第8話 総ウケ、ショート君
ファッションショー当日の海碧屋代表モデルは、当初、ショート君がやることになっていました。
もちろんDSPスカート着用者の元祖はてれすこ君ですが、彼も40歳以上のオッサンということで、審査員になる資格があります。一票でも余計に稼ぐために、彼は息子に役割を託すことにしました。しかし、土壇場にきて、てれすこ君がショート君モデルに、猛反対することになったのです。
原因は、青梅さんです。
自他ともに認める、「やることはやる」BL作家・青梅さんは、女川にきて単なる観光をしていただけでは、ありません。彼女はキチンと新作を執筆していました。題名は「女装父子のリアル夫婦ライフ」。青梅さんの代表作である、リアルライフシリーズの第5弾だそうで、絵だけでなく、写真も添えるのが「売り」だとか。ちなみに、このシリーズの第1弾は、青梅さんの旦那さん・稲城氏と、彼の彼氏・豊島さんのBLで、2人のキス写真どころか、すっぽんぽんで抱き合っているきわどいのが何枚か添えてあったそうです。第5弾にも、きちんと写真が……題名通り、女装した実の父子の隠し撮りが添えてありました。
そう、ショート君とてれすこ君の、写真です。
ショート君が、青梅さんの作品を発見したのは、偶然ではありません。
青梅さんが、自分の同人誌をネットに上げている話は、彼女が女川に来たその日に、当人から聞いていました。毎日のように女装ゴスロリ姿を撮影されてしまうのも、青梅さんの趣味を考えれば、納得がいきました。不思議だったのは、耽美のカケラもない、てれすこ君のメンズスカート姿……いい年したオッサンの女装姿を、青梅さんがコソコソ盗撮していたことです。ショート君は、第5弾の題名「女装父子のリアル夫婦ライフ」という題名を聞いて、イヤな予感がしました。彼の予感は当たりました。
シリーズ第5弾同人誌の表紙は、てれすこ君によく似たスカート女装中年が仁王立ちしている足元に、ゴスロリ姿の美少年がひざまずき、パパのスカートの中に首を突っ込んでいる、という煽情的な場面でした。マンガだけでも言語道断なのに、その上、写真まで。もちろん、本人の承諾なしに。
ショート君は私に連絡をくれ、私はてれすこ君に内容を語りました。
彼は、事務所にて、新人販売員の面接をしているところでした。相手はショート君の親友、オヤマ君です。ショート君がかばってくれたことで、女装をイジメられなくなったオヤマ君は、販売員になれば、なおのことスカート着用の言い訳が立つ、と気づいて、今回のアルバイト募集に応じてくれたのです。
私が目くばせすると、てれすこ君は新人さんをうっちゃり、公営住宅の自宅に帰りました。
青梅さんは、イモちゃんと二人で、第6弾の構想を練っているところでした。
題名「鬼畜な社長さんと、被虐趣味美少年のリアルSMライフ」。
この社長さん、というのは……もちろん、私のことです。
なんとかスカートはいてもらえないかしら、と青梅さんは、あれやこれや策を練っていたのでした。
「やっていいことと、悪いことがある」
てれすこ君は、小一時間、青梅さんを説教したそうです。イモちゃんの口添えも全く聞かず、彼は青梅さんの旦那さんに、連絡を取ったのでした。
「東京に引き取ってください」
てれすこ君は、同人誌の現物が乗っているホームページを教えて、稲城氏にグチを垂れました。
稲城氏は、自分も同人誌見たよ、と前置きののち、逆提案してきたのです。
「そのまんま、彼女を女川に置いてて下さい」
もしかして、彼女に愛想が尽きたのか? 離婚するつもりなのか? と、てれすこ君は、ビックリしてストレートな物言いをしてしまいました。電話の向こうは冷静でした。
「違いますよ。普通の夫婦生活に戻るチャンスかなって思っているだけです」
「そこんとこ、よくわかりませんけど」
「彼女がBL作家としてメシを食っていけるまで、アレコレ協力するっていうのが結婚の時の約束でした。どうやら、ようやく、そのときがきそうですからね」
「女装父子」は、リアルライフシリーズの中でもとりわけ反響が大きく、ダウンロード頒布数が、今までのよりヒトケタ多いのだとか。「もう少し頑張れば、本当にメシを食っていけるところまで、行くでしょう。女装父子のスピンオフ作品、鬼畜社長や、女装の町のリアルライフと言った作品の予告にも、既に結構な数の予約が来ています。しっかし、ウチの嫁さん、どうやって、あんなにたくさんの女装モデルさんを頼むことができたんでしょうねえ。背景の女川の町並みとのマッチングからして、本物でしょう。モデル代が、バカにできないでしょうに。まさか、本当に町中の男という男が女装しているとか……ははは。どうやら僕にも、青梅のBL趣味が感染しちまったようだ」
そのまさかですよ、とてれすこ君は返事しました。
実は、これこれのスカートの権利のために、町中の男にスカートをはかせて、コンペをしているのだ、とてれすこ君は続けました。
「じゃあ、あの写真、リアルなんですか? まさか、本当に父子で女装している人、いるんですか」
「……ええ。いるんですよ。悲しいことに」
「はあ」
「あの同人誌に出てくる、仮名ババクロウと、その息子セカンド君は、ウチの親子がモデルですっ」
「えっえー」
「でも、決してヘンタイでは、ありません。どういったら、いいか。そう、お祭りのようなもんなんです。でも、あくまで着用するだけで、青梅さんが同人誌で描いているような、そのう、エッチなことをしているわけではない。そう、断じて、決して、ありません」
てれすこ君が力説すると、稲城氏は同情たっぷりに言いました。
「分かる、分かる。よーく分かりますよ。でもね、世間一般でそういう色眼鏡抜きの見方をしてくれる人って、ほとんどいないんじゃないかな」
そう、フィクションの……アニメや漫画の女装少年は、たいてい美形で、男からも女からもモテて仕方がない、みたいな感じが多いのです。そして、三次元の、実際のニュースで報じられているような女装者は、残念ながら、これこれの性犯罪を犯した、みたいなパターンで出てきます。
長年BL女子の亭主をやっているだけあって、稲城氏は、このへんよく分かっているようです。
「女装男子は、イロモノ扱いされる宿命なのですよ」
時代をさかのぼれば、まだ男装という言葉がしっかり生き残っていた百年前も、そんな感じでした。男装女子は、すべからくビアン趣味があるとみなされていたり、ズボンスタイルだと股のところに布切れがあたり、こすれると性的興奮が起きてタイヘンじゃないか等、下世話でトンチンカンで余計な心配をする人さえ、いたのです。
稲城氏は、黙って聞くだけのてれすこ君に、畳みかけました。
「各種メディアでの女装男子の消費のされ方もタイガイなことは認めますけど、実際の着用者のほうだって、たいがいでしょう」
新聞沙汰になる人以外でも、性的ファンタジーや欲望を満たすために女装する人は少なくない……という意味のことを、稲城氏は言いました。
「もちろん、てれすこさんたちが、そうだとは言いませんがね」
てれすこ君は、ただ、事実だけを告げました。
「……青梅ちゃん、浮気しようと、してますがね」
「は?」
てれすこ君は、青梅さんが公営住宅に居座り、自分の息子に手を出そうとしている顛末を、語りました。快活だった電話の向こうの反応は、静かになりました。
「証拠写真とか、ありませんか?」
てれすこ君は、娘に聞いてみる、と約束しました。
合従連衡は、駆け引きの常です。
兄と禁断の関係になるために、青梅さんと組んで、てれすこ君を追い出したイモちゃんでしたが、今では、その青梅さんが目障りな存在になっていたようです。そう、イモちゃんの最終目標、兄との二人暮らし実現のために、彼女は次なるステップを踏み出そうとしていました。協力の対価として、兄の脱ぎたてのパンツは約束していましたが、一緒にお風呂に入ったり、昼寝したりは、想定外でした。「姉」という設定なのに、一緒にお風呂に入らないなんて、おかしいでしょ……と言いくるめられてしまいましたが、たばかられてしまった、という悔恨がぬぐえません。
青梅さんの旦那さんに告げ口する、という父親の提案に、イモちゃんは協力することにしました。
一時休戦です。
ショート君にあれこれエッチないたずらをしているとき、青梅さんは全くの無防備でした。だらしない顔で目をランランと輝かせているのは、同じ女性として正視に堪えないくらいのものでしたが、イモちゃんは黙って盗撮しました。
ショート君のパンツに手を突っ込んで、彼を悶えさせているとき。彼の使用済みパンツの匂いを、クンカクンカかいでいるとき。お風呂や昼寝時、どさくさに紛れて乳首に舌をはわせているとき。そして、プロレスごっこと称して、股の間に彼の頭をはさんで、グリグリと楽しんでいる時……。鼻の下を長ーくのばし、血走った目でショート君の毛穴まで凝視し、蛇のような舌で体中舐めまわす……わずか一日で、百枚以上の決定的証拠が撮れました。稲城氏に送る前にイモちゃんが内容確認すると、イタズラされているはずのショート君が、なんだかまんざらでもない表情でいます。
イモちゃんは、哀しみを通り越して、怒りを爆発させました。
「こんなショタコン女、はやく東京に連れて帰ってよ」
色々と過激なメッセージ付きで、イモちゃんは青梅さん旦那に、映像を送付しました。
東京からは、かわりに、署名捺印付きの離婚届が送り届けられました。
「これは、つまり、どーゆうこと?」
会議、会議ばかりだと話が進みませんけど、またしても鳩首会議です。
首を突っ込めば、面倒くさくなりそうな予感しかしなかったので、私自身は遠慮したかったのですが……工場事務所で対策会議と言われれば、断ることもできません。一番の当事者であるショート君は、交通事故で腰骨を骨折した友人のお見舞いとかで、クラスメートのお父さんの車で、石巻日赤に行きました。私、女性陣二人、てれすこ君に加えて、今回は非常に珍しい客人が参加することになりました。誰であろう、め・ぱん連絡協議会の女王、リリーさんその人です。私たちの会議が始まる15分前、水ようかんの贈答セットを手土産に、リリーさんはフラリと海碧屋にやってきました。暑さのせいか、崇拝者がいなくて油断していたせいか、リリーさんは首元が大きく開いた鹿の子のアッパッパを着ていました。首筋の筋張った皺がやけに大きく見え、実年齢以上に……いえ、実年齢そのままに、トシを感じました。冷蔵庫の一番近くにいたてれすこ君が、麦茶を出そうとすると、熱いほうじ茶のほうがいい、というリクエストです。水ようかんの味が引き立つよ、と言いながら、リリーさんは手ずからお土産を配ってくれました。
「で。何のご用件でしょう」
DSPスカートの権利を賭けて戦っている真っ最中のライバルとは言え、表敬訪問を受ければ、それなりに丁寧に接待せざるを得ません。実務の打ち合わせなら、ケンさんかパチカンさんが来るはずで、本当に、謎の来訪でした。
リリーさんは、てれすこ君と青梅さんの間にどっかりと腰を下ろすと、言いました。
「そんな怖い顔しないでよ。アタシ、アンタたちにかぶついたり、しないわよ」
「はあ」
リリーさんの用向きは、本当にシンプルなものでした。
「孫の誕生日が近いから、何かプレゼントしたいんだけども、どんなのがいいかなあと思ってね」
「はあ」
そんな相談なら、め・ぱんの崇拝者の面々が、いくらでもアイデアを出してくれるでしょうに。
「でも、今、ちょうどアンタたちのところでセールスマンをしてるでしょ」
なんと、ショート君の友人、オヤマ君が、そのお孫さんだと言うのです。
「……世間は狭いもんですね」
「それを言うなら、女川は狭いって話でしょ」
リリーさんは、お孫さんの女装趣味も知っていましたが、どーも、そういうたぐいのプレゼントはしたくない様子。
「ゲームソフトだの限定ものの運動靴だの、分かりやすいヤツが欲しいんなら、わざわざ相談には来ないんだけどねえ」
「はあ。リリーさん、つかぬことをお伺いしますけど、お孫さんが女の子の恰好をするのは、イヤですか」
「アタシは、あんまり好きくないね。あ。あの子には、内緒だよ。いくら女顔で、かわいい、かわいいって言ったって、見るにたえるのは、しょせん中学生くらいまでさ。大人になったあと、ホラ、黒歴史って言うのかい? ガキの頃のスカート姿の写真をバカにされて、身もだえするのが関の山ってヤツさ」
「はあ」
「と、いうか。あんたたち、雁首揃えて、そういう話をしているところじゃ、なかったのかい?」
私は、青梅さん宛に離婚届が送られてきた顛末を語りました。
「あんたたち、男心ってものが、分かんないのかい?」
稲城氏は、最初っから離婚する気マンマンで、仕掛けてきたのさ、というのが、リリーさんの意見でした。
「て、いうか。東京のオネーチャン、アンタはどうなんだい? 話を聞く限りじゃ、もう冷めてる、というか最初っか冷めてたみたいじゃないのかい」
青梅さんは、初めて女川に来たときと、同じ返事をリリーさんに返しました。
「私、自分でも自分がどーしたいのか、分からなくて。趣味に生きたい、とか、そういう感じなのかな」
「バカをお言い。アンタが分かんないなら、アタシが教えてあげるよ。アンタは、女王様でいたい、ただそれだけなのさ」
青梅さんは、ハッと顔を上げて、言い返しました。
「そんな。リリーさんじゃ、あるまいし」
七十過ぎのおばあさんとは思われない鋭い眼光で、リリーさんは彼女をキッと睨みつけました。
「そりゃ、最初の動機は違っただろうさ。ひょっとしたら、本気で旦那のことが好きで、結婚生活を始めたのかもしれん。けれど、話を聞く限り、今は違うさね。旦那をいじり、意地悪な先輩をいじり、それでも飽き足らず女川にきて男子中学生をいじり……男を手玉にとって自由にできるのに、アンタは味を占めちまったんだよ。女はね、いったん女王様だのお姫様だのになったら、なかなかその立場を手放せないもんなのさ。麻薬と一緒で、病みつきになっちゃうんだ。取り巻きがいるうちは、イジワル女でもサマになるけど、誰からも相手されなくなってからが、悲惨だね。誰から見ても、イヤな女の出来上がり、だよ。アンタのまわりにも、いないかい? 若いころは確かに美人だったらしいけど、性格最悪、高飛車で高慢ちきな女ってのが」
私は、リリーさんが息切れした瞬間を狙って、やんわり言いました。
「女性という女性が、みんな、そういう人たちばかりでは、ないでしょう。リリーさん、なんか辛辣ですねえ」
イモちゃんが、目だけ笑っていない笑顔で、まぜっかえします。
「てか。今の、オバアチャンの自己紹介、だったりして?」
「ふん。娘ッコ。アタシは違うよ。だって、今だって何十人っていう取り巻きがいるんだからね。現役の女王様ってのは、いくら高飛車で高慢ちきだって、女王様なのさ。私がアンタくらいの年頃には、金魚のフンみたいに崇拝者がついてきて、苦労したもんさ。アタシに偉そうな口を利く、そういうアンタは、何人くらい、熱狂的なファンがいるのさ? 一人もいないんだろ? そうなんだろ? ……取り巻きの一人もいない娘ッコのくせに生意気言いなさんな。アタシにイヤミの一つも言いたきゃ、まず、崇拝者の一人や二人連れてきて見せるんだね」
「……御見それしました」
「そもそも、黙ってチャラチャラした格好をしてれば、取り巻きが集まるってもんじゃない。一朝一夕じゃ、どうにもならない努力ってヤツをしてるんだよ。若い頃は、イモでもブスでも、若いってだけで、なんとかなる。娘ッコ、アンタ、今から五十年後、町中の男という男をトリコできるかい?」
「……あのう、リリーさん。たいへん有意義なお話の最中恐縮ですけど、相談内容に戻ったほうが……」
「ありゃ。そうだね。孫へのプレゼントの話」
リリーさんの話につきあっていては、肝心の離婚届の始末ができません。
ウチの会社でオヤマ君と唯一親しいショート君が、ちょうどこの場にはいません。石巻日赤から戻って来次第、それとなく聞き出すように言っときますよ……と私はあからさまな営業用スマイルを彼女に向けました。
「あら。追い返そうってのかい? 水ようかん、食ったくせに」
それを言われては、言葉もありませんが。
「その、東京のオネーチャンの話なら、今更迷うこたあ、ないじゃないさ。判をついて、ミドリの紙を折り返す、それだけさね」
イモちゃんが、抗議の声を上げました。
「離婚は好きにしてって感じだけど、それで女川にいつまでも居座られるのは、困るっていうか」
本人は婉曲に言ったつもりでしょうけど、イモちゃんのストレートな物言いに、青梅さんは眉をつりあげました。
「なによー。それ」
青梅さんとイモちゃんとの間で、あーでもない、こーでもない、と再びショート君をめぐるゴタゴタ話が続きます。
私自身は、女の子二人の恋(?)のさや当てより、リリーさんの躊躇ないアドバイスのほうが、気になりました。
「どうして、離婚一択なんです?」
「来るものは拒まず、去る者は追わずってね。女王様が、女王様でい続けたいなら、守るべきポリシーなのさ。去る者をどうしても追いたくなったら、女王様、年貢の納め時だね。誰かを本気で好きになったら、そりゃ、取り巻きの一人に落ちたってことだからさ」
「……誰も好きになることのない生活って、いっぱい男に囲まれても、孤独な感じじゃないですか」
「ちやほやされるっていうのは、本来、そーゆーことさね」
私がリリーさんから人生の教訓を授かっている間、てれすこ君は息子に電話をかけていました。女装グッズ以外で、オヤマ君が欲しいものは、何か、と。駐車場にでもいるのか、エンジン音がうるさい中「そういや、友達とディズニーランド行ってみたいって、言ってた」という返事が返ってきました。
「了解した。でも、友達と?」
女装癖がバレてイジメられていたオヤマ君は、ショート君にかばってもらえるまで、友達らしい友達がいなかったはずなのですが……。
「つまり、それって……オヤマ君、お兄ちゃんと、ディズニーランドでデートしたいって、こと?」
イモちゃんが素っ頓狂な声を上げると、リリーさんがクックックと笑いを押し殺して、言いました。
「女にも男にもモテモテじゃないか。どーも、聞きしに勝る美少年みたいだねえ」
イモちゃんが、あわててリリーさんに言いました。
「ちょっと。オバアチャンまで、お兄ちゃんに興味津々なわけ? 絶対手を出さないでよ、色々な意味で犯罪だからねっ」
「そんなふうに言われると、逆に、粉をかけたくなるねえ」
「ふん。不良ババアっ。オヤマ君に、言いつけてやるからっ」
若いツバメ的なニュアンスではなく、愛玩動物に向けるような興味なのだ、という意味のことをリリーさんは言って、肩をすくめてみせました。
「ホントかなあ」
「やれやれ。疑い深い娘っコだ。口が悪いだけでなく、頭も悪いと見える。そもそもアタシにゃショタコンの気はないけどさ、仮に若い美少年好きだとしても、わざわざ女の恰好が好きな男の子は、選ばんさ」
「ふうん」
「そもそも、アタシは顔の良しあしで取巻きの男を選んだりしないよ。一番肝心なのは、アタシの熱狂的なファンになり切ること。崇拝者なりの仁義を守り切るってことさ、ね」
「崇拝者なりの仁義?」
「昭和のアイドルの仁義って話から始めたほうが、アタシの言いたいこと、よく分かるかもしれん。海碧屋さん、アンタなら、それなりのトシだから分かるだろ。昭和のアイドルは、ウンコをしない」
「はあ。まあ、言いたいことは、よくわかります」
イモちゃんが、字義通りに言葉を受け取ったらしく、首をひねりました。
「ウンコしないって……便秘とかじゃなくて? んなわけ、ないじゃん」
私は、リリーさんに代わって、説明しました。
「アイドルとファンの間の、暗黙の了解というか、約束というか、そういう感じのものですね。その昔のアイドルっていうのは、トイレにいっても絶対いってないフリをしてみせる、というのも芸のうちだったと言えば分かるかな……彼氏がいてもいないフリをする、処女じゃなくとも処女のフリをする、偶像としての自分を壊さないような、イメージ戦略をするっていうことです」
「でも、常識で考えれば、ウンコしない女子なんて、いないって分かるじゃない。バッカみたい。昭和のオトコって、アホなの?」
「実は、昭和になってから始まった話じゃなくて、平安の世から、延々とやってることですけど。今昔物語集に、あります。ある女性に振られた中納言さんが、彼女のウンコを見てやろうとウンコの入っている箱を盗んだ。でも、蓋を開けてみたら、香木で作られた偽物のウンコが入っていた……」
「うわ。ヒクわ。日本のオトコって、千年以上前から、ホント、バカでヘンタイなのね……」
「昭和のアイドルの話に戻れば、当時は、ファンのほうも、それなりに熱狂的だった。だから、本当はウンコをすると分かっていても、アイドル本人が『私は絶対にウンコをしない』と宣言するなら、ウンコをしないと信じる……フリをするってところでしょうか。昔のギャグ漫画等で、そういう暗黙の了解をからかったシーンを読んだことがあります。実際にアイドルがウンコをしたところで、これウンコではないと言い張って、パクパク食べちゃう、とかいうの」
「ゲーッ。気持ち悪っ」
「まあまあ。ギャグ漫画の話ですから」
「じゃあ、社長さん。アイドルのためにバカになり切るのが、本当にファンって、言いたいわけ?」
「バカになるっていうか、そのアイドルの世界観に浸りきるっていうことでしょうね。昭和の場合は、美少女ウンコしないっていう世界観。令和の今のアイドルファンはどうかな? ハッピを着たり、CDを買ったり……」
リリーさんが、厳かにイモちゃんに言い聞かせました。
「世界観。海碧屋さん、いいことを言うねえ。そう、世界観を作ってくれたり、浸ってくれたりするのが、いいファン、究極のファンさね。返す刀でバッサリ切っちまって悪いけど、東京のオネーチャン、だからこそ、離婚しちまいなって、アタシは言うんだよ」
いきなり話を振られて、青梅さんはクビを傾げました。
「どういうことです?」
「アンタは、旦那さんが自分の世界観の中にいるオトコだと思っていた。いや、無理やりいさせたって言ったほうが、いいかもしれない。けど、アンタの旦那さんは、もう、アンタの世界観の中にいるのが、イヤになっちまったって、ことさ。BLとか抜かして、男同士でホモ行為をさせられるのがイヤでイヤでしかたなかったのさ」
「長年、そういうことをさせられていれば、いずれは本物の男好きになると、思ってたのにぃ」
「んなわけあるかい。ダメに決まってるさね。本物になったらなったで、アンタの世界観とやらをけなし始めるに決まってるさ。ウチのアチャラカ・ケンちゃんに聞いたけどさ、そういう同人誌っていうのは、リアル男性同性愛者の人たちから、ものすごく毛嫌いされてるんだろう? 上から目線の同性愛差別で、性的搾取の一種だ……だったかな」
耳に痛いお説教だったと見えて、青梅さんは黙りこくってしまいました。
「アンタが、海碧屋の女装美少年を可愛がるのも、同じ理屈さね。美少年は確かに女顔の美形なんだろうけどさ、中身はどこにでもいる普通の男子中学生で、女の子の恰好をするのは、好きじゃない。けれど、そういう偽物だからこそ、アンタの同人誌ワールドの登場人物として、ぴったりってことさね。……イヤよイヤよと言いながら、自分の女装姿にまんざらでなく、年がら年中発情してるような感じの美少年が、ね」
イモちゃんが、横から口を挟みます。
「ねえ。オバアチャン。偽物、偽物って言うけれど、じゃあ本物って、どんななの?」
「本物っていうのは……本物の女装少年っていうのは、要するに、本気で性転換しようとしているオトコのことさね」
私は、リリーさんの言葉を補足しました。
「要するに、女装が手段でなく、目的になっているような女装男子って、言うことです。リリーさんの言う、いわゆる性転換しようとしている男子っていうのは、心の中だけでなく、外見その他も女性になりたいっていう男子です。この、女性になりたいっていうのは、性器の種類だけでなく、服装そのものも含むのです。そう、女装が目的になっている、女装男子です。他方、青梅さんの同人誌……いえ、青梅さんの妄想に出てくる女装男子とか、ヘンタイプレイで警察のお世話になるような女装男子は違いますね。女装は快楽の手段であって、目的じゃない」
イモちゃんが、再び質問します。
「女装をイヤがっていて、着せられてる女装男子も、ですか? 快楽の手段、ではないと思いますけど」
「確かに女装が手段にはなっていないけど、目的にもなっていないでしょう。ノンフィクションの世界では、本物とも偽物とも判別しがたいでしょうけど、フィクションに出てくる……特に青梅さんの妄想に出てくる、イヤイヤ女装させられる男子は、間違いなく読者の性的願望をかなえるための女装なので、やはり偽物です」
「じゃあ、ウチのお兄ちゃんは、偽物ですか」
「まあ、真正ではないでしょう」
私たちの問答を受け、リリーさんは再び青梅さんを諭しました。
「東京のオネーチャン、アンタは取巻き集めに失敗したんだよ。アンタの脳内妄想、お約束を守ってくれる旦那が欲しいってのなら、詐欺の負い目で無理やり従わせるってのじゃなく、アンタの同人誌の熱烈なファンってのを選ぶべきだった。そう、同人誌の登場人物に憧れます、共感します、あんなふうになりたい……ていう男から、旦那を選ぶべきだった」
「……ねえ、オバアチャン。私の同人誌に、男子の読者なんて、ほとんどいないわよ」
「ほとんどってことは、ちょびっとなら、いるってことだろ? 選ぶのに手間ひまがかからなくて、いいじゃないか」
「登場人物に憧れるってことは、要するに、本物のホモってことでしょう。ホモなら、女と結婚したいって、思わないじゃない」
リリーさんは、水ようかんの最後の一切れを飲み込むと、言いました。
「アンタの同人誌に出てくる登場人物は、そもそも、本物のホモじゃ、なかろ。ホモ行為を目の前でやってみせて、女子読者の興奮させよっていう魂胆の、エセ同性愛者だろ」
昨今のアイドルや声優さんに百合営業というのがあって、これは、真正の女性同性愛者でもなんでもない女の人たちが、それっぽい雰囲気を作ったり、それっぽい演技をしたりしてファンを喜ばせる……というものです。現実にあるこういう営業の男性バージョン、が、まさに青梅さんたちの欲するホモの人たち
、そのものです。つまり、偽物です。
「そっかあ」
「まあ、そんなに落ち込むんじゃないよ。女オタクウケのいい、ニセ者のホモだって、それなりにいるさね。美醜にこだわらなきゃ、案外楽勝で見つかると思うよ」
いざ、離婚という現実を突きつけられると、やはり青梅さんの心は揺らぐようでした。
「それなら、言っちゃいけないたぐいの、最悪のアドバイスをしてやろうかね。アンタが子どもを作ったときのことさ。今の旦那と子どもを作りゃ、アンタは今のママゴトをやめなくちゃならない。まっとうな大人になって、まっとうに子どもを育てる道、さね。けれど、あんたの取り巻きにふさわしい、エセ・ホモの旦那なら、まだ、趣味丸出しのこんな生活を続けてられるかもしれない。子どもにとっては、必ずしもいい親とは言えないと思うがね」
最後のアドバイスで、どうやら青梅さんの決心はついたようでした。
私のほうは、リリーさんの本物・偽物の話を聞いて、DSPスカートの行く末が心配になっていました。
仮にDSPスカートが普及しきって、今の女装が、女装と認められなくなった場合です。
「本気の性転換志望者に、恨みを買いそう」
リリーさんは、平然と言い放ちました。
「そんなわけ、あるかい。海碧屋さん、アンタ自身が言ってたじゃないか。スカートが女らしさの象徴とならないんなら、スカートのデザインやら小物やらが女らしさの象徴となっていくって、さ。デザインやら小物やらも女らしさの象徴でなくなっていくなら、たとえば、仕草とか化粧とか、さらに別のが出てくるさ。その、仕草とか化粧まで女らしさの象徴でなくなったら、さらにまた、別の何かが、代わりに出てくるさね。どこまでいっても、女らしさがなくなることはないし、女らしさの象徴だって、なくなることはないさね」
青梅さんの分も含めて、私は頭を下げました。
「貴重なご意見、ありがとうございます」
イモちゃんが、最後にちょっと茶化しました。
「さすが、女王様。最後のシメも、カッコイイっ」
「娘ッコ。それを言うなら、最後のシメも、キレイに決まった、さね。女王様っていうのは、カッコイイっていうより、キレイなもんだ」
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