシスに陥るのと同様、乳房ができてしまった男性が、男性としてのアイデンテティ・クライシスに陥るのだと言ったら分かりやすいでしょうか。ハゲ・チビ・デブなどといった罵り言葉と同様、身体的特徴に対する侮蔑は、精神への痛打となるのです。

 こういう、メンズブラに対する侮蔑を分析することによって、私は、侮蔑者のミサンドリーをあぶり出そうとしているわけではありません。言葉を発した人、発せられた状況、発せられた場を分析することによって、私たちの潜在意識に隠れている『言語と男女観』を考えようと思っているのです。

 こんなふうに、メンズブラは、モノそのものだけでなく、着用シーンや言葉に至るまで、女性学男性学的な観念にまみれている、と言えます。しかし、逆に、この形而上学的な思考様式抜きで考えることはできないか。要するに、単純に、機能面だけの分析は可能か。これが、あまり語られていない箇所の二つ目です。具体的に何が言いたいかというと、メンズブラの機能的特性を、例えば乳ガン患者さん用のブラジャーに応用できないか、等々のことです。一つ目の語られていない箇所、侮蔑に関して考えていたときに、まあ象徴として、乳房を失ってた女性の話をしたことを、思い起こしてください。この乳房を失った女性の上半身体型が、男性の上半身と類似点が多いことは、青梅さんだって認めざるを得ないと思います。

さて、乳ガン患者さん用のブラジャーは、実際に患者さんだった人が実体験から開発した……等、発想の原点はメンズブラとは大きく異なります。しかし、ワイヤを入れずカップを柔軟にするとか、カップ部分にパットを入れる部分がついているとか、メンズブラにもありそうな仕様が多々盛られているのです。もちろん、ガンと一緒に筋肉等もとってしまい、片手が使えなくなった患者さんのために、片手だけで着られる仕様等、乳ガン用ブラに特徴的な部分もあります。乳ガン用に限らず、ブラジャーは用途に合わせてこれからも進化していくのでしょうけど、それなら、メンズブラで培った機能を、必要に合わせて貪欲に取り入れていってもいいのでは? と思うわけです。

 もしここに、男性用だから気持ち悪いから、とせっかく役立ちそうな機能があるのに、女性用ブラに応用できないとしたら、それは今言ったように、ジェンダーうんぬん、という色眼鏡が大きく作用しているからに違いありません。商品開発のためには、この手のわだかまりは捨てたほうが良いのでは? と思うのです」

「はい、しつもん」

「青梅さん?」

「言いたいことは分かるけどさ、メンズブラって結局、実質、一種類だけな、わけじゃない? 今あげたような乳ガン患者さん用のブラ以外に、応用ってきくのかな?」

「メンズブラの型は、確かに今現在のところ一種類ですけど、今後もそうとは限りませんね。話の流れ的に、さっき取り上げた前立腺ガン男性の例を取り上げて、この患者さん用ブラ、というのを考えてみましょう。これは、乳房のある、高齢男性用のブラジャー、ということになります。女性に比して肩幅が広く、胸囲が大きい。それでいて、ちゃんと乳房がついているという特徴があります。肩幅や胸囲のために、ストラップやカップ、ホック等が特殊化するかもしれず、その工夫が、女性のスポーツ用や作業用、怪我した時用に応用できるかもしれません。また、高齢男性のために考案された工夫が、高齢女性用のブラに適用される可能性もある。重ねて言いますが、商品開発にはタブーを設けないほうが、よりよい成果を期待できるです」

「かもしれないばっかだけど……まあ、いいわ」

「はい。納得いただけたようなので、次、行きましょう。あまり語られていない箇所、三番目。

 乳房は、女性の象徴というより、母性の象徴である、です。

 これには、反論があるかもしれません。つまり、乳房が母親を想起させるというのは、当たり前過ぎるくらい、当たり前のことじゃないか、と。でもこれ、メンズブラうんぬん、という文脈では、ほとんど語られないことなのです。

 一番最初の項目『大胸筋サポーター』という悪口に戻って考えてみましょう。この侮蔑は、本来乳房を持たない男性が「イヤらしい」目的のため、要するに性的満足を目的とする女装をしたときの、女性の嫌悪感を言葉にしたものでした。性的倒錯を目的としないメンズブラの在り方を考えていくに、たとえば性同一性障害、たとえば前立腺ガン、あるいはコメディアン等の芸人が芸のため、等々考えられますけど、男性が母性を発揮するために、なんていう理由が、これに連なることはありません。ある意味、盲点でしょう? 男なら、母性でなく父性でないのか、という反論は、おそらく的外れです。父性と母性は対立する概念ではなく、双方ともたっぷり持ち合わせている人もいれば、双方とも全然持ち合わせていない人も、いるでしょう。……横道にそれました。メンズブラで母性を語る例を、一つあげておきましょう。交通事故等で、乳児を残して亡くなった母親がいると仮定します。現代日本では、こういう赤ちゃんを育てるためにミルクや離乳食などの商品もあれば、託児所などのサービスも存在します。金銭負担が大変で、時間のやりくりもしんどいでしょうけど、男手一つで子どもを育てられなくもない。けれど、この乳児が母親を恋しがって……というのに対処するのは、難しい。おっぱいは無理でも、パット入りのブラをつけて子どもを抱き、少しでも寂しさを和らげてやろう、などという理由から、メンズブラを男性がつける。こんなふうな、一見ありそうなシナリオが、なぜかメンズブラを語る文脈では、スッポリと抜け落ちてしまっているのです」

「女装者は、オンナには化けてみたいけれど、母親には化けたくない……」

「的確な指摘です、青梅さん。繰り返しになりますが、後述のために、ここで少しまとめておきましょう。女装が、女性を装うことと同義だとして、その理想の女性像・『なりたい女性像』は、エロいモノからマジメなモノまで、千差万別、かなりの幅と種類がある。しかし、この多様性には欠落がある。すなわちそれは、母親としての女性像である。さらに推論を推し進めていきます。母親像というのは、実は女装者が女装対象とする女性像のカテゴリーには入っておらず、母親というのは母親として別カテゴリーで独立しているのでは? ブラジャーという、母親の象徴的器官・乳房のための下着の話をしているのに語られない最大の理由が、この女装者独特の分別法にある」

「飛躍し過ぎじゃないの?」

「話を簡単にするために、女装者が類型的に考える女性像が三種類に分けられるとします。一つ目は、社会人として、二つ目はオンナとして……男性の性的対象になりうるような女性像、そして三番目が母親。これは私が完全に恣意的に考えたわけではなく、実はエヴァンゲリオンからの借用です。このアニメでは、娘の立場から母親を見て、生き方の問題として提示されていたと思います。言葉の選び方に微妙な違いはあれど、女性が女性としての生き方を語るエッセイ等には、似たようなカテゴリ分けがあるように思います。それで、女装の話に戻りますけど、カテゴリの中の前二者、社会人として女性像やオンナとしての女性像は、ある程度『そうなりたい女装者』のタイプ分けができるんではないか、という気がします。すなわち、社会人としての女性像を目指すのは、性同一障害の女装者。他方、オンナとしての女性像を目指すのは、性的快楽を目指す倒錯者ですね。性転換を目指す女装者には、性転換前に女性としての社会生活経験を求めるそうですから、この場合、振舞いは目的というだけでなく手段としての意味も持っているのかもしれません。

 他方、なりたい具体的女性像がなくとも、女装する……もとい、女性向けとされる衣服を着ける人もいますね。何度も言及している、前立腺ガンの患者さん。あるいは、エンターテイナー、あるいはドラッグクイーンと呼ばれる人たち。これら、なりたい具体的女性像を持たない人たちをカテゴライズする言葉が欲しいところです。そして、対になるように、女性像こそあれど、志願者がいない……いても「女装」にカテゴライズされないのが、母親としての女性像だと思うのです。

 参考までに言っておくと、この母親しての女装が存在しないわけではありません。形を変えて、たとえばマタニティ教室でのような、体験学習の場などでなされます。例えば、お腹に重りの入った袋を着け、妊娠の大変さを学ぶ。機能的な面が重視され、外観は二の次にされる。端的に言って、女装と呼ぶのには無理のある「異性装」であることは、認めましょう。

 重ねて言いますが、このマタニティ体験等、例外例を除けば、母親としての女装はなさそうです。女装にまつわる七不思議とまでは言いませんけど、メンズブラを考えるとき、一度は触れておくべきポイントかな、と思います。

 で、以上、こうしてダラダラと述べてきたことから分かるように、同じ女装という言葉でくくった現象だとしても、メンズスカートとメンズブラは、かなり着用される動機や背景が違います。今、『おとうさんスカートプロジェクト』でもって、DSPスカートというエクスキューズ付きのメンズスカートというのを考えてきました。同じように、『おとうさんブラジャープロジェクト』というのを立ち上げて、DBPブラ、というエクスキューズ付きのメンズブラを考えたとして、シナリオというか物語というか、とにかく全く違った語られ方になるでしょう。

 和服文化圏の日本から見ると、西欧文化圏のドレスコードは、ジェンダーに関してくっきりと分かれているような感じがします。少なくとも、着物は、型に関してはユニセックスですから。だからこそ、メンズスカートにしてもメンズブラにしても、エクスキューズを求める物語が語られる、と言えます。しかし、純日本的な服装世界で、同じようなシナリオを書くのは、勝手が違うだろうと思うのです。衣服のユニセックスな度合いが強まるほど、エクスキューズなんていらない、あるいはジェンダーの区別はあるにせよ、もっと違った異性装の物語になるかな、という気がするのです。他方、西欧世界よりジェンダー区分のキツい民族文化世界では、エクスキューズそのものが有効とされないかもしれません。どんなエクスキューズをもってしても、異性装が絶対に許されない世界、です。具体的に、というよりイメージでもって語ってしまいますけど、たとえば、イスラム原理主義が支配する世界なんて、これに近いのではないでしょうか。同性愛が死罪に値する重大犯罪とされたり、公共の場でヒジャブ等の被り物をとった女性が迫害を受ける社会では、こんなヘンタイ行為の正当化は、もってのほか、と思うのです。

 さらに文化圏の多様性に思いを馳せれば、そもそも、乳房を公共の場でさらすのが当たり前……恥ずかしいことではなく、誇らしいことだ、なんていうぶっ飛びの文化もありました。まさに、ブラジャーの存在意義に疑問をぶつけるようなカルチャーです。アフリカや南アメリカ等、石器時代の文化文明のまま現代を迎えてしまった部族、あるいはお隣朝鮮半島でも、かつては子どもを産んだ母親が堂々、乳房を出したまま生活していた時代があったのです。日本でも、半世紀前には、人前で赤子に授乳するのが、恥ずかしいことでもなんでもない牧歌的な昔がありました」

「はい、しつもん」

「青梅さん?」

「アフリカとか、今でも、おっぱい丸出しで生活してたりするんじゃないの?」

「地中海に面した地域が、もともとイスラム世界であることは、青梅さんだって、ご存じでしょう。20世紀の100年間で、サブサハラ地域にも、このイスラム教が浸透しています。また、ヨーロッパ植民地政策に付随して、キリスト教も負けじとアフリカには普及しました。観光客相手に、裸族を演じてみせるビジネス部族はいても、たいていの市民は、欧米で当たり前に見るようなシャツを着け、ズボンをはいてますよ。これら土着でない宗教のお陰で、逆に保守的なくらい肌を隠してね」

「はあ。そういうものなの」

「そういうものなのです。で、ここまでのまとめ。

 欧米での典型的な服装、ジェンダー区分を基準にして生きている私たちだから、メンズスカートやメンズブラの物語を、面白おかしく物語ることができるけれど、時代や地域が違えば、物語るのが難しかったり不可能だったりする。あるいは、私たちの物語とは全く違った物語が物語られているのかもしれない」

 芋焼酎ですっかりヘベレケになっていた船大工さんが、チェイサーと称してビールをあおりながら、青梅さんの肩を抱こうとしました。手の甲をキリキリつね上げられながら、我らが酔っ払いは言いました。

「へっ。女川には、女川の物語があるってことか」

「あ。珍しく、いいこと言いますねえ、船大工さん」

「けっ。舞台の上の美少年のスカートをめくって、フルチンを見せつけるのが、女川の物語、かよ」

「え」

 なんと、奇跡的に話が戻ってきました。

 話題をそらすために、色々と質問したり画策してきた青梅さんの努力も、一瞬で水の泡、です。

「そうだった。尋問の途中でした」

「くそじじー」

「へっ。東京の女は、口が悪いなー」

 牛タンつけ合わせの味噌南蛮をヒョイぱく食べて、私の長広舌を見守ってくれていたてれすこ君が、ここぞとばかり、青梅さんに詰問します。

「冗談抜きにして、父親として、息子にトラウマを植えつけかねないハレンチ行為は、許しがたいよ」

 私も相棒を応援すべく、そもそもの疑問を口にしました。

「メンズブラに合わせたショーツがなかったってことでしたけど、青梅さん、そもそも、あなたの性格からして、そういうのもしっかり準備していそうですけど」

 私、てれすこ君、双方の凝視に耐えかねてか、やがて青梅さんは白状しました。

「……報酬よ」

「は?」

「以前、言ったじゃない。イモちゃんの監視、兼、DSPスカートの普及に対する報酬をもらうって。それも、お金じゃなく、現物でもらうって。単位はトパン、ショートの使用済みパンツで払ってもらうって。前にもらった分は、もうすっかり匂いも取れちゃったから……じゃなくて、うっかり洗濯しちゃったから、別の使用済みパンツが欲しいと、思ったわけよ」

「は?」

「だーかーらー。脱ぎたてホヤホヤのショーツと、半日はいてたボクサーパンツを、ちょうだいしたってことよ。言わせないでよ。恥ずかしいじゃない」

 船大工さんが、再び、青梅さんに絡みます。

「いくら酔っ払ってるからって、堂々とこんなヘンタイ的欲望を垂れ流すたぁ、さすが東京の女」

 そもそも、この報酬の件が決まったときには、船大工さんだって手放しで喜んだくせして……。

 青梅さんが何か言う前に、私がフォローしました。

 ……たぶん、フォローになってると思います。

「船大工さん。彼女、ふつうじゃないですから。ふつうの東京の女性、いくら進んでるからって、こんな赤裸々に欲望をぶちまけたり、しませんから」

 青梅さんは、アルコールのせいか羞恥心のせいか、京劇の関羽のように、満面真っ赤になって、反論しました。

「結局、最終目標は達成できたんだから、いいじゃない。てれすこのオジサン、今日から工場宿直室で寝なくて、よくなったんでしょ?」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る